昨日、ヨミウリ・オンラインに、“「今さら受けたくない」建築士再試験、猛反発で断念?”の記事が流れた。


 国交省は、例の耐震偽装問題の決着のために、一級建築士全員に再試験を課して、改めて技量向上を図る、という方針を、先月末に打ち出した。


 それ以来、個々の建築士、日本建築士会連合会や日本建築士事務所協会連合会の反対圧力を受けて、国交省は再試験断念の方向で検討に入ったという。


 国交省の方針転換は正しい。検討結果をみてみないと、直ちに判断出来ないが。


 ここでの問題は別にある。

 この記事である。

 「今さら受けたくないと猛反発」や、「同じ国家資格である医師や弁護士は再試験がないのに、なぜ我々だけが既得権を脅かされるのか」のフレーズを、見出しや、記事の頭に使われると、これを読む人たちは、建築士が自分たちの利益のために、駄々を捏ねているように思ってしまうだろう。


 反対意見として、「もう一度、大学受験しろと言うのか」や、「この年で今さら、勉強するのは大変」はともかくとして、「設計は分野ごとに高度に専門化している。試験のために、専門外の知識を丸暗記するのは無意味」というような至極真っ当な声を載せて置きながら、である。


 再試験に正当性がないから反対しているのであって、既得権云々は関係ない。

 我々建築士は、意図しては、倒れるような建物は絶対に建てない。

 彼は彼であって、我々は彼ではない。


 記事を書く当事者には、ことの本質を見て頂きたい。

 誤解を招くようなセンセーショナルな見出しを付けないで欲しい。


 こちらも当事者だから、分かることである。

 他の世界のことには、心して掛からなければならない。

 ユニットバスのシャワーで、頭を洗おうとすると、シャワーヘッドが回って困る。


 ユニットバスの壁に樹脂製のハンガーが付いていて、それにシャワーヘッドを差し込むタイプである。

 湯水を出さなければ、シャワーヘッドはじっとしている。当たり前だ。

 しかし、湯水を出せば、また、勢いよく出せば出す程、湯水の力でホースが捩れる。

 ホースが捩れると、シャワーヘッドが回って、湯水の出る向きがを変わってしまう。

 だから、頭を洗う時には、大変不都合である。

 今、輪ゴムを嵌めて、滑り止めにしている。頭が回らないように、頭を回した訳だ。


 仕事柄、メーカーは直に分かる。誰だって分かることだが。


 ネットで調べて、お客様係りに、メールしてみた。ちゃんと解決方法を考えた上のことである。

 ハンガーに掛かるシャワーヘッドの斜め部分に、ビニルで作った円錐形の物を滑り止めとして嵌めれば良いのだ。

 律儀にも返事が返って来た。

 「そのような物はありません」

 確かにないであろう。じゃあ、作れば良いではないか。

 恐らく、作る気なぞ、ないに違いない。


 そもそも、出発点が間違っていると思う。

 製品として売り出す前に、何故、テストしてみなかったのだろうか。湯水を出してみれば、直に分かることだから、テストなんかしなかったに違いない。

 メーカーなんて、いい加減なものだと思う。

 他のところは、慎重に、入念に検討したかも知れない。

 しかし、こんな一番大事なところを見損じては、何をか言わんやである。


 振り返って見れば、私も、かなりの数のユニットバスに関係した。

 だが、これ程、真剣に考えたことがあったであろうか。否である。気付きもしなかった。


 反省の意味を込めて、近々、近くのショールームで勉強してこようと思う。

 現在、定期的に買って来て読んでいるのは、月刊雑誌の「文藝春秋」と、どういう訳か、週刊誌の「週刊文春」の2つである。

 「文藝春秋」は、学生以来だから長い付合いだ。小休止したことはあったが。

 「週刊文春」は、糸井重里の“萬流コピー塾”が面白かったのが縁である。

 

 時折、特集の内容によっては「サライ」を読む。

 新聞は取っていない。ネットで済ましてしまえば、少しも不自由しない。


 合わせて、月にすれば、6、7冊だが、それでもなかなか目を通せない。特に「文藝春秋」は、じっくり読むだけの時間が取れない。


 共同で設立した会社を辞めて一人になった7年前は、今にして思えば、大変だった。


 月刊誌では「文藝春秋」と「将棋世界」、半月刊の「ビッグコミックオリジナル」と「ビッグコミックスピリッツ」、週刊誌は「週刊文春」に「週刊朝日」を、欠かさず買っていた。時には、広告に惑わされて、「週刊現代」と「週刊ポスト」が加わる。

