~今日は三島由紀夫の命日なので~
「決定版 三島由紀夫全集 40」
三島由紀夫 (みしま ゆきお 1925~1970)
株式会社新潮社 2004年7月発行・より
ー対談・人間と文学ー
[中村光夫・三島由紀夫]
<中村> そういうために太宰みたいな人が芝居して死んでしまうということになる。
死んだらますますほんとうだということになる。これが困るんだな。
日本みたいに自殺した文士が人気のある国はあるかね。
<三島> 外国でも多少そうだろうと思いますが。
<中村> たいへんなものだな、日本の場合は。
<三島> 芥川、太宰。
<中村> 野上弥生子に昔きいた話ですけれども、あの人が田端にいたころ芥川が近所で、よく遊びに来て、どうも本が売れなくて困るといって、しきりに、こぼしていた。
そこで野上弥生子が、それは芥川さん、自殺すれば売れますよといった。
そうしたらほんとうに死んじゃったといっていた。(笑)
<三島> 気が咎(とが)めただろうな。
<中村> 気が咎めたようなことをいってた、ほんとうかどうか知らないけどね。
<三島> まあ自殺すると文学全体が行動化される。
それが魅力になるんだな。
<中村> またあなたの畑に話しをもっていったね。
<三島> たとえば芥川みたいなスタテックな作家は、もし自殺しなければ、彼の文学的イメージに行動性は全然ない。
死んだことによって 「河童」 など行動化され評価される。
<中村> それは確かにそうだ。
<三島> 太宰などまさにそうだ。
<中村> 自殺というのは確かに一つの行為だからね。
そうすると、さっきのあなたの理論と結びつけると一つの結論が出るね。
<三島> こっちも理論を実現するために早く自殺をしないとたいへんだ。
<中村> まあよしなさい。幸田露伴みたいに八の字髭が生えるまでぜひ生きていてもらいたい。
<三島> もう生やそうと思えばいつでも生えるよ。
<中村> ぼくは露伴があれだけ生きたということはじつに賛成ですよ。
<三島> そうですね。
<中村> しかし文士は年をとるまで生きていると、だいたい写真がみな老人になっちゃうから、あれはたいへん損ですね。
<三島> 損です。バイロンの肖像などいいものね。
<中村> 北村透谷と坪内逍遙と比べると、透谷のほうが得ですからね。
<三島> アレキサンダー大王は三十三で死んだけれども、三十のとき以後肖像をつくらせなかったという。
<中村> それは確かにそうですよ。だけどぼくは、自殺文士が人気があるということは日本人の気質かと思ったら、あなたのいまいった話でほんとうに気がついてみると、普通の文学があまり文学臭いから、行動性というもの、そういうものにたいする憧れがあるね。
そこで何か最後に自分で責任をとったという感じがする。
<三島> 実際は責任をとったわけでもないけれど、そんな感じがする。
<中村> それはほんとうにそうだ。
<三島> 日本人はまたそういうことを非常に喜ぶ。
(略)
<三島> ぼくは切腹の専門家だけれど。猪俣敬太郎という人が中野正剛伝でおもしろいことを書いていた。
人間の死に方は神の摂理でじつにうまくできていて、東条英機はピストルで死にそこなって死刑、近衛文麿は毒薬、中野正剛は腹切りだったが、この三人を全然変えてみたら合わない。
近衛文麿が腹を切り、中野正剛が毒をのんだとしたら、とてもいかぬという。
そういう意味ではある程度決定的だよ。
そういう点は人間として演技者としてよく考えなければならぬ。
川端さんが腹を切って死ぬなどということは考えられない。(笑)
<中村> あなたは腹を切って生きているじゃないの。
~注・三島は昭和41年に「憂国」という映画を自作自演してその中に切腹のシーンがあるようです。自決をしたのは昭和45年の11月25日
(人差し指)~
<三島> それぞれふさわしさというものがあるんですね。
だからやっぱり自殺というものはある意味で芸術ですよ。
その状況が整わないでやるとえらい失敗をする。
<中村> なるほどおもしろいね。
<三島> しかし文学者は、生きていて自分の作品行動自体を行動化しようというのは無理だね。
ぼくはそういうことをいろいろ試みてみたけれど、ただ漫画になるばかりで、何をやってもだめですよ。
<中村> そういうことはないでしょう。
(1967・11・10)
対談・人間と文学<初出・初刊><「対談・人間と文学」・講談社・昭和43年4月
5月18日 光が丘 四季の香公園(東京・練馬)にて撮影