hiroyou倶楽部

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平凡な日々の出来事を綴っています。
一度限りの今のひと時を刻みます。何気ない日常の他に映画、読書、スポーツ、昆虫がメイン

またまた面白くもなんともない投稿ですが。


先日、普通救命講習を受講した。




当講習を受講するのはもう何回目かで、だいたいの内容はわかっていたつもりだった。



とは言うものの、前回の受講したのはコロナ前の令和元年。

かなり前といえばそうなのだけど。



でもテストがあるわけではないし、なんとかなるでしょう、と少し甘く思っていた。




受講した経験がある方は内容はお分かりでしょうけど。



私ら一般人が学ぶのは、倒れている人を発見してから救急車が来るまでの間どう動くのかという、救助の最初の第一段階。





私が初めて受講したのは、たしか2002年だったと思う。



受講することになったきっかけは、単に会社側から言われたからだった。




当時はAEDはまだ普及していなくて、マネキンに人工呼吸と、胸骨圧迫方法が中心だった。



実技では、マネキンの口にキチンと息を吹き込まないとOKの赤ランプが点灯しない。




そんなシステムだったような気がする。



私はその吹き込みの仕方が下手で、なかなかランプが点かなかったことを憶えている。




講師陣は救急隊員の方。



あの頃の講師の皆さんは、私より年上の方々だったけど今はもう私の方がすっかり年上。

若い講師の方々から指導を受けた。



一部の講義はオンラインでもできるそうだけど、私は全講義を会場で受けた。






前回と変わっていた点は、一番最初。



倒れている人を発見したとき、まずはその周囲の安全確認をするのが先、となっていた。



(前々からその行動が最優先だったかな?私の記憶違いかも?)



で、安全であることが確かなら、倒れている人のそばに寄り、肩を叩いて「わかりますか?」と数回、だんだん声の大きさを変えて(だんだん大きく)声がけをする、というのが最初。



それで無反応なら、周りの人たちに異常事態を知らせる。



人が集まってきたら、救急車を呼ぶ人、AEDを持ってくる人を指差して指名する。


で、救助作業を開始する。



という順序だったかな。



胸部圧迫も、久々の体験。


これは規則正しいリズムで両手で押し続けるのだけど、何分もやり続けるとなるとけっこうしんどい。



こんなにしんどかったかな、と思った。

やっぱり年齢のせいか。



他には、通報の仕方や、具合が悪い人に対して背中の叩きかたも学んだ。



これらは初めてだったか、以前もやったか?

記憶があいまい。



この日は8人が受講して、滞りなく昼には受講終了となった。




受講を終えての感想ですが。



毎回思うことは、実際に事故等で現場に居合わせたときに冷静に対応できるかな、

ということ。



訓練した通りに行動できればいいのだけど。





とにかく自分が落ち着くことでしょうな。

慌ててしまったら、できることもできなくなってしまうでしょう。



私なんかは気が動転して、パニックにならないように気をつけなくては。



私はまだ、実際にそのような場に居合わせたことはない。



ホントに救急隊員の方々には頭が下がる。

人の生死を分けるかもしれないなんて。



これは誰でもそう思うでしょう。





ちょっと話は脱線(?)するけど。



最近、能登半島地震の次の日に羽田空港での旅客機衝突事故のドキュメント番組を見たのだけど。



あのような局面でも、冷静沈着に行動して大勢の乗客を脱出に導いたCAさんたちも素晴らしかった。

キチンと指示に従って、和を乱すことなく行動した乗客の皆さんも素晴らしい。



やっぱりプロフェッショナルの方々は皆さん、お見事!



