横浜 コーディアル司法書士 所博之

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LECと伊藤塾を通じて司法書士講師業25年のキャリアを活かしたブログ

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先月末は、恒例となった仙台を私のクラスで勉強していた受験生(以下「彼たち」)の激励をかねて訪れました。

 

いつもの仙台名物「セリ鍋」を堪能しつつ、彼たちの合格を祈願し、昨年からこれまでの近況を振り返り、激励をしてきました。

 

激励している彼たちは、その生活が長くなっていますが、合格間近の受験生にありがちな、あと1問、あと1点、あと1か所できていれば、合格できたのにという状態がつづいていますので、この試験はあきらめさえしなければ合格できるということを実感してもらいたいと願っています。

 

ちょうど、仙台を訪れる前にオンエアーされていた「TBSモニタリング」で木村拓哉さん(キムタク)が訪れた沖縄そばの「護地楽屋(ごじらや)」さんに行くことができ、偶然にもキムタクが座った席で食べることができました。

 

注文したのは、「軟骨ソーキそば(中)とジューシー」のセット、デザートに「カットマンゴー」、そして家族へのお土産に「黒糖みそアガラサー」を3つ

 

大将の話だと、沖縄そばとしては珍しい、ちぢれ麵にガジュマルやデイゴなどの樹木を燃やしてできた木灰を使っているのは、戦前の沖縄そばの独特の風味を大切にしたいということでした。

女将さんは、神奈川県相模原出身で、沖縄の魅力に取りつかれ、沖縄に移住していたの(宮古島にも在住歴あり)ですが、東京出身の大将と一緒に仙台で、沖縄そばのお店をオープンしたとのことでした。

 

東日本大震災があってから、数えきれないほど仙台を訪れていますが、仙台を訪れるたびに思い出すのは、あの被災地でのボランティアです。



 

ここでのボランティアが私の人生を大きく変えたのですが、当時は雨の日も、風の日も、暑くて熱中症になりそうなときでも、寒くて手が凍傷になりそうな時でも、とりつかれたように農地再生のため畑の掘り起こしをしてガレキ除去をしていた自分が思い出されます。

 

そして、司法書士講師業から現場へ舵を切り開業するに至った司法書士会が神奈川県会で、その会館のすぐ近くに、日本三大ドヤ街である「寿町」があるとは知らなかったのですが、おかげさまで今も私は、年末年始の「寿町越冬相談会」に参加できています。

 

これは、年末年始の区役所の窓口が休みの期間に、行き場を失った方々を保護し、区役所が対応できる年始に生活保護同行申請を一斉にできるよう、寿町公園で炊き出しをしながら、反貧困ネットワークを通して、様々な生活相談や破産等の法律相談を行うものです。

 

ボランティアは世のため人のためにしていると思っていましたが、あの被災地での自分は必死だったし、被災地で頑張れた自分がすべてだったと素直に振り返ることができ、結局は自分自身のためにボランティアをしていたんだと気づくこの頃です。

まさに「情けは人の為ならず」だと思う次第です。

今から思うと、あのボランティアは私にとって司法書士という資格の本当の魅力を知るために現場に舵を切ることができ、数え切れないほどの気づきや喜びを感じられ、それは私にとって「必然」だったんだと受け止めています。

 

 

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新年があけて、寒さも厳しくなってきていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

新年早々、我が家では宮古島で過ごすことができました。

少々、疲れが出ていたようでしたが、宮古島の海で念願のSUP(サップ)というマリーンスポーツをすることができました。

 

このサップは初心者でも楽しめる手軽なレジャーで、案の定、私は海に3度落ちましたが、海の綺麗さで心地よいものでした。

サップ上からでも、ニモの親子が生息するサンゴを観ることができ、さすが宮古島の海は綺麗だと感激した次第です。

 

 

