参考資料896 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

予言された“イスラエルの家”の捕囚
「ユダヤ人が独立国家としてパレスチナに住みついたのは“イスラエルの家”がアッシリアの捕囚となってから百三十七年後だった。一部の神学者のように、この“捕囚”事件を簡単に片づけてしまうのは、あまりにもおろかである。はっきりした捕囚は二度起こっている。一度目は紀元前722年、“イスラエルの家”のアッシリア捕囚で、二度目は紀元前586年、“ユダの家”のバビロン捕囚である。
 バビロン捕囚から解放された“ユダの家”は、二度と国籍を失うことはなかったが、“イスラエルの家”は捕囚の地アッシリアから、ふたたびパレスチナに戻ることはなく、まったくべつの運命をたどった。
 F・ウォーレス・コノンが、好著『運命の文書』で的を得た見解を述べている。
《この二度の捕囚には、重要かついちじるしい相違が見られる。ユダの場合は、予言されたとおり、まるで一族の帰還に備えるように土地は無人のままだった。だがイスラエルの場合には、アッシリア人が他の民族を住まわせたため、ユダのように故郷に戻ることはできなかった》
 こうしてイスラエル王国(イスラエルの家)は紀元前722年に滅び、アッシリアの王ティグラト・ピレセルによって捕囚となった。この時から現代に至るまで、“イスラエルの家十支族”を構成していた数百万の民は、“失われて”しまったのだ。彼らは歴史のページにはのっていないが、予言書には書き残されている。
“イスラエルの家”が先祖の土地から移動することは、イスラエルの予言者たちにとって、べつに驚くほどのことではなかった。はるか以前に当時の予言者が、イスラエルは分割され破壊されて、約束の地から追放されると予言していたからだ。
 捕囚の七百年前、予言者モーセはこう書き記している。

 わたしは今日、あなたたちに対して天と地を呼び出して証言させる。あなたたちは、ヨルダン川を渡って得るその土地から離されてすみやかに滅び去り、そこに長く住むことは決してできない。必ず滅ぼされる。主はあなたたちを諸国の民の間に散らされ、主に追いやられて、国々で生き残るものはわずかにすぎないであろう。
申命記 4章26,27節

 さらに紀元前1451年にも、モーセは予言した。

 主はあなたをあなたの立てた王と共に、あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々につかえるようになる。主があなたを追いやられるすべての民の間で、あなたは驚き、ことわざ、あざけりの的になる。
申命記 28章36,37節

 この予言は、“ユダの家”と“イスラエルの家”の分裂以前に書かれたものだから、両方に当てはまることは言うまでもない。
 同じ予言者がイスラエル王国の建国を最初の王の即位の四百年前に予言し、また捕囚も予言したとは、なかなか興味深いのではないだろうか。
《あなたはことわざとなる》と予言されたユダヤ人は、まさしく“さまよえるユダヤ人”ということわざにされ、“イスラエルの家”は、木や石で造られた神々をあがめるようになった。
 これでわかるように、“イスラエルの家”は宗教を変えなければならなかったわけだ。“イスラエルの家”がどうなったかを知るためには、ヘブライ人の信仰にこだわってはだめだという点に注意してほしい。
“イスラエルの家”の十支族の存在に関する最後の記録は、ユダヤ人歴史家ヨセフスが西暦一世紀に残したものである。
《イスラエルの全国民はその国にとどまった。ただし、アジアとヨーロッパにいた二部族はローマに支配され、残る十部族はユーフラテスを越えて、見当もつかないほどいちじるしく民の数を増している》(第十一巻)」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>はっきりした捕囚は二度起こっている。一度目は紀元前722年、“イスラエルの家”のアッシリア捕囚で、二度目は紀元前586年、“ユダの家”のバビロン捕囚である。

二度目はネブカドネザル王の時であのダニエルが捕囚された時だね。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12025671046.html

>主はあなたをあなたの立てた王と共に、あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々につかえるようになる。主があなたを追いやられるすべての民の間で、あなたは驚き、ことわざ、あざけりの的になる。
申命記 28章36,37節

日ユ同祖論ではないが、シンクロニシティーとしては「あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々につかえるようになる」などは古い歴史のない(不明)な日本が合うね。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12031238990.html
(時空を超えた)シンクロニシティーとしては敗戦でジャップとかイエローモンキーとかも合うが、あまりこじつけてもしょうがないね。
また、あまり関係ないが、「ことわざ」から聖書の次の部分を抜き書きしてみる。

「イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である。
『この民は、口さきでわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教えとして教え、
無意味にわたしを拝んでいる』。
あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」。」
「マルコによる福音書」第7章6節~13節

オウム真理教のようにならないためにも人格者の家族の意見は最優先にすべきだね。(「また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である」こういうのとかね。カルトだなぁ。http://web1.kcn.jp/tombo/v2/MATTHEW23.html
また、イエスは旧約聖書のモーセの教えなどを自分流に改造しているね。そういう所がユダヤ教徒には許せなかったんだろうね。(「目には目を」を「汝の敵を愛せよ」にしたり、姦淫した女を石打ちにせず許すとか。)

おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=DaFc8pYhPXE