人に見えないところで、コツコツと努力を積み重ねているのだと思う。



そんなプロ精神は私も見習いたい。

ホントに脱帽です。





倒れている人がいても、誰かが助けるだろうと思わなくもないし、

できるようで、なかなかできないことかもしれない。






けど人を助けるためなら、とにかく自分が行動しなくてはなにも始まらない。

1分1秒を争う場で自分は経験値が無いから、などと言っていられないし。





受講から数日後、今回の修了証をいただいた。



これで良しではなく、ここからがスタート。



なんだか、ずっしりと責任が重くなったような気がした。



2年間有効だそうけど、やっぱり定期的に講習を受けるのが望ましいでしょうな。







2023年ベルギー・オランダ合作


出演 シャルロット・デ・ブライネ

監督 フィーラ・バーテンス



毎度おなじみのネタバレです。

ご注意下さい。



昨年の10月に映画館で観たのだけど、書くのが今になってしまった。



かなりのトラウマ映画、らしいそうなのでけっこう腹をくくったつもりで映画館へ。

チラシには、それ系の描写があるので観賞の際は注意して下さい、との文が載っていた。




一言で言うと...........、いろいろな感情が交錯して、気持ちがひとつにまとまらない作品だと思います。



「なにが?」ときかれても、気持ちを整理してまとめて文にするのがかなり難しい。



それにちょっとわかり辛いところもあり、もやもや感もあった。




そんなこんなで、今作について書くか書かないかすごく迷ってた。

で、時間ばかり過ぎてしまった。



トラウマ系の映画........。



そうかもしれない。

オススメしたい映画、では無いことはたしか。





ベルギー、ブリュッセルの冬。




とある思い詰めたような女性、エヴァがなにかの作業をしているところから映画が始まる。



水を容器に入れたり、なにかを壊したり?




彼女はカメラマンの助手をしている。


カメラマンから食事の誘いもあるのだが。





親しい関係にあるのは、実の妹。

実の両親とは不仲らしかった。



会話から独身でひとり暮らしのようだ。



そんな彼女のもとに、とある追悼イベントを兼ねたパーティーの案内が届く。

幼なじみらが開催するらしい。





時間軸はそこから、エヴァが13歳の頃の田舎に住んでいたひと夏のドラマと、現在のドラマが交互に描かれていく。





13歳の夏休み。

着てみた水着のきつさを感じる頃。




彼女は常に近所に住む2人の男子、ティムとラウレンスと行動している。



3人は周りから「三銃士」と呼ばれるほどの仲よし。



精肉店を営むラウレンスの母メリーは、そんなエヴァの良き理解者。

エヴァも彼女になついていた。



エヴァは、どうやらティムに片想いのようだった。




一見、楽しい夏休みが始まったように見える。




ところが、「三銃士」はティムが仕切り役となって、とある性的な「ゲーム」をしていた。



そんな行いが、無残にも全てを狂わせてしまう。



この夏に何が起こったのだろうか。


そして、現代のエヴァは何を始めようとしているのか。





.............................。





エヴァは、自分から不幸を呼び寄せてしまったのだろうか。




もやもやする、というのはエヴァの気持ちひとつ、行動ひとつで、ひどい目に遭わずに済んだかもしれない、ということ。




不運?のようなことはさらに重なる。




近所に引っ越してきた、大人びた少女がいた。



友達になりたい、と思って心が通じ合いかけた

のだが。




しかしエヴァは、彼女の愛馬を誤って死なせてしまう。



(それだって、黙っていれば誰もわからなかったのに)



それが致命的で、不運を呼んでしまう。



いつものゲーム、だったのかもしれない。

けど、予想外のことが次々と起こってしまい...........。




ことはどんどん悪いほうへ進んでいく。



あたかも、一度かみ合わなくなった歯車がどんどん別の方向へ進んでしまうかのように。



そのために最悪の形になってしまった。




エヴァがもし、したたかな性格で経験値を積んでいる年代なら、上手くはねつける力があったかもしれない。



けど、13歳の少女にはあまりにも厳しい。




なぜ、そんな仲良くしたい女子を「ゲーム」に誘うのか?




