長く車を運転していると、1つや2つの事故には会う。

 免許を取って3年半ばかり経った頃、10日の間に、「あわや」という思いを2度、経験した。


 子供たちが夏休みに入って、2泊3日の家族旅行に出かけた時のことだった。

 仕事を休まなくてはならないということで、出発前に完全徹夜した。そして、一睡もしないで家を後にした。

 高速道を2時間近く走った頃に、運転しながら寝てしまった。

 「ガリガリッー」という音で気が付いて止まった。ガードレールに擦ったのだ。車の横っ腹に3本線が入った。これだけで済んだ。

 運が良かったというしかない。廻りに他の車がいなかったし、ガードレールにほとんど平行に走って突っ込んだだけだった。

 一家5人、無傷だった。近くのサービスエリアで休憩して、予定通りに300km先の目的地を目指すことが出来た。


 旅行から帰って、私の休みの日に、県北の山中をドライブした。

 離合も出来ない狭い山道を登っていた時、くの字に曲がったところで、事故は起きた。

 私の車は、上りだから止まることは出来たが、下って来る相手の車は止まれなかった。 「やばい」と思った直後、ぶつかってしまった。正面衝突である。

 私の車は前部中破。動かなくなった。

 相手は若くて1人でドライブ中だった。どこかの坊ちゃんらしく、新車のスポーティカーだった。これは動いた。

 何とか車を動かして、他の車が通れるようにした。通り掛った人が手伝ってくれた。そして、その人に交番と私の弟への連絡を頼んだ。

 バイクに乗った警察官が来るまでの間、相手が地元の私大生であることを聞いただけだった。相手が全面的に悪い、しかし、責めるのは気の毒だとも思った。何しろ、初めての相手のある事故であり、対処方法が分からなかったのだ。

 弟に牽引されて帰ったが、牽引も初めての経験で、それこそ、必死で引っ張られた。


 翌日、相手の親から、電話があった。詫びの電話というよりは、保険で処理したい旨の連絡が主だった。

 結果は、出会い頭の事故ということで、7分3分位で決着したように覚えている。私が入っていた農協の共済保険は押しが弱かった。


 横っ腹に3本線の傷が入った車は、修理することもなく、少し大きな中古車に替わった。


 困らされたのは、事故の時、助手席で抱かれていた4歳前の末の子だった。

 その後、当分の間、車の外が山の景色になると、「行かない」と泣き喚いた。これには、本当に手を焼いた。

 子供心には怖い経験だったのである。

 この時も、幸いなことに目に見える傷は、誰も負わなかったが、幼い子の心には大きな傷を残したのだった。


  《フリーセル:セルレスルールのフリーセルナンバー》

     892  2689  5655  11170  14700  19910

     21414  24441  29565  30365

 現在、昼夜が逆転している。今に始まったことではないが。


 大体、床に付いて寝ようという意識がない。眠たくなれば、意識しなくても、仕事中であれ、ネット検索中であれ、パソコンの前で椅子に座ったまま、眠ってしまう。

 寝込んでしまっても良いような椅子なのである。7年前に手に入れたものだ。安物だが外国からの輸入品だから、幅が広い。背もたれも高く、頭が後ろに垂れることもない。回転はするが、倒れない。

 眠るであろうことを見越して買った椅子だから、当たり前ではあるが。


 それで、日付けが替わって、買物に行って来た。テレビでトマトの話をしていたのを聞いて、無性に食べたくなったのだ。切らしているものもある。そして、気分転換も兼ねている。

 往復5kmのところに、深夜営業の食品スーパーがある。近いから、月に2、3回は利用する。 深夜営業のせいか、値段は少し高いように思う。


 トマトは1個より3個にすれば、少し安くなるとあったので3個にした。冷蔵庫に切らしていた野菜として大根1本、ピーマン1袋。他には納豆の3パック入りを1個、魚のソーセージ4本入りを1束、すりゴマ1袋、小さな牛肉コロッケ2個入りを1パック、そして、この店特製の小ぶりな野菜サラダ1パック。これが今夜の買物の全てである。締めて1225円であった。