 発売日を忘れることはなかったし、コンビニが近かった。

 それに、「日経新聞」に「地元ローカル紙」が毎日届く。


 コミック2冊は、優先するから、まず問題ない。

 この2冊以外は、一方に肩入れすれば、他方はお留守になる、ということにならざるを得ない。

 そして、放って措くと、すぐに山になるから、頻繁にゴミ置場に行くことになる。

 金額にすると、月に1万2千円は軽く超える。一度に払わないからこそ、出来たことかも知れない。


 2年余り、このようなことが続いた。

 しかし、こんなことをしていたら、何事もうまく続く訳がない。

 コミック2冊さえも買えなくなってしまった。

 以前、“フリーセル”を使用しないで、フリーセルのゲームを楽しんでいると書いた。

 楽しんでいるというよりは、苦しんでいると言った方が当たっている。


 その折には、左上の4枠が“フリーセル”、右上の4枠が“ホームセル”とネーミングされていることを知らなかった。知らなくても、別段、ゲームには支障ないが。


 私のゲーム方法とは、次の2つのルールを守ることである。

  ☆“フリーセル”には、カードを置かない。

  ☆“ホームセル”には、カードを移動しない。勝手に飛んで行くに任せる。


 大変に窮屈なルールである。

 1枚も動かせるカードがないことがある。4、5枚移動しても続かないこともある。

 空きの列を作って、それを“フリーセル”替わりにするのがポイントである。


 この2週間余りで、13個のナンバーをクリヤ出来た。

 2700回余り試みて、やっと13個である。655連敗も記録した。

 何しろ、3年半の間にクリヤしたのは 315個。24000回のチャレンジ結果である。


 スタート画面をアトランダムに立上げていると、以前の画面とダブルことがあり、クリヤ出来たと喜んでも、それが糠喜びに終わることがあった。

 今後は、“#1”から順にチャレンジいて行こうと思っている。

 今では、もう、このルールでしか、遊び方が分からない。


 以下、余談。


 このブログを目にした方は、次のナンバーにチャレンジして欲しい。

 “フリーセル”を使わなくてもクリヤ出来ることは、確認済みである。

  1012  3885  9705  13777  16557  18011  20186

  24111  29051  31316


  3日、5日、7日、14日付記事参照

 歩いて僅か4、5分のところに、“激安の殿堂 ドン・キホーテ”がある。

 真夜中過ぎの27時まで営業している。私の生活時間と合っているので、重宝させて貰っている。


 利用者は若い者が多い。商品の類と例の陳列状態を見れば、店がターゲットにしているのが、その若者だと分かる。

 時には、場違いと感じなくもないが、何しろ近いし、安い。

 散歩と言う程までにはいかないが、気分転換に良い。


 入り口を入ると、自動の引分けドアの幅だけの通路がある。

 右手側には、もう商品が並んでいる。まあ、これは良い。店らしい。

 問題は左手側である。

 小さなベンチと背の高い吸殻入れが置かれている。


 先週、店に入った時に、若い男が2人、ベンチに座って煙草をふかしていた。行儀が悪い。それは措くとしても、何故、入った途端、煙草のご相伴に預からねばならないのだろうか。外の清々しい夜気を味わった後に、これはどういうことか。店は何も気付かないのだろうか。