そして、新年最初の山登りは、定番の「高尾山」でした。

掲載した写真は、高尾山にある「もみじ台」からのショットです。

細田屋さんでのおそばやなめこ汁を堪能しつつ、鮮やかな富士山に魅了された山登りとなりました。

 

 

さて、今年も統括責任者として神奈川県司法書士会主催の「賀詞交歓会」を担当し、事務局の方々の準備のおかげもあり、無事に終えることができました。

 

来賓には、鍛冶横浜地方法務局長他4名の首席登記官等、黒岩神奈川県知事、柳下県議会議長、そして国会議員(顧問となっていただいている神奈川選挙区選出の政府与党の小泉進次郎、菅義偉、河野太郎、佐々木さやか議員等)の他に、ソウル接遇でお世話になった立憲民主党の水野もと子参議院議員などにも来ていただき、ご挨拶をいただきました。

 

昨年の賀詞交歓会もリアル開催でしたが、今年も昨年以上に大勢の方に来ていただき、会場があふれんばかりとなり、大盛況でした。

 

今年も、挨拶をいただいた来賓の方々を中心に編集したYouTubeを会員限定で放映予定です。

 

支部によっては、この賀詞交歓会を新年会の集合場所にして、その後2次会で正式な支部会員だけの新年会を行っているようで、この機会を利用して大勢の会員が集まっていただけたのは嬉しい限りです。

 

今年も皆さまにとっても素敵な年になることを心から願いつつ、責任者として無事に終えられたことに安堵している次第です。

本当にありがとうございます。

 

 

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新年、あけましておめでとうございます。

昨年は、なかなかの当たり年でしたので、今年もその縁起が続けばよいと願っています。

当たり年だった昨年を振り返ると、なんといっても「にっぽん縦断 こころ旅」で、投稿した私の手紙が採用され、私の生まれ育ったふるさとを亡祖母の思い出とともに番組にしてもらったことです。

NHKからは、クリスマスに放映された番組のDVDと今回の写メのグッズ等が送られてきました。

 

      NHKからいただいた手ぬぐい


火野正平さんは、残念ながら私のお手紙がNHKBSで放映された令和6年11月14日に亡くなってしまいましたが、代役の照英さんの演出と涙で、拝聴いただいた多くの方から感動したという感想が寄せられました。

 

他にも、事務所の上階から水漏れがあり、タイミングよく事務所内の買い替えしたい家具や備品等を新調することができましたし、院生1年目の息子の就職も希望した会社から早々と内定をいただき、ホッとしているところです。

 

      NHKからいただいたファイル


そして、思いがけず、法務省のある霞が関において、鈴木けいすけ法務大臣(以下「法務大臣」)、高村正大法務副大臣(以下「法務副大臣」)と表敬訪問を果たすことができました。

私にその表敬訪問同行の声がかかってきたのは、ナント面会の2日前でした。

日本司法書士会連合会(以下「日司連」)の会長等が、法務大臣と面会できるという機会に、法務大臣と同じ選挙区(神奈川7区)の役員に来てもらいたいとうことで、同じ選挙区である私に白羽の矢が立った次第です。

 

法務大臣の事務所は新横浜3丁目、弊所の事務所は新横浜2丁目という近さもさることながら、私の親戚が大手リース会社の社長をしており、その親戚と法務大臣は同じ開成高校、東京大学卒ということもあり、表敬訪問の際に、お話しする機会があれば話題として提供してよいかの確認を、親戚にその会社を通して連絡をとったところ、快諾をしてくれました。

その際、お互い久しぶりに岐阜弁で話すこともでき、とても懐かしく感じました。

 

結局は、法務大臣とは地元の選挙区で仲良くしている方の話が精いっぱいで、その親戚の話まではできずに終わってしまいましたが、長い間疎遠だったその親戚と連絡をとれたことも、私にとっては大きな収穫でした。

さらに、法務副大臣の選挙区は、妻の実家のある宇部市ということも判明し、法務副大臣の事務所も妻が通っていた同じ中学校区にあり、今回の思いがけない表敬訪問が意外なところでつながっていたことに驚いている次第です。