 ばらばらであるが、それだけに偏りは見られない。


 すりゴマを探してうろうろしていた時、スナック菓子に手が出そうになったが、寸でのところで思い止まった。

 折角、もう2週間近くも我慢しているのに、ここで手を出してまったら、元の木阿弥である。少しは減量効果が見えているのに、残念なことになる。


 店員は2人は見た。深夜だからであろう、男性である。そして、それとなく店の内外を見回っている若い警備員が1人いた。

 警備員を見掛けるのは久し振りであった。この店は、他にも市内にいくつかの店を展開しているので、各店を巡回しているのかも知れない。


 今夜はお客が少なかった。店に入った時には、他に2人いたが、レジで会計中には、私1人しか、いなかったようだ。

 夜更けの、ものすごい雷雨のせいだろう。


 コンビニとは品数も違い、これはこれで便利なものである。

 昨日、久し振りに 宝くじ を買った。

 今日が発売最終日のサマージャンボ宝くじである。


 それにしても、考えてみれば、自分ながら頭を傾げたくなるような真昼間に、よく出掛ける決心をしたものだ。

 目的の売り場は駅前にある。やはり、駐車違反は怖い。しかも、何しろ駅前だから、車なんか路上には止められない。そこで、一番近いと思われる市営の路上駐車場に止めた。


 駐車場は、川を挟んだ斜向かいにある。暑い最中に、200m余り先にある売り場まで歩いて行く破目になったが仕方ない。まず、橋を渡る。そして、次は道路横断である。駅の正面玄関へ突き当たる道路だから、広いし、交通量も多い。よって、横断歩道はない。地下道へ降りる他ない。

 地下道は、丁度交差点の下に当たるから、こちらも広い。空気はどんよりしているが、地上よりはしのぎ易い。売り場の当たりを付けて、地上への階段を上る。降りる時には、気にもならなかったが、上りは結構長い。


 売り場の窓口は2つあった。一方には1に人のお客がいたが、片方は空いていた。締め切り前日だというのに、こんなものなのだろうか。時間が悪いのかも知れない。

 窓口で、「通しとバラを1つずつ」と言ってから、2枚の300円当たりくじ、100円玉を4枚、そして1万円札1枚を出した。当たりくじを確認してから、明細書をくれた。初めてである。宝くじを買うことも少ない。ましてや、末等の当たりくじなぞ、換金したことは絶えて久しい。

 何か言いながら、宝くじ2袋に添えて、5千円札1枚をお釣りとして返してくれた。

 千円札にも、100円玉にも不自由していなかったから、ちょっと小細工をしてみた。売り場のお姉さんにも、意は通じたものと思う。


 足を100mばかり延ばして、郵便局に行った。封書を出すためだ。駅前に来ることを考えた時点で思い付いたことである。横断歩道を渡って、郵便局の前のポストに投函して、目的は全て終了した。


