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hiroyouのブログ

平凡な日々の出来事を綴っています。
一度限りの今のひと時を刻みます。何気ない日常の他に映画、読書、スポーツ、昆虫がメイン


苦手な場所......。

ズバリ、「床屋さん」です。



なぜなら、私はなんとなく人と長時間会話を続けるのが得意でないから、です。


それなら会話をしなければいいじゃないか、って思われそうだけど。



田舎の床屋さんって社交的な場でもあった。

行く人は地元の人ばかりし、顔馴染みの人同士が自然と集まって世間話する、みたいな。


昔は、今とはずいぶん違って床屋の件数も多かった。


店に行く回数が増えると、店の人も地元民だしそれなりに話が弾んだりする。

そうなると黙っている無言の時間が長いのも、なんだか都合がよろしくない。

そう思ってしまう私は、人に気を遣いすぎるのか?




理容師さんも、店に来る人と話をするのは毎度のことみたいで、話をするのが好きっぽい人がほとんどだった。



で、店の人と親しい感じになってくると、床屋に出向く前に今日はこんな話をしようかとか、頭の中でいろいろと考えごとをするようになる。

仲良くなればなるほど、アレコレ考えることが増える。



そんなことが次第に面倒になってくるのだ。


たしかに会話をしようがしまいが自由なんだけど。



そういうことで自然と足が向かわなくなっていく。


で、ずいぶんと行く床屋を変えた。

馴染みになった店の人には、足を運ばなくて悪いなぁと思っていたけど。




けっこう遠い地域の床屋にも行ってた。

行く先々で、ついでに髪を切ってから帰ろうとなってた。



理容師さんとは、あまり親しくなり過ぎないように気をつけていたりした。

そのように気をつけるのも面倒になってくる。




行ったことがある床屋の前を通りかかることがある。

そんなときは「ここの店の人、元気でいるかな」とか思ったりする。





美容室のような場所はもっと苦手かもしれない。

っていうか、まったく行ったことがない。


苦手とか言う前に、私なんかが行くところではないと感じてた。

 

