参考資料959 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

『死海文書』が書かれた年代を解明する四つの方法
「『死海文書』の最大の疑問である「義の教師」(イエス・キリストを彷彿させる)の正体を探るためにも、文書が書かれた年代を決定する作業は重要である。
 それには、文書そのものを分析する方法と、文書と一緒に発見された陶器類や古銭などからアプローチする方法とがある。
 文書そのものから年代を割り出す方法として、まず採用されたのが「書体学」である。「書体学」とは、古代の書体の研究、すなわち聖書などを写す役割を与えられた筆写生の文字の書き方を研究する学問である。
 長い年月のうちに書体は変化していく。書体学者は、その変化を観察し、それをもとに調査対象の文書が発展の線上のおよそどこにあるかを発見していく。そのためには、書体学者は、年代の確定した定点となる文書を持っていなければならない。
 年代の確定した文書を線上に配置することで、調査対象の文書が、それらのどこにあてはまるかを、書体の発達を追いながら、じっくり位置づけていく。職業的な筆写生によって書かれた文書は、約束ごとにのっとって書かれているので、変化が漸進的であり、年代を容易かつ精緻に確定できるのである。
 こうした手法で、ハーバード大学のフランク・ムーア・クロスは、『死海文書』の年代を割り出した。彼の鑑定は、紀元前250年から紀元後70年というものだった。
 文書が書かれた時代を知るためにとられた第二の方法は、「内証」によるものである。文書に登場する既知の人物や民族から、書かれた年代を推理する方法である。
 結果は、紀元前325年から紀元後131年。
 第一の方法にくらべ、約100年ほど前にズレている。

 以下に説明する四つの方法は、文書と一緒に発見された考古学的発掘物から年代を推理する方法である。

第一の方法は、C14テストである。
 資料には、第一洞窟から発掘された麻布の一部が使われた。
 テストを実施したのは、C14テスト技術を開発した、シカゴ大学教授で科学者のW・F・リビー。
 彼が出した結論は、紀元後33年。ただし、プラス・マイナス200年の誤差があるとも付け加えた。
 麻布の年代結果から、それに包まれていた巻物も、多分、麻布と同じ年代のものと推測されるわけである。

第二の方法は、発掘された陶器類の破片を、すでに時代の確定した陶器類と比較する方法である。
 この方法が割り出した年代は、紀元前の最後の数世紀と、紀元後の最初の数世紀。

第三の方法は、古銭から推理するものである。
 古銭にはその鋳造者である王の治世年が刻印されている。
 ある特定の時代の年代が刻印されていることもある。
 刻印された年代から、古銭が発見された場所のおおよその時期が特定できるわけである。
 得られた年代は、紀元前223年から紀元後70年であった。

第四の科学的な年代測定法は、加速器質量分析法である。
 書体学をはじめとする方法では心もとないというので採用されたのが、この方法である。
 この方法は、C14よりもさらに進んだ科学的方法と言われているもので、1990年にいくつかの巻物から資料を採取して実施された。
 その結果得られた年代は、紀元前405年から紀元後765年。

 結局六つの科学的年代測定法を採用してみたが、『死海文書』が紀元前後に書かれたものであることは明らかになったものの、結果がまちまちなため、それ以上、年代を絞り込むのは無理であった。
「義の教師」は誰なのか、まだまだ決定できそうにない、ということである。」
「封印された《死海文書》の秘密」K.v.プフェッテンバッハ著・並木伸一郎訳より

感想
要は、死海文書が書かれたのがイエスの出現の後だったらイエスをモデルに「義の教師」を書いた可能性があるという事を疑っているのだろうが、そもそもイエスの行動は「義の教師」っぽいのか疑問である。例えば、「ヨハネによる福音書」第2章。

「三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。」
「ヨハネによる福音書」第2章1節~5節

補足
「あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。」
「マタイによる福音書」第23章8節~10節

教師はイエス唯一人だからイコール義の教師という方程式か。念のため、キリストとはメシアとか救世主という意味。
参考資料。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11248447742.html
因みに、昨日の記事でも取り上げた「洗礼者ヨハネ」の最期は悲惨である。

「3.というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。
4.すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
5.そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。
6.さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、
7.彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。
8.すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。
9.王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、
10.人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。
11.その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。 」
「マタイによる福音書」第14章3節~11節

因みに、イエスはこの事を知っても死者の復活を行っていない。もう用済みという事か。ヽ(`Д´)ノ

「12.それから、ヨハネの弟子(でし)たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
13.イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれを聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。
14.イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。」
「マタイによる福音書」第14章12節~14節

おまけ