「 史談 切り捨て御免 」
海音寺潮五郎 (かいおんじ ちょうごろう 作家 1901~1977)
株式会社文藝春秋 1992年12月発行・より
西郷は非常に評判のいい人です。 現代より よかったでしょう。(笑い)
西郷ならば安心して一緒にやれると天下の志士たちは みな考えていたでしょう。
それから、西郷を征韓論の論争によって維新政府から追い出したのは、大久保の謀略ですよ。
ぼくは それに気がつかなかった。
『西郷と大久保』 という連載小説を書いたのですが、はじめは両人は変らない友情を抱き合っていたのだが、ともに国家のためを思って論争して
いる間に、自然の結果がああなったという考えで書きつづけて行ったの
ですが、書いている間にどうにも苦しくなった。
強い抵抗を感ずる。
しかし乗りかかった船だから、その線を通して、連載を終わったのですが、終わって単行本にするにあたって、大久保が西郷を計画的に追い出したことに書き直しました。
そうすると、すべてがスラッと行くのです。
恐らく、大久保は、西郷の政府内における存在があまりに大きいので、
西郷にいてもらっては、意図している改革ができないと考えたところから、追い出したのだろうと思います。
その追い出す手口が、実に巧妙をきわめている。
だれも気づかないのですから。 ぼくは はじめて気がついた。
大久保という人は非常に筆まめな人で、安政六年(1859)の十一月はじめからずっと日記をつけています。
そのために、大久保の動き、薩摩勤王党の動きが非常によくわかるのですが、洋行中の部分と征韓論のところが ポカッと欠けているのです。
大久保家では 「火事によって焼けた」 といっているのです。
「焼けた」 とおっしゃるから焼けたんだろうと思うが、僕は疑わしく思わないわけではないのです。
2016年10月16日に 『大久保利通は 「厭な人」 だった』 と題して渋沢栄一の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12208271771.html
2018年3月10日に 「冷血・大久保利通」 と題して谷沢永一の文章を紹介しました。コチラです。 ↓
https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12347334426.html
これは朝やけなのか夕やけなのか答えは写真の下に。
奈良市内にて9月30日撮影
「朝やけ」