横浜 コーディアル司法書士 所博之

横浜 コーディアル司法書士 所博之

LECと伊藤塾を通じて司法書士講師業25年のキャリアを活かしたブログ

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先週末、私の大好きだった山口百恵の映画祭が「神保町シアター」でありましたので、49年前の映画「潮騒」を観に行ってきました。

 

観ていた映画のはずなのに新鮮さに感動し涙をながしていました。

 

久しぶりの映画でもありましたが、若かりし山口百恵を観て青春時代を思い出し、胸がキュンキュンしました。

 

 

私の青春時代は、山口百恵一色だったと言っても過言ではないほど、夢中になっていました。

 

山口百恵ファンクラブへの入会はもとより、夏休みとなると、今は無き新宿コマ劇場で「百恵ちゃん祭り」が、確か1週間ほど開催されていて、そのチケットを購入し東京へ行くのを楽しみにしていた学生です。

 

宿泊先も、コマ劇場最寄りのユースホステル(相部屋)で、全国から大勢のファンが集まって、ファンならではの話をするのも楽しみでした。

熱烈なファンはチケットを何枚も購入していて、1チケット分しか購入していない私は随分と羨ましかったのを覚えています。

 

当時は学生だったため、わずかながらの小遣いを「百恵ちゃん祭り」のために貯めていましたが、そのときは1チケット分が精いっぱいだったのも懐かしい思い出です。

 

ですが、そのお祭りの際には、山口百恵が生まれ育った「横須賀」へ行き、通っていた学校等を訪れるのも楽しみにしていました。

 

そのため「横須賀」は、今も私にとって聖地となっていて、横須賀へ行くと胸がキュンキュンしてしまいます。

 

山口百恵の結婚、引退を発表したときには、学校でそれを知り、あまりのショックで自宅に帰って寝込んでしまったほどです。

山口百恵の引退とともに、私の青春時代の追っかけは終わってしまいました。

 

ですが、その当時の思い出が、今回の映画祭でよみがえり、とても素敵な時間を過ごすことができました。

 

 

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先週末、台風が関東を通過しましたが、みなかみ町の匠の里に宿泊し、谷川岳登山を達成出来ました。

 

前日の登山者は雨の影響で途中で下山したとのことですので、翌日登山の私たちは晴天に恵まれ、トマノ耳(1963m)とオキノ耳(1977m)からの眺めを堪能しました。

 

1300mあたりまではロープウェイで行けますので、楽しく登山できますが、今回は暑さで体力をかなり消耗しました。

 

        谷川岳からの眺め

 

さて、タイトルの30年前の講義の思い出についてです。

お盆休みに、妻の実家がある山口県宇部市に帰省した際、私のクラス出身で山口県内で開業している司法書士3名と一緒に暑気払いをしました。

 

2人はLEC福岡時代、1人は伊藤塾時代のクラスの司法書士ですが、同じ司法書士業務に携わっていることもあり、話題には困らないほど盛り上がりました。

 

とくにLEC時代の2人は、当時、公務員試験よりも資格をとって仕事をしていきたいとを考えて司法書士をめざし、私のクラスを受講した九州大学の学生です。

 

そのクラスは15カ月合格講座という30人程の小さなライブクラスで私がすべての科目の講義を担当しましたが、会社を辞めて北九州から高速バスで福岡まで通っていた方が、1発合格を果たしていく姿を目の当たりにして、そのクラスからは、2年目にも多くの合格者を輩出できました。

その後、裁判官になった方もいますが、殆どの方が司法書士となっている程です。

 

その2人が、30年前の思い出を話してくれました。

ガイダンスに参加した際、「自分たちは、伊藤真先生の講義に魅せられてLECを検討しているが、所先生がそこまでの講義ができないようならば、他校を検討します。」と。

 

その際、私は「伊藤先生ほどの講義は出来ないかもしれないので、実際に私のライブ講義を無料体験で聞いてから決めてください。」と返答したとのことです。

 

講師次第で、講義の継続受講や試験の合否が決まることもあるため、私からすればそれは当たり前のことであり、あまり気にしていなかったのですが、その2人は、私に大変失礼なことを言ってしまったと詫びていました。

