hiroyouのブログ

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平凡な日々の出来事を綴っています。
一度限りの今のひと時を刻みます。何気ない日常の他に映画、読書、スポーツ、昆虫がメイン

思いっきりのネタバレです。

小説を読み終えてからご覧ください。



染井為人原作。

600ページを超える大長編の力作。


著者入魂の濃密なドラマは、600ページでも足りないぐらいだった。

読み終わった後も、何かが身体の中を突き抜ける.......。

そのような感覚がやまない。

なぜ、ここまで............?





一家3人が惨殺される殺人事件が発生。

殺害されたのは、若い夫婦と幼い子供。

犯人とされて逮捕されて死刑判決が確定したのは、未成年者の鏑木恵一(かぶらぎ けいいち)という人物。



彼が脱走を図り逃走したと報道されるところから、物語が始まる。




工事現場の作業員。

フリーのライター。

スキー場のアルバイト員。

介護施設の職員 etc......。




彼は職業を変え、名前を変えて逃亡生活を続ける。



彼の目的は?

運命は?

そして、残忍な事件の真相は何だったのか?




逃亡先で、徐々に鏑木恵一の人間性が明らかになっていく。

彼が殺人を犯すはずがない。

次第にそんな素顔が見え隠れしていく。



けれども、やはり残虐な裏の顔があるのだろうか?


あるいは、誰かをかばって自ら犯人になったのか?



読み進むうちに、いろいろな考察が駆けめぐる。



司法で「有罪」とされてしまったら、それを覆すことはあまりにも困難。




世間一般の目も厳しい。



即、危険人物と見なされる。

死刑囚が脱走したとなれば、温かい目で見て逃亡を助ける人などどこにも居ない。



メディアからの情報がほとんど全てである。




彼は命が惜しかったから脱走したのではない。

それもまた深い理由があった。



そして各パートで、鏑木恵一と関わる主軸となる人物たち........。



これが一番味わい深かった。

疑惑の目を持ちながらも、深く関わっていく人たち。

心に不信感と葛藤を抱えながら。



これが主に物語の中心となる。





それにしても、運命のいたずらはなぜこれほどまでに非情で残酷なことなのか。

言葉を失う。




もしあのとき、バスに乗り遅れなかったら。


もし彼が読書が嫌いだったとしたら。


もしあのとき、違う道を通っていたら。


もし彼が困った人を見ても、見て見ぬふりができる性格だったら。




運命はあまりにも無慈悲だった。




様々な事柄が重なり合い、鏑木恵一を事件に導いてしまう。

そして彼を奈落の底へ突き落としてしまうのだった。




いつだって矛先を向けられるのは誠実で、真面目で

立派な人。



それが本当に辛い。


 


犯人さえ捕まればそれでいい。


捕まった人が本当の犯人なのかどうか、どうでもいい。


捕まった人の人権などもどうでもいい。


犯人が捕まったのだから一件落着。



そして数ヶ月も経てば、そんな事件があったことさえ忘れられてしまう。



無関係の傍観者は、いつだってそうだ。




人を助けなけなければならない。

そんな立派な精神が仇になるなんて。




だったらいい人なんかやってられないでしょう。



実際、いい人過ぎて責任転嫁されたり、自己犠牲を強いられたりする人たちがなんと多いことか。

そんな大変さをわかってくれる人は、微々たるもので。



「いい人」なんてやめるべきだ。




でも物語はそれで終わらなかった。

それが奥深いのだ。

そこに心を揺り動かされる。



彼を支えた人たちの力。

それが見事。



人間って、すごい!

 


ひとりひとりの力は微力も微力。

でも皆の熱い思い。



その思いがひとつになれば、不可能を可能にできる。



それが昇華するラスト.................。



この事実は、彼に間違いなく届いた。

そう思いたい。




PS


今作はWOWOWでドラマ化もされたそうだが、私は観ていない。

原作が先になった。



ドラマはどうなのだろう。


映像化にあたり、変えられたりカットされたりは常だし、それがいいのか悪いのかは別として、今は原作小説だけで充分な気がする。


まぁでも、時が経てばドラマも観てみたい気になるかな?









17時30分に会場到着。

この日はファンクラブ撮影会に参加予定。


私は撮影会も含め、会員イベントに参加するのは今回がまったくの初めて。

今まではまったくの「ペーパー会員」だった。


会員だとこのような特典をうけられるのだが、私も大方の人と同じように組織に属して雇われて働いている身。


なかなか開催日のその時間に出向くことが難しかったのだ。

今回はたまたま開催日が休みの日だったので、参加できるメドがついた。



試合開始は19時からで、入場は18時から。

まだ30分時間があるけどもう長蛇の列。

私は係員の人に訊ねて会員の列に並んだ。




このとき、私は初めて新日本さんの会員の皆さんを目にした。



こんなに大勢居るんだぁ。

それが新鮮だった。



ザッと100人ぐらいか?

もっと居たかな...........。

人気のロスインゴや新日本のTシャツを着ている人が大半だった。



私の前に並んでいたのは、小学生ぐらいの男の子と小学生になったばかりぐらいの男の子の、兄弟と思われる子たちふたりと、そのお父さんらしき男性。


3人とも新日本のTシャツを着用している。

上の子は帽子もロスインゴ。

親子で会員で、熱心なファンらしい。

なんだか微笑ましい光景だった。




ほどなくして私たち会員が先に入場。



この日はSANADA選手のサイン会も開催される。

先着順でグッズ購入した人がサインをもらえるシステム。



先に会場入りできた私たちは、余裕でサイン会に参加できた。

私もSANADA選手のTシャツを購入して引換券をもらった。




この日はボルチン・オレッグ選手との撮影会。

快く応じてくれたオレッグ選手とスタッフには感謝。



続けてSANADA選手のサイン会にも参加。


無事にサインもいただけて、2つの特典をうけることができた。




グッズ売り場もスゴい長蛇の列。

19時近くでもまだ並んでたみたい。

ロビーでは、さらに本間選手のサイン会も行われていた。

だから試合開始の19時になるまで途絶えなかったのでは?