おしゃれでファッショナブルな男性や、女性が行くところ。

そんなイメージが抜けないのだ。

男性でも行く人は行ってるみたいだけど。




そんなこんなで私はいつしか床屋に行くことをやめてしまった。

髪切り用のハサミを購入してセルフカットをするようになった。



これが自分に合っていた。

なんたって自分で自分の髪を切るんだから。


上手くいかないときもあるので、少しずつ切って長めの髪の毛を保っていたっけ......。


そのほうが多少は変に切ってしまったとしても、ごまかしがきいてた。


あの頃は周りからはもっと短くしたほうがいいと言われてたけど。




セルフカットしていた期間は10年以上だった。


髪が床に散らばって片付ける手間があったけど、そんな長期間続けらたのは、やっぱり気持ち的にも合っていたからだと思う。





そんなセルフカット生活が終わったのは、6年ぐらい前だったか。


ひょんなことから店に出かけた。


その店は田舎の個人でやってる店ではなくて、大手チェーン店で県内だけでも何店舗もある店。



行ってみたら、

安い。

早い。

面倒な会話もしなくていい。

予約も要らない。

と、いいことが何拍子も揃っていた。



こんな場所があるならもっと早くにセルフカットをやめるべきだった。


スポーツ刈りのような超短い髪型にもできたし、スッキリサッパリだ。



理容師さんは何人もいるし、シャンプー無しなら20分程度で終わる。

本当に助かる。

会話をしているお客さんもいるにはいるけど、ほとんどの人は無言。

必要以上に話しかけてくる理容師さんもいない。



私にはこんな感じがちょうどいい。



で、現在もそのチェーン店に行っている。

今のところ、その店に通うのをやめる気はない。




それにしても、床屋さんに行くのにアレコレと気を遣っていただなんて。

私って人は我ながら気難しい人ですなぁ.........。






2023年も終わる。


どんな1年だったかな......。

私ぐらいの年代だと、もう大きな変化は求めない。

いつも通りの、平穏無事な日々を送ることができればそれでOK、と思う人は多いのかな。


何をどうがんばっても、身体は退化していくし周りも年配者はそうだ。


劇的に日々が向上するなんて、普通はありえない。



来たるべき人生の次のステージをちょっとでも良くすごしたい、とは思っている。

そのために今がんばっておきたい、と私も思う。


だから、まだまだあきらめて投げ槍な毎日をすごすわけにはいきませんな.......。



けど現実はどうかといえば、仕事に追われ、家のことに追われ...........。


気がついたら今年も終わる。

というのは、まったくいつものパターン。

2022年の年末もそうだった。


毎年なにか新しいことを始めたいと思うのもいつものこと。




過去には、英語を勉強しておきたいとテキストを開くようになった時期があった。

何十年前だったか。


この何十年もの間、あきらめてはやめて、このままではいけないと奮起して、を繰り返してきたものの何も進歩がなかった。

英語力がアップした自覚はまるでない。

英語がわからなくても困らないのも、身が入らない理由かな。




なにもできない、しない、で時間だけは過ぎていく。

これだけは避けたいのだけど。



今年、良かったことは.........。


コロナ禍が少しずつ落ち着きつつあり、外出が増えたことかな。


だから人付き合いも復活。

酒席の参加も増えたといえば増えた。


私は社交的な人ではないけど、親しい人たちとはいつも親しいままでいたい、というタイプ。

ときにはそのような輪に加わらなければ。

そんな飲めるほうではないけど。


欲を言えば、泊まりの旅行ぐらい一回ぐらい行きたかったな。





そんなこんなで今年も終わります。


月並みなことしか書けませんが。


こんなブログに来て下さった皆さん、今年1年ありがとうございました。


2024年もよろしくお願い申し上げます。




2000年デンマーク。

出演 ビョーク

監督 ラース・フォーン・トリアー(兼脚本)



この映画には、ちょっと苦い思い出があった。



映画館に観に出掛けたのだが、その日体調が悪くてカゼ気味だった私は座ってスクリーンを観ているのも苦痛になり、上映開始から約30分後に映画館から出ることになった。




それから何年も経って、今作はネット上で「トラウマ映画」、「最悪の映画」とかで話題になっていたことを知った。



そんなに気分が悪くなる映画なら、べつに観なくてもいい。

長らくそう思っていた。


でも私はこのようなパターンには、けっこう耐えられる、と自分では思っている。

いつか観る機会があったら観よう。

 


それに、あらすじも結末もなにかで読んで知っていた。

たしかに観たいと思う内容ではなかった。





時は流れて、先日WOWOWで放送されたのを鑑賞。

序盤はところどころ、みた憶えがあった。




1960年代のアメリカの片田舎。


目に難病を抱えているセルマは、息子とふたり暮らし。

チェコからの移民であり、友人夫婦が貸してくれているトレーラーハウスに住んでいる。


工場で働きながら、ミュージカルの舞台練習に励む日々。

親身になってくれる女友達や、男性もいる。


セルマは息子にも目の難病が遺伝していることを知り、息子のためにと手術費用をせっせと貯めていた。


不安を抱えながらも充実した日々が、ある日から一変する。



セルマはトレーラーハウスの持ち主である警官のビルから、ある悩み事を打ち明けられる。


ビルの妻リンダが浪費家で、遺産を使い切ってしまったという。

つまりは借金を申し込まれた形になったのだが、セルマは自分はもうすぐ失明することと、貯めた金銭は息子の手術費用に使わなければならないことを理由に断る。


ところが後日に、その大切な貯金が盗まれてしまう。



盗んだのはビルに間違いない。

セルマはビルに返してくれと訴えるが、ビルは返そうとしない。

さらにはいつの間にか、リンダからも悪者にされてしまっていた。

そして悲劇が起こる。



ここから先はネタバレです。



この後は負の連鎖の連続。


周りも必死にこの連鎖を止めようとがんばるのだが、

結局、息子の目を治してやりたいセルマが、その救いの手を断ってしまう...........。


そして残酷な結末に進んでいく。



観終えてみて思ったことは....。


...…........。


..............。



ビルがそこまでセルマを憎んだのはなぜか?

住まわせてやってるのに、貸してくれなかったからなのか?

追い出すだけではすまなかったのか?