 

結局、2人は私の講義を受講して司法書士になって今があること、そして30年経っても今回のようなクラス会も出来ていることがすべてであり、むしろ私の方が感謝している程です。

 

今後も、私のクラスだった方々と素敵な再会ができることを励みにしていきたいです。

 

 

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ちょうど昨年の今頃は、富士山山頂への登山を終え、ご来光や影富士(雲海のうえに富士山の影が映し出される現象)をみることができ、喜んでいたことを思い出しました。

 

その影富士の縁起もあり、今年は懸念していた10年近くに及ぶ遺産相続(海外在住者4名を含)が無事にまとまりましたし、今回もタイトルとなった遺産相続につき、嬉しい報告ができる次第です。

 

このお盆は、妻の実家の山口宇部に帰省し、私のクラスだった山口県の司法書士等と暑気払いをする予定ですし、2年前に登った谷川岳にも再登頂予定です。

 

 

今回紹介する遺産相続は、相続人が全部で15名、相続財産も最も少ない相続人でも、法定相続分が一人あたり数千万円となり、過去最高額となったケースです。

被相続人(以下「Aさん」という)には配偶者も子もなく、兄弟姉妹と甥姪(代襲相続人)が相続人で、一部数次相続(Aさん死亡後に死亡したため)3名を含みますが全部で15名となります。

 

私がAさんの後見人だったため、Aさんの喪主でもあり面倒を看ていた弟さん(以下「Bさん」という)に、相続財産を引き継いだところ、そのままBさんから遺産承継の依頼を受けました。

しかし、Bさんの話によると、他の14名の相続人のうち、音信不通や面識のない相続人が7,8名いて、どこにいるのかも分からないとのことでした。

そこで、法定相続情報を作成する依頼をBさんから受け、相続人全員の戸籍と戸籍の附票を取り寄せ、相続人全員の現住所を把握しました。

 

問題はここからです。

Bさんは法定相続分だと6分の1ですが、少しでも多く相続財産をもらいたいという意向があり、果たして他の相続人がそれを受け入れるか、という問題です。相続財産が高額なだけに、かなり難しいと思われる旨を伝えました。

 

Bさんは寄与分等を主張できないことはないですが、それを認めてもらうために家裁に遺産分割調停に持ち込むと証拠による立証や弁護士費用等もかかり、長期化は否めないです。他の相続人が法定相続分を確保されないと他の相続人からも遺産分割調停に持ち込まれるリスクもあります。

 

そこで、私からは、Bさんから他の相続人に財産目録を送付する際に、以下の内容の手紙を送ることを提案しました。

 

Aさんの相続は法定相続で相続手続きを進めるが、今までのBさんがAさんの面倒をみてきたことを訴え、今後のAさんのお墓の維持管理費用を通常よりも多めに要求し、もし一人でも相続分の譲渡をしてくれる人がいれば、その相続分の一部でもよいのでBに申し出て欲しいという温情に訴えるお手紙をダメ元で出すことを指南しました。

これだと相続人全員の法定相続分は確保され、財産が要らない相続人だけが申し出をすれば済みます。

 

無事にその手紙は全員に届き、全員と連絡が取れました。

そして、なんと4人から相続分譲渡の申し出があったのです。その総額は6分の1となり、Bさんは合計で6分の2の相続財産を受領することとなり倍額となりました。

 

結果的にはBさんを含め11名の相続人で遺産分割協議を行い、Bさんを除く法定相続人は法定相続分が確保され、無事に協議が成立しました。

 

これで、長期化や余計な費用がかからず、円満に遺産分割協議がなされ、私としても縁起の良い影富士のおかげだと受け止めている次第です。

 

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先週の連休に、久しぶりに北海道釧路へ行きました。

おかげさまで天気に恵まれ、釧路湿原を流れる川をカヌーツーリングをした際、幸いにも空を飛ぶタンチョウのつがいに遭遇できました。

 

タンチョウのつがいは、一年中一緒に行動し、相手を変えることは少なく、相手が死ぬまでつがい関係が続くことも、阿寒国際ツルセンターで学習しました。

 

