0406、【映画もアニメも】ポストアポカリプス(世界崩壊後の物語)の見所【漫画もラノベも】 | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

戦乱が!

大災害が!

異世界のエイリアンが!

 

・・・まあ何でもいい。EDFでもいい。

 

 

 

今ここにある、

少なくとも治安がマシで戦争・内乱状態にはない場所で暮らしてる人にとっての世界が、

何かしらの理由でブッ壊れたとする。

 

より正しく言うと壊れるのは世界じゃなくて常識なんだけどな。

 

まあそうやって、

今までと同じ暮らしなんか到底できなくなったという前提で描かれる話を、

「ポスト(~の次、~の後)アポカリプス(世界崩壊)」などと呼んだりもする。

 

「post apocalypse」ってのは「終末」と訳されることが多いかな。

 

 

 

 

 

往年の名作ゲーム『The Last of Us』は「ゾンビもの」として知られているが、

しかしあれもまた正体不明の菌類によりゾンビ化し社会システムが崩壊したあとの世界、

すなわち模範的なポストアポカリプスものである。(もちろんラスアス2はクソの塊である)

 

あるいは過大評価されがちな胸糞映画『ミスト』もそうだが、

緊急事態にあってそれどころじゃない!という場合も、

世界の、平時の常識が通用しないという意味では、ポストアポカリプスだといえる。

 

ここなんだよな。

 

社会やインフラ、あるいは科学文明的システムが実際にブッ壊れてるかどうかではなく、

あくまでもその場、その物語内部において、

今までの常識が通用しない、それどころじゃない、というのがキモ

 

だから低予算映画の傑作として名高い『CUBE』も、

突然よくわからない環境に置かれてしまったから、

生存を確保し「ここ?」から脱出しなきゃいけない、というパニックもの。

 

日本でしか通用しない映画のジャンル名でいうなら、

『SAW』と同じ「ソリッドシチュエーション」なホラー・スリラー映画も、

日常時とは明確に異なる常識に、その場の誰もが支配されている

 

清浄な水が貴重だから水の奪い合いで殺し合いにまで発展するような状況も、

僕ら日本人の常識からいえば十分に非日常的だが、

アメリカでさえ既に一部で発生し始めている「リアル」だったりする。

 

淡水資源の偏在問題は農業を筆頭に人類社会全体の問題だというよりも、

水資源に困るような国では先進国になれない、というほうが適切か。

 

それこそどこの文化圏でも最強のモンスターはドラゴン(西洋は竜、東洋は龍)だけど、

あれって氾濫や洪水の象徴・暗喩だからな。

 

そのドラゴンをやっつける竜退治(ドラゴンスレイヤー)の英雄とはつまり、

治水工事が上手な為政者のことであり、

まさに古今東西不変の真理、「王たるべき資質」の持ち主であるわけよ。

 

そう考えると「ドラゴンスレイヤーズ・ストーリー」は、

洪水や台風、豪雨などの自然災害(ドラゴン)で荒れた世界で描かれる、

ポストアポカリプスものである、といえなくもない。

 

 

 

 

ソリッドシチュエーションスリラーにしろ、ポストアポカリプスにしろ、

共通しているのは「常識が通用しない」ことともう一つ、

「嫌でもこの現実に向き合わないといけない」こと

 

 

 

 

まあつまり、

現実世界に存在する経済だの企業間競争だのという柵(しがらみ)を無視して、

新しい常識、新しい秩序(New World Order)が世界を支配していることが大事なんだよな。

 

だから実在する政治だの宗教だのという面倒な理屈を省略して、

この世界ではこうなったという後付の説明をすることで、

読者の想像力に委ねることが容易になる。

 

想像力だけで世界が成立するから、読者の知識を問わない。

 

ここが大事だよねw

 

読者がある程度バカ(直球)であっても、

現実世界への漠然とした不満や不安さえ抱えていれば、

「もしこうだったら俺ならこうするのに!」という欲望をちょっとだけ刺激してくれるから。

 

 

 

 

自力では何もできない政治家の太った偉いセンセイよりも、

現場で働く無能でマッチョなオッサンのほうが価値のある世界。

 

・・・いや、本来は現実世界もそうならなきゃおかしいんだけどな。

「主権在民」って言葉があるように、

現場で働く人が一番偉くなきゃおかしい。

 

しかしながら治安維持装置である軍が圧倒的な殺傷力を独占してしまった今、

暴力で逆らえば銃殺されるだけだから、

カネが権力そのものになってしまっているだけで。

 

それでも、誰もが一度は思うだろう。

俺がこんなにもハラとアタマとカラダを痛めて必死こいてんのに、

ヘラヘラ笑ってる、現実も見えてなければ知識も技術もない無能の分際で・・・と。

 

「それ」がなぜ世界中で共通認識になっているのかは、

先日ちょっとだけ触れたので、

興味があったら読んでおいてほしいけれども。

 

 

 

 

 

体力のない大人、平和ボケした大人には現実が見えず対処もできない、

だから若くて恐れを知らない勢いだけの人間にも活路がある、

そういう見方もできるのが、ポストアポカリプスもののいいところ

 

軍や警察という横槍が入ることなく、

直接的な暴力、拳や刃物や銃で全てが決まる。

 

