参考資料958 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ノストラダムスも発見を預言していた「七つの文書」
「ここで、発見された文書の内容を簡単に見ておこう。

「宗規要覧・会衆規定」
 この文書は、クムランの第一洞窟で発見されたもので、いわゆる「共同体の規則」を記したものである。すべての構成員は、「神の命令に従うため、神の前で契約を結ぶ」。服従する者は「すべての罪から浄められる」。
 逆に「意図的に虚偽を申し述べた者は、六か月間贖罪をしなければならない」と規定され、神との契約を守ること、律法遵守を強調している。
 洗礼による浄めと浄化が強調され、夜明けと日没の祈り、律法の朗読が要請されている。
 身を浄めたあとの「会衆の食事」についての記述もある。いわゆる「最後の晩餐」に酷似したものである。
 さらに、共同体の構成にもふれ、十二人の男性と三人の祭司からなる「評議会」が共同体に絶大な影響力をふるっていた。
 そしてこの「宗規要覧・会衆規定」の巻物でもっとも注目すべき点が、メシアについての記述である。
 共同体規則は、「世の終わりに集まったイスラエルの全会衆のための規律である」ことを強調したうえで、次のように規定する。
「共同体の構成員は、完全なる道を歩みつつ、預言者と、アロンおよびイスラエルのメシアたちが来臨するまで熱心に律法に固執しなければならない」
 つまり、終末時に地獄の業火が襲ったとき、ふたりのメシアが現れると規定しているのである。
 ひとりはアロンの子孫のメシア、そしてもうひとりはイスラエルの子孫のメシア、つまり、ダビデとソロモンの子孫としてのメシアである。
 だが、その文脈から推測すると、後にキリスト教の伝統のなかで意味する「メシア」とはちがったものを意味しているようである。
『死海文書』の意味するメシアは、「油を注がれる者」の意で、「油」による“聖別”を言い表しているのである。つまり、古代イスラエルでは、王や祭司も「油」を注がれている。彼らはメシアだったのである。

「感謝の詩篇」
 20の詩篇で構成されるこの巻物は、二つのカテゴリーからなっている。
 一つは、「義の教師」が自己と神の使命を力強く申し立て、敵対する者の性格を明示している部分。
 もう一つは、宇宙的規模の破局を描いた叙事詩の部分である。来るべき人類の破滅の様相を、非情かつ克明に描写していて、その内容は、『旧約聖書』のそれに近いと言える。

「戦いの書(=光の子と闇の子の戦いの書)」
 正義(光の子)と邪悪(闇の子)の40年戦争の経緯を要約したもので、その戦争が普通の戦争ではなく、最終戦争であることを次のように表現している。
「これは神の民にとって救いのとき、神の一団の者たちすべてにとっては支配のとき、サタンの一団のすべてにとっては永遠の破滅のとき・・・・。
 不正はあとかたもなく消え去る。闇の子らにとっては逃れる術はない。義の子らは地の果てまで輝きわたる。闇の季節がすべて尽きるまで、彼らは輝き続ける。
 そして、神によって定められた季節に、すべての光の子らの平安、祝福、栄光、喜び、そして長寿のために代々にわたって輝く」

 この巻物で語られているのは、神への賛美ばかりではない。
「報復の日」または「神の戦闘」と呼ばれる最終戦争において使用される軍旗、軍隊の編成、武器、そして兵士の身体的条件や年齢、戦闘の儀式で指導的祭司が担う役割など、かなり具体的なことが事細かに述べられている。
 つまり、戦略と戦術のマニュアルでもある。
 たとえば、「騎士の七部隊はまた、隊列の左右に配置されるべきであり、彼らの部隊はこちら側に立つべきである・・・・」という記述がある。
 また、軍の士気を高めるための鼓舞と預言者的プロパガンダもある。侵略してくるキッティームに対する最高司令官を「メシア」と呼び、イスラエルの軍勢に勝利を導く戦士として崇めている。

