丹生川上神社・宇賀神社
宇陀から東吉野 へ抜けてきました。水神宗社、丹生川上神社(東吉野村)。一般的には丹生川上神社中社と呼ばれますね。現在の中社・上社・下社の三社は、過去に式内丹生川上神社の本社争いがあったそうですが、故森口奈良吉翁の研究により、中社が本来の丹生川上神社であることが確認されました。森口奈良吉(もりぐち ならきち)とは? 意味や使い方 - コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus - 森口奈良吉の用語解説 - 1875-1968 明治-昭和時代の教育者,神職。明治8年6月18日生まれ。奈良女高師(現奈良女子大)教諭などを歴任。大正10年退職し,春日大社などで宮司(ぐうじ)をつとめる。東吉野の蟻通神社を延喜式(えんぎしき)内の大社丹生(にう)川上神社に比定す...kotobank.jp**************宇賀神社(宇陀市)と血原橋。宇賀神社はお稲荷さんではなく、祭神は宇迦斯神(うかしのかみ)。この地の土地神と考えられます。一方、オトウカシを祀るとかエウカシの鎮魂とかの諸説あり。⇒神奈備にようこそ:宇賀神社神武東征時、侵入者神武に対し勢力的に劣勢だったこの地の長エウカシは、館に罠を仕掛け神武を呼び込もうとしました。ですが、オトウカシの裏切りにあい、エウカシ自身が罠にかけら絶命しました。エウカシの無念さはどれほどだったか。その時流れた血はくるぶしを隠すほどの量だったとのことで、当地血原の地名説話となります。近辺は、いくつもの小盆地を街道が繋ぐような地形になっています。山の民の長がエウカシだったのかもしれません。寮先生の勾玉天龍座の多神社での奉納劇にも、エウカシが滅ぼされる場面が描かれます。⇒勾玉天龍座奉納上演「呪いの銅鏡 イワレビコとナガスネヒコ」