自分は死んでも、セルマを不幸にして同じ目に合わせたい。

これはもう、鬼畜も鬼畜。


結局はその思惑通りになってしまった。

本人が死んでしまったから、よけいに重罪になった。

これがいちばん怖かった。


っていうか、そこまで憎いのではなかったように見えた。

誰かを悪者に仕立てて、妻の前では被害者にならなければ。

セルマは不幸にも悪者役に選ばれてしまったのか。



警察官なら最低限の生活はできただろうに。

「ドッグヴィル」や「アンチクライスト」もそうだったけれど、

トリアー監督は、普通の人が悪人になる、またはなんでもない人をどん底に陥れる、のが得意なのか。



その思惑は見ていて気分が悪くなる。

裕福でない移民の女性に罪を着せるだなんて。


裁判の場面や、刑場の場面でミュージカル調はちょっと違和感がなくもない。


もっというと、手持ちカメラで撮ってリアルなドキュメンタリー調のタッチを高めていて、不思議な映画でもあるのだがそんなことはどうでもよくなる。


セルマの歌もすごくいいのだが、それも掻き消えてしまうほど内容が重い。


とにかく、彼女の処刑が中止になる方向に進んでほしい。

そうなることは、とうとうなかった。



刑場に連行される場面はあまりに痛々しく、正視に耐えない。

ここで映画を終わらせてもよかったのでは?

そこまで見せなくても。



観終えてみて、ひとつの疑問が。


それはもう、セルマの選択は本人が望んだとはいえあれで正しかったのか?


目が良くなったとはいえ、ジーンのその後の人生は?


手術費用や弁護士費用は、あとから働いて返すことはできなかったのか?


なにも罪もない人は、無理矢理に追い込まれて死刑になる。


それでも「魂の歌声は誰にもとめられない」とか、綺麗事を並べて、大絶賛!とかだなんて。


そんなのとてもとても。


そのように美化することはできません。


なにもしてないのに、命を奪われる人の人権は?


なにか悪すぎる悪夢をみているようだった。

これではトラウマになる。

もうやめてくれ、と思った。




思い出したのは、アニメの「フランダースの犬」


主人公のネロもまた、セルマと同じように周りの助けを断ってしまった。

助けてくれる人たちが何人もいたのに。



誰にも頼らず、パトラッシュと逃げることを選び、悲劇の結末になった。

「フランダースの犬」も美談にしてしまう感じで、好きになれなかった。


自分の力だけで生きていけるなら、それがいちばんいいのかもしれない。


でも多くの人は、周りの人と関わって支えて支えられて生きている。

助けてくれと言えない人もいると思うけど、困ったときに救いの手を差し伸べてくれる人がいたら頼っても全然いいはず。



なのに......。


という、言い表しようがない暗い気持ちを引きずってしまった。



昔、手塚治虫原作のマンガ「ブラックジャック」にハマった。


私が読んでいた頃はすでに連載は終わっていて、コミックで読んでいた。

 

この不朽の名作漫画が少年チャンピオン誌で連載スタートしたのが、1973年11月のこと。


50年も前にもなるのか......。

ちょうど半世紀前。



50年前といえば昔も昔。

大昔の時代、といっても言い過ぎではない。

今の若い人たちは当然生まれてもいない時代だ。



そんな昔の漫画なのに、今でもメディアで取り上げられている。

「ブラックジャック」に関わった当時の人々の話も、とても興味深かった。


それだけ多くの人々に愛されてきた漫画なんだと思う。

数多くの手塚マンガのなかで一番人気で、代表作に値するマンガに間違いない。




記念すべき第一話は「医者はどこだ」



当初は手塚マンガのキャラクターを総出演させる、短期間の連載予定、だったそうである。

第一話では、「バンパイア」のロックが登場した。



主人公は、神技の技術を持つ孤高の天才外科医ブラックジャック。


しかし医師免許を持たず、法外な手術代を要求し、どんな患者でも引き受け確実に治す。


それでいながら弱い立場の患者は、安い報酬や無償でさりげなく助ける。


まったく気どらずカッコいいキャラクターで、その生き方に共感しまくりだった。


自分が病気になったとき、こんな先生が主治医だったら。

そう思っていた。



1話完結のストーリーも絶妙だった。

生命の大切さや、生きる尊さが散りばめられたヒューマニズムの物語。

毎回、読者に問いかける。


恐ろしい病気や、恐怖的でシリアスな要素もあるが、それがまた物語をいっそう際立たせている。




女性の登場人物との描写もまた上手かった。


実際ブラックジャック先生は多くの女性から想いを寄せられ、けっこうモテる人物。


それなのにその女性たちの交流を絶ち、それでも私はあなたの幸せを願ってます、という意向を示すキメ細かさと優しさ。

そのような面でも、あまりにもカッコよかった。


マンガ「ブラックジャック」は素晴らしいのだが、生み出したマンガの神様、手塚治虫はさらに素晴らしい人だと思った。




2000年代にはアニメ化もされた。

アニメは映画化もされた。


他にも実写ドラマや舞台もあったそうだが、私は観ていない。

やっぱり手塚治虫が直に手掛けたマンガが一番、私にはなじみ深い。



作者は「コマドリと少年」がとくに好きだったそうだが、私も好きな回。


ひとつの命は助かり、もうひとつの命は失われようとする、胸が痛む物語だ。


どの回も深みのある話だけど、私が特別だと思うのは事実上の最終回(?)になった「人生という名のSL」



汽車に乗車しているブラックジャック先生は、列車内で不思議な体験をする。

これまで出逢った人たちが現れては消えていくのだ。



現れる人は、誰もが先生にとって関わりが深かった人ばかり。

幻想のような物語。




最後に登場する人物は、とある見知らぬ若い女性だった。

この女性は誰なのか?