また、そこで飼育されたムックという名のタンチョウは、病気を患った際、飼育員さんがやむなくタンチョウのコスチュームを脱いで看病したため、刷り込み現象により人馴れしてしまい、恋の相手も人間という、切なくなるエピソードがあります。

ムックは飼育員さんが大好きで、春には飼育員さんを想って卵を産んでしまうほどで、野生界へは放せなくなっています。

 

 

さて、タイトルの後見人だった司法書士(以下「Aさん」という)が、ご本人さん(以下「Bさん」という)と同じ施設に入居していたという話です。

 

後見もなかなか普及しないと言われていますが、ずいぶんと身近になっていることを感じたケースです。

 

コロナ禍もあけて、私が後見人をしているBさんが入居している施設に面会に行くのですが、驚いたことに、その同じ施設にもともとBさんの後見人だったAさんが、認知症が進み入居していたのです。

 

3年程前、Aさんは認知症を疑われたため、リーガルサポートで対応したところ、Aさんは後見人を辞任しました。そこで私がAさんから、Bさんの後見人を引き継いだという次第です。

 

施設のBさん担当の介護支援専門員さん(以下「Cさん」という)に、以前、そのAさんはBさんの後見人としてその施設へ面会に来ていて、BさんやCさんとも面識があるはずですけど、いかがですか?と尋ねると「分かっているような分かっていないような感じで…」という回答。

 

Cさんの話によると、Aさんのその後を心配していたところ、偶然にも施設への申込名簿でAさんの名前をみつけ、本当に認知症を患っていたことを知ったようです。


介護認定も満たし、自宅も近く正規のルートでご家族からの施設入居申込だったということです。

 

私もAさんのその後は、とても気になっていたのですが、思わぬ形で、現状を把握しました。


Aさんはまだ若いのに認知症はかなり進んでいるとのことですが、後見業務に携わる身としては、決して他人事ではないと受け止めています。

 

 

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今週末、娘が帰省し一緒に過ごしました。それは、娘の中学時代のサッカーチームのメンバーとフットサルをするためでした。

 

ちょうど中学日本一を果たして10年、まだサッカーをWEリーグ、なでしこリーグや海外などで続けているメンバーも半数ほどいるなか、久しぶりの再会と近況報告のためとのことです。

 

なんといっても、それは同じチームだったメンバーから、今回パリ五輪のなでしこジャパン18名のメンバーに選出された選手がいることが大きいと思われます。

 

 

私が現場に舵を切ったきっかけが、娘の小学校の卒業式で「世界で活躍できるサッカー選手になりたい!」と堂々と「将来の夢」を皆の前で話す娘の姿に触発されたこともありました。

 

多くの卒業生が本音で自分の夢を話せないなか、娘は自分の夢をしっかりと語れていることに、「本当に自分は講師のままでよいのか」と後ろ髪を引かれていた私自身の心を見透かされたかのように恥ずかしくもありました。

 

会社員を辞めてぷー太郎までして司法書士になった自分が、現場ではない講師(教壇の上)というフィールドのままで本当に良いのかを突き付けられた現実が、その娘の卒業式でした。

 

東日本大震災のボランティアを続けるなかで、講師のままでいた自分に思い切って現場に舵を切る勇気をもらった娘の卒業式でもありました。

 

あれから13年ほど経ちますが、あの時に娘からもらった勇気に今も感謝しています。

 

実は、娘とそのなでしこジャパンに選ばれたメンバーとは小学校の女子チームから一緒で、一緒にクラブチームのセレクションを受け合格したそのクラブチームで中学日本一を果たしました。

 

そのメンバーのお父さん(このブログでも紹介した弊所のロゴ製作者)とは、今度、パリ五輪出場のお祝いを二人きりでする予定です。

 

2019W杯フランス大会でもメンバーに選出されていましたが、膝のケガで離脱しただけに、今回のフランスパリでの五輪には期待したいです。

 

