参考資料3150 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ノストラダムスはガリレイ以前に地動説を知っていた
「セザールに宛てた手紙のなかで、ノストラダムスは次のように書いている。

 わたしがこれを書いている日付から数えて177年3ヵ月と11日先、疫病、長い飢饉と戦争、そしてさらに浸水(これは、わたしが示したばかりの日付の前後に何度もひきつづき起こっていくものである)などによって、世界は縮小し、ほんのわずかの人びとしか生き残らず、農耕などを行なおうとするものはだれもおらず、これらの人びとは、みずからに残された時間の長さだけ自由となるのである。

 これはまさに、天文学でいういわゆる”歳差”を示しているのだ。
 歳差とは、前章でもふれたように、春分点(地球の赤道と黄道とが交叉する点)が黄道に沿って一年間に50.26秒ずつ西方に移動する現象で、それは地球の軸がコマの首振り運動のような動きをしていることから起こる。この現象は紀元前二世紀ごろ、ギリシャの天文学者ヒッパルコスによって発見されたといわれている。だが、ノストラダムスがこの序文を著した当時、16世紀には、天文学者はまだプトレマイオスの天動説を信じていたのだ。
 ガリレイやコペルニクスが、太陽が地球のまわりを回転しているのではなくて、逆に、地球こそが太陽のまわりを回転しているのだという新発見を無残にも人びとの前で取り消さなくてはならなくなったのは、17世紀のことである。とすれば、ノストラダムスは、それより70年以上も前に(ガリレイが宗教裁判で、地動説を否定させられたのは1633年6月30日のことだった)、大異変を予言して、地球の回転にもとづく年代学をつくっていたのである。これは驚くべきことだ。ノストラダムスはまさに、芸術的ともいえる巧妙な方法を用いて、教会の監視がもっとも厳しかった時代に、堂々と地動説を述べていたのだった。しかも、明確に、太陽暦年と25800年周期にわたる黄道上の地球の歳差運動による年代のズレを発表しているのである。
 ここで、もう一度、先ほどのセザールに宛てた手紙のなかの一文を見ていただきたい。《わたしがこれを書いている日付から177年3ヵ月と11日先・・・世界は縮小し・・・》とある。ノストラダムスのことばにしたがい、彼がこの手紙を執筆していた時点から177年3ヵ月と11日あと戻りすると、1377年11月19日という日付が得られる。これは、歴史的には重要な日付ではないが、リヨン版の『諸世紀』によって定められた予言の開始の日付(1557年)と180年の開きがあることを示している。
 ノストラダムスは、次のように日付の配列をつくっている。
①1377年11月19日から1555年3月1日まで→177年3ヵ月11日間
②1555年3月1日から1557年3月14日まで→2年14日間
(予言開始の日・この日もふくめる)
 ①と②を合計すると、179年3ヵ月25日という時間が得られる。1年は365.2422日で構成されているので、
③180年のためには、65743.6日(1.00380)
④179年3ヵ月25日のためには、65494.7日(0.99621)
 ③の数値が、黄道上の180セクターの数値を代表し、④が太陽暦年の円の180度の数値を示すものと考えると、さらに次の数値が導き出される。
⑤黄道帯の1セクターは、太陽暦年の1.00380年に等しい
⑥太陽暦年の1年は、黄道帯の0.99621セクターに等しい
 これらの数値によると、太陽は黄道上の2160セクター、つまり黄道帯の各周期を、
0.99621×2160=2151.8136
 すなわち、太陽暦の2152年で回転することになり、12の黄道帯をすべてめぐり終えるのには、さらに2151×12=25824年かかることになる。この数字は、まさに現代天文学で定説となっている地球の歳差運動の周期と一致するのだ。」
「ノストラダムスの遺言書」ダニエル・ルゾー著・流 智明監修より