会話のやり取りから、その女性がピノコだとわかる。


そしてブラックジャック先生が言う言葉。


「なにをしょげている?お前、私の奥さんじゃないか。それも最高の」


ついにブラックジャックがピノコを妻、と認めた!



なぜか胸が熱くなる、もっとも感動した場面だった。



それは飛行機内でまどろんでいた彼の夢だったのだが、この想いは本音に違いない。



この回で、一旦連載は終了したそうである。

短期連載の予定が、連載開始から5年が経っていた。


いろいろな団体等から様々なクレームが入り、自由に描けなくなったとか。



しかし、その後もチャンピオン誌上で不定期で掲載された。


さらには「ミッドナイト」には、ブラックジャック先生が何度かゲストで登場した回もある。



作者・手塚治虫は1989年2月に死去。


けれどブラックジャックは今もなお、多くの人々を魅了し続けている。

これからの50年もきっとそうでしょう


今月には、AIによる新作も発表されるとか。

どんな作品になるのか?











1980年アメリカ。


出演 マイケル・ケイン

   アンジー・ディキンソン

   ナンシー・アレン

監督 ブライアン・デ・パルマ(兼脚本)


ネタバレ全開です。


観るたびに自分の中で評価が高まっていった映画。



といっても今作は、最初に観たときの印象があまりにも悪すぎた。

テレビの月曜ロードショーかなにかだったような記憶がある。


当時子供だった私には、やたらとエロチックな場面が多い、ただいやらしい映画、そんな印象しかなかった。


オープニングからそんな調子で、家で家族と一緒に

観る映画ではない。


さらには怖い、ホラーっぽい映画。

どうみても子供が観る映画ではなかった。

最後まで観ていなかったかもしれないけど、犯人が誰だか知ってる記憶もあったから、やっぱり最後まで観たのかもしれない。




成人して、それからもテレビ放映やビデオで観る機会があった。

そのたびに内容がこれほど濃い出来栄えだったとは!と、評価はグングン上がる一方。


今ではデ・パルマ作品の中で、かなり好きな映画に。

先日また観る機会があった。



たしかにヒッチコック監督の「サイコ」に似ている部分は多い。

けど全然ストーリーも違うし、今作のほうが見応えがあった。



夫との性生活に悩んでいる主婦ケイトは、満たされない日々をおくっている。

その日もシャワーを浴びながら、みだらな妄想にふけっていた。


そんなケイトが心を許せるのは、通っている精神科の医師エリオット。

エリオットに夫の不満を打ち明けたり、彼と性交渉をしたい旨の話を持ちかけたりしていた。



ある日美術館を来訪したケイトは、ひょんなことから謎の男性との情事に溺れることになる。 

男性の部屋で目覚めたら、相手の姿はなかった。

(というか彼は寝てた?)



書き置きをして帰ろうとするケイト。

机の引き出しに入っていたのは、性病のために通院している男性の診断書だった。



不安に襲われた彼女は慌てて部屋を飛び出した。

ところが、部屋に指輪を忘れたことに気づいて部屋に戻ろうとエレベーターに乗る。


そのエレベーターに、サングラスをしてカミソリを持った女性が乗り込んできた。

そして惨劇が起こる。


ケイトが倒れていたのを目撃した若い娼婦。

彼女とケイトの運命は......?




こうして改めて観ると、けっこう意外性の連続なんだなぁと気づく。

ファーストシーンから意外だった。


直球続きから、急にカーブのような変化球でくるような。


最初は性に不満を抱えた主婦が、とある男性との出会いを通しての性をテーマにした官能ドラマ、の模様。



ガラリと変わるのは、その男性のマンションから逃げ出すように帰る辺りから。


忘れものをしたケイトは、男性の部屋に戻らなくてはならなくなる。



この建物内は、出口がどこなのか?

