参考資料44 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「義の教師」こそが聖なる預言を成就させる
「クムラン宗団は、自分たちが生きている時代に預言の成就はない、と覚悟を決めていたようだ。かと言って預言の存在を決して否定してはいない。いや、彼らは、贖罪の時代の到来を告げる預言全体の“刷新”さえも熱望していた。だからこそ、彼らは、『旧約聖書』に記された預言の数々を連綿と守り続けたのである。一見すると、彼らの行動は矛盾しているようだが、『旧約聖書』の預言が成就してこそ新しい預言が示され、贖罪の時代を経て救世主が現われる、というパラダイムを視点にすえるなら、なんの矛盾もない。当時の主流派ユダヤ教徒たちは、救世主となるべき資質を備えた預言者の出現を待つという風潮の中で生きていた。が、クムラン宗団は、現存する預言者「義の教師」こそがこれまでの優れた預言者の資質すべてを踏襲した人物であるととらえていた。そこで彼らは、「義の教師」が語る聖なる預言を成就させるのは、自分たちをおいてほかにないと確信していた。加えて、クムラン宗団は、独自の“預言要綱”とも呼ぶべき文書を用意していた。それをコミュニティーに広く浸透させたのが「義の教師」である。クムラン宗団は、自然の流れとして、グループの指導者である「義の教師」を預言の体現者としてとらえた。かくて「義の教師」は、救世主出現という民族全体を貫くテーマに、預言的要素を加えた終末思想を説くにいたる。『旧約聖書』の「ハバクク書」には、預言者である書き手が神託の預言をうけたとある。「義の教師」には、神の預言を解釈する特別な能力が備わっているというわけだ。つまりクムラン宗団がめざしたのは、『旧約聖書』に示された預言を、「義の教師」の解釈によって具体化し、その解釈を絶対的とすることだった。預言の絶対的な内容は、神の言葉の通訳である「義の教師」によって解釈され、それが広められ、来るべき時代の青写真とされたのである。紀元前四世紀ころから、クムランの預言書は黙示録的要素を徐々に強めている。終末思想的預言が集中しているのも、この部分である。いわゆる『死海文書』と呼ばれるものには、「預言者の手による書」と「詩篇」が含まれている。それらは、『旧約聖書』のダニエル書の影響を強くうけている。またダニエル書は、預言に隠された歴史的要素を再現する際の指標とされた。歴史的要素とは、時代の推移、つまり「終わりの時がいつ訪れるのか」という疑問に集約される。クムランの詩篇に見る終末思想は、神が定めた時代の枠組みに人間がどうかかわるかを見据えている。ゆえに、『死海文書』は、『旧約聖書』に示された“世代(時代)”の区分を一つひとつ明らかにしながら、人類創世以前の時代から始まり、来るべき時代の展望を含めた形で、終わりの時の訪れまでを連綿と綴るのである。」
「封印された《死海文書》の秘密」K.v.プフェッテンバッハ著より

感想
今まで読んだ予言の本では、「~となるだろう」とか「成就するだろう」とかで「成就させる」というのは初めて読んだ。そこで連想したのが、ノストラダムスの詩の1巻48番の詩。原文はロバーツ本で14年ぐらい前で古語辞典を持っていない時の自分の訳だが、

月の天下の多数の年を(あなたがたは)過ごす
7000年別のものがその王政を保つだろう
太陽がその日々を見捨てることを取るだろうとき
その時(彼は)ついに私の大予言を実現させる

四行目の解説。補足2にあるようにほとんどの原文が「実現させる(成就させる)」となっている。(この詩もそのうち気が向いたら訳し直してみるつもりである。)遠い未来に(まだ生まれていない)「義の教師」が現われ千年王国を実現させるといった所か。

参考資料
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10766921725.html(義)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11115651590.html(義の教師)