 

今回のことで、意外に世間は狭いものだと、身に染みて感じた次第です。

 

今年も昨年同様のご利益がありますようにと心から願っています。

 

 

 

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先週末は、ひさしぶりの同窓会主催の「ゆる登山」に参加しました。登った山は、東京都港区にある標高25.7mの愛宕山。天然の山としては東京23区の最高峰です。

 

無料で入館できるNHK放送博物館や愛宕神社(出世の石段)や虎ノ門ヒルズ、芝公園、増上寺などを散策し、浜松町駅近くの中華料理屋さんで忘年会となりました。

 

今回も参加者のなかでは私が最年少。先輩の方々に可愛がっていただき、楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

さて、先月下旬には、神戸で司法書士会の四県交流会が開催されました。

私にとっても久しぶりの神戸。学生時代と社会人時代(司法書士となる前)を過ごした街でもあり、懐かしさに浸ることができました。

 

ちょうど朝ドラ「おむすび」の舞台が、福岡県「糸島」から兵庫県の神戸三宮に移ったときと重なったため、福岡で司法書士の講師時代を過ごした私も福岡県会から参加した司法書士の方々も、「偶然ながらも感慨深い」と話していました。

 

四県交流会では、3つの分科会にわかれ、各会が取り組んでいる事業についてそれぞれ報告と情報交換がなされ、お互い貴重な情報収集と勉強の機会となっています。

 

懇親会では、愛知県会の方々から、日司連副会長の逮捕(その後釈放され不起訴)の報道関連の話、兵庫県会から、兵庫県知事が失職後、再選を果たした話など、かなり詳しい話を聞くことができました。

 

いずれも、マスコミ報道の在り方等に疑問を持つ内容となり、真実を知る機会の大切さやテレビ報道を鵜呑みにしてはいけないことなどを実感しました。

 

その夜、神奈川県会のメンバーで、私としては何十年ぶりかでスナックへ行き、緊張のひとときを過ごしました。

 

翌日は、神戸から向かう私と新幹線の岐阜羽島駅で、横浜から向かう妻と合流し、にっぽん縦断「こころ旅」で取り上げてもらった「高科駅」へその報告を兼ねて、祖母の墓参りに行くことができました。

 

 

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先月は、ソウル南部法務士会(以下「法務士会」)から6名の来賓をお迎えして、2日間の接遇を担当しました。

 

接遇担当者として2日間のすべての行程を計画し、無事に終えられたことにホッとすると同時に、お世話になった国会議員と2日間(朝から夕方まで)を同行してもらったその秘書2名の方には、とても感謝しています。

 

韓国では、孤独のグルメが大人気ということもあり、工程の合間には、いくつかのロケ地(season8-1話 中華街「南粤美食」、season2-12話 幻のロケ地深大寺そば、season10-3話 みなとみらい運河)を入れつつ、日本での滞在を楽しんでもらいました。

 

 

2日目の夜には、みなとみらいでの屋形船で私の隣に座った法務士の方に、「こんなに有意義で、楽しく過ごすことができとても感謝しています。いつまでも日本にいたいです。」と、労っていただきました。

 

1日目は、羽田空港国際線ターミナルへチャーターしたマイクロバス(国会議員秘書の二人がドライバーとガイド担当)で、私たち司法書士は特別に発注した横断幕でお出迎え。

 

その後、国会議事堂へ移動し国会見学のあとは、国会議事堂のレストランで昼食を済ませ、防衛省地下壕跡地へ向かいました。

 

ポツダム宣言を受け入れたその地下壕は、当時の閣僚が隠れていた場所で、その後、東京裁判と三島由紀夫のクーデターのあった市ヶ谷記念館を見学。

韓日友好関係には避けて通れない戦争の歴史になりますが、少々不穏な雰囲気も漂いました。

 

 