そんな感じの通路とエレベーター。

なんだか緊迫感が走ってイヤな予感が高まる。



そう思っていたら、カミソリを持ったサングラスの女性がエレベーターに乗り込んでくる。

これはホントに、ストレートに怖い!



襲われて血まみれで倒れたケイトを目撃してしまう、コールガールの女性リズ。

そのエレベーターの場面は圧巻。

防犯ミラーに映る姿。

今作の最大の見せ場だと思う。



意外性はここでも。


ここから主役が交代となる。

主人公のケイトが殺害され、ここからリズが中心となる。


犯人は、エリオット医師の患者でボビーという人物らしいのだが.......。



後半は、事件と関わりを持ったリズとケイトの息子ピーターが組んで、危ない目に遭いながらも真相に迫る、という展開。


とくにリズが地下鉄で「ボビー」と不良集団に追われる場面は、第2の見せ場。

ここもまた見せ方が上手かった!



真相も意外だけど、わかる前になんとなくわかってしまうな嵐の夜のクライマックス。


ここでも意外な人物が登場。

ふたり目のボビーか?と思わせるシーン。


終わり方も予想外の終わり方。

さすがはデ・パルマ監督。

ただのラストでは終わらせない。


俳優陣も興味深くて、特にエリオット医師役のマイケル・ケイン。

名優が演じると不気味も不気味。

難しい役もサラリとこなすのは流石!


そして甘味な音楽も。


なにからなにまで完全度の高さを見せつけられて、

ヒネリにヒネリまくる。

デ・パルマ監督の職人技が冴えに冴えわたった。



とはいうけど、「それはちょっと....」ということがないわけでもない

あえて言わせてもらうとしたら......。



セクシー描写をもう少し抑えてもよかったかなと。

少々余計かな、そう思っていた。


しかし夫との性生活に不満を抱える主婦、という設定でスタートし、夫婦間の性行為がベースになっている序盤。


こんな流れだと描かないわけにもいかないか。




そして美術館での謎の男について。

この人はなんだったのか。


単にナンパ目的なだけで、あのとき限り、なんでしょう。



けど現れるタイミングが良過ぎるのである。

ケイトが性行為に悩んでいるのを知っていて現れた?

とすれば、彼はエリオットの患者か医院の関係者か。


なんらかの方法でケイトがそんな女性だと知り、近づいてきたのか?



でも自分が性病だと知っていながら、あんなことをするというのもなんだかね...................。


ケイト殺害場所が、男が住むマンションのエレベーター内。

というと、犯人はその謎の男?

などなどいろいろ思わせるのである。

 


ところが、男が美術館前でタクシーで待機している場面。

その近くで一瞬だけ、ボビーが映る。


つまりケイトはこのときすでにボビーに尾行されていた、となる。

それを考えると、男とボビーは別人。

ケイトと男が出会わなくても、ケイトは後をつけられてボビーに殺害されていた、となるでしょう。


 

殺人犯「ボビー」について。


姿をはっきり見せるため、女装した男性だとバレバレ。


終盤までいかなくても正体がわかりそうな?