さすがはプロレス界最大の団体。



田舎でもこれだけの人気を誇る団体は、新日本プロレスだけでしょう。

この日は二階は空席が目立ったが、1000人を超える観客動員。

一階の席はほぼ埋まった。

オカダ選手退団の影響は無いと言っていい。




19時試合開始。



北側のゲートから出場選手が入場してくる。



第一試合はヤングライオンのシングルマッチ。

安田VS永井。


10分1本勝負で時間切れ引き分けだったけど、スピーディーで白熱!

かなり見応えがあった。

もう5分ぐらい見たかった気がする。



以降、第2試合、第3試合と進んでいく。




メインは、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンVSハウス・オブ・トーチャーの8人タッグ。

ロスインゴの勝利で激闘に幕。

辻選手のマイクで終了。





ここからはちょっと気になったことを。




この日は19時に試合開始だったので、18時過ぎぐらいに会場に着けばいいと思ってた。



ところが開催日当日の朝、公式サイトで会員対象の撮影会があると知った。


あれ、開催するの?


2、3日前はなにも発表なかったから、てっきりやらないんだと思ってた。

他の何かでは発表してたのかな。


この日はたまたま休日だったので、家を早めに出ることが可能だったので問題なかったけど......。





成田蓮選手への声援が少なかったのはちょっと驚いた。

地元出身の成田選手は堂々のメインに出場。


とはいえ、花束贈呈なども無かった。

っていうか、新日本ではそういうの無しだったか?


まぁ今はヒールユニットに属してるし、そのイメージもあったのけれど。

それにしてももう少し声援が多くてもよかったし、会場にはたれ幕もなかったし、ファンのナリタコールも無しで、なんかちょっと淋しかった。




ロスインゴメンバーの入場シーンの良さ。


この日はティタン、BUSHI、辻、内藤の4選手。

お馴染みのメンバーが1人ずつ現れ、4人揃ってリングへ。

相変わらず絵になる4人だった。




新日本プロレスを年に1、2回生観戦してるけど、今回も全然楽しく観戦できた。


会場も盛り上がったし。

一番人気は毎度ながら内藤選手だった。




私は地上波テレビやスカパーで、後楽園大会や都市部でのビッグマッチを観るけど、同じような試合内容やカードを生で観たいなんて、そんな無理なことは言いません。


  



プロレスラーは命を懸けてリングに上がる。


あのような内容の試合を地方でも連日やっていたら、レスラーの身体がいくつあっても足りないでしょう。



レスラーが引退を早めたり、負傷で動けなくなったりなんて、ファンは誰も見たくない。



主力で人気ある選手でも出場しない選手が何人もいたけど、それも諸事情によるもので致し方がないと思う。


まぁ、その人気選手が御目当の人もいたでしょう。

ガッカリしたファンも居たと思うけど。





そこで、新日本プロレスにひとつ言いたいことは、



「チケット代金、もう少し値下げしていただけませんか?」



ということ。



チケット代金を下げられないのでしたら、グッズ代金を値下げしてくれるとか。


新日本さんは都市部での開催は大盛況のようだし、その分を地方に還元する意味合いも含めて。




いかがしょうか?




たとえば、冒頭に書いた新日本ファンの親子3人は、この日3人でいったいいくらお金を使うのだろう。



今回の青森・弘前大会は、


一番高い特別リングサイド席で10500円。

二番目の席が8500円。

(私はこの席を購入)


二階特別席が7500円。

二階指定席が6500円。




これに当日のグッズ購入代金、交通費、飲食費......。


こうなるとちょっと想像がつかない。

細かく言えば、毎年の会費も支払っている。




青森県民の平均年収は、全国平均を下回る。




富裕層の家庭もあるにはあるけど、ごく一般的な家庭なら趣味のプロレスに回せる費用はどれぐらいなのかは、青森県内で勤めて働いている人ならだいたいはわかります。


一番高い特別リングサイド10500円の席は、私ら働いている身でも厳しい。




チケット代金が高くて行くのをあきらめた、とか、子供たちは行きたがったけど親が叱ってあきらめさせた、なんてことあったかもしれない。



チケット代金って子供たちが小遣いで買える金額かな?



地元にプロレスが来るならと、無理してチケット買って都合つけた人もいたと思う。


プロレス好きな人は、そりゃ会場に出向いてプロレスを観たい。


もし今回行くのをあきらめたら、また6ヶ月〜1年ぐらい待たなければならないし。





プロレスに限らず、プロ野球やJリーグ、アイドルなどにも熱中すればそれなりにお金はかかるでしょう。


熱中の度合いによってはプロレスを上回る費用がかかるかもしれない。



けど同じプロレスが好きな者としては、やっぱり多くの人で会場が埋め尽くされてほしいし、観客が多いほうが試合も盛り上がる。

試合をするプロレスラーも気合が入るのでは?




そんな思いは団体側もファン側も一緒だと思う。



グッズ代金に関しても同様です。 





と、一方的に私たちファンの側からばかり主張してきたけど、プロレス団体を運営する側からみればまた違うでしょうな。



値下げなんて無理も無理。

もっと値上げしないとやっていけない。


と、たぶんそうなんだと思うけど.....。



だから複雑です。



この件に関してはあまり書く気はおきなかったけど、あの新日本ファンの一家を思い出したら書く気が先行してしまった。








ここで、私のプロレスファン度レベルを書かせていただきますと、


1990年代。

新日本では闘魂三銃士、全日本では超世代軍が活躍の頃は「超」に近いプロレスファンだったと思う。


毎週プロレス雑誌を買っていたし、東京まで観戦に出かけたこともあった。

当時はちょうど多団体時代で、プロレス人気が高かった時代。




そんな私も、仕事が多忙になり徐々にプロレスファンから遠ざかるようになった。



再びプロレスを生観戦することが多くなったのは、この10年ぐらいか。



けれどファンのピークだった頃には遠く及ばない。

この10年は年に1、2回の県内での生観戦と、テレビやスカパーで観戦するぐらい。


今は雑誌も読んでないから、若い選手などは知らない選手も多い。



まとめると、


1980年代後半 → 普通のプロレスファン


1990年代   → 「超」に近いプロレスファン


2000年代前半 → 「超」に近いプロレスファン


2000年代後半 → 普通のプロレスファン〜

           ファンと言えなかった時期


2010年代前半 → ファンと言えなかった時期


2010年代後半 → 普通のプロレスファン


2020年代   → 普通のプロレスファン









1971年フランス



出演 カトリーヌ・ヴァジュネール


   ジャンヌ・グーピル


監督 ジョエル・セリア




またまたマイナー系?作品レビュー。


私はなぜかこれ系作品の投稿が多いのかな?