 歩道で、若い女の子が、消費者金融会社名の入ったポケットティッシュを配っていた。

 通り掛る人も少ないが、手を出す人は1人もいない。彼女が差し出すティッシュを避けるように、急いで通り過ぎる。大体、ティッシュは冬ではないのか。

 投函後、Uターンして引き返す途中、彼女から2つのティッシュを貰った。


 私も、奉仕活動の一環として、目的や配布物こそ違え、何度かの路上配りの経験がある。

 全く無視された時の、あの何とも言えない虚しさは、経験した者にしか分からない。

 だから、私は、差し出されるものは出来るだけ受け取ることにしている。


 彼女も、少し、ほっとしたような表情だった。


 この宝くじは、ひょっとしたら、当たるかも知れない。

 先程、NHKテレビで、全くくだらないことを取り上げていた。

 蛍を間にした論争である。


 理科教育を担当していた元教師。

 彼は、蛍の発光に似せた発光体を使用して蛍を近づけ、子供たちに間近で見せる。

 蛍の形、動き、そして何よりも、何処が発光するのかというような細かなことが観察出来る。観察することは、興味を倍化させると言う。興味を抱かせる一番の方法であると。

 もちろん、自然に飛び交う様子も見ることが出来るであろう。


 片や、もう一人の研究者。

 とにかく、自然体で見せなければならないと言う。発光体等を使って、無理やり集めてはならない。

 集まって来るのはオスであり、メスばかりが取り残されてしまい、僅か10日の命しかないのに交尾出来なくて、繁殖がままならなくなると言うのだ。

 だから、遠くからじっと眺めるだけだ。遠くで仄かに点滅する光を見守るだけである。


 どちらが正しいのだろうか。

 もちろん、元教師である。100%に限りなく近く正しいと思う。

 研究者の言、もっとも真実らしくて、全く意味のない話である。


 10日の間、メスだけにされて、子孫を残すという使命が果たせなくても良いではないか。如何に少なくなったとは言え、他に仲間はいる。

 興味を持った子供たちが、より大切にしてくれるようになる。


 この研究者のように、耳障りが良くても、何の実質もないことを口にする輩には、ほとほと困る。

 「杞憂」、「木を見て森を見ず」等、このようなことを戒める諺もある。


 ところで、NHKは何を言いたかったのだろうか?


 最近は、増えたと言っても、まだまだ、蛍を見るのは大変である。1、2匹でも見つけようものなら、声を上げる程である。

 私の子供の頃には、それこそ、一杯飛んでいた。田でも、川でも、ものすごかった。

 車のウィンカーの点滅にさえ、寄って来たものだ。


 時折、急に蛍が恋しくなって、一緒にドライブしてまで探し回ったこともあったが。

 特別に用事がなければ出掛けることもない。

 手持ちの仕事が一つあるけど、少してこずっている。先々週末、発注元に図面添付でメールしたのだが、返事が来ない。こちらから連絡し辛いこともあり、閉塞状態なのだ。


 図面に取り組んだり、このブログとあっちのブログを書きながらであるが、どちらにしろ、パソコンの前から離れられない。

 それで、“お茶”の時間が多くなる。

 といっても、梅雨明けの暑い日中は、暑い“お茶”は少し控え気味ではある。


 1日のお茶は、大体次のようになる。

 コーヒーが1杯、紅茶は2、3杯、緑茶が2杯、牛乳は1杯、後は冷たいお茶を適宜。

 緑茶は一応、湯呑だが、他はちょっとだけ大き目のマグカップを使っている。


 コーヒーは市販の普通のもの。酸味は多い目。他に注文は特にない。コーヒーメーカー使用。砂糖は入れない。ポーションカップ入りのクリームは入れる。


 紅茶は、リプトンのピラミッド型ティパック。某国産名のものがまずかったので、もっぱらこれを愛飲している。当然、砂糖はなし。レモンのような気のきいたものはない。


 緑茶は食事の時、入れたもの。多めなので残る。後から、それで喉を潤す。


 牛乳は少し値段の高いヤツ。味が違うように思う。3、4日で1ℓ入りパック1本。


 あっさりした冷たい飲み物が欲しい時は、冷蔵庫にペットボトル入りのお茶がある。

 

 紅茶やコーヒーを飲んだ後は、口をすすぐか、歯磨きをすることにしている。

 歯医者で言われたのだ。放って措くと、歯に色が着くらしい。

 何年か前の夏に、2ℓ入りペットボトルの烏龍茶を1日1本空けていたが、これが歯の色が落ちなかった理由だったのだ。

 牛乳も後口が少々気になるので、水ですすぐ。


 水分の取り過ぎだと分かっているが、ついつい飲んでしまう。

 水太りと言うけれど、本当に体重増の原因になるのだろうか。心配である。

 私は、他人を名前で呼ぶ場合には、名前の後に「さん」を付ける。

 相手が男性であろうと、女性であろうと、そして、年上であろうと、年下であろうと、「さん」付けに変わりない。

 「さん」付けを始めて、もう随分になる。何時から、そのようにし始めたのか、はっきり分からない程だ。


 別に、最近言われている“ジェンダーフリー”を先取りしたものではない。「さん」は、謙譲語、尊敬語として使われる場合があると理解した上で、次のように考えて使っている。