でも当時はこれ系のオチが少なかったから、けっこうな意外性があったでしょうな。



長々と書いてきたけど、マイナス面も書いてきた。

気にいった映画なだけに、アレコレ言いたくもなる。




今作がハマらなかった方も多いと思う。


私も1、2度観ただけでは面白さにあまり気づけなかった。


でも次にまた観たいという何かがある映画.......。

そのような魔力のようなものを持った映画なんだと思う。

だからまた観れたし、凝った面白さが味わえた。



今後また観る機会あるかな。

また違う発見があるかも。









以前の私は、ちょっとした(?)昭和モノのコレクターだった。



そんな収集するつもりはなかったのだけど。

「これは今後手に入りにくいモノ」と感じたら、つい手元に置いておきたくなってしまう。



置いていたものといったら......。

だいたい昭和40年代以降に流行ったもので、気にいったものならなんでも。


本、雑誌、マンガ、レコード、おもちゃ、映画パンフレットやチラシ、フィギュア、アニメ、珍しいグッズ、ゲーム、家電etc......。




この手の楽しみがあると、悩みは置き場所スペースの問題となる。

これは切実な問題点。

うちは田舎とはいえ全然大きい家ではない。


置いておくスペースが無くて、本やマンガなどはずいぶん処分した。

ステレオなどは大型だから早々に処分した。

フィギュアなんかはいったい何十体手放したかわからない。

なかにはめずらしいモノもあったかなと。


もったいなかったが、うちは置き場所も少ないしやむを得なかった。


今家にあるモノは、どうしても捨てられなかったモノ、で占められている。


もし今までのモノを捨てないで保管したままなら、ちょっとした小さな展示会が開けたかもしれない。



興味がない人からみればガラクタを集めてなにが楽しいの?となるが、私も内心そう思わなくもないのだ。


手放すなら買うな、とも思う。


持ってるからなにかトクするのでもないし、高く売る気もない。

けど令和の今の時代、なかなか手に入らないモノは欲しい、という心理か。




主にリサイクルショップで入手することが多かった。

希少価値のあるモノはやっぱり値段も高い。

とくに都市部ほど値段が高い気がしたけど。


高いモノはさすがに買えないが、手頃な値段で入手できないかと時間があればショップ巡りに出かけることもしばしばだった。



さて、今はというと。


けっこうな出費と置き場所スペース。

このふたつを考えると、入手しようという気が起きなくなった。



だから今はコレクターではないと思ってます........。


とはいうけど。


外に出かけて、アレコレ見て回る楽しみぐらいあってもいいかなぁと思うけど......?



画像は昭和のおもちゃ、ミクロマン他。












2023年


出演 菊地凛子、オダギリジョー

監督 熊切和嘉


いつものようにネタバレです。

これから観る方はご注意下さい。




家電メーカーのオンラインカスタマーサービスのアルバイト員の陽子は、人付き合いを避けるように引きこもりのような生活をしていた。

携帯電話は壊れたままだった。


そこへ同じ都内在住の従兄弟の茂が訪ねてくる。

茂から陽子の父が亡くなったことを告げられる。

父とは、すれ違いから20年以上も会っていなかった。


これから車で青森に帰郷するので、陽子も乗って行くようにと言われ、渋々身支度をして乗車する。

車には茂の家族も同乗していた。



にぎやかな帰省となったが、途中に立ち寄ったサービスエリアでトラブルが起こり、陽子は茂一家とはぐれてしまう。

携帯は無しで所持金もわずか。


それでも父の出棺までに青森県弘前市の実家まで戻らなくてはならない。


陽子はヒッチハイクで帰る道筋をたてる。

苦難の陽子の旅が始まった........。




難しい物語ではなく、ただ主人公が北上して帰郷する、という物語。


俳優陣よし、展開力よし、でぐいぐいと引き込む見応えありのロードムービー。


旅で出会う人々との人間模様。

それにプラスして、度々登場する若き日の亡き父の幻影。

その父が陽子と絡み、映画を引き立てる。



人とのコミュニケーションに問題がある陽子が、旅を通して変わっていくのも興味深い。




ヒッチハイクといっても.....。


社交的な人や普通の人でも難しいと思う。

それも658キロ。

快く乗せてくれる人は少ないはず。


頼まれる側だって穏やかではない。

親切心で知らない人を乗せて、なんやかんやトラブルになっても困る、など警戒心を持たれるのが常。



そんなこんなで、陽子の旅は全然大変なものとなる。

苦難が続く。

それでも見ず知らずの人に頼らざるをえないのだ。



カッコ悪くても、泥くさくても自分をさらけ出して、

一歩も二歩も踏み出そう。

帰らなくてはならないのだから。

出棺のときも迫っている。


進むにつれて、そんな空気が強くなる。



次第に善意の人々が現れる。


何度目かの出会いと別れ。


人間、無関心や薄情な人ばかりではないんだね、と観るほうも救われるような気になっていく。




北上していく陽子。

雪の風景。

そして亡くなった父が待つ家。




ただただ、いろいろな思いが交錯する。


陽子の姿に、自分のなにかが重なる。



ん〜、どうだろう......。

かなり、いい作品なのでは。


率直にそう思った。


観終えた後の、胸に染みわたるものをなかなか言葉で表すことができない。


強い、強い余韻。


この感じは何だろう?



今作が気になっている方は、なにも考えずに劇場に足を運んでほしい。


私とは異なる感じ方になるかもしれないけど、きっと胸に迫るなにかがあるはず。



ほとんど出ずっぱりの菊地凛子。

なにも言うことはありません。

お見事!!






ちょっと余談。


津軽弁が少し出てくるけど、あれでOKだと思う。

バリバリの本格的な津軽弁は、なかなか理解できないと思うので。
















今回は、ヒジョーにつまらない投稿かと思います。
私の自分に対しての愚痴みたい内容です。
っていうか、いつもこの手の投稿かな?