そして、石川町にある司法書士会館に移動し、私たち理事等を含めた会員と法務士会との情報交換会を開催しました。

 

この様子は、法務士会の了解を得て、会員限定、期間限定ということでその際の資料とともにYouTubeで公開しています。

ここでは、韓国での登記制度や登記事情について深く学ぶ機会となりました。

 

その後、桜木町から空中散歩のできるゴンドラに乗って、みなとみらいの夜景の見えるレストラン(貸切)へ移動し、歓迎晩餐会。

 

私の弁護士の友人に助っ人になってもらい、プロ並みのマジックショーを開催し、楽しんでいただきました。

 

 

2日目は、東京競馬場の馬主席「ダービールーム」という個室での競馬観戦。

そこは8階にある富士山が見えるフジビュースタンドで心地よく観戦ができましたし、料理も帝国ホテル運営のビッフェと飲み放題のプランをお願いして、とても美味しかったです。

 

この競馬観戦には、なでしこジャパンのメンバーのお父さんが助っ人になって、競馬解説者として参加。

その際、娘さんの所属するイングランドのチームのユニフォームにサインをしたものを6名にプレゼントしてくださいました。

 

来年、私たちがソウルに行った際には、是非「冬のソナタ」の舞台を案内したいです、とまで言っていただき、法務士会の方には、楽しんでいただけたことが分かりました。

 

 

その後、ゲゲゲの鬼太郎で有名な「深大寺」散策を経て、みなとみらいの夜景が見える屋形船(貸切)で日本料理の「すき焼きコース」を召しあがっていただきました。

 

その日は、天気も良く、みなとみらいで花火が打ちあがる日で屋形船の2階デッキにあがって、打ち上げ花火の真下で、その迫力を感じながら鑑賞することができました。

 

桜木町の乗船場に戻ってきたときは、まだ8時過ぎでしたが、桜木町の宿泊先ホテルまで送迎しようとしたところ、先方から思いがけず、「もうこれで十分です」と言っていただけ、私たち一同は、ホッとして帰途につけました。

 

その帰りに、私を労うために、会長をはじめ司法書士会の同行者で慰労会を開催してもらいました。

とにもかくにも、濃厚な2日間となりましたが、大役を果たせて、ホッとしている次第です。

 

 

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先週の2024年11月14日、嬉しいことにNHKの「にっぽん縦断こころ旅」で、私の投稿した手紙が採用され、NHKBSで朝版(15分)と、とうちゃこ版(30分)が放映されました。

 

私の投稿した手紙の内容は下記で、ご覧いただけます。

とうちゃこ 1255日目 岐阜県3日目 - にっぽん縦断 こころ旅 - NHK

 

すでにNHK4Kで11月7日に先行放映されていて、それを観ていた多くの方々から連絡がありました。大学同窓会がちょうど11月16日に横浜駅近辺であり、その際に、すでにLINE等の連絡網を通して観ていてくださった同窓の大勢の方がいて、感想をいただきました。

 

番組では、どこにでもある田舎のありふれた風景と誰にだってあるちょっとした祖母との思い出が、照英さんの演出と涙でドラマティックな映像にしあがっていて、私も驚いています。

 

また、私しか知らない番組秘話としては、照英さんが寒くてカッパを着た個所が、祖母のお墓近くでしたし、照英さんが道路で「高科」という集落の標識をみて引き返した個所あたりが、まさに実家跡地でした。

 

偶然ですが映像でそれを確認でき、NHKのスタッフにも感謝しています。

 

実は、この「こころ旅」への投稿は、この番組が好きな妻の母(広島市皆実町出身)に向けて、少しでも長生きしてもらいたい、生きる意欲をもってもらえればと思ってのものでした。

 

昨年、山口宇部在住の83歳の義母が心筋梗塞で倒れ、緊急入院しました。

その時、私の妻は、「もっとお母さんの娘でいたかったのに。」と泣きながら、朝一の新幹線で病院に向かいました。

 