そもそも、組んだ仲間が悪すぎじゃない。

もう、その時点で間違いだってば。



都合のいいときばかり、いい顔をして。

ただ「便利な人」扱いだなんて。

本当に親しい間柄なら、そんなことはしない。




おかしいと思ったら、近づかない、手を切る、逃げる.........、という選択肢はあったでしょうに。



とはいっても、両親との仲がしっくりいかないとか、エヴァも多感で難しい年代。




誰かに寄りかかっていたかったし、気が合う仲間を失いたくなかったのだろうけど。





仲がいいから言い辛くて、断れなくてずるずると深みにハマる、というのはよくあるパターンだと思う。



仲が良ければ良いほど、



「イヤだ」

「もうやめてくれ」



を言うことが難しくなる。



ついつい、このぐらいならいいだろう、と思ってしまうものなのか。




けど、限度というものがある。

非人間的な行いは、いいはずがない。



彼女が嫌々ゲームの進行役をやっていたのか定かではないけど、同性としては気が進まなかったであろう。



切り抜ける方法もあった、と思うけど。





もうひとつ印象的な場面は、エヴァの理解者で大人であるメリーが、ことの成り行きを察してエヴァに対して冷たい言動をとってしまう場面。





誰もが、アンタ、いい大人がそれはひどすぎるだろう、と言いたくもなる。

助けを求めてるのに。




けどよくよく考えてみると、誰でもやっぱり自分の息子がかわいいのは仕方ないことで。

親として当然かもしれない。



息子を悪者にしたくない。

それなら息子以外の者を悪者にするしかない。

理不尽なことだとわかっていながら。



とっさに、苦し紛れにとってしまった言動なのだろうけど、そのような態度を取られたエヴァにしてみれば、たまったものではない。



信頼していただけに。




そうして、現在。



エヴァは、自分を陥れた者たちに復讐を果たす行動にでる。



でもそれって復讐になるのか?



それは最もひどかった。

私はちょっと違和感を感じてしまった。




一番の復讐って、自分が幸せになることなのでは?



意見が別れると思うけど、そんな選択をしたからって........。





あの「ゲーム」については。



完全に犯罪でしょう。




けど、加害者側も被害者側も似たような歳で、思春期の少年少女なら、怒られるぐらいで済むのだろうか。



性的なことに興味を持つ年頃だから、で許されるのだろうか?



未成年同士でも立派な犯罪だと思う。





けっきょく、一番力が弱い立場の人がひどい目に遭わされる。




味方にもなってもらえず、同情さえもしてもらえない。



人の嫌な面や、裏の面を見せられる。




それは全然めずらしいことではない、とはいえ。



実生活でも似たようなことはたくさんある。

弱い人を悪者にしてしまえば、自分たちは助かる、みたいな。




だから本当に、ものすごく気分が悪いのだ。




弱い人に、すべての火の粉が降りかかるなんて。




当然ながら、加害者たちはエヴァがどれだけ心身に傷を負ったかわかるはずもなく、何食わぬ顔で生きている。




なんだか言いたいことが多すぎて、全部吐き出してしまわないと腹の虫がおさまらない?





それぐらい、気持ちがおかしくなるような映画だった。





といっても、映画的にはなかなか見応えのある作りで、悪くはなかったのだけど。



ヨーロッパの映画って、リアル感が全面に出て攻められ感が激しい。



描写も全然ゆるやかではない。

というより、きついかも。





いつだったか、「隣りの家の少女」という映画を観たけど、似たような感じ方です。








新日本プロレス、29年ぶりのつがる市開催となった今大会。

(29年前は旧森田村での開催だったと思う。つがる市となってからは初開催)



久々の今大会、アクシデント発生でネットニュースになってしまった。



もうご存知の方も多いと思いますが、この日のことは時系列順に書いていきます。





数日前、最強最長という大寒波が青森県内を襲った。

その寒波は終わったと思っていたこの日。




にもかかわらず、昼前から雪が降ったり止んだり。

前々から、大雪で道路が狭いなど道路事情も悪かった。




今大会は18時開場で、19時試合開始予定。



朝から天候が気になっていたが、午後になっても天候は相変わらず。

なので、早目に家を出た。




17時15分に会場着。



もう列ができていた。



その時間帯は、時に吹雪模様になるような悪天候で、こんな中で立って待つのは大変だった。

一番手の人たちは何時から並んだのだろう?