 ①「くん」と「さん」の使い分けを考える必要がない。世間では、年下の者を「くん」付けしている場合が多いが、「さん」付けに徹すれば、相手の年齢を慮ることから開放される。

 ②学校を卒業すれば、誰だって自己責任を持つ社会人である。それなりに遇するのは当たり前であろう。

 ③他には、ニックネームで呼び合う場合があるが、これは互いの親密度を誇示するように思えて、私には抵抗がある。仲間なのか、仲間でないのかを見せ付ける行為なのだ。「さん」付けは、そんな垣根を取っ払ってしまう。


 しかし、「さん」付けで呼ばれると、少し距離を感じる人がいるだろう。若い人には、特にそう思われるかも知れない。疎遠に思われない言い方をするように、気を付けなければならないと思う。


 ところで、私自身は、「くん」付けで呼ばれることに抵抗がある訳ではない。今では、「くん」付けで呼ばれることも少なくなってしまったが。


 幼馴染や極々親しい人には、「さん」付けで呼んで欲しくはない。

 やはり、呼び捨てされるのが良い。渾名も心地良い。もちろん、「くん」付けでも一向に構わない。


 日本語は難しいと言われる。特に、このような謙譲語、尊敬語には留意しなければならない。人間関係を築いて行く基礎であるからだ。

 最初の勤務先に、注文を取りに来たり、届けたり、給料日には集金に来てくれる本屋さんがあった。そこでの付合いは10年余りだったが、良くお世話になった。

 そして、その店がくれるカバーも気に入っていた。


 今や、その本屋は、地元では最大手の本屋である。郊外に大型店を出し、市街地では複合店に入ったり、空き店舗の核として出店している。


 歩いて行ける程の近くに、その本屋が出した郊外型の大きな店があり、良く利用させて貰っている。

 先日、その本屋のポイントカードが一杯になった。

 深夜営業中に行って、雑誌と週刊誌の3冊を買ったところ、ポイントカードが60のマークで埋まり、1,000円分の買物券に変わった。

 応対の店員は若いお兄さんで、閉店時間が迫っているせいか、愛想が良くない。尋ねたいこともあったのだが、仕方なく、急いでその場を離れた。


 後日、今度は太陽が落ちない内に、その店に行った。

 思惑通りに、カウンターの店員は女性だった。


 書棚から本を取り出してカウンターに行き、その店員に、この1,000円の買物券を得るためには、どの位の本を購入する必要があるのか、尋ねてみた。

 60,000円だとの答えだった。

 文庫本1冊500円平均として、何と120冊分である。

 

 尋ねなければ良かった。知らないでおれば良かった。

 そもそも、ポイントカードなんか、どうでも良かったのだ。レジで、「ポイントカードをお持ちですか?」といつも聞かれるから、持っているだけなのだ。差し出すだけなのだ。

 ポイントカードにマークを貰うために、その本屋に行くのではない。

 昔からの馴染みの本屋だし、カバーが好きだから行くのだ。棚の60冊余りの本の9割以上に、その店のカバーが付けてある位なのだ。


 1,000円券を使ったので、替わりに新しいポイントカードをくれた。

 女店員の笑顔に報いるために、そのポイントカードを差し出すことにしよう。

 「ポイントカードをお持ちですか?」と尋ねられる前に。

 多くの被害をもたらした梅雨も、ようやく明けようとしている。

 子供たちや若者にとっては、待ちに待った海水浴のシーズンである。


 私も、少しばかり痛い思いをしながら、海水浴を楽しんだことがある。

 10月入社だから、翌年の夏になるが、子連れも含めて15人位の所員有志で海に行った。 仕事を終えた土曜日の午後から、車5、6台を連ねて、山を越え、県境を越えての200kmの道中であった。