義母はエクモとインペラでの措置が施され、誰もが死を覚悟していました。

ですが、奇跡的に後遺症もなく生還し、無事にもとの生活に戻れました。

 

その義母に、好きな番組「こころ旅」を通して、私の中にある祖母との思い出が少しでも生きる意欲につながればと思って投稿した手紙です。

 

義母には「おばあちゃーん」と呼べる人がいるだけで、その家族はどれだけ多くの幸せをもらっているのかを気づいてもらえたらと思ってです。

 

義母には、「こころから、生きていて良かった」と思ってもらえるように、一緒に番組を観ていた時に「私も、この番組にお手紙を出しているんですよ。」と、妻に内緒でお話していたのですが、その想いが叶って番組となりました。

 

番組を観たお義母さんからも感涙して連絡があり、「お義母さん、長生きしていると、こんなに素敵なプレゼントもあるんですよ。」ということを私なりに伝えられました。

あらためて私の手紙を番組に採用いただたNHKには感謝しています。

 

 

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先週末は、台風の影響による大雨のなか、広島県司法書士会研修講師を終え、翌日午後から、宮島にある「弥山(みせん)」標高535mの登山に挑みました。

 

 

午前中までで雨が止むという天気予報を信じ、宮島へ向かいましたが、本当に晴れ、弥山への登山ができました。

 

行きは紅葉谷コースから山頂をめざし、帰りは大聖院コースを下りましたが、午前中までの雨で山道が滝のように流れる箇所もありましたが、無事に登頂できました。

 

ほぼ外国人が弥山の登山を楽しんでおり、すれ違った日本人はわずか1組だけで、世界遺産であることを実感しました。

 

山頂の展望台は、360度パノラマで、景色も良かったですが、そこからは厳島神社の鳥居は見えなかったです。

 

これは下山途中の谷間から見た厳島神社です。

 

さて、タイトルの広島会での労働問題の研修講師についてです。


広島県司法書士会(以下「広島会」)では、毎年11/23の勤労感謝の日に労働問題の相談会を開催するということで、日本司法書士会連合会(以下「日司連」)を通して、労働問題の研修講師の派遣依頼がありました。

 

日司連の「労働問題対応委員会」の委員である私が今回、その研修講師を担当することになり、広島会へ行った次第です。

 

講師料は日司連が負担しますので、交通費と宿泊費だけを単位会(今回だと広島会)が負担すればよいということのため、日司連を通しての派遣要請は重宝しているようです。

 

講義では、実際に私が対応した労働問題の実例に沿って、司法書士としての対応及び解決方法について触れました。


内容としては、

1.セクハラ・パワハラでの和解交渉

2.先取特権を利用しての債権差押による未払賃金回収

3.督促異議により簡裁へ移行後の危険手当の和解

4.パワハラ不当解雇につき労働審判申立

5.辞めさせてくれない会社の退職ついて内容証明対応

6.紹介予定派遣の相談

7.パワハラでうつ病発症し休職した場合の対応

 

など、司法書士として、どのようなケースでどのように対応し解決へと導いたのかを2時間ほどで講義をさせたいただきました。

 

労働問題は、司法書士としてもマイナーな分野で苦手にしていたり、どのように対応すれば良いのか、良く分からないという方が多いのですが、参加者の方々は非常に熱心に聞いていただけて、私としてはとても楽しかったです。

 

広島会研修担当の司法書士が、私の伊藤塾講師時代の梅田校ライブクラスの受講生だったようで、嬉しい再会も出来ました。

 

講義終了後の懇親会では、「こうね」「がんす」、お好み焼きも「広島焼き」と異なった「府中焼き」など、広島ならではのご当地料理も堪能しました。

 

私などで良ければ、今後も派遣要請いただけますと幸いです。

 

 