皆さん寒さに耐えながら開場を待っていた。



時間が経つにつれて、どんどん人が列に加わっていく。

やっぱり新日本さんの人気はすごい。

先日の棚橋選手引退の影響は無いようだった。




18時になるかというとき、私たち会員が先に入場。

早くから並んでいた人たちに申し訳ないような気になった。




すぐに撮影会が始まった。

この日のFC撮影会担当は、上村優也選手。




上村選手は常に笑顔を絶やさない方だった。

おかげで気持ちよく撮影を終えられた。



次は本日のサイン会。

整理券をもらうために列に並んだ。

予定では、担当はウルフアロン選手...........。

のはずだったが。



ところが、辻陽太選手に変わっていた。



選手用のバスが一台、まだ未到着だという。

そのためウルフ選手もまだ着いていない。

たぶん大雪か、事故の影響かもしれない。



でも他のバスは到着していて、会場入りしている選手たちもいる。

まぁ、そろそろ着く頃でしょうと軽く思っていた。



辻選手は現IWGP二冠王で、人気も抜群。

整理券を求めて長蛇の列ができていた。

この行列だと19時で終わらないかも?



辻選手も気持ちよく対応してくれた。




19時に阿部リングアナがリングに登場。



いつもなら、開始前の挨拶と本日の対戦カード発表があるのだが、大雪によるアクシデント発生の報告があった。



本隊用のバスは、現時点でもまだ到着していないという。



そのため試合開始時間は、19時30分に変更とのこと。



19時5分ぐらいから急遽、海野翔太選手と上村選手のトークショーとなった。



海野選手は本隊バスにコスチュームを置いていたので、本日の試合はジャージで臨むという。



トークショーの後半は、上村選手の提案で会場に居る高校生以下の子供たちにリングに上がってもらうことになった。


けっこうな大人数。

こんなに来ていたんだなぁ。



何十人もの子供たちがリングに上がって、最後は皆で記念撮影となった。



この日はリングインできて、とても良い思い出になったはず。



両選手も、子供たちに囲まれて楽しそうだった。



そして19時30分。



阿部リングアナから対戦カードの発表があった。



けっきょく本隊のバスが到着する見通しがつかないようで、本日は全4試合となった。



こんな悪天候のときはこんなこともある。



それにトークショーで補ってくれたし、上村、海野選手のファンにとってはサプライズ!



そして第一試合。

藤田VS安田のシングルマッチでスタートした。



第二試合は、6人タッグマッチで青森出身の成田連選手が登場。



成田選手はすっかりヒールぶりが浸透した。

こうなるとどこまでもヒール道を貫いてほしい。

N.O.Bチーム相手に勝利をもぎとった。



第三試合はトークショーでファンサービスに務めた海野、上村チームが登場。



海野選手は宣言通りジャージ姿だったが、まるで違和感がなかった。

見慣れてない人は、これがコスチュームだと思い込んだのでは?



第四試合は、Un  bound Co VS ユナイテッドエンパイアの10人タッグのイリミネーションマッチ。



最後は辻選手とジェイクリー選手の一騎打ちとなったが、ジェイク選手のオーバーザトップロープで、Un  bound Coの勝利となった。



そしてマイクを持った辻選手から、思いがけない発表があった。




なんとバスが到着したという。

それはよかった!

とにかく無事に到着できてなにより。



なので急遽、二試合がサプライズ試合として追加になった!



この発表で、会場内は歓喜に沸いた。



正直、この日は場内の盛り上がりはイマイチに思えたが、ここから寒さを吹き飛ばすかのような熱い声援が飛び交うようになった。



サプライズ第一試合は、毘沙門チーム対TMDKの6人タッグマッチ。



そして最終試合は、本隊による10人タッグマッチ。



この試合は、なにより観ることができてよかった、という試合。



話題のウルフアロン選手を見れたし、7月に引退が決まっている4代目タイガーマスク選手のファイトも見れた。

タイガー選手、もう一回見れるか見れないか.........。



試合は、ウルフ選手が村島選手をフォールして熱戦を制した。



試合後は、10選手がひとりずつマイクでコメント。



このようなサービスも、アクシデントが無ければこのような流れにはならなかったかも。



本当に選手、関係者の方々のサービス精神は見事!