やっぱり、これ系の映画を観て書くのが好きなのかもしれない。




この映画はどうみても「問題作」に該当するでしょう。


だから投稿するのはどうかと迷った。




けど、以前も「リリア 4ever」のような作品も書いてたので、賛否両論あるかと思うけど書くことにしました。



で、いつものようにネタバレです。


これから観る方はご注意!





ん〜、ちょっとなぁ........。





のひと言。




その「ちょっとなぁ」には、いろいろな感想が含まれる。


大半は「まずいんじゃない?」という.......。





日本風だと、高校生になるかならないかのような年齢の少女2人。



そのふたりが主役。


だけど主役はどうも黒髪のアンヌのよう。





アンヌの大の仲良しの相棒は、金髪のロール。


全寮制の学校に通う2人は、同じ教会にも通っている。



2人は行動するのも一緒で、次第に悪い行いをすることに魅せられるようになる。



その行いは次第にエスカレートしていき........。






過激なことをやってることを見せて、注目を引く映画ではない感じ。


どこか荒削りで淡々としている。


古い作品だから、なおさらそう見えるのか。




もっと言うと、観客にどう見えるか、どう思われるのか、配慮のようなものがあまり感じられない。


ほとんど監督が撮りたいように撮っているように思える。


ヨーロッパ映画らしいといえばそう。




それゆえに、嫌悪感に似た感情が沸き起こってくる。




小動物を虐待するのも、


放火まがいのことをするのも、


成人男性に対して、性行為をしたくなるように誘うのも。




自分たちは、悪魔に魂を売ったのだからと。



そして、最後の悪の行ない。


それがふたりの予想外の方向へ向かってしまう。





しかし人が生きていく社会で悪いことをしていくなら、必ず代償を払わなけばならないでしょう。





結局、そのような結末。


それがショッキングといえばショッキング。


後味はいいはずがない。




ことがそこまで進まないと気づけないなんて。



そうなる前にやめなければいけないのに、エスカレートしていく行動に歯止めがかからなくなってしまうふたり。


もはや手遅れになってしまう。






驚いたことがあった。



それは小動物の虐待の場面と、性行為の場面。



そこまではっきり見せるの?


っていうか、見せていいの?


普通なら、もうちょっと暗い画面にしたり、別なものを映したり、あいまいに撮ったりだと思うけど。




全然はっきり見せてる。


リアル過ぎて演技に見えないのだ。


これも監督や製作側の狙いか。




ズバリ、人の暗部を鋭く突いた内容。


誰でも負の面はあるけど、あえて悪人になろうとするのは人間性に反する。




製作国フランスでは上映禁止になった。


そうなるでしょうな.....。



子供たちに悪影響を及ぼすかもしれない、そうとられられてもやむを得ない。



現在なら、間違いなくR15以上だろう。

いやR18かも。




元になった実際の事件があったそうであるみたいで、


どこまでを映画化にしたのかまではわからないけど。






劇場公開されたのは日本とアメリカだけだった。


その後に日本では2008年にようやくDVDが発売となった。



私はつい最近にDVDで鑑賞。


タイトルは知っていたけど、観たのは今回が初めて。





フランス映画って、どこか感覚が普通でなくて、鋭くて、味わいが一味違う映画があるけど、今作は見てはいけないものを見せて、




「あなたはどう感じますか?」



と問いかける、みたいな。




だから、「それはちょっとなぁ........」です。















今回は久々の昆虫関係の投稿。



タイトルの意味は、カブトムシのオスの幼虫を成虫に育てて生かすこと。


私には、これがどうしてもできなかった、ということです。



一昨年(2022年)の5月の下旬から、ヘラクレスオオカブトの幼虫ペアの飼育を始めた。

幼虫の飼育の経験はまったく初めてのことだった。

未知の、手探りの体験。



私はそれまでに、カブトムシ成虫飼育の経験はあったけど。



幼虫を飼ったことがある人はわかると思うけど、幼虫の飼育は普段は楽しくもなんともない、です。



幼虫はほぼ土の中にいるし、姿を見ることはほとんどない。

たまにケースの淵に移動していて、そのときならケースの外から見えるときがあるぐらい。



まともに見るのはマット(土)交換のとき。



成虫飼育のときみたいな、エサやりも要らない。




普段やることは、温度や湿度に気をつけることや、コバエの駆除だった。

そして数ヶ月に一度のマット交換。



それだけの作業なのに、なぜ私にはできないのだろう?




実は、メスは一昨年、去年と、二度とも成虫まで育てて成虫の寿命をむかえるまで生かせることができた。




ところが、オスは一昨年、去年と、二度とも成虫になるまで生かせなかった。




一昨年〜去年のオスは、幼虫からサナギを経て成虫になり土の上に出てくるまでになった。

このときは歓喜、歓喜だった。


でも喜んだのはほんの束の間。




この日から3日後、オスは突然死していた。




エサはまだ食べるまでにならずで、これからってときに.........。

あまりに急なことでなにも考えられなかった。

成虫になりたては、温度など飼育環境に細心の注意を払うべきだった。

土の上に出てきた時期は4月の中旬。



その時期の東北はまだまだ寒い。

家の中ではストーブが必要な時期。



うちの居間も朝は15度を下回っている。


低温が突然死の原因だったのか、定かではないけど....。



とにかくせっかくここまで育てたのにと、自分の至らなさを責めるばかりだった。

オスには、本当に申し訳ないことをした。





昨年(2023年)、二度目のチャレンジ。

けど、このときの幼虫もオスを死なせてしまった。




このときは、幼虫がケースの中央部に蛹室を作っていたのを、マット交換のときに確認した。



つまりケースの外からは、蛹室の様子は見えない状態だった。



今年の3月。

そろそろサナギから成虫に育って土の上に出てくる時期かなと思っていた。



ところが、4月になってもなんの変化がない。

悪い予感........。



4月末に、とうとうしびれを切らして土を掘りおこして蛹室の中を見ることにした。




悪い予感は的中してしまう。

オスはサナギのまま死んでいた。



昨年に続いて2度目。

2度目も死なせてしまった。

またも呆然としてしまった。




なぜにメスはうまく育てられて、オスは育てられずに死なれてしまうのだろう?