お父さんの話だと、フランスW杯選出の際、娘と一緒の小学校のときのサッカーの試合ビデオをTV局へ提供しているが、そのままお蔵入りしているとのことです。

いつか、そのビデオが日の目を見る日が来ることをひそかに願っています。

 

 

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先週から、今年も私が担当するグループの簡裁代理権取得のための特別研修が始まりました。

 

なんと今年も、嬉しいことに伊藤塾の私のクラス出身合格者が受講してくれていました。

 

その彼は伊藤塾14期ということですから15、6年程前の受講生ですが、まだ私が特別研修を担当する意味があるのだと、業務や会務など、何かと忙しい日々を受け入れることができています。

他にも、わざわざ沖縄や鹿児島から横浜会場の特別研修に参加している受講生がいることにも驚いています。

 

 

さて、今年も日本司法書士会連合会総会に代議員として出席しました。今年は、総会後に会場をホテルニューオータニへ移動して懇親会が開催され、かつて私のLEC福岡のクラスだった司法書士(このブログでも紹介した司法書士)等とゆっくりと話をすることができました。

 

いずれも会長や副会長など、所属する司法書士会等を代表する立場となっていることが自然と受け入れられ、彼らの30年ほど前の受験時代を振り返りながら、「本当に司法書士になって良かった」としみじみと語ってくれました。

 

大学卒業後も親の援助を受けずに朝3時半に起床して新聞配達。

エアコン、TVもない家賃13,000円、風呂・トイレ・流しが共同のアパート暮らしというハングリーさの中で勉強を続けた彼は、今も朝5時に起床して10キロのジョギングをしている。

なんといっても受験時代のあの苦しい経験が、今の自分を支えていると。

 

受験生時代は、ひたすら自分だけのことを考えていても周りから許されるが、今は違う。

そのことに責任を感じつつも、そこまで成長できた自分に感謝できる。それは、受験生のときに培った心の持ち方が、今の自分を支えているからに他ならない。

受験時代の苦しさが、輝きに感じられる自分を今も信じている、そんな司法書士が30年以上経っても、また同じ想いで再会できた日司連総会後の懇親会でした。

 

受験時代一度は6カ月で挫折した彼からは、娘が学校からは医学部にも行けると言われているのに「司法書士になりたい」と言ってきかない。親としては子供の可能性をもっと広げたいと思って説得しても、それでも司法書士になりたいと。優秀な人材を司法書士業界へ入れることも大切だと、ようやく娘の思いを受け入れることができました、と話してくれました。

 

あいかわらず、最初から司法書士を目指す方々もいることをうれしく受け止めながら、これから10年後も20年後も、司法書士を胸を張れる職業にしていきたいと少しでも尽力していく所存です。

 

 

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先週末6/1は、関ブロ総会(東京法務局管内の1都10県の代議員総会)が新潟の越後湯沢で開催されたため、前日5/31の会長会から2泊3日夫婦(妻は付き添いで、会議や懇親会は私だけ)で参加させていただきました。

 

来年の関ブロ総会は、神奈川県が担当するため、その視察をかねて前日の「会長会」から、私などに参加を認めてもらえました。

 

 

6/1の午前には湯沢町Ⅰのハイキングを終え、午後から総会と懇親会。6/2は、朝から山登りを予定していましたが、あいにくの雨で予定を変更し、清津峡の映えスポット(下記写真)へ向かいました。

 

人気スポットですが、幸いに観光客も少ない時間帯だったため、二人きりで写メをとることもできました。

 

 

さて、タイトルの「司法書士はお払い箱にならなかった」についてです。

 

関ブロ総会の来賓として、新潟県司法書士会の名誉会長の方の祝辞のなかで、「60年以上、司法書士業界を見てきて思うことは、司法書士がここまで生き残り、それ以上に業務を拡大し、その必要性はますます高まっている現状に喜びを感じている。もっと長生きしてこの資格の将来を見届けたい。」という内容が印象的でした。

 

やはり、国民にパソコンが普及する25年程前に、司法書士はお払い箱になるのではないか、資格の存亡にかかわると危惧したようです。

 

というのも、当時は誰もがパソコンを使うことができるようになり、登記申請は司法書士へ依頼せず、自分で書類を作成して行う時代が来るのではないか、などと大きな心配をされていたようです。

