霊能者が対話するのは、人間の霊体だけではなく
土地の霊である地霊
水霊である水霊
自然のなかにいる、精霊や自然霊ともお話します。
そして、その霊格が高い霊を昔から日本人は『 神様 』と呼んでいます。
その、神様との会話です。
数年前に、三重県にある
とっても古い神社に出向いた時のこと。
そこは大きな山の中にあり、非常に立派な杉の木、お手入れが行き届いた玉砂利の参道
その横を、清流が流れていて、空気も凜とした神社でした。
私は、一番山手にある奥の社をめがけて玉砂利を踏みしめて進み
『 あぁ。ここはこの大きな山全体が神様なんだな 』
と自然に思ったのです。
鳥居をくぐった時から包まれていた神気は
悠久の時を、山として、地上を、
人間を見守ってきた大きな山の神様だったのです。
一番、奥のお社でご挨拶を済ませ、
私は、ふと、お話を伺いました。
『 山の神さま。私も含めた人間に、なにか伝えてくださることはありますか? 』
そう言うと、目をつむっていた、優しい表情の山の神は
片方の目をちらっと開けてこう言ったんです
『人間が、私たち神と呼ばれるものになることはできない
私たち神もまた、人間になることができないのと同じ。
だが、人間が、神と同じ目線で対話する方法はある
それは、人間が、人間として、人間のすべてをやることじゃ。
人間が神になろうとせず、神に近づこうとせず。
与えられた中で人間をやり切ったとき、人間として、神と目を合わせることができる。
人間をとことんするんじゃよ 』
そう残して、夜に向けてのお休みに戻っていかれました。
(夕方だったので)
あれから数年たちますが、
今でも、山の神様の言葉はすごく大切なことだと感じます。
昨今よく目にします神様の名前を出す方。
『 私には〇〇様がついている! 』
『 龍神をあなたにつけます! 』
『 私は〇〇の神のメッセンジャーです! 』
これは人間から神への劣等感の現れ
そして裏返せば、神事(かみごと)は優越感を感じるためにしている
ということにもなってしまう
(第一、霊格の高い霊(神)は、固有名詞を必要としないので名乗りません。その名前を出せとも言いません。)
人間が、神への劣等感を超えるには、この山の神が言うように人間をやり切るしかないのです。
それは、自分の人生から目を背けず、感情と向き合い、己を知っていくことです。
きっと、この山の神社には日々、この課題への修行を必要とする人間がたくさん参るのでしょう。
それを、どうしたらいいのかを、穏やかに教えてくれた
大きな山の神様
最近、よく思い出すので
会いたくなってきちゃったなぁ
ちなみに、わたしは、この頃、
こういった神の名を使う方たちに非常にモヤモヤしていたので、
神様に教えてもらえて、スッキリしました
また、近々、この神社に行ってみようと思います。
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