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先週末は、紅葉で見ごろを迎えた「尾瀬」へ行き、日本百名山の一つでもある「至仏山(2228m)」に挑み、無事に登頂できました。

 

至仏山へのぼる途中から見下ろす尾瀬ヶ原は、見事な紅葉で、何度も疲れを癒してくれました。

 

      至仏山登山途中から見下ろす尾瀬ヶ原

 

お天気にも恵まれ、至仏山から小至仏山へ渡る稜線はとても景色が良く、ちょうどスペシャルドラマ「坂の上の雲」の最後に出てくる稜線のようで、ここでも山登りを堪能できました。

 

       小至仏山へ続く稜線

 

さて、タイトルの件です。

私が後見業務をするようになり10年以上経過しますが、後見業務を通して、人生について教訓を得ることが多いのを実感しています。

自分自身の老後の過ごし方についても学ぶことがあり、終活の大切さも感じています。

 

最近では、地元の地域ケアプラザを通しての講義依頼が多くなっていますが、私が後見業務を通して得たいくつかの教訓を講義のなかで紹介しています。

 

そのなかでも、後見人となって初期のころに得た私がとても大切にしている教訓を今回ブログで紹介します。

 

私が後見業務を終えて、一人娘の相続人の方に、億以上の財産をお渡しした際に、「親御さんにこんなに財産を残してもらって本当に良かったですね。」と、私としては喜んでもらえると思ったところ、意外なことを言われました。

 

 

それは、その相続人の方に「いまさらもらっても、嬉しくもなんともないです。」という返答。

むしろ親を恨んでいるかのように答えていました。

 

「え? こんなに大金をもらえるのに。」と思いながらも、その娘さんの話を聞いていると、「もう私は70歳を過ぎてしまいましたし、金融機関に勤めていた親は、私が子供の頃からお金に厳しく、お金は使わず貯めることが大切だと言われ育ちました。

 

学生の頃に留学したいと言って親に頼んでもお金を出してくれず、資格取得等の勉強をしたいので援助を求めても出してくれず、私の子どもにお金がかかる時期に、お金を貸して欲しいと援助を求めても応じてくれず、そして認知症になってしまい自由に使えるお金もないまま死んでしまいました。」と。

 

確かに70歳を過ぎて、いまさら、このお金をもらっても、自分の人生の可能性を広げることに使うのは難しいです。

 

親としての教えは間違っていなかったはずなのに、子供にとってみれば、そんなにお金があったのなら、もっと若い頃の自分に使って欲しかった、少しでもよいので貸して欲しかったという切実なる想いが理解でき、「いまさらもらっても、嬉しくもなんともないです。」の返答に納得できました。

 

幸いなことに、後見業務を通して、学生の頃の200万円ほどのお金と70歳を過ぎての億単位のお金、どちらが人の人生の選択肢を広げていくうえで価値があるか、とても大切なこと、ちょっとおおげさですが人生を学ぶことができています。

 

それからは、お金は貯めることも大切だけど、思い切って使うことも大切だと思えるようになっています。

 

 

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先々週は、関東ブロック協議会(1都10県の司法書士会で構成する東京法務局管内の司法書士会の集まりで、私たちは「関ブロ」といいます。)主催の市民公開講座のイベント「エンディングノート、遺言書を書いてみませんか?」が山梨でありました。

 

ゲストが梅沢冨美男、そしてUTYテレビ山梨で放送されている平日の帯情報番組「スゴろく」の総合MCを務めているケンキ(54歳で司法書士試験に合格した芸人)さんということもあり、その市民公開講座に関係者として参加するため甲府市内の会場へ行きました。

 

土曜午後1時から開催だったのですが、午前中の渋滞をさけるため、前日の夜に甲府市内のホテルへ移動しました。

 

そして、その開催日である土曜朝から「昇仙峡」へロープウェイを使わずに山登りをしました。少し曇っていたため、景色は今一つでしたが、気分よく歩くことができました。

 

     三島由紀夫事件のあった市ヶ谷記念館

 

