詩篇 その36
「1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。
2 主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
3 主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
4 手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。
5 このような人は主から祝福をうけ、その救の神から義をうける。
6 これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。[セラ
7 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
8 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
9 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
10 この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。[セラ 」
旧約聖書「詩篇」第24篇1節~10節
感想
>3 主の山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
4 手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。
「24:03どのような人が、主の山に上り
聖所に立つことができるのか。
24:04それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく
欺くものによって誓うことをしない人。」(新共同訳)
これは「真理の御霊」(契約の使者)の事だろう。また、「ヨハネの黙示録」では「ほふられた小羊」。
「1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
2 また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節~10節
封印が解かれると、「終わりの時」が始まる。つまり、「ほふられた小羊」の役目は「イエスの再臨」の準備である。その途中段階で「小羊の婚姻」などが必要なのだろう。
「5 その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に、われらの神をさんびせよ」。
6 わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
7 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
8 彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
9 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
10 そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。」
「ヨハネの黙示録」第19章5節~10節
最後の「イエスの証しは預言の霊である」は、「イエスの使い(真理の御霊)」の証しという事だろうか。何故なら、イエスはハルマゲドンの最中に空中再臨するので、証しなど必要ないからである。
ノストラダムスの予言詩5巻53番
太陽の法と、競い合っている金星
預言の霊に適応させながら
一方も他方も理解していないだろう
太陽によって偉大なメシアの法が長続きするだろう
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10623879416.html
太陽の教義と金星(の教義)が争い合うだろう。
預言の精髄を適用しつつ、
一方も他方も理解されることはないだろう。
偉大なメシアの教義は太陽によって保つだろう。
引用元:https://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/496.html
「太陽の法」が「メシアの法」で、「金星」は「黙示録の獣」一派だろうか。
「4:5見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。 4:6彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである。」
「マラキ書」第4章5節~6節
「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない
これは、あなた方のためのしるしである
義が世界の基準として、太陽とともに現れるだろう
驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない
知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない」
死海文書『奥義の書』より
「この断片は逆説に富んでいる。神の計画を記した『死海写本』は、未来においてもはやユダヤの民の救いにならない、いや意味さえなさなくなるというのである。
太陽とともに新しい価値観=主義が登場し、奥義は存在価値をなくすという。この新しい価値をもたらす太陽とは何を象徴しているのだろうか。やはり、イスラエルの滅びた後のユダヤの、いや世界の盟主として台頭する日本を指しているのではないだろうか。
だが、それにしても奥義が、つまり神の計画そのものが意味をなくすとはいったいどうしたことだろう。いや、この断片では、奥義そのものを「おろかさ」とまで表現しているのだ。
この神の豹変ぶりはどうしたことだろう。これまで、ユダヤ人を導いてきた神が、自らを否定しているのだ。そして、神の奥義を守ってきたユダヤ人たちをもである。日本から現れるものは、神の奥義さえも超越する素晴らしいものなのだろうか。」
「死海写本が告げる人類最後の戦い」上坂晨著より
>7 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
8 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
9 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
10 この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。[セラ 」
「24:07城門よ、頭を上げよ
とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:08栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。
24:09城門よ、頭を上げよ
とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。
24:10栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王。〔セラ」(新共同訳)
イエス・キリストの事である。
「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。 3:2その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。」
「マラキ書」第3章1節~2節
念のため、2節のその日は「主の日」である。つまり、イエスの再臨という事。
おまけ:https://www.youtube.com/watch?v=dNj-T-rm6Gw