 

ですが、法律がある以上、登記申請には法律に基づいた文書作成が必要であり、所定の法的手続きを履行しなければならない。

 

そうなると、法律を理解し、その法的手続きを行える司法書士が必要となり、この資格は社会から必要とされていることを実感している。これからも資格の魅力を見届けるため、少しでも長生きしたいので、運動を毎日続けていると。

 

司法書士は、たかが代書人であり、お払い箱になると揶揄された(他にもロースクールにより弁護士が街にあふれると、登記業務に参入し不要となると言われた)苦難の時代を乗り越え、今では登記や裁判だけでなく、企業法務、相続手続き全般を取り扱う遺産承継業務、認知症前後の財産管理としての任意後見・法定後見業務、遺言に基づく遺言執行業務、家族信託業務など、様々な分野で活躍の場を広げています。

 

特に後見分野における家裁の信頼、行政の信頼は絶大のものとなっています。

 

150年以上経った今も、司法書士は生き残っています。

これは諸先輩司法書士の方々の日々の真摯に業務に向き合う姿勢の賜物です。

私も司法書士の資格の未来を信じ、その魅力が後世にも語り継がれるようになってほしいと日々の業務に勤しんでいます。

 

 

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先週末、散策に出かけた街が神保町。

古本屋が多い街ですが妻が行ってみたいということで、36年前の記憶をもとに案内しました。

カフェと一緒になった古本屋も増えていて、おしゃれな本屋さんが街を活気づけていました。

 

 ちょうどNHK朝ドラ「虎に翼」が放映されていることもあり、その舞台の明治大学やお茶の水にある湯島聖堂、神田明神などを散策しました。

 

 

 お昼には、当時の友人と一緒に行っていた欧風カレーの「ボンディ」を30分ほどの行列にもかかわらず並んで待ちました。

 今もカレーを注文すると「じゃがいもが2個」付いていて、当時と一緒だと懐かしみながら美味しくいただきました。

 

じゃがいもが2個付くのは、カレーの中にじゃがいもを入れてしまうと水っぽくなるため別にして提供すること。

 また、学生が多い街のため、お腹いっぱいになって欲しいという初代店主の思いからとのことです。

 

 

さて、36年前の記憶を思い出したので、当時水道橋にあったLEC法総研(教材等を制作する部署で、当時のメンバーに日司連の副会長もいます。)で一緒だった友人の話です。

 

その彼は、私と同い年で当時(平成元年)はお互い20代。当時の私は飯田橋に住んでいましたが、その彼の帰る最寄り駅は神保町のため、そこまで私としては少し回り道をしながらも、よく一緒に帰りました。

 

そこで、彼と一緒に食事した店で今でも覚えているのが、先ほど紹介した「ボンディ」のカレーでした。

 

法律家としての志を熱く語る彼は、当時、検事をめざし司法試験に挑戦していました。

私は司法試験をめざすわけでもなかったのですが、司法書士試験に合格してLEC法総研に所属し講師をしていましたので、彼のその想いを受け止めながら、二人で将来のことを語り合っていました。

 

結局、彼は志半ばで司法試験を断念し、法律家への道は閉ざされてしまいましたが、今でもその時の彼の法律家への想いに触れると胸が熱くなります。

 

NHK朝ドラ「虎に翼」を観ていると、目標を果たせず、法律家を断念せざるを得なかった仲間とその当時の彼が重なり、目頭が熱くなります。

 

これまでに大勢の断念せざるを得なかった仲間たちのことを思うと、今の状況に感謝しつつ、襟を正す気持ちを今も持てています。

 

 

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このGWは、三重県にある「御在所岳」登山をしました。

 

息子が高2のとき、高校サッカー部インターハイが三重県鈴鹿でありましたが、メンバー外となっていましたので、来年こそはレギュラー入りをと願って、試合観戦に行った際、伊勢神宮へ参拝に行ってました。

 

おかげさまで参拝のご利益があり、その翌年にはレギュラーに選ばれ沖縄でのインターハイで全国制覇を果たしてくれました。

 