感想
>歳差とは、前章でもふれたように、春分点(地球の赤道と黄道とが交叉する点)が黄道に沿って一年間に50.26秒ずつ西方に移動する現象

一応、裏を取ってみた。

「歳差運動のため、天の北極が黄道の極のまわりを約2万5800年で1周し、春分点が黄道上を毎年約50秒ずつ西方へ移動する現象。」
引用元:https://kotobank.jp/word/%E6%AD%B3%E5%B7%AE-67903

また、「歳差運動によって、春分点の位置が一年間に約五〇秒三だけ逆行する現象」ともあるので、OK。

>この現象は紀元前二世紀ごろ、ギリシャの天文学者ヒッパルコスによって発見されたといわれている。

これも一応、裏を取ってみた。

「一般的にヒッパルコスは、春分点(及び秋分点)が1年ごとに前へ進む現象(歳差)の発見者として認知されている。この発見は、紀元前146年から127年のこととされる。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9#%E6%98%A5%E5%88%86%E7%82%B9%E3%81%AE%E7%A7%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B

よって、OK。ただし、異説もあるらしい。「ただしこれには、サモスのアリスタルコスがそれよりも早くこの現象に気づいていたという異説もある。」(引用元は同じ。)

>わたしがこれを書いている日付から数えて177年3ヵ月と11日先、疫病、長い飢饉と戦争、そしてさらに浸水(これは、わたしが示したばかりの日付の前後に何度もひきつづき起こっていくものである)などによって、世界は縮小し、ほんのわずかの人びとしか生き残らず、農耕などを行なおうとするものはだれもおらず、これらの人びとは、みずからに残された時間の長さだけ自由となるのである。

 これはまさに、天文学でいういわゆる”歳差”を示しているのだ。

どういう事? 全然、「歳差」と関係ないよね。一応、ノストラダムスの大事典とノストラダムスサロンの原文も挙げておこう。

「45. 私がこれを書いている現在は、その時点の177年3ヶ月11日前に当たるのだが、その時点〔=177年3ヶ月11日後〕と予め定めた時との間で前後に何度も起こる悪疫、長期の飢餓、戦争、さらには浸水によって、人々は非常に減少するだろう。そして、耕地を耕したいと望む人を見ることもなくなるであろうほどに人がほとんどいなくなり、田野は人々が使役してきたのと同じくらいに長い間、自由になるだろう。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2649.html

「26. それは私が今これを認めている現在から177年3ヶ月11日先までにわたっており、世界は疫病と長い飢饉と戦争と洪水で、現在からあらかじめ定められた期限までの間に、覆い尽くされることだろう。前後、人類は何度にもわたって減少し、ほとんど絶滅してしまうものだから、土地を占有しようとする人もいなくなり、土地はかつて耕やされていたのと同じくらい長期間、耕されなくなってしまうだろう。」
引用元:https://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Preface.htm

ノストラダムスがこの年数を普通の意味で使っていたのなら、予言は大外れという事である。ただし、3797年までの予言と同じように意味がない数字の可能性が高い。
因みに、私はこの文章からある詩を連想した。

詩百篇第1巻63番
災禍が通り過ぎて、人口が減らされる。
ひとけのない土地に長期間の静穏が。
(人々は)空も陸も海も江湖も安全に渡るだろう。
そして新たに(複数の)戦争が惹き起こされる。
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2189.html

さすが、ノストラダムスの大事典のsumaru氏は気付いたようである。

「さて、特に指摘している論者が見当たらないが、これは用語の共通性から言っても、少なくとも前半部分についてはセザールへの手紙第45節と重なり合っているように思われる。
& que de present que ceci j'escriptz avant cent & septante sept ans trois mois unze jours, par pestilence, longue famine, & guerres, & plus par les inundations le monde entre cy & ce terme prefix, avant & apres par plusieurs fois, sera si diminué, & si peu de monde sera, que lon ne trouvera qui vueille prendre les champs, qui deviendront liberes aussi longuement, qu'ils sont estez en servitude :
私がこれを書いている現在は、その時点の177年3ヶ月11日前に当たるのだが、その時点 〔=177年3ヶ月11日後〕 と予め定めた時との間で前後に何度も起こるペスト、長期の飢餓、戦争、さらには浸水によって、人々は非常に減少するだろう。そして、耕地を耕したいと望む人を見ることもなくなるであろうほどに人がほとんどいなくなり、田野は人々が使役してきたのと同じくらいに長い間、自由になるだろう。