 近くにいた店員を、陰に呼んで、「何とかしたら」と声を掛けておいた。頼りなさそうな店員だったが、たまたま、そこにいたのが不幸というものだ。


 しかし、さっき確かめたのだが、何も変わっていなかった。

 閉店間際の「蛍の光」が流れていたせいか、ベンチに人はいなかった。煙草にも、嫌な視線にも遭遇しなくて幸いだった。


 恐らく、店長も若いのだろう。そして愛煙家に違いない。

 放っておく管理者が間違っている。

 1年も経ったであろうか、いろいろと災難に見舞われた店だったと承知している。何か行き届かないところがあるのかも知れない。


 利用させて貰っているのに、店の名前を出して、申し訳ない。

 もっと気持ちよく行けたら良いのだが、と思っただけである。 

 運動不足解消を意図して、NHKのテレビ体操をビデオテープに録画した。

 それも、1周間をかけて、1本のビデオテープに録画したのだ。


 教育と総合を合わせて、月曜日から金曜日の間は、1日3回で20分間。

 土曜日と日曜日は、1日1回で10分間。

 これが放送時間である。2時間分ある。


 毎日の放送時間は決まっているが、自分の都合に嵌ってくれるとは限らない。時間のある時に、好きなだけ体を動かそうと考えて、録画した訳である。


 録画してから、かれこれ、2ヶ月にもなろうか。例の夜間徘徊を止めた頃である。手っ取り早い方法を探せたと喜んだものだった。


 しかし、一度も活用されていない。もちろん、問題はビデオにはない。録画したことで、何時でも、体操が出来ると安心してしまった私が悪い。

 用意周到に準備することが出来るということには、我ながら感心することが多い。良く頭が回ると思う。抜ける時も多いが。

 準備は出来ても、履行出来るとは限らない。そこが私にとっての一番の問題なのだ。


 昨日、これからの1ヶ月で 3kgの減量 を決意した。

 だから、体重計に載って現在値を確認しておいた。安物の体重計だから、針の振れが微妙で困ったが、何とか測れた。

 

 間食は止めると決心した。

 ここのところ、特別なことでもなければ、アルコールは遠ざけている。

 コーヒー、紅茶に砂糖を入れていない。

 食事は朝夕の2食主義を続けている。


 体重も分かったし、体操の録画もある。


 後は、実行あるのみである。

 5月のゴールデンウィーク以降だから、2ヶ月余りになるが、運動不足である。


 それまで、毎晩4、5km歩いていた。暖かくなって来ていたし、GW中にゴルフのコンペがあり、体力を付けなければならないという切実な意味合いがあったからだ。


 コンペが過ぎると歩かなくなる。いつものことだ。スコアが良くないからである。効果が目に見えれば、続くのだろうが、ここでがっくりと来るから続かない。

 それに仕事があった。嬉しいことだが、パソコンに向かう時間が惜しくなると、出不精になる。

 無駄な時間がないのかと言えば、丸っきり、そんなことはない。テレビは見る。ネットは見る。週刊誌は読む。こちらで潰す時間の方がはるかに多い。


 大体が、仕事は余った時間にするというのが私の癖だ。明日出来ると思うと、今の時間をあらぬことに使ってしまうのだ。


 しかも、ブログも始めた。

 ブログが時間を食い始めた。しかし、今のところ、大いに楽しんでいるから、これは良しとしたい。


 ただ、パソコンに向かいながら、“柿の種入りピーナッツ”を食べるのは、控えることにしよう。少々、体の動きが悪くなってきた。

 この“柿の種入りピーナッツ”だが、中毒のようになっている。真夜中に無性に欲しくなる。そして、コンビニでなくても、店が開いている。車を飛ばして行けば、何なく手に入る。しかも、1袋なんて、すぐになくなってしまう。

 

 運動不足の上に、カロリーの多い物を食べるのを止めよう。

 目の前の1袋で、絶対最後にしよう。


 医者にも言われている。皮下脂肪が多い。澱粉の取り過ぎだろうと。


 ここに、1月で3kgの減量を宣言する。

 先日、散髪屋に行く回数を減らしたと書いた。

 散髪屋の駐車場で、車のテールランプを壊した。その修理費を散髪屋から捻出させたい。散髪屋と年間契約をしているわけではないから、回数を減らす、すなわち、間隔を長くするしかない。だから、ここ2回は約3ヶ月の間隔にしている。


 間隔が伸びていることは、散髪屋にも分かったのだ。そこで、彼は考えた。

 いつもより、前髪が長い。長めにカットして、次の来店を早めようとしたのだ!


 私の髪は、癖毛である。前髪は、長くなるとカールしてくる。


 前回の散髪から、まだ、1ヶ月だというのに、カールしてきた。梅雨時分で少々湿っぽいからでもあるが、今頃カールするようでは、これから2ヶ月近くは持たない。1ヶ月でも危ないかも知れない。