これは素人の考えだけど.......。



オスは身体が大きくて土の中にいる期間が長い。

蛹室に居る期間も長い。


サナギでいるときは、多少動くことはできるようだけど、蛹室から出ることはできない。

こうなると、暑い寒いに対応できずに死んでしまうのでは、と。




冬の間は、ペットショップで売っている床に敷くタイプのヒーターを使っていた。

その熱が影響したのかもしれない。



今年は正月から記録的な暖冬だった。

日によってはヒーターが要らない日もあったと思う。




この感覚は、やっぱり経験値がものを言うでしょうな........。

私には、その経験値が無い。



どの程度の温度ならヒーターを入れる、入れない、なのか。

あるいは「弱」モード、「強」モードにするかとか、そのような感覚がわからないのだ。




昆虫飼育に詳しい人にきいてみたら、床に敷くタイプのヒーターは幼虫飼育には不向きだと言われた。


けど、こちらの地元ではそれ系のヒーターしか売ってなかったから、使わざるを得なかった。




成虫になりたての頃も、まだ身体が出来上がってないから環境変化に対応する力が弱いは、まずまずわかっていることなのに。




こんなに手間とお金がかかっても、結果がこれでは次もまたやってみたいって気が無くなる。



マット(土)だって専門用を使っているし、全然安いものではないし。



もうやめたかったが、けっきょく一度はオスの孵化と育成を成功させたい気持ちが勝ってしまった。

充分に凝りたはずなのに.......。



先日、またもヘラクレスオオカブト幼虫ペアを仕入れた。

今回が3度目。



ヘラクレスは日本のカブトムシと比べて、幼虫〜サナギ〜成虫の期間が長い。


長丁場の奮闘記になる。




私は来年の春あたり、ヘラクレス成虫ペアの雄姿を見ることができるのだろうか..............?




映画を観終えて、ラストが良かった映画ってやっぱりそれだけで観てよかった、という気になる。

なんだかトクしたなぁって気持ちにもなるし。



今回は本編は別として、とにかくラストシーンがよかった映画10本を選らんで書いてみました。




「よかった」の範囲は、好き、素晴らしい、印象的、記憶に残る、感動した........。

を含みます。



順位はつけていません。

ランクは悩むというかつけられないというか....。



紹介する順番は、あいうえお順。



それから、ラストシーンについて語る回なので当然ネタバレです。

ネタバレでないように書いてる映画もありますが、観ていない方は読まないほうがいいかと思います。





◯ 今を生きる


1989年アメリカ

ピーター・ウィアー監督


1959年名門全寮制学校が舞台。

学園ものだけど、日本の金八先生とはまた違い、とにもかくも生徒たちに新風を巻き起こした教師。


ロビン・ウィリアムズが演じるキーティング先生は、

どうみても普通の先生ではない。

でもその教師像がまともに見えるから不思議。

日本人が好きそうな熱い教師と生徒の学園もの、というパターンでもないのだけど。


終盤に学園を揺るがす大事件が起こる。

それは本当に痛ましい。


キーティング先生は一方的に責任を押しつけられ、学校から追われることに。


そして最後の教室。

その場面がラストシーン。


清らかでピュアで熱い感動が心を揺さぶる。

生徒一人ひとりの先生への気持ち.....。


このラストに胸を打たれた人も多いかと。

言葉は要らないラスト。





◯ 猿の惑星


1968年アメリカ

フランクリン・J・シャフナー監督


これはあまりにも有名で大どんでん返し。

説明は要らないでしょう。

衝撃のラストは忘れることはできない。




◯ シックスセンス


1999年アメリカ

М・ナイト・シャマラン監督


これも超どんでん返し映画。


劇中いろいろヒントがあって何度か観返した人も多いかと思う。

衝撃の事実にも驚いたけど、ある映像が流れるラスト........。


それを見せられると、どうしても哀しい。

なぜこうなってしまったのか。


やり場のない感情をどこにぶつけたらいいのか。

えぐられるぐらいに胸が痛みまくるラスト。


夫婦の絆........。


痛い。

痛過ぎる。




◯ 大災難PTA


1988年アメリカ

ジョン・ヒューズ監督


アメリカではヒットしたそうだけど、日本ではどうだったのか。

話題になることは少ない映画?