 「人々が非常に減らされるだろう」(le monde... sera si diminué) という表現の共通性からしても、この詩を高速交通手段の出現による世界の狭小化と理解するのは無理があるだろう。ノストラダムスはあくまでも「災禍」すなわち「ペスト、長期の飢餓、戦争、さらには浸水(洪水)」によって多くの犠牲が出ることを述べているにすぎないように思われる。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2189.html

念のため、私は五島勉氏の独特の訳を覚えていたから気付いただけで、他人のアイデアをパクるような事はしない。

1巻63番の詩
大戦争がすぎ去ったあと、世界はせまくなる
陸地には人間があふれる
人びとは空や大陸や海を越えて旅をする
そのあいだに、いくつかの新しい戦争がひきつづき起こるだろう
「ノストラダムスの大予言」五島勉著p.48より

しかし、五島勉氏は第2次世界大戦後の飛行機旅行ブームと解釈していたが、sumaru氏が述べるように「この詩を高速交通手段の出現による世界の狭小化と理解するのは無理があるだろう」。
個人的には、「終わりの時」の予言と解釈している。

「8 主は言われる、全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。
9 わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。」
「ゼカリヤ書」第13章8節~9節(口語訳)

>ここで、もう一度、先ほどのセザールに宛てた手紙のなかの一文を見ていただきたい。《わたしがこれを書いている日付から177年3ヵ月と11日先・・・世界は縮小し・・・》とある。ノストラダムスのことばにしたがい、彼がこの手紙を執筆していた時点から177年3ヵ月と11日あと戻りすると、1377年11月19日という日付が得られる。

1377年11月19日に177年3ヵ月と11日を加えると、1555年3月初めになるが、「セザールへの手紙」の末尾にある「1555年3月1日」から逆算したようである。(当時のフランスの暦とかを調べて突っ込んでも良いが、労力の割には意味がないので省略。仕事だったらやるが。)

>これは、歴史的には重要な日付ではないが、リヨン版の『諸世紀』によって定められた予言の開始の日付(1557年)と180年の開きがあることを示している。

良く意味が分かりませんな。というのは、

「1557年にリヨンで出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、占星術師ノストラダムスの予言集のうち、現在確認されている範囲では、彼の生前に正規の形で出版された唯一にして最後の増補版である。
 1557年版は、9月6日付のものと11月3日付のものがある。前者が正規版で後者は海賊版と見なすのが一般的である。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9%E5%B8%AB%E3%81%AE%E4%BA%88%E8%A8%80%E9%9B%86_(1557%E5%B9%B4)

とあり、「11月19日」など全然関係ないからである。

>①1377年11月19日から1555年3月1日まで→177年3ヵ月11日間
②1555年3月1日から1557年3月14日まで→2年14日間
(予言開始の日・この日もふくめる)
 ①と②を合計すると、179年3ヵ月25日という時間が得られる。1年は365.2422日で構成されているので、
③180年のためには、65743.6日(1.00380)
④179年3ヵ月25日のためには、65494.7日(0.99621)
 ③の数値が、黄道上の180セクターの数値を代表し、④が太陽暦年の円の180度の数値を示すものと考えると、さらに次の数値が導き出される。
⑤黄道帯の1セクターは、太陽暦年の1.00380年に等しい
⑥太陽暦年の1年は、黄道帯の0.99621セクターに等しい
 これらの数値によると、太陽は黄道上の2160セクター、つまり黄道帯の各周期を、
0.99621×2160=2151.8136
 すなわち、太陽暦の2152年で回転することになり、12の黄道帯をすべてめぐり終えるのには、さらに2151×12=25824年かかることになる。この数字は、まさに現代天文学で定説となっている地球の歳差運動の周期と一致するのだ。