だから自然と「平和だった頃」の価値観に従うべくグループが発生し、

弱い女や子供は優先的に保護される一方で、老人は自分の無価値さを知り声をひそめる。

「フェミニズムや福祉なんか叫んでる余裕がなくな」って、真に対等な人間関係が描かれる。

 

農家や大工の知識や経験が重宝され、

木や金属の加工技能の持ち主が引っ張りだこになり、

自然科学の知識が豊富な存在が組織の後方でご意見番になり。

 

執拗にデマを流すマスメディアもいない。

水商売(人気商売)の上澄み層からイキリ散らす無価値な芸能人も出しゃばってこない。

流行だの権威だのなんか、食えるメシの足しにもならないのだからクソ喰らえ。

 

・・・・・・こうなるともう、

世界が崩壊したほうが客観的かつ健全な社会システムが成立しちゃってる、んだよね。

 

 

 

 

 

かくしてポストアポカリプスというものは結構意外なほど、

世界も何もかもが非現実的な壊れ方をしているようでいて、

現実的なものの見方ができる人でないと楽しめなくなってるんだよな。

 

 

 

 

人間が、世界が、我々が、

「今やるべきこと」は

「ソレ」じゃないだろ!

 

権力闘争やポリコレ弾圧が、

本当に必要なものなのかよ!

 

現実の生活、生存、利便性、

支えあい、助け合い、

わずかな優しさ、

そういったものを優先できたら、

こんな世界にはならないだろ!

 

 

 

 

・・・・と、

それこそ東日本大震災や能登半島地震などの巨大災害が襲い来るたびに、

日本人だったら思い知るはずなんだよな。

 

本当に危険なときほど、

争いあって心や場所を荒廃させたら取り返すのに手間がかかるから、

みんな我慢して、みんなで助け合って、文句を言わずに支え合う。

 

それこそがポストアポカリプスもので問われる裏のテーマ、

人間の真価、性善説的で理性的な互助の精神

 

 

 

 

絶望的な終末後の世界(post apocalypse)になぜ希望があるのか?

 

現場で立ち向かう人間の技能があるから。

少しでも大事なものを見定めようとする賢さがあるから。

困難に挑む勇気と、それを成し遂げようとする覚悟があるから。

 

実は廃墟だのゾンビだの殺伐とした世界だのはオマケで、

それでも高潔であろうとする人間と、

目先の生存すらない状況では高潔であり続けられない弱さこそが見所。

 

団結しないと困難に立ち向かえない人間の弱さ、

団結するからこそ強くなれる人間の素晴らしさ。

 

 

 

 

勧善懲悪の反面教師バージョンみたいなもんだよね。

 

恵まれた幸せ者が現場の苦労を知らずに綺麗事を押し通して、

自分の手の届く場所の問題だけ無理やり解決させるのが『水戸黄門』。

 

悲惨な現実に打ちのめされて何もかもを捨て去って、

あとはもう腐っていくだけだったはずの負け犬が、

それでも大事な何かを見つけて心を震わせて立ち向かうのが『The Last of Us』。

 

どちらも大事なものを守ろうとするお話。

それどころじゃない話。

 

「ポストアポカリプスもの」という作品に、

ポリコレやフェミニズムなどの「糞の塊」が立ち入ることなんて原理上不可能だからこそ、

そんなものを描けば「ディストピアもの」にしかならない。

 

そして既に、

ディストピアものというならマイナー映画界では超有名なものがあるだろう?

『リベリオン』、原題『Equilibrium』。

 

まあガン=カタのほうが有名かもしらんが。

 

ポリコレヤクザ連中が目指す「俺以外全部死ね!」の世界って、

皆殺しにするか全員強制鎮静化の二択だからね。

 

そんなことで人間の情熱が消せるかよ!

・・・っていうのがキモオタと、ポストアポカリプス。

 

 

 

 

みんなが心のどこかでクソだと思っているあれこれをキレイさっぱり取り去るには、

ポストアポカリプスものという大前提を用意するのが一番楽なんだよ。

 

非常事態が日常です(迫真)

 

 

 

 

 

なもので、

崩壊した世界の雰囲気が好きだ、廃墟が好きだって人も、

よーーーーーーーーーーーーーーーく考えてみるといい。

 

あなたは古い木造建築が朽ち果ててただの森に飲み込まれた、

腐り果てた大黒柱の痕跡を探すのが好きなわけじゃないだろ?

 

コンクリートやガラスや鉄柱・鉄筋など、

ある程度近現代的な文明社会の痕跡が無残に崩壊したさまを、

あるいはそれに付随する裏事情を眺めて楽しんでいるだけだろ?

 

幸せな場所から、幸せが足りなかった場所を見て。

 

 

 

本当に世界が荒廃し崩壊してほしいだなんて願うバカはいない。

 

それでも荒廃し崩壊した世界の姿を想像してしまうのは、

本当に大事なものがコレジャナイはずだから、ではないだろうか?

 

終末、アポカリプスとは、価値観のグレートリセットなのだよな。

 

暴力、テロ、戦争、殺人といった、能動的に実行する必要のないグレートリセット。

 

そこで問われるものが何なのか?

 

なんとなく生きていられる幸せな人ほど興味のないジャンルだと思うよ。

逆に、何をか言わんや。