参考資料2389 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

詩篇 その143
「11 もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとはあなたがその基をおかれたものです。
12 北と南はあなたがこれを造られました。タボルとヘルモンは、み名を喜び歌います。
13 あなたは大能の腕をもたれます。あなたの手は強く、あなたの右の手は高く、
14 義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。
15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、
16 ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。
17 あなたは彼らの力の栄光だからです。われらの角はあなたの恵みによって高くあげられるでしょう。
18 われらの盾は主に属し、われらの王はイスラエルの聖者に属します。
19 昔あなたは幻をもってあなたの聖徒に告げて言われました、「わたしは勇士に栄冠を授け、民の中から選ばれた者を高くあげた。
20 わたしはわがしもべダビデを得て、これにわが聖なる油をそそいだ。」
旧約聖書「詩篇」第89篇11節~20節

感想
>12 北と南はあなたがこれを造られました。タボルとヘルモンは、み名を喜び歌います。

「89:13北と南を創造されました。タボル山、ヘルモン山は
御名を喜び歌います。」(新共同訳)

まず、タボル山について。

「2世紀頃、イエス・キリストの「山上の変容」の山であるという伝説が生まれた。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/タボル山

「山上の変容」とは、

「1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
10 弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
11 答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
12 しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
13 そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。」
「マタイによる福音書」第17章1節~13節

この第2節の事らしい。
ところで、何故モーセとエリヤと分かったのだろう? 名乗ったのかな。まぁ、名乗ったんだろうね。そして、第10節の発言は、エリヤが現われたと思ったからしたのだろうか。それに対するイエスの返答は、全くの予想外だった事だろう。自分たちも知っている「洗礼者ヨハネ」が預言者エリヤというものだったのだから。

「5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。」
「マラキ書」第4章5節(口語訳)

「03:23見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。」
「マラキ書」第3章23節(新共同訳)

イエスは正しく聖書を読み取っていたようである。これは「契約の使者」だから、過去に昇天したエリヤではないという事を。

「1 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。」
「マラキ書」第3章1節(口語訳)

「03:01見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。」
「マラキ書」第3章1節(新共同訳)

「1 主がつむじ風をもってエリヤを天に上らせようとされた時、エリヤはエリシャと共にギルガルを出て行った。
11 彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。」
「列王記下」第2章1節,11節

ただし、イエスの前に現われたモーセとエリヤは本物かどうかは怪しい。モーセは死んでいるし、エリヤも神(未来人と考えている)の仲間入りしたとも思えないし。念のため、モーセとエリヤが本物じゃなくても御使い(未来人)と考えている。

「5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」
「申命記」第34章5節~7節

「神の計画」の役目をしっかりと終えたのだろう。

次に、ヘルモン山について。こちらも「山上の変容」の場所かもしれないとされているらしい。また、ヘルモン山のふもとの町での話もあるらしい。

「13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
20 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
21 この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
22 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。」
「マタイによる福音書」第16章13節~28節

ピリポ・カイザリヤがヘルモン山の南麓の町らしい。ところで、第28節の予言は外れたね。多分、ペテロの事を言ったのだろう。まぁ、全ては「神の計画」の一部だろう。(イエスの予言が外れる事も。)
補足:https://www.studentinjapan.com/a/jes4.html(ヨハネ(洗礼者ヨハネではない)以外は皆残酷な死だね。)

おまけ