参考資料775 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ユダヤ人、パレスチナ、予言者の時計
「ユダヤ民族とパレスチナの地は、“予言者の時計”の目盛りをめぐるいちばん大切な指針といっても言いすぎではない。この指針が歴史の中を動きつつ、“終わりの時代”の近さ、遠さをどうやって示してきたかを述べたいと思う。
 古代イスラエルの予言者たちは、ユダヤ民族の運命について長い年月にわたって多くのことを予言した。ユダヤの民の苦難、諸国での放浪、宗教の喪失、背教が予言された。予言者たちがユダヤ人にとって喜ばしいことを言う機会は、まれにしかなかったが、にもかかわらず、パレスチナの地への帰還も予言された。
 古代イスラエルの予言者の予言の核心は、ユダヤの民の運命だったのだ。
 そもそもユダヤ人とは、何者か。馬鹿な質問だ。世界中の人間が、当然ユダヤ人とは何か知っているではないか、と思われるかもしれない。それは、間違いだ。ユダヤ人そのものを熟知する人をのぞけば、ユダヤ民族の起源を意識する人はほとんどいない。異邦人の歴史家は、イスラエル人とユダヤ人の区別を前にすると、完全に混乱してしまう。
 歴史家がとまどうのは、神学者と同じ混同の誤りをおかしているからだ。ほとんどの神学者は、“ユダヤ人”と“イスラエル人”という言葉を同義語として使うことに固執している。
 この件はあとでくわしく論じるつもりだが、しばらくのあいだは、イスラエルには十二の支族がいて、ユダヤ人はそのなかの一支族、ユダ族の末裔だということを受け入れてほしい。ユダ族には、のちにベニヤミン族と祭司支族レビ族の一部が加わった。しかし、これをべつにすると、古代イスラエル王国の分離後、あとにも先にも他部族が混入したことはない。
 古代予言者の言葉を、間違った民族にあてはめつづけるなら、彼らの予言が誤解されたり、未解釈のままだったとしても無理はない。
 古代の予言書を読めば、イスラエル王国からふたつの異なる民族が誕生したことは明白である。“ユダの家”(ユダヤ人)と“イスラエルの家”(“失われた”十支族)がそれだ。別れたふたつの民は、以後二度と合流することはなかった。
 アブラハムも、イサクもヤコブもユダヤ人ではない。ヤコブは最初のイスラエル人で、十二支族の先祖となった十二人の子供の父親である。ヤコブ(イスラエル)の息子の一人、ユダが最初のユダヤ人となったのだ。
 それが大事なことだろうかって?もちろんだ。もし“イスラエルの家”に関する予言を読んで、それをべつの民族であるユダヤ人(ユダの家)にあてはめるとしたら、どうして正しい解釈ができるだろう。このふたつの民族が異なった捕囚生活、べつべつの運命をへて、違う宗教を信じつつ、“最後の審判の日”にそれぞれ地球上のべつの地域に姿を現すとしたら、特にそうだろう。
 ユダヤ人は、しばしば“選民”と言われる。たしかに、そのとおりだ。しかし、彼らはアブラハムやイサクやヤコブ(イスラエル)に与えられた契約の後継者ではない。契約の系譜は、ユダではなく、ヤコブの孫、エフライムとマナセにはっきりとゆずられたのだ。ごく少数の例外をのぞいてすべての人から見すごされているこの事実は、第一等の重要性を持つものだ。これを無視したばかりに、神学者たちは何世代にもわたって、まったく根拠のない神学体系を打ち立てることになったのである。
 ここでこうした事実を駆け足で述べたのは、この知識なしには古代の予言者の予言を何も理解できないからである。前にも約束したとおり、この問題については、べつに章をもうけて論ずるつもりだから、読者諸君は、いまのところただわたしの言葉を信じてほしい。
 これだけは忘れないでもらいたい! 古代の予言者はふたつの異なった民について語ったことを。彼らは両者を“ユダの家”(ユダヤ人)と“イスラエルの家”(“失われた”十支族)とを、けっして混同することはなかったのである。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
何度も同じような事を書くが、日ユ同祖論によると、このイスラエルの家(失われた十支族)が日本だというのである。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12031238990.html
これまた同じ事を何度も書くが、日本人とユダヤ人だけが選民だとは全く思っていない。聖書に良く出てくる「義」を重んじる人たちが選民だろう。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11259529920.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11248447742.html

おまけ