最後にマイクを持ったのはYOH選手。



棚橋選手定番の「愛してまーす!」をYOH選手が叫んで、締めくくってくれた。



終了後、売店コーナーを開けておいてくれたのはありがたかった。

この雪だから、早くに閉めて出発しても全然おかしくないのに。



おかげさまで、ウルフアロン選手のTシャツを購入できた。



メインに出場した本間朋晃選手は、疲れているにもかかわらず終了後すぐにロビーに向かって、撮影会とサイン会を開始。



ただただ、頭が下がります。



試合前のアップも充分にできなかったと思うけど..........。




外は氷点下の気温で大雪。

でも、皆さんあたたかい気持ちで帰路についたはず。



誰もが無事に帰宅できることを、願わずにはいられませんでした。


もちろん選手、関係者の皆さん方も。




今回の大雪によるトラブルは、やむを得ない出来事。

誰も悪くない。



不満な声も上がらなかったし、精一杯のサービスに努めて下さり本当にありがたかったし、悪天候でも足を運んでよかったと思える大会でした。



毎年、真冬の1月下旬から2月上旬に県内に来てくれるのも感謝、感謝です。



来て下さる方々にとっては大変なことだと、充分にわかりますが。



ただでさえ娯楽が少ない青森県内は、この時期は大雪で閉鎖的ムード、沈滞ムードに拍車がかかる時期。



そんなときにプロレスを生観戦できることは、真っ暗闇な中に、暖かな灯りがともるかのようで。




本当にありがたくて、貴重な時間でした。



今大会。


約1000人のファンと、選手、関係者の方々で作り上げた一期一会のひとときは、忘れることは無いと思います。












今回も勝手な筆者のひとり言です。


(って、いつもですが)




今は厳冬期の真っ只中。



昨年、本県は大雪の冬だった。



今年も昨年ほどではないものの、まずまずの雪の量。

最近の雪の積もり方を見ると、去年とあまり変わらないかも?



それにしても先日の大寒波には、ホントに参った。



除雪作業は重労働だ。



こうなると、年齢層が高い世代は精神的に少しずつ変わっていくと思う。



なんか年配者ほど、変に生真面目な人が多くて雪片づけはキチっとやらなきゃいけない、という強迫観念があるように見える。



冬の降雪作業は当然だし、なんてことないじゃないかと思われるでしょうけど、こんな現状と冬期間特有の生活の不便さに、体力的にも精神的にもじわりじわりと蝕まれていくような気がしてならない。



私も近年はそうなってきたと薄々感じている。





まず、朝起きて外を見るのがイヤなのだ。



窓から外を見て、雪の積もり具合を見る。



そして重い身体を起こして、防寒着をまとって雪片づけ作業を始める。




仕事の日は、その後は支度をして出勤。


出勤日でない日は、その後は朝食、となる。



勤務を終えて帰宅すると、また雪片づけが始まる。



大雪の夜は、夜間にもう一度積もり具合を見て積もっているようだったら、少し片づける。


こうすると、翌朝ちょっと片づけがラクになる。




私が住む地域は、だいたいそんな日々が2ヶ月半ぐらい続く。

特別に大雪の年だと3ヶ月近くになる。



雪かきで始まって、雪かきで終わる1日。




こうなると、平常心とは違う気持ちになっていくような気がしている。




その感覚は人それぞれで、どうってことはない人もいれば、気持ちが沈んでしまう人もいる。




年齢層が高い世代ほど、そうなる人が多いかと。



でも雪片づけをキチンとやってるからって、べつに誰も褒めないのだけど。




どこの家でもいろいろと対策はしている。



除雪機を利用する家もあれば、井戸水を利用しての消雪設備を使っている家もある。



それでも除雪作業と無縁な生活にはならないし。




もう一つの問題は、雪が多いと出掛けたいときに出掛けられず、人との交流が途絶えがちになること。



この辺りは、どこにでもひょいひょい歩いて行き来ができるような地域ではない。

クルマで何十分かけての移動が普通。


せっかく自分の居場所があるのに、思うように足を運べない、となる。



結果、楽しみにしていた行事に参加できなかった。



人と会う約束を取り止めた。


となる。



で、気持ちがますます落ち込む、あるいは不安になり孤立感を感じる。


やっぱり、誰かとコミュニケーションをとれるかどうかは大きい。



そんなこんなでひどい人は、精神をやられる人もいるかもしれない。



北東北では自殺者の割合が高いそうだが、大雪や天候が無関係ではないでしょう。




だからって、大雪をどうにかしてほしいと思っても、天気ばかりはどうにかなるものでもない。



どうにもならないことで何故そんなに悩むの?