どういうわけか気がつけば失くしてしまうモノについて。

カギやスマホ、カードも失くすることあったけど、
いちばん多く失くしてきたもののベストワンは、

それはボールペンです。


仕事柄よく使うので、常に胸ポケットにさしている。
これが頻繁に見当たらなくなる。
使おうと思えば、無い。
そんなことは日常茶飯事。



どこかに置きっぱなしになっていて、すぐ見つかるときもあれば見つからないこともある。


見つからないときは、たいていどこかに落ちていたり、狭いスキマか見えにくい所から見つかったりする。

何日も経ってから見つかることもある。


見つからないのだったら、もうどこをどう探しても見つからない、っていうほうが好都合だ。


下手に見つかったりすると、周りから「またあの人が落としていったのか!忘れていったのか!」となる。

「あの人」とは、もちろん私のこと。

こうして見つかったり見つからなかったりを繰り返しているのだ。



失くしないように、と気をつけてはいるのだけどそんな常に注意力を維持できないのは年齢のせいだろうか...........。


失くしたと思っていたボールペンを、しばらくしたら他の人が使っていたようなときもあった。

似たようなペンなので、「それはもしかしたらオレのペンでは?」と思うけど、そのことを相手に問いただしたことはない。

なんだかセコいし、失くした私が悪いのだと我慢している。


そんなだから、家にボールペンをまとめて買い置きしている。
何本かセットで売っているのを。

クルマの中にも1本は置いてる。



ワンセット置いておけば、だいたい1年後には残り本数は1、2本。
ワンセット5本だったかな。

というと、年間けっこうな数を紛失しているってことになるかな。
インク切れして捨てるときもあるけど、失くすことがほとんど。
いつも気をつけなくては、と思うけど..........。



高級品のボールペンをひとつ欲しいと思ってたときもあった。
1本は欲しいなぁと。

でも現実がこれでは、お金をドブに捨てるようなものでしょう。

今まで購入した中でいちばん高かったボールペンは、1本800円ぐらいだったかな.........。
そのペンもいつの間にか見当たらなくなった。


ペン1本ぐらいなら失くしてもどうってことない。
そんなだからいつも失くすんだろうな......。

反省してます。


2022年アメリカ

出演 グレイス・キャロライン・カリー
   ヴァージニア・ガードナー
監督 スコット・マン

ネタバレあり注意、です。


脱出系モノ。
どこから脱出するのかというと、地上から600メートルもあるテレビ塔の頂上。
そこから身動きできなくなったふたりの女性クライマー。


ツッコミどころも多々あるけど、それでもこうしてエンターテイメント性を駆使して盛り上げてしまうパワーに脱帽してしまう。
最近はこう感じた映画、少なかったものたからよけいにそう感じたのかも?


物語は、というと、

52週間前に、夫をフリークライミングの事故で亡くした女性ベッキーが主人公。
彼女は今だに立ち直れずに酒に溺れている。
父親と不仲なことにも悩んでいた。


そこへ親友のハンターが訪ねてくる。
ハンターもクライマーで、ユーチューバーもやっている。
今週末に、とあるテレビ塔に登るのだという。
それに彼女も誘うのたが、気乗りしなかったが押し切られた。
 
こうして、とあるテレビ塔に着くのだがそこはなにもない荒野。
周りには人もいない。
しかもその鉄塔は尋常でない高さ。


紆余曲折を経て、頂上まで辿り着くふたり。
そこまではよかったが、いざ降りようとしたら老朽化していた梯子が落下してしまい、降りるに降りられなくなってしまう。
頂上はスマホの電波も圏外。
水も食料も手元に無い。