そのお礼参りを兼ねて、このGWも伊勢神宮へ参拝に行きました。当時は内宮だけの参拝でしたが、今回は外宮も内宮も参拝し、「おかげ横丁」を散策し、赤福本店での抹茶のかき氷など、お伊勢参りを堪能しました。

 

 

登山した御在所岳には、上記の「奇岩」があり、絶対に落ちないことで有名な岩をまじかで拝み、まだ合格を果たせない受験生への合格祈願もしています。

 

さて、タイトルの転勤に振り回されない開業の件です。

 

嬉しいことにGWの谷間に、15年以上前の伊藤塾時代の私のクラスの方で、現在は司法書士となっている方が挨拶に弊所に来てくれました。


「合格してから私に挨拶を」と考えていたようですが、合格までは長い年月を要し、本試験直前に過呼吸による過換気症候群になり受験を断念したりと、とても苦労しながら合格を果たしたことを話してくれました。

 

受講当時はまだ結婚前でしたが、結婚、出産、子育て、旦那さんの度重なる転勤を経て、親の介護とお子さん2人の高校受験のことを考え、ご自身の実家のある横浜での開業を選んだようです。

 

ですから旦那さんは今後も単身赴任のままで、彼女はこれからはお子さんと一緒に横浜での生活と親の介護も視野に入れての開業とのことです。

 

彼女のように転勤には振り回されなくて済むように、司法書士開業を選択する女性も増えていますが、これは女性だけでなく、男性でも家族のために司法書士の資格をとって開業を目指す方も多いことを実感しています。

 

公務員、会社員は確かに安定していますが、出世すればするほど転勤がついてまわります。

転勤に振り回されないで司法書士として開業し、自分の気に入った地域に根ざした生き方ができるのも、司法書士の魅力となっています。

 

 

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先日は、久しぶりに大学の先輩等と一緒に、桜咲く高尾山への山登りに行って来ました。

 

今まで、私が最年少だったのが、1年3か月ぶりに参加したところ、嬉しいことに私の後輩が3名になっていました。

 

高尾山には往復ケーブルカーを利用しましたが、3号路を通り、高尾山山頂から小仏城山コース往復で28000歩を歩き、富士山だけでなく鮮やかに咲く花を観賞することもできました。

 

 

さて、タイトルのNHK朝ドラ「虎に翼」で小林薫演じる穂高先生の件です。

 

実は、この穂高先生は、「穂積陳重」の長男である「穂積重遠(ほづみ しげとお)」がモチーフになっているということを知りました。

 

穂高先生は、伊藤沙莉演じる「猪爪寅子」の恩師ですが、私の敬愛する法律家の穂積陳重(ほづみ のぶしげ)が父であることを知ったから驚きです。

 

というのも神奈川県司法書士会の法教育委員会のメールで朝ドラの話題から知ったのですが、穂積陳重は、「法窓夜話」という本を出していて、それは、日々夜自宅で、陳重が息子の重遠に話した内容をまとめたものということです。

 

私もその「法窓夜話」を購入し、読みたいと思っています。

 

  

 

穂積陳重の銅像建設を拒み、庶民のために作られた「穂積橋」のエピソードは有名ですが、これは陳重本人ではなく、遺族が強く拒んだと言われるため、その父の想いが子供らにしっかりと引き継がれていたことがうかがえます。

 

朝ドラでは、夫の妻の財産管理について明治民法は夫にあると定めていますが、今回の夫の妻の母の大事な形見である衣類の財産管理は権利濫用にあたるということで、妻への引き渡しを命じる判決の言い渡しは、印象的です。

 

柔らかく、かみ砕くように諭す「重遠」の法律家としての立ち居振る舞いは、「明治民法生みの親」と呼ばれる「陳重」の姿から生まれていたことに妙に納得した次第です。

 

そして、重遠は「日本の資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」の初孫にあたるというから驚きです。

 

親の姿を見て子は育つと言われますが、こんな時代に素敵な親子の姿があったのかと思うと、心が豊かになりながら、NHK朝ドラを観ています。

 

 

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