でもこの映画ぐらいシンプルで、笑えて、心が温まる映画もないのでは、というぐらい。


感謝祭を家族とすごす予定のサラリーマンのニールと、なにやら調子いい怪しいセールスマン風の男デル。


180度違う男ふたりが、成り行きで共に旅をすることになってしまう。

幾多の旅トラブルと対立を経て、次第にめばえていく友情。

旅も終わる頃には別れを惜しむまでになる。


アメリカ人的でいいなぁ、と思っていたらラストはさらにワンランク上の感動に包まれる。


見知らぬ男同士の友情と家族愛。

しみじみとしてしまうラストだった。





◯ 題名のない子守唄


2006年イタリア

ジョゼッペ・トルナトーレ監督


主人公イレーナは、非情な闇社会を渡り歩いてきた女性。

自分たちの利益のためならなにをやっても許される。

そんなことがまかり通る闇社会。


そんな中でイレーナは、ただひとつの絆を守ろうとする。


重くて過酷。

誰も目を向けたくない、目をそむけたい現実。

イレーナは、そんな過去の呪縛から逃れることができない。


しかし、一筋のあたたかな光が差し込むラストはあまりにも素晴らしかった。


エンドロールが終わって、館内が明るくなっても立ち上がることができなかった............。





◯ 旅立ちの時


1988年アメリカ

シドニー・ルメット監督


両親がベトナム戦争反対活動に参加した経緯で犯罪者となり、15年もFBIから追われ逃亡生活を続ける、ある一家の物語。

中心になるのは長男ダニー。


彼は音楽の才能に恵まれ、名門の音楽大学に進むか家族と逃亡生活を続けるか苦悩する。


タイトルがタイトルだから、こうなることは予想がつきわかってはいるけど、やっぱり感動してしまう。


ラスト近く。

恋人も進学する夢も捨てて、家族との合流場所へ自転車を走らせるダニー。

待っていたのは、父の意外な言葉だった。


家族はいつかはこのようなときがくる。


全然飾らなくて特別に優れているラストではないのに、胸の奥を揺さぶるものを抑えられない。


それは今は亡きリバー・フェニックスの名演技のせいか。




◯ テルマ&ルイーズ


1991年アメリカ

リドリー・スコット監督


正直、共感できないところも多々あって。

そんなに好きな映画ではないかもしれない。

でも女性ウケしそうな映画だと思うけど。


仲良しの女性ふたりの旅行。

ある事件が発端となり、罪に罪を重ねていくふたり。

気がつけば、罪を重ねていくしかなかった。

変わっていくしかなかった。

もう戻れない。


悲壮感はないのに、どこまで続けるの?と思うとなんだか虚しくなる。



ふたりがたどり着く場所はどこなのか。

ラストは。


「忘れようとしても忘れられない」

「忘れられるはずがない」


スーザン・サランドンとジーナ・デービスはまさに適役。





◯ ドッグヴィル


2003年デンマーク

ラース・フォン・トリアー監督


これは正直、キツかった。キツすぎ。

人の底知れぬ悪意が。

普通の人が悪人に変わっていく過程が。

集団心理の怖さが。

なにが人を変えてしまうのか........。


誰でも善人にもなるし、悪人にもなる。

誰も止められない。



ラスト。

これも極端で、そこまでするの?的だけどなぜか「こうなるのは当たり前だろう!」とも思ったりする。

というと、私も残忍な心を持ち合わせている、ってことか。


悪いことをすれば報復されるのはしょうがない。

そんなにスパっと割り切れないけど。


ヒロインのグレースも悩みに悩んだ末の選択。


唯一、見逃されたのは犬のモーゼス。

モーゼスを残して去っていく一団.........。


深く考えさせられるラスト。

記憶に残るのは間違いなし。


それにしてもニコール・キッドマンって、じつに様々なジャンルの映画に出ている。

今作もお見事!





◯ ベストキッド


1984年アメリカ

ジョン・G・アビルドセン監督


ものすごくストレート。

感動の大ハッピーエンド。


ミヤギ(ノリユキ・パット・モリタ)の堂々の笑顔がラストを飾る。


やっぱり映画はこうでなくては。

そんな思いがあふれる。


このラストに至るまでのダニエルとミヤギの描かれかたが良かったから、ラストの感動は何倍にもなった。

師弟であるけど、親子のような友達のような。


「ロッキー」の監督作だけど、観た当時はこちらのほうが主人公と年齢も近かったし、悩みも身近で共感できた。


何度でも観たくなる。





◯ ルパン三世 カリオストロの城


1979年

宮崎駿監督


あいうえお順なので最後に紹介する映画となった。

最後は邦画でアニメ。


今作も語り継がれていく名作。

私はアニメはそんなに詳しくはないけど。


それでも、この映画を超えるアニメ映画はあったかもしれないけど、そうそうすんなりとは思いつかない。

私にとってはそんな作品。


何十年経っても色褪せることがないのもスゴイ。

ラストシーンに限らず本編が良くて、いや良過ぎて

ちょっとズルい映画かなとも思う。


ラストシーンがテーマなので、ラストのことを書くと。



西部劇風のラスト。


ルパンとヒロインの別れのシーンも良かったけど、

月並みではあるけど、やはり銭形警部の名セリフ。

あれでラストの感動に厚みが出た。

ただのラストでは終わらなかった。



銭形のとっつぁんもやるねぇ!と言いたくなる。

私たち観客もルパンに盗まれた。



そして、観終わってほしくない、とも思った。

この感動にいつまでも浸っていたい。

そんなラストだった。


そんな気に浸れた、数少ない映画。



お話は変わって。


今作は、なぜか公開された当時は興行的には振るわなかったそうで。

その後にテレビ放映で人気が出て、評価が高まったんだとか。

人気のルパン三世の映画だし、てっきりヒットした映画だと思ってた。


私は映画館で観た。

たしか正月映画で、何かの映画と2本立てだった。

パンフレットも買っていて、ページをめくると懐かしい気になった........。






こうして10本振り返ると、若いときに観た映画が多い。

いちばん製作年が新しい映画でも「題名のない子守唄」か。

これもけっこう前。




何十年経っても記憶に残っている映画は、やはり格別。

ラストシーンが印象的なら尚更。




まだまだ他にも書きたい作品はあったけど、書ききれないのであえてこの10本を選らんでみました。



いずれ「ラストシーンが良かった映画10本   PART2」を投稿したいと思ってます。




P.S 


 昨年投稿した「キャストアウェイ」もラストシーンが良かった映画。

あの抑えた描き方のラストが、かえって味わい深かった。








1984年アメリカ

出演 モリー・リングウォルド

監督 ジョン・ヒューズ


ネタバレ全開です。

観てない方はご注意を。


DVD鑑賞。


青春恋愛映画なんて、どうでもいいし勝手にやってくれって世代の筆者。

今さら10代の恋愛に胸がときめく年代でもないし。

それが何故に観る気になったかというと、最近たまたま見つけて観ることになった。

気分的に、たまにはラブコメも観たい気持ちもあったかも。


昔にVHSで観て今回で2度目の鑑賞。

 



