日本の繁栄が終わるとき、次は“サチュルヌ”が来る
「参考資料572」
「ほかにも『セザールへの手紙』には、「全能の月が人類を導く/その次は太陽が支配する/そして次には天の意志でサチュルヌが支配するだろう」との秘句がある。
やはり解読欄を「空白」に、と掟で定められた部分なので、だれも解いたことはない。形式的に解いた研究書もあるが、それには、占星術の「月」「太陽」「サチュルヌ」が、順々に世界を支配する、などと、よくわからないことが書かれている。
しかしノストラダムスは、かつて仕えていたフランス王妃カトリーヌに、「ヨーロッパの行く末はどうなるのじゃ?」と聞かれ、「長いあいだ華やかに、全能者のように・・・・けれどやがて西の海の月のように衰えていくでありましょう」と答えたことがあった。
これを受けて、彼のメイン詩集『諸世紀』やその下書きにも、「月」でヨーロッパを表わした例がいくつかある。これを当てはめると、右の手紙の「全能の月」も、間違いなくヨーロッパ文明の暗示だ。
するとつぎの「太陽」も、占星術の太陽ではなく、「日」で象徴される国か文化のことになり、『諸世紀』のところどころに出てくる「日」の例ともにらみあわせて、これは「日のマークの国→日本」だとほぼ確定できる。
つまり人類の大きな流れとして、まず西欧文明が(またそこから西の海へ広がる欧米文化が)全盛になり、つぎに「日の国」が繁栄をきわめ、しかしそれもいつか過ぎ去って、最終的には「サチュルヌ」が世界を支配する、とノストラダムスはここで見通しているのだ。
そして「サチュルヌ」とは、占星術では「土星・衰亡」を意味する。ローマ神話では「原始的な農業の神」である。古語では「鉛・中毒・汚染」を表わすこともある。カバラ(古代ユダヤ密教)の運命秘術では「中国」の暗示である。
そのどれがここの「サチュルヌ」に当てはまるのか。それが「中国」の暗示なら、日本のいまの繁栄のあと、いつか中国が世界支配のトップの座に躍り出るのか。それとも、いまの文明全体が、日本の繁栄のあと、それこそ「恐怖の大王」か何かで崩れ去り、「衰亡・汚染・中毒」に支配される未来が来るのか。その下でいまの暮らしがストップ、「原始的な農業」に戻らねばならぬのが、人類の究極の運命なのだろうか?」
「ノストラダムスの大予言・日本編」(1987年)五島勉著より
感想
>それが「中国」の暗示なら、日本のいまの繁栄のあと、いつか中国が世界支配のトップの座に躍り出るのか。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-ND62356S972O01.html
http://ecodb.net/country/CN/imf_gdp2.html
>ほかにも『セザールへの手紙』には、「全能の月が人類を導く/その次は太陽が支配する/そして次には天の意志でサチュルヌが支配するだろう」との秘句がある。
これは多分、「月」が「ほふられた小羊」で「太陽」が「イエス・キリスト」で「サチュルヌ」が「黙示録の獣」の事だと思われる。
「終わりの時」に本当にそんな人物が現れるかどうかは別として、論理だけで考えると、「ヨハネの黙示録」第19章に、
「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。」
とあるからである。ただし、私の見解としては全能者は神(イエス・キリストかエホバ)を指していると思うが、ノストラダムスは全能の小羊(イエス・キリスト)と従来の解釈をしていたのだと思われる。
因みに、1巻48番の詩に月と太陽が出て来る。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11939755641.html
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11941504978.html#main
「太陽」が「イエス・キリスト」は旧約聖書「マラキ書」に「義の太陽が昇る」とあるからである。http://d.hatena.ne.jp/noburahamu2/20111212/1323663989
「サチュルヌ」が「黙示録の獣」は単純に「サタン」と読めるから(当然、サチュルヌの英語読みサターンと悪魔のサタンはスペルも語源も違うのは知っているがシンクロニシティーとして)と「ヨハネの黙示録」第20章に黙示録の獣はハルマゲドンに負けた後「千年の期間が終わると、サタンはその獄から解放され」て再び権力を握るからである。(神の計画とは周期的なものらしい。)
補足1:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11917307160.html(黄金のサチュルヌは剣に変わるだろうという所は普通は鉄(fer)と訳されるが剣とも訳せる。)
補足2:「pasteur」(牧人,牧者,羊飼い,牧師)、「le Bon Pasteur」(キリスト)(「le Bon」は英語で言う所の「the good」)よりキリストは羊飼いなので、この事からも「ほふられた小羊」はイエス・キリストとは別人の可能性が高い。
http://www.ne.jp/asahi/feg-kani.c.c/f.h.l/message/2010/message10_08.htm
おまけ