と思われるけど、人ってそんなに単調にはできていない。




外は大雪。



雪かきに追われまくる日々。



他のことは後回しになる。



思うように、人と会ったり会話することができない。



こんなことが2ヶ月以上続くと...........。




うんざりするだけで済む次元ではなくなる。




誰もが大なり小なり、不都合なことを覚える。




何も影響をうけないって人は、誰かが除雪をやってくれるとか、誰かが送り迎えをしてくれるとかそんな恵まれた境遇の人でしょう。




私などはクルマを運転するから、雪道の苦労を経験するのは言うまでもない。




とにかく大変です。





とはいっても、昔の冬とは微妙に変わってきてはいる。




昔は今より、格段に降雪量が多かった。

道路脇には2、3メートル以上雪が壁のように積もっているのが普通だった。



なので、今以上に不便な生活を強いられた。



でも当時はそれが当たり前だったし、不便なら不便なりのすごしかたがあったと思うし、皆が「今の時期はこんなものだ」と割り切っていた。



雪道の運転も大変だったけど、自家用車を所有してない家もあったし、バスや電車が大雪で来ないこともよくあることだった。



出掛けるときに、クルマを持っている近所の人に頼んで乗せてもらう、なんてことは珍しくもなかった。




今はクルマは一家に1、2台どころか、一人に1台で、いつでもどこでも行けるなんて考えようによっては恵まれ過ぎてるのかも。



たしかに、当時も雪かきは大変だったけど。



現代は便利なことのほうが当たり前で、ありがたみがだんだん薄れてきているような気がするのは、長年生きている人間の感覚だろうか。




雪が降る、降らないに一喜一憂するのはいいけど、もう少しおおらかな気持ちを持てば、少しは気がラクにならないかな。




って、なんだか自分は困ってないようなことを書いてるけど、私だってもう雪は勘弁してくれ、と思っているのは事実だし、身体も気持ち的にも疲弊している。




ドカ雪に何から何まで邪魔されている、と思い込んでしまいがち。

そうなると気分も暗くなる。



けど降雪で困ることは毎年のことで、暖冬でもない限り雪の問題は避けられない。

大変だけど雪と付き合っていくしかない........。



と、無理に自分に言いきかせてます。


ということで、県民の皆さん、北東北の皆さん。


気持ちを強く持って、おおらかに構えて下さい。

(そんな余裕が無いこともわかりますが)



雪が多く降る時期は、もうすぐ終わります。






遅くなりましたが新年、あけましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。



この通り、生きてます(苦笑)





本県は先月上旬に、大きい規模の地震に見舞われました。





私が住む地域は、目立った被害は少なかったようですが。



その後は余震が相次ぎ、巨大地震発生の可能性があるとの報道があり、

まったく気を緩めることができない日々が続きました。




度々の余震............。

今できることは何なのか、明日はどんな1日になるのかと、落ち着かない日々でした。




改めて、平穏ないつも通りの日常のありがたさが身に染みました。





2025年。



笑えてハッピーなことも、



しんどくて辛かったことも、



いろいろありましたが、25年に経験したことを無駄にせず「今」を精一杯生きていきたいと

思います。




そして昨年、ご訪問くださいまして誠にありがとうございました。

皆様方のご多幸とご健康を心からお祈り申し上げます。






2024年スペイン


監督 トニ・アンドゥハー

出演 カトゥーサ・レイラ

   コディ・コーウェル





ややネタバレです。

観てない方はご注意を。



DVD鑑賞。

気づいたら最後まで熱中して観てしまった、という映画。



先日書いた「ウォリアーズ」もちょっとこれに近い映画だったかも。



全然難しい映画ではない、どころか単純明快。



観る前は、女性版ランボーみたい?と思ったけどけっこう違っていた。




たとえると、スピルバーグ監督の「激突!」のランニング版に、「13日の金曜日」風の怪人キラーを登場させたような?