アメリカのごく普通の家庭。

一家は、翌日に結婚式を控える長女ジニーの式の準備で大忙し。


その日の朝、次女のサマンサ(通称サム)は16歳の誕生日をむかえた。


ところが家の中はドタバタの最中で、家族は誰もサムの誕生日を覚えていなかった。


それどころか両親の双方の祖父母たちが泊まりに来たり、彼らが連れてきた中国人の留学生ともひと悶着おきたりと、落ち着かない時間をすごすことに。

その夜はダンスパーティーが開かれる。


サムには淡い恋心をよせる上級生がいたが......。



サムが体験する2日間の物語。


1日目は誕生日の当日。

2日目は誕生日の翌日。



それをコミカルに味つけして、日常の何気ない出来事をドラマらしく見せるのはヒューズ監督の得意分野。

それは全然わるくない。


その2日間を、こうしてふくらませて引っ張る。



けれど、なんとなくそれだけで終わってしまった感じ。

ドタバタで始まって、アメリカンコメディ調のそれが続いて忙しい。


ラストはしっとりだし、サムと父との深夜の場面もしんみりする味わいがあるけど。





率直な感想は。



はい、ビミョーにハマりませんでした。


でもなんだか「好き」と思える映画です。




感性が合うか合わないかで意見が分かれそう。

野球に例えると、ヒューズ監督は真面目にストライクを投げているんだけど、私には微妙にボール、みたいな感じかな。


でも真面目に投球しているのだからと、この映画のことは評価したい。

という気持ちになる。


だからちょっと複雑な映画かもしれない。




昔VHSで観たときはどうだったろう?

あまり記憶がないので、当時も楽しめたけどハマらなかった、のかも。




今作は1984年に全米公開。

日本公開は翌年。



古いといえば古いし、今作を観た人って多いのだろうか?

ヒットしたとか、話題になったとかあまりきかれない。



挙げるとすれぱジョン・ヒューズの監督デビュー作ということと、この後にブレイクするモリー・リングウォルド主演作ということぐらいか。




原題は「Sixteen Candles」


アメリカのティーンは、「16歳」は特別で皆が憧れる歳なんだと昔、映画雑誌で読んだことがある。

今はどうなのだろう?


日本ではそんな風潮はあまり聞かない。

私が知らないだけ?



邦題もなんかしっくりこないけど、まぁ許せる範囲だと思う。





話はちょっとそれますが。



私らの年代がアメリカの青春映画を観ると、アメリカの高校生は自由を謳歌しているように見えて羨ましかった。

アメリカっていいなぁと。


あの当時に日本で高校生だった人は、たぶん皆がそう思ってたでしょう。


日本だと校則で制服がどうの、髪型がどうのと、そんなことからうるさかった。



アメリカの高校のイメージはというと、


そもそも制服が無くて私服で通学している。

ヘアスタイルも自由っぽい。

酒タバコも隠れてやるのではなく、堂々とやってるみたいで。

女子は化粧して学校へ行くのが当たり前に見えるし、

パーティーなども頻繁に開かれる。



きわめつけはクルマの運転ができること。



そうなると、男子も女子も彼氏彼女が居てドライブのデートも当たり前って感じ。


高校生がクルマを乗り回すなんて、アメリカって金持ちの家が多いんだろう、とも思ってた。



ホントにアメリカの高校って楽しそうで、日本のような窮屈なルールも少なさそうで。


つまりはアメリカの高校生は、日本より一足早く大人の仲間入りをする。そんな感じ。




私は「初体験リッヂモンド・ハイ」や「リトル・ダーリング」が好きだった。

それらの青春映画も、そのようなハイスクールライフを描いた映画。

羨ましい気持ちにさらに拍車がかかった。





ヒューズ監督とモリー・リングウォルドは数年後に「ブレック・ファーストクラブ」と「プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角」で再びコンビを組む。


とくに「プリティ」はモリーが主役で大ヒット作となった。

プロムにまつわる物語で、こちらのほうが記憶に残っている。



ということで、なんか今回は本編とはハズれたことを長く書きすぎたかな。


でも観た後は、青春映画もいいものだなと思える気になれた。













2024年になってから、ブログはまだ2回しか投稿してなかった。


 

実はいろいろとブログ用にと、書いてはいたのだけど。


書いては保存して、の繰り返し。

けどなかなかアップしようという気にならなかった。




理由は、自分で読み返してみてつまらなく感じるから、です。



こんなこと書いて投稿しても、おもしろく思う人なんているわけないっしょ、と思ってしまうのだ。



たしかに、人にウケたくてブログやってるのではないけど、わざわざつまらない話題を書くのもなぁと。


で、時間ばかりが過ぎていき、保存件数ばかり増えていき..............。




2024年になって、早いものでもう4月。



そろそろ、つまらなくても投稿しなくては、という気になりました。

今年3回目の投稿も、超絶つまらないと思いますがよろしければお付き合い下さい。






冬の初め(2023年11月ころ)に掃除機を買い替えた。



それまではコードがない掃除機を使っていた。

これは5年ほど使用したと思う。


5年前はごく普通に掃除機売り場で、コードが無いタイプの掃除機が並べられていた。



今はこれ系が流行りなんだろう、と。


それなら、今度はコードが無いのが欲しいと考えていた。

どこにでも持ち歩いて使えるのは便利なことだし。

値段は普通の掃除機よりも、ちょっと高めに思えた。




今までの掃除機が古くなったので、買い替えのいい時期だろうとなり、使ってみたかったコードレスタイプを思い切って購入。



使ってみて便利なのはよかったが、次第にデメリットが目につくようになった。



まず、吸い込む力が弱いような気がした。



それならと「強」のモードにしてみると、ものの1分も使用しないうちにバッテリーが無くなった。

こんなにすぐに電力が無くなるものなの?