さて、タイトルの件です。

コロナ禍において市ヶ谷にある防衛省で、「大本営地下壕跡」が公開されるようになりました。

そこで、11月にソウル南部法務士会をお迎えするにあたり、下見を兼ねて、視察に行って来ました。

 

公開されているのは一部ですが、当時の閣僚が隠れて生活をしていた場所であり、ポツダム宣言を受け入れた場所も、この地下壕とのことです。地下壕を隠すため、地上は庭園を装っており、散策ができるようです。

 

さらに興味深いのは、それ以前から見学ができた市ヶ谷記念館(陸軍士官学校)です。

 

もともとは、檜町地区(港区)にあったのですが、防衛省が市ヶ谷へ移転するに伴い東京裁判も行われた法廷が、当時のまま移設されて見事に復元されています。

 

そして、その2階の陸軍大臣室で、あの三島由紀夫事件は起きました。

 

1970年11月25日、三島由紀夫は、この部屋のバルコニーに出て、「・・・自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。」

 

などと10分ほど、鉢巻を巻いてクーデターを呼び掛ける演説をしましたが、集まった自衛隊員らにヤジでかき消されたといわれています。

その後、その部屋で割腹自殺をして、あっけなく幕を閉じました。

 

    東京裁判のあった法廷

 

赤軍派が乗っ取ったのでは?思うほどの映像でしたが、まさか作家の三島由紀夫が演説をしていたとは、かなりの衝撃が走った事件です。

 

当時の私は、三島由紀夫が作家だとも知らず、何を叫んでいるのかもよくわからずTVでの映像をみていた記憶がありますが、その後、三島由紀夫の小説を読みながら、この事件のことを何度も思い起こしていました。

 

今回は貴重な歴史の舞台を見学することができました。

 

 

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先週の連休は、都会の暑さから逃れ、涼しさを求めて長野県にある「霧ヶ峰(車山)」登山に行きました。

 

全行程10キロほどですが、途中から雨が降り出し、寒さのなかでの登山(ハイキング)となりました。

 

泊まった諏訪湖のホテル近辺には、山下清の放浪美術館があったり、テルマエ・ロマエのロケ地「片倉館」などもあり、楽しませていただきました。

 

さて、タイトルの件です。

2つの会社の清算結了登記を全く同じ日に同じ決議の日付と内容で申請したのですが、A社を申請した法務局(以下「A法務局」という。)では、取り下げとなり、B社を申請した法務局(以下「B法務局」)では、そのまま登記が完了しました。

 

結論からいうと、B法務局ではB社の調査を担当した調査官が、無効事由を見逃し、登記官も、そのまま校合し登記が完了したことになります。

 

A法務局では、A社の無効事由に調査官が気づき、弊所にその連絡があり、その事由に私も納得したため、登記申請をいったん取り下げ、補正のもと、再申請をすることとなりました。

 

 

そこで、まだ連絡のないB法務局にも取り下げ覚悟で連絡を入れたところ、すでに登記は調査が終わっていて、あとは校合を待つばかりだという回答がありました。

 

ここで、A法務局での経緯を話して事態をこじらせるよりは、取り下げ対象となることも覚悟の上で、このままB法務局での反応を待つことにしました。

 

すると、その連絡を入れた2時間ほどあとに、登記が完了したことのメールが弊所に届きました。

どうも、B法務局では、弊所からの問い合わせが、早く終わらせてほしい催促だと受け止めたようです。

 

結果的にB法務局では、登記官も無効事由を見逃して、そのまま通ってしまったのですが、しばらくはこの事態に戸惑いつつも、B社は清算結了により会社そのものも登記簿も閉じてしまうため、この無効事由を争う者も出てこないであろうと、解釈しています。

 

登記業務に携わっていると、調査官や登記官の対応により、異なる対応をすることもありますが、今回は清算結了ということで、このまま受け入れることにした次第です。

 

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