「聖マルコのイザヤ写本」
 この巻物は、発見された巻物のうち最古のものであるとともに、ヘブライ語で書かれた『旧約聖書』の「イザヤ書」の完全なコピーである。

「ヘブライ大学のイザヤ写本」
 イザヤ写本には、スーケニーク教授が入手した巻物がある。だが、この巻物は聖マルコのイザヤ写本にくらべて傷みがひどく、欠落部分が多い。

「ハバクク書註解」
『旧約聖書』の預言書「ハバクク書」の解説と釈義をほどこしたものである。
 その内容は、クムランに住む共同体の一定のメンバーが、いかにして「偽り者」と呼ばれる人物の“邪悪なそそのかし”に誘われ、脱落し、新しい契約を破り、律法を守るのをやめていくかを物語っている。
 この文書に出てくる「義の教師」に関する記述は多くの議論を引き起こした。
「義の教師」が、イエス・キリストを彷彿させるからである。

「外典創世記」
 七篇の文書のうち、ヘブライ語でなくアラム語で書かれているのは、この文書だけである。『旧約聖書』の「創世記」の異本であるが、地方の民話や伝承を素材に、それを拡大し、尾ひれをつけたものと考えられる。
 この七つの文書のほかに、『神殿の巻物』『ダマスカス文書』が有名だが、それぞれクムラン共同体が用いていた律法の書であり、共同体の規律を記した書である。」
「封印された《死海文書》の秘密」K.v.プフェッテンバッハ著・並木伸一郎訳より

感想
>「共同体の構成員は、完全なる道を歩みつつ、預言者と、アロンおよびイスラエルのメシアたちが来臨するまで熱心に律法に固執しなければならない」

裏を返せば、この3人が現れる時は「終わりの時」でもう律法を守るとかそういう状態じゃないという事か。

およそ、律法の会議から離れて、心かたくななまでに歩んではならない
そのときは、共同体の人々が、初めに教えられたおきてによって裁かれる
ひとりの予言者と、アロンおよびイスラエルのメシアの現れるまで
死海写本『会衆要覧』

「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない
これは、あなた方のためのしるしである
義が世界の基準として、太陽とともに現れるだろう
驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない
知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない

 この断片は逆説に富んでいる。神の計画を記した『死海写本』は、未来においてもはやユダヤの民の救いにならない、いや意味さえなさなくなるというのである。
 太陽とともに新しい価値観=主義が登場し、奥義は存在価値をなくすという。この新しい価値をもたらす太陽とは何を象徴しているのだろうか。やはり、イスラエルの滅びた後のユダヤの、いや世界の盟主として台頭する日本を指しているのではないだろうか。
 だが、それにしても奥義が、つまり神の計画そのものが意味をなくすとはいったいどうしたことだろう。いや、この断片では、奥義そのものを「おろかさ」とまで表現しているのだ。
 この神の豹変ぶりはどうしたことだろう。これまで、ユダヤ人を導いてきた神が、自らを否定しているのだ。そして、神の奥義を守ってきたユダヤ人たちをもである。日本から現れるものは、神の奥義さえも超越する素晴らしいものなのだろうか。そもそも、神の計画とは何だったのか・・・・。」
「死海写本が告げる人類最後の戦い」上坂晨著より

シンクロニシティーとして、この本「「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言」が未来の奥義ではないだろうか。そして、これはイギリス,アメリカが特別な国である事の「しるし」である。しかし、「驚くべき奥義」でもその魂(世界)は救われない。「福音」は世界に広まり、「愚かな判断をする者」は永遠にいなくなる。(千年王国の実現。)
引用元:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12106436926.html

私はイギリスが「イスラエルの家」だと思っているので、「イスラエルのメシア」がイギリスから現れる可能性も0じゃないと考えている。
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12115819892.html

また、預言者についてはこんな情報もある。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12105036197.html(一番下の所。)

あまり関係ないが、洗礼者ヨハネは預言者以上という話もある。

「イエスは十二弟子にこのように命じ終えてから、町々で教えまた宣べ伝えるために、そこを立ち去られた。
 さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なきは歩き、らい病はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」。彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。
『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』
と書いてあるのは、この人のことである。あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。」
「マタイによる福音書」第11章1節~14節

おまけ