 ここ数年、不景気のせいで、客足が減っている言っていた。

 それなのに、鏡を前にする度に、この前の散髪から何ヶ月経っている、というようなことを話題にしたのが失敗だった。


 私の頭には つむじ が2箇所ある。そのため、短くすると髪が立ってしまう。


 これが、私と散髪屋の闘いの種だった。

 長めにしてくれと言っても、散髪屋は己の美学を通す。湿らしてカットする時には、大人しくしているから良いのだが、乾いてしまえば、髪は逆立つ。

 少し長く通って慣れて来るに従い、散髪屋は自分の思い通りにしたがる。

 いくら言っても、こちらの言うことを聞いてくれない。

 だから、幾度か店を替えた。


 今の店は、相性が良い。予約制だから、待ち時間がないのも気に入っている。

 次に行った折には、夏だから少し短めにしてくれ、と頼もう。



  * このブログ、1ヶ月続いた。毎日書いた。しかも、もう一つブログがある。それも

   毎日、そしてもう少し長めだ。正直、しんどい。だが、頑張ってみよう。

 7月16日は、月面着陸を目指して、アポロ11号が飛び立った日だ。

 6月17日が誕生日なので、その数字のひっくり返しということで覚えている

 ただし、7月16日はアメリカの日付けであって、日本時間ではない。


 しかも、1969年であったことも覚え易い。

 ジョン・F・ケネディ大統領が、「1960年代の内に、月面着陸を実現する」と言っていたからだ。


 ケネディの大統領就任は、1961年1月である。

 そして、旧ソ連のユーリイ・ガガーリンが、初めて宇宙空間に飛び出して、地球を1周したのが、就任直後の4月であった。

 意気揚々と就任した早々に、最大のライバル国に出鼻を挫かれたのだ。相当に悔しい思いをしたに相違ない。


 この1961年も面白い。上下を逆にしても 1961 なのだ。当時、不思議な年だと思ったものだ。


 その後、ケネディは、キューバ危機の時にも、ソ連と対峙している。

 ただ、月面着陸宣言がキューバ危機の前だったのか、後だったのかは、私には分からない。


 ケネディの大統領在職期間は、3年に満たない。

 しかし、その間、彼は、キューバ危機の他にも、外ではベトナム、内では人種差別撤廃の公民権問題という重要課題を背負い、心休める状況ではなかった。

 

 そういう状況だからこそ、ケネディは、単にソ連に対抗するということだけではなく、米国民と自分自身を奮い立たせるために、敢えて困難な目標を掲げたのだと思う。

 宇宙に挑戦するということは、未来を夢見ることではないか。


 地球を1周してから、僅か8年後に、人類は月の上を歩いた。


 宇宙で著しい技術革新が見られた訳だが、地上でも様々な問題が多発して、騒々しい時代だった。


 私も、この8年の間に、小学生から大学生になった。忘れ難く、考えさせられた青春時代だった。

 私は、性的にはかなりの奥手だった。

 

 何しろ、物心付いてから、初めて女性の乳房に触ったのは、23歳にもなろうかという時だったのだから。

 頭の中はともかく、積極行動派では全くなかった。

 複雑な生い立ち、引っ込み思案な性格、恥ずかしがりやのためだったのだろうと思う。


 私の留年が決まった時、卒業して行く先輩が、家庭教師のバイト先を譲ってくれた。

 教えるのは、産婦人科医院の院長の次男坊で、確か私立中学校の2年生だった。長男には別の家庭教師が付いていて、時折、隣の部屋から声がした。

 とにかく、大人しい子だった。自分から、余り物も言わなかった。

 朝は新聞配達、日中は設計事務所でのバイトと忙しかった時期には、彼が問題を解く間に、寝てしまうこともあったが、彼は、私が起きるまでじっと待っていた。


 先輩への礼と私への挨拶代わりに、院長が2人をキャバレーに連れていってくれた。

 その頃、市内には3軒のキャバレーがあったが、今はもう1軒もない。

 行ったのは、歓楽街の端っこの店だった。後の2軒は、中心部からは少し外れたところにあった。


 キャバレーは、それが初めてだった。最後でもあったようだ。


 ボックス席の私の隣に、ポチャッとしたかわいいホステスがやって来た。丸顔で笑顔が明るい女性だった。色白で、年も似通っていた。

 「かわいいね」というようなことを言ったのは覚えている。

 後は、胸元から手を入れて、乳房に触ったことを覚えているだけだ。

 どういうシチュエーションで、そういうことになったのか分からない。キャバレーでは大目に見ていたのだろうか。

 別に邪険にもされなかったから、しばらくそのままの状態でいたように思う。


 瞬間、瞬間は覚えられていて、その他のことは忘れてしまっているのが良い。

 その一瞬が、今も鮮やかである。


 その後の人生において、乳房については(も)、量的にも質的にも、恵まれなかったことが本当に悔やまれる。