「 声の残り 私の文壇交遊録 」
ドナルド・キーン (1922~2019) 訳者 金関寿夫
朝日新聞社 1992年12月発行・より
新宿とか、その他の東京の繁華街を、三島といっしょに歩くことは、
常に一種特別な体験であった。
歩いている間に、何度となく通行人に呼びとめられて、サインを求められたが、彼はいつもニコニコ顔で、その求めに応じていた。
これは彼に聞いた話だが、いつかある若い女性に呼び止められ、サインをしてもらうにも、本も手帖も持っていなかったので、自分のパンティにマジックでサインをしてくれ、と頼まれたことがあったという。
彼はとにかく、自分が人目を惹くことを、明らかに楽しんでいた。
いつだったか、彼が上衣を着ていないというので、帝国ホテル内のレストランで、玄関払いを食らったことがあった。
ところがその時、給仕長が、高名な作家を拒んだことをあとで知ったら、
どんなにか残念がるだろうと想像して、彼は不快がるより、むしろ面白がっていたものだ。
したがってニューヨーク滞在中に、いかに世間から自分が無視されているかを感じて、淋しかっただろうことは、容易に想像出来る。
明らかにその時初めて三島 (彼はすでにニューヨークで二冊の英訳を出していた) の名を知った、例の 『ニューヨーク・タイムズ』 記者のインタヴューのあと、三島は私に訊いた、ニューヨークで有名になろうと思えば、どうすればいいのですか?
そこで私は、本心から答えたものだ。
それは不可能ですよ、かりに ヘミングウェイ と フォークナー とが、腕を組み合ってタイムズ・スクェアを歩いて来ても、誰も振り向くものはいないでしょうね、と。
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