さて、どうやってここから脱出するのか................。


高所恐怖症の人ならとんでもない映画でしょう。
山でもないのに、なにを好き好んでそんな場所へ行くのか、と。
非常識すぎて、なんだか自業自得感もある。


高所での恐怖を描く映画はあったけど、今作は600メートルの高さだから、スカイツリーと同じぐらいか。
ケタ違いの高さで目がくらむ。


そんなところで落下しそうになったり、落ちかけた荷物を回収しようとしたり、タカに襲われたりでたしかにスリル感はスゴイ。
とんでもない恐怖が迫りくる。

これでは命がいくつあっても足りない。


さらには、こんなときに亡き夫がハンターと浮気していたことが発覚したり、妄想オチがあったりとサイドストーリーを盛り込んでいるのも、作りすぎ感が薄くて自然。


でも、やっぱりというかツッコミどころも多いのだ。

まず、こんな建物あるのはしょうがないとしても、
近づけるのだろうか、登れるのだろうか、と。
危険区域内で出入り禁止なのでは?
入れるとはしても.......。


監視カメラや感知センサーの類は無いのだろうか。


古くて取り壊しが決まっているとはいえ、危なっかしい梯子なんて危険過ぎるし、なんらかの対策を検討しなきゃいけないでしょうに、整備や点検もなにもしていないようで。

非常用電話や連絡装置は無いの?
発煙銃と双眼鏡だけなんて、お粗末すぎる。

とか。

それでもそんなツッコミ感も押しのけて、作り上げてしまうのがいちばんのスゴさ。


ドキドキハラハラ感は文句なく、楽しめました。
高所恐怖症の人にはリアル過ぎてオススメできませんが。



最後にいい味を出して再登場するのは、ジェフリー・ディーン・モーガン。

知る人ぞ知る海外ドラマ「ウォーキング・デッド」でニーガン役を演じた人。
存在感は抜群。

こんな普通っぽい役も似合うんだな~。
出番は少ないけども。








うちの家の近くに古い木が立っている。

そこでクワガタ(コクワガタ)を発見したのは昨年の夏のはじめ。

それ以来、夕方にその木に「昆虫の蜜」を塗りに行くのがなんとなく日課になった。



クワガタにエサをやるのが目的だったが、実際は多種多様な昆虫というか、生き物が集まるようになってなってしまった。


ホントに様々で、クワガタ以外にゴキブリに似た黒い虫(名前がわからない)、カミキリムシ、ガ、ナメクジ、アリ、ハエ、ムカデ、ハチ、ケムシ、虫を捕食しようとする巨大なクモやカエルも集まってきた。


こうなると、いったい私はなににエサをやっているのかわからなくなる。


この木でいちばん強いのは、どうやらコクワガタの大き目のヤツで、このクワガタが蜜の近くに居ると他の昆虫はあまり来なくなるみたい。

で、いなくなると他の昆虫が来るようだ。

時間帯にもよるみたいで、早朝だともう昆虫はいなくなりアリやハエ、ハチがいる。


クワガタが現れるのは、暗くなる19時過ぎ頃から22時あたりか。
その頃にカミキリムシも現れるが、離れたところで待機している。
おそらくクワガタが居なくなるのを待っているのだろう。


こんなことを続けていると、ちょっと不思議なことを体験する。

夜に出向くときは当然、懐中電灯持参。
で、木に電灯を向けると昆虫は灯りから離れていく。
昆虫は自衛の能力が高い。

外敵の存在を察知すると、身を守る行動をとる。
つまりは私も外敵なんでしょう。

灯りに集まろうとする虫もいるが、クワガタなどは故意の灯りは避けようとするようで、私が来て照らすと逃げていた。


ところが、これが何日も続いていて何日目かには逃げなくなったから不思議

私はクワガタを捕ったことはない。
ただエサをやっているのみ。


ということは、私は外敵ではない、と思われているのか?
私は危害を加えず、食べものを運んでくる外敵ってことか。



この木はけっこう古い木で、樹液などまともに出ているのか怪しい木。

せっかくのクワガタがいなくならないよう、エサぐらいあげよう、と思ったのがきっかけ。


私がもし、クワガタを獲っていてクワガタの数が減ったら?

おそらく、クワガタを恐れていた昆虫が増えて、この付近の生態系が微妙に変化するのかもね。

そう考えると、私が勝手にエサをやってクワガタが増えるのも問題なのかもしれない。

自然のままがいちばんいいかと思うけど。


しかし、よくもまぁ、こんな古ぼけた木にクワガタが居るものだなぁと。
べつな意味で感心してるけど。



ところで、話は変わりますが。

昨年、「フェノミナ」という映画を観て当ブログにも投稿した。


ジェニファー・コネリー演じる留学生は、昆虫と交信ができるという特殊な能力の持ち主。
という設定。

ジェニファーは昆虫好きで、昆虫たちも彼女になつく。


あれは映画の中のお話、と見ていたけど、あれが本当なら昆虫飼育する人は、どんなにいいだろうと思う。

たぶん暑い寒い、満腹、空腹だとか昆虫の今の情報がわかるのだろうし。
昆虫好きな人にとってはうらやましい能力!

で、ジェニファーがいじめられたり殺されそうになったら、何万匹という昆虫が集結して彼女を助ける。

ジェニファーと昆虫たちの深い絆を見せられ........。

それが美しくて美しくて、ホラーなのに妙に感動してしまった。


そんなチカラ、私にもあったらな......。