充電したばかりなのに、「強」だと止まってしまう。

バッテリーが壊れてるのかと思った。

買ったばかりなのに。



仕方なしに「強」にしないで使うしかなかった。



吸い込みが気になったので、使用後はマニュアルを見てはマメに掃除をしてみた。

掃除をしないままにしておくと、吸い込む力も弱まるのではと。


この掃除がけっこう面倒だった。



掃除機の掃除なんて、たまにやればいいものだと思っていたけど。



購入してから1年〜2年も経った頃は、買い替える前の古い旧式の掃除機も併用して使うようになった。



掃除機をかけたばかりなのに、細かいゴミを吸い込んでいないのが目立つようになったからだ。



その頃になると、掃除の途中でバッテリーが無くなり掃除機が止まることが多くなった。



うちは一軒家だから、一階から二階と掃除機をかける必要がある。

(全然広くない家だけど)



これでは安くない代金を払って、コードレス掃除機を買った意味がない。

販売店に相談して、バッテリーだけでも新しいのに変えればよかったのだろうか。



なんだか、そんなことをいちいち問い合わせるのもどうかと思ってた。

どうせ店側に都合いいように言い包められるに決まってる。



たしかに5年間は使ったから元は取れたかもしれないけど、だいたい2、3年目以降は旧式の掃除機も併せて使っていたのだ。



いつだったか、他の家電を買いに行ったとき。

たまたま同じ店だったので、店員さんにコードレス掃除機を買って使ってみたら、あまり満足いかなかった旨の話をしたことがある。



けど、今さら返品などできるはずもないしどうにもならない。

その店員さんは、いちおう申し訳なさそうな対応をしてくれたけど。



で、だましだましそのコードレス掃除機を使っていたものの、もう限界。


いつまでこんな掃除機使えばいいんだ、という気持ちになってしまった。




そして冒頭に書いた通りに、買い替えた。

今度はコード付きの掃除機を購入した。


この掃除機は今のところ問題なく使えてる。



やっぱりコード付きのほうが快適に使えた。



ということで、今の私はコードレス掃除機に対して良い印象が持てない。

たしかにコンセントに指したりする手間がないから便利だけど、それだけだった。




掃除機って、日常的に使うものだから性能や使い易さとか、自分に合うものがいい。



やっぱり、買ってしばらく使ってみないとわからないってことか。

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昨年の11月、好きな漫画「ブラックジャック」について投稿しました。

今回は原作者で漫画家の故・手塚治虫さんの作品について、あれこれと綴ってみました。



以下敬称略。





ときどき足を運ぶ某市の図書館に出向いたら漫画本が置いてた。



そのコーナーの棚には、漫画界の巨匠の名作漫画がズラリと揃えられていた。



ひときわ目をひいたのは、「漫画の神様」手塚治虫の漫画の数々。

「火の鳥」、「ブッダ」、「どろろ」、「ブラックジャック」、「バンパイア」、「W 3」etc........。



無料で借りられるならと、いくつかの作品をひと揃い借りて読んでみた。


改めて読んでみるとそのバリエーションの多さや、スケールの壮大さに驚いた。





いつ頃に「手塚治虫」を知ったのか、私の記憶は定かでない。

当時の少年誌にはほぼ手塚漫画が掲載されていたし、テレビでは手塚アニメをやっていた。




私は主に少年チャンピオンを読んでいたが、当時は「プライムローズ」や「七色いんこ」を連載していたと思う。

手塚治虫イコール人気ある漫画家というように思っていた。

自然にそんな感じだった。

もちろん「ブラックジャック」はとくに好きだった。





訃報を知らさたのは平成に変わって間もなく。

テレビのニュースで知った。


病気だったことも知らなかったし、ただ驚いた記憶が。

それが今から35年前のこと。




私が手塚治虫という漫画家の作品を詳しく知るのは、むしろそれからだった。


それまではとくに漫画通でもなく、手塚漫画通でもなかった。

手塚漫画は読んだ漫画は少ないほう(?)だったかもしれない。

パッと思いつくタイトルは数多く知っていたけど。



その頃はまだインターネットは無くて、手塚関連のテレビ番組や特集書籍で徐々に手掛けた作品を知っていく。






書店に出向くと、「手塚治虫漫画全集」、「手塚治虫怪奇漫画全集◯◯編」などたくさんのコミック本が出ていた。


そんな本を読むようになったのは、たしか平成の半ば頃だったと思う。




それからは「鉄腕アトム」他、超有名作品以外にも膨大な作品を残していたんだと知った。

短編集はとくに熱中した。

とくに私はホラーやミステリー、怪奇モノが好きなので。




なかでも「バイパスの夜」はホントにすごい。


舞台は深夜の走るタクシーの車内。

登場人物はほぼタクシー運転手と乗客のふたりだけ。

ページ数も20ページぐらいだったと思う。


それでも見せどころが巧妙で抜群に面白い。

私の中では、間違いなく短編作品中のベストワンだ。




かと思っていたら、「きりひと讃歌」のような長編で「白い巨塔」タイプの深く入り組んだ漫画もよく出来ていた。




その他に青年誌向けの作品も多々あった。


いくつかは読んだことがあったけど、「奇子」はわりと最近読んだ。

今作は東北の旧家を舞台に人の欲望や暗部を描く、きらびやかな手塚作品とは正反対の漫画。


手塚治虫はこんな漫画を描いたんだと、改めて驚いた。



けれどもこのような漫画はけっこう多かったのだ。



とくに「MW」はスゴい。 

これは衝撃的だっだ。

「ばるぼら」もそのような漫画で、実写映画化もされた。



そうかと思うと「やけっぱちのマリヤ」や「不思議なメルモ」のような、摩訶不思議なコメディタッチの作品もある。


そして人間の生死や生命をテーマにした漫画も多くて、深く考えさせられる。



多種多様な作品。

作品の多さ。


それが手塚ワールドか。




冒頭で書いたように、図書館で手塚作品を見つけて最近また自分の中で手塚漫画がブームになった。


まだまだ私が知らない面白い作品があるでしょう。

抽斗の多さに脱帽するばかり。




漫画家以外の顔はというと.....。


医師免許を取得していて、アニメーターの顔もあり、映画好き、昆虫好きで、ピアノ演奏もできたとか。


これはもう、天才の域に達した人物でしょう。

普通の人はなかなかここまでできないと思う。




若くして亡くなったのが本当に惜しまれる。


睡眠時間は一般の人の半分以下だったそうで、作品創作に身を削ってエネルギーを注ぎ込んだ......。

そんなことを思うと胸が痛む。



でも手塚漫画作品は今も生き続けている。

私のように手塚漫画に魅了され続けている人は、多いはず。



だから、


まだまだ読み足りない。


まだまだ味わい足りない。


まだまだ魅了され足りない。 


まだまだ手塚漫画に溺れ足りない。



読む人を惹きつけてやまない。

読めば読むほどに。



やっぱり手塚治虫はスゴい!