 目的地の浜辺では、もう大分傾いていた太陽が真っ赤になって沈むまで、荷物運びや食事の準備で忙しかった。


 翌日は、ほとんど1日中、泳いだり、ボートに乗ったりして大いに楽しんだ。

 私にとっては、何年振りか分からない程の本当に久し振りの海だった。


 楽しんだのは良いが、付けは直に払わされた。

 その夜から、しばらくの間、地獄の苦しみを味わったのだ。

 背中が痛いように痒い。とにかく、じっとしていられない。両足の後ろ側もひりひりする。うつ伏せなり、冷たいタオルを当てて貰って、歯を食いしばって耐えた。


 翌朝、背中を触ってみると、蜜柑の皮のように強張っているのが分かった。背中全体が、がばっと剥がれそうである。

 トイレでしゃがむと、引っ付いた足の脛と腿の裏側が、ずるっと動きそうだった。

 このまま、元のようには戻らないのではないかという思いに、恐怖さえ覚えた。


 直に医者に行った。

 確かに、医者は言った。「お前、馬鹿か!」

 太陽にこんなに肌を焼くヤツがあるか、と言うのだ。火傷と同じだとも言った。


 どのような治療を受けたのか、はっきりとは覚えていない。しかし、火傷のような跡も残らないで、きれいに直ったことには感謝である。


 それ以後、必ずシャツを着て海に入る。少々ダサいが、背に腹は変えられない。


  

   《フリーセル: セルレスルールのフリーセルナンバー》

     164  2405  6132  10941  15120  18913  20767

     25235  28641  32298

 悩み多い少年期に、「二度目の人生はあるのだろうか?」と考えたことがある。

 生まれ変われるものなら、より良く生まれ変わりたいと思ったのだ。

 原因はいくらでもあった。


 その後も、ずっと考えて来た。

 二度目の人生があるならば、一度目の人生の数々の失敗の反省や経験が生かされるだろう。そうすれば、より良い人生を過ごすことが出来るはずであると。


 しかし、二度目の人生はないだろうという結論に行き着く。

 二度目があると分かれば、一度目はやりたい放題の者や、悪事を働く者、好き勝手に遊ぶ回る者も出るだろう。

 私だってやりかねない。イマイチ、自信がない。

 そして、その周囲には、二度目の人生を楽しもうとしている人たちがいる。その人たちにとって、一度目の人生を無軌道に送る者たちは、迷惑この上もない存在に違いない。二度目の人生が悲惨なものとなってしまう。

 やはり、一度の人生しかないと、覚悟しなければならない。


 輪廻思想という教えがインドにある。

 現世で恵まれないのは、前世での行為が良くなかったからである、ということだと理解している。要は、来世で惨めな境遇に暮らすのが嫌ならば、現世では他人に迷惑を掛けないように生きよ、ということであろう。


 現在の自分の人生を大切にしなければならない。

 そして同時に、廻りの人たちの人生も大事にして上げなければならない。


 最近は、自分や廻りの人を傷つける者が多過ぎる。今一度、考え直したいものだ。

 昨晩は、久し振りに用事で出掛けた。部屋を空けることになったので、バルサンを炊いた。

 梅雨空で天候がすっきりしないせいか、ダニでも出てきたような気がしたからだ。

 それに、「アースキッド」ではない。正真正銘の「バルサン」である。別に他意はない。


 この「炊く」という言い回しは、誠に言い当てて妙である。

 煙が立つ状態に託けた表現であろうが、今となっては、それに替わる適当な語句は見当たらない。

 そして、アースキッドを炊いても、他人と話題にする場合には、「バルサンを炊いた」と言う方が、意味がスムーズに伝わる。

 先行商品の強みである。


 実は一昨日の夜にバルサンを炊いても良かった。その積りで急いで買って来たのだから。

 しかし、雨模様の空を見て考え直した。炊く決心が付かなかった。


 以前、苦い経験をした。

 バルサンを炊いて、目的地に向かう途上、相手先から連絡が入った。

 「今晩の件は、都合により、中止になりました」

 天候がよくなかったのだ。


 冗談ではないと思った。

 今さら取り止めにされても、部屋には帰れない。当てのない2時間を潰すのは辛い。そう思えば思うほど、情けない。


 ゴキブリを追い出す積りだったのに、自分が燻り出されることになってしまったのだ。