参考資料895 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

イスラエル王国の分裂
「イスラエル(ヤコブ)が、ヨセフの息子エフライムとマナセに長子の権利を与えた時から、最終的に“イスラエルの家”と“ユダの家(ユダヤ人)”が分かれるまでの時期は、さしあたり無視してよい。ここで重要なのはイスラエルの分裂である。

 イスラエルのすべての人々は、王が耳を貸さないのを見て、王に言葉を返した。「ダビデの家にわれわれの受けつぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい」こうして、イスラエルの人々は自分の天幕に帰って行った。
 レハブアムは、ただユダの町々に住むイスラエル人に対してのみ王であり続けた。レハブアム王は労役の監督アドラムをつかわしたが、イスラエルのすべての人々は彼を石で打ち殺したため、レハブアム王は急いで戦車に乗りこみ、エルサレムに逃げ帰った。
 このようにイスラエルはダビデの家に背き、今日に至っている。
 イスラエルのすべての人々はヤロブアムが帰ったことを聞き、人をつかわして彼を共同体に招き、王としてすべての人々の上に立てた。ユダ族のほかには、ダビデの家に従うものはなかった。
 レハブアムはエルサレムに帰ると、ユダの全家とベニヤミン族からえり抜きの戦士十八万を召集し、イスラエルの家に戦いを挑み・・・・しかし、神の言葉が神の人シェヤマにのぞんだ。「ユダの王、ソロモンの子レハブアムと、ユダ、ベニヤミンのすべての家およびほかの民に言え、『主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟イスラエルの人々に戦いを挑むな。それぞれの自分の家に帰れ。こうなるようにはからったのはわたしだ』」
列王記 上 12章16~24節より抜粋

《このようにイスラエルはダビデの家にそむき、今日に至っている》とあるように、イスラエル王国は永久に分裂したことを覚えておいてほしい。そしてユダと合流したのは、ベニヤミンの支族だけで《レハブアムはエルサレムに帰ると、ユダの全家とベニヤミン族からえり抜きの戦士十八万を召集し、“イスラエルの家”に戦いを挑んだ》のだ。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
何だか意味もあまり良く分からないので、昨日の記事の補足をしよう。

「「世界の王」たるスメラミコトが現われれば、人類はこの御方を中心に一つにまとまり、地上天国は自ずから実現に向かって動き出すだろう。しかしその前に、われわれ人類は、地球的規模の大変革を経験しなければならない。「世界を一つに治めるスメラミコト」の出現を予言する者は、その前段階として、現在の価値観が一変してしまうような「大峠」が到来すること、そしてそれを乗り越えるには、身魂が清浄でなくてはならないことなどを、共通して説いている。
出口王仁三郎も、『霊界物語』第64巻の中で、
「みろくの世(地上天国)とは、一天一地一神の大原則が確立される世であるが、それまでに一つの大峠がある。神権の発動による世の立替え、立直しは、今日の人間の力つき、鼻柱が折れ、手の施す余地がなくなってからでなくては開始されない。九分九厘の段階になって救世主が降臨されるのが神様の経綸である」という意味のことを述べている。
・・・・だが、現在の日本は、スメラミコトを生み出すにはほど遠い状態にある。先にも述べたように、人間側の霊的覚醒なくして、メシア降臨の準備は整わないのである。残された時間は少ない。今こそ心ある者は、日々の身魂磨きに励みつつ、スメラミコトの降りられる新生日本の国造りのために、分に応じた働きを為すべきではなかろうか。そうすることが同時に、その人が次期文明へ残る資格を得ることにもつながると私は信じる。本書はまさに、そうした縁ある人々の霊的覚醒を促すために書かれたと言っても過言ではないのである。」(スメラミコトとメシアは多分別人。)
「ユダヤの救世主が日本に現われる」中矢伸一著

補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11538218747.html(この著者は自分の事だと思っている節があるね。因みに、上のスメラミコトは日本の天皇陛下だろう。)

おまけ