苦手な場所......。

ズバリ、「床屋さん」です。



なぜなら、私はなんとなく人と長時間会話を続けるのが得意でないから、です。


それなら会話をしなければいいじゃないか、って思われそうだけど。



田舎の床屋さんって社交的な場でもあった。

行く人は地元の人ばかりし、顔馴染みの人同士が自然と集まって世間話する、みたいな。


昔は、今とはずいぶん違って床屋の件数も多かった。


店に行く回数が増えると、店の人も地元民だしそれなりに話が弾んだりする。

そうなると黙っている無言の時間が長いのも、なんだか都合がよろしくない。

そう思ってしまう私は、人に気を遣いすぎるのか?




理容師さんも、店に来る人と話をするのは毎度のことみたいで、話をするのが好きっぽい人がほとんどだった。



で、店の人と親しい感じになってくると、床屋に出向く前に今日はこんな話をしようかとか、頭の中でいろいろと考えごとをするようになる。

仲良くなればなるほど、アレコレ考えることが増える。



そんなことが次第に面倒になってくるのだ。


たしかに会話をしようがしまいが自由なんだけど。



そういうことで自然と足が向かわなくなっていく。


で、ずいぶんと行く床屋を変えた。

馴染みになった店の人には、足を運ばなくて悪いなぁと思っていたけど。




けっこう遠い地域の床屋にも行ってた。

行く先々で、ついでに髪を切ってから帰ろうとなってた。



理容師さんとは、あまり親しくなり過ぎないように気をつけていたりした。

そのように気をつけるのも面倒になってくる。




行ったことがある床屋の前を通りかかることがある。

そんなときは「ここの店の人、元気でいるかな」とか思ったりする。





美容室のような場所はもっと苦手かもしれない。

っていうか、まったく行ったことがない。


苦手とか言う前に、私なんかが行くところではないと感じてた。

 

おしゃれでファッショナブルな男性や、女性が行くところ。

そんなイメージが抜けないのだ。

男性でも行く人は行ってるみたいだけど。




そんなこんなで私はいつしか床屋に行くことをやめてしまった。

髪切り用のハサミを購入してセルフカットをするようになった。



これが自分に合っていた。

なんたって自分で自分の髪を切るんだから。


上手くいかないときもあるので、少しずつ切って長めの髪の毛を保っていたっけ......。


そのほうが多少は変に切ってしまったとしても、ごまかしがきいてた。


あの頃は周りからはもっと短くしたほうがいいと言われてたけど。




セルフカットしていた期間は10年以上だった。


髪が床に散らばって片付ける手間があったけど、そんな長期間続けらたのは、やっぱり気持ち的にも合っていたからだと思う。





そんなセルフカット生活が終わったのは、6年ぐらい前だったか。


ひょんなことから店に出かけた。


その店は田舎の個人でやってる店ではなくて、大手チェーン店で県内だけでも何店舗もある店。



行ってみたら、

安い。

早い。

面倒な会話もしなくていい。

予約も要らない。

と、いいことが何拍子も揃っていた。



こんな場所があるならもっと早くにセルフカットをやめるべきだった。


スポーツ刈りのような超短い髪型にもできたし、スッキリサッパリだ。



理容師さんは何人もいるし、シャンプー無しなら20分程度で終わる。

本当に助かる。

会話をしているお客さんもいるにはいるけど、ほとんどの人は無言。

必要以上に話しかけてくる理容師さんもいない。



私にはこんな感じがちょうどいい。



で、現在もそのチェーン店に行っている。

今のところ、その店に通うのをやめる気はない。




それにしても、床屋さんに行くのにアレコレと気を遣っていただなんて。

私って人は我ながら気難しい人ですなぁ.........。






2023年も終わる。


どんな1年だったかな......。

私ぐらいの年代だと、もう大きな変化は求めない。

いつも通りの、平穏無事な日々を送ることができればそれでOK、と思う人は多いのかな。


何をどうがんばっても、身体は退化していくし周りも年配者はそうだ。


劇的に日々が向上するなんて、普通はありえない。



来たるべき人生の次のステージをちょっとでも良くすごしたい、とは思っている。

そのために今がんばっておきたい、と私も思う。


だから、まだまだあきらめて投げ槍な毎日をすごすわけにはいきませんな.......。



けど現実はどうかといえば、仕事に追われ、家のことに追われ...........。


気がついたら今年も終わる。

というのは、まったくいつものパターン。

2022年の年末もそうだった。


毎年なにか新しいことを始めたいと思うのもいつものこと。




過去には、英語を勉強しておきたいとテキストを開くようになった時期があった。

何十年前だったか。


この何十年もの間、あきらめてはやめて、このままではいけないと奮起して、を繰り返してきたものの何も進歩がなかった。

英語力がアップした自覚はまるでない。

英語がわからなくても困らないのも、身が入らない理由かな。




なにもできない、しない、で時間だけは過ぎていく。

これだけは避けたいのだけど。



今年、良かったことは.........。


コロナ禍が少しずつ落ち着きつつあり、外出が増えたことかな。


だから人付き合いも復活。

酒席の参加も増えたといえば増えた。


私は社交的な人ではないけど、親しい人たちとはいつも親しいままでいたい、というタイプ。

ときにはそのような輪に加わらなければ。

そんな飲めるほうではないけど。


欲を言えば、泊まりの旅行ぐらい一回ぐらい行きたかったな。





そんなこんなで今年も終わります。


月並みなことしか書けませんが。


こんなブログに来て下さった皆さん、今年1年ありがとうございました。


2024年もよろしくお願い申し上げます。