まず、②の「1557年3月14日」という日付がどこから来たのかよく分からない。
また、「1年は365.2422日で構成されている」は正しい(厳密には約365.24219日)。うるう年を入れて計算すると、365.2425日になるらしい。https://www.nao.ac.jp/faq/a0306.html#:~:text=%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%8C%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%9B%9E%E3%82%8A,%E3%81%86%E3%82%8B%E3%81%86%E5%B9%B4%E3%82%92%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

>③180年のためには、65743.6日(1.00380)

365.2422日×180=65743.596日でOK。「1.00380」この数字については後で。

>④179年3ヵ月25日のためには、65494.7日(0.99621)

3ヵ月25日が1年の何割か考えると、30日と31日で差が出るので、30.5日とすると、30.5×3+25=116.5 これを例の365.2422で割ると、116.5÷365.2422=0.3189664
よって、3ヵ月25日は1年の約31%という事で、これに179を加えると、179+0.3189664 =179.3189664
これに 365.2422を掛けると、179.3189664×365.2422=65494.854
1ヶ月を30.5日とした値だが、65494.7日とほぼ一致するだろう。
ここで、65743.6日÷65494.7日をすると、1.0038003で(1.00380)の数値が出、逆に65494.7日÷65743.6日をすると、0.996214となり(0.99621)が出る。

>③の数値が、黄道上の180セクターの数値を代表し、④が太陽暦年の円の180度の数値を示すものと考えると、さらに次の数値が導き出される。
⑤黄道帯の1セクターは、太陽暦年の1.00380年に等しい
⑥太陽暦年の1年は、黄道帯の0.99621セクターに等しい

さっぱり意味が分からないが、こじつけの臭いがする。そもそも②の3月14日の根拠が分からないので後調整しているとしか思えない。もっともこの数字自体意味があるのか怪しいが。

>⑥太陽暦年の1年は、黄道帯の0.99621セクターに等しい
 これらの数値によると、太陽は黄道上の2160セクター、つまり黄道帯の各周期を、
0.99621×2160=2151.8136
 すなわち、太陽暦の2152年で回転することになり、12の黄道帯をすべてめぐり終えるのには、さらに2151×12=25824年かかることになる。この数字は、まさに現代天文学で定説となっている地球の歳差運動の周期と一致するのだ。

いきなり、2160という数字が出てきたが、こちらのサイトによれば、26000年を12で割ったアバウトな数らしい。
よく分からない数にアバウトな数を掛けると、0.99621×2160=2151.8136となり、これに12を掛けると、2151.8136×12=25821.763年だが、途中で端折ると2151×12=25824年となる。

>この数字は、まさに現代天文学で定説となっている地球の歳差運動の周期と一致するのだ。

「地球の歳差運動により、天文学上の現象として、春分点・秋分点は黄道に沿って少しずつ西向きに移動することになり、これを歳差と呼ぶ。 この歳差の周期は約25,800年(正確には25,772年)である。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%B7%AE#%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6%E4%B8%8A%E3%81%AE%E7%8F%BE%E8%B1%A1

まさに一致って言うより、明らかに近づけに行っているだろう。因みに、以前に「1プラトン年は約2万5800年といわれている」という所で、「1プラトン年を12等分すると約2000年になり」となっていたが、2160セクターとかにはさっぱり触れていない。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12851884140.html

結局、要は、「セザールへの手紙」の「177年3ヶ月11日」に初版(序文の日付3月1日)とリヨン版の差の2年8ヶ月ぐらいを足すと約180年になる事からこじつけただけの話である。それにしても何重にもいい加減な所があるね。

おまけ