耳が不自由な女性、ダイアナが主人公。



ランナーである彼女は、そんな境遇にも負けずに、父の教えを守り今日も山中でトレイルランニングに励む。



そこでは他にもランナーがいた。



何気なく追い越したのだが、2度目に出会ったときに後ろから体当たりされてしまう。




3度目、そのランナーに対して挑発する態度を取って追い越す。




このランナーがサイコ殺人鬼だと知らずに........。




こうして地雷を踏んだ形になってしまったダイアナ。

彼女は山中でサイコランナーに延々と、つけ狙われることになる。





人が少ない山中でこんな人物に出くわしたら、まずはゾッとする。

で、時間が経つとだんだんと腹が立ってくるでしょう。

なぜに自分は、こんな目にあわされるのだろうと。



普通なら、トレーニング場所を変えるか、やめるかなのだろうけど。




ランニングしている異常者というのも、なんだか場違いな感じがしないでもないけど。



その人物は、頭部をフードで覆って一切顔を見せない。

体つきから男性であるとわかるぐらいで、謎だらけのランナー。



彼の攻撃は、初めは比較的ゆるやかなのだが次第に狂気じみていく。

このランナーの目的は何だったのか?




道を塞ぐような嫌がらせ(?)から始まって、体当たり、転倒させる、川への突き落とし、と次第にエスカレートしていく。



序盤は殺人というのより、凝らしめるのが目的のようだったのだが。



かと思ってたら、今度は犯しかけたり。



やっぱり目的はそれか、と思わせて、今度は絶壁から振り落とそうとする。



ダイアナより、彼女を助ける周囲の人たちをあっさり殺す場面が多い。



そして後半。



冒頭に登場していた、公園の清掃員らしきおじさんが再登場する。



このおじさんの正体は、妻と共にキャンプ場からさらってきた子供たちを殺すという、殺人鬼だった!



ここから第2の、別の殺人鬼が現れる。



この夫婦はおじさんよりも、その奥さんのほうが怖い。



こうしてダイアナは、またも第2殺人者たちとも闘うはめになる。



気迫で向かっていくダイアナだが、殺人鬼奥さんは強い。



絶体絶命となるダイアナ。




そこへ現れたのが、殺人ランナー。



彼はいとも簡単に、婦人をねじ伏せる。

でもダイアナを助けたのではなかった。



隙をついて逃げ出したダイアナは、おじさんのクルマで逃走。



それを殺人ランナーがクルマで追ってくる。




クライマックスの対決は、「激突!」のようなカーチェイスとなる。





ところで、ダイアナが耳が不自由なのはとくに意味がなかった?




殺人鬼ランナーが、いつもタイミング良く、悪く、ダイアナの前に現れるのもちょっと都合良すぎ、な気もするけど。



と、突っ込みどころもあるけど、キャンプ場での子供たちの相次ぐ失踪がこのランナーの仕業でなく、別の人物が犯人だった、とか、シンプルなストーリーなのにけっこう練られている。



「激突!」を彷彿させるような場面も。



それらがラストにつながる。



この手の映画は、最後にヒネリや脅かしがあるのが定番っぽいが..........。



いや、そのような後味については伏せておきましょう。



けっこう楽しめた1本。











 


この夏だったか、諸事情によりスマートフォンの機種変をした。


使い方が同じ操作もあれば、多少変わった操作もある。



新しい機種に早く慣れたかった。



なので、なんやかんやでこの数ヶ月はスマホを触る時間ばかり長くなってた。





そんなときによく思うことは。




私もずいぶん変わってきた、ということ。






振り返ると、昔から流行りのモノや利便性のあるツール等にはどこまでも目が向かなかった。



あまり関心を持てなかった。



それ系は自分には必要ないもの、と思ってしまうほう。




それに、家電製品もそうだがそもそも操作手順を覚えるのも苦手。






たとえば遠い昔、ファミコンが流行ったとき。





みんながファミコンの話でわいわい盛り上がっていたのに、私は持っていなかった。


ファミコンカセットのことも何も知らない。




完全に同級生たちの話題についていけなかったけど、鈍感なのか疎外感を感じたことはあまりなかったように思う。




ゲームはやりたい年代だったけど、自分の家でまでやりたいと思わなかった。




(当時はゲームセンターでゲームをするのが普通だった)




インターネットが普及してきて、家庭でパソコンを所有するようになった頃。




結果的に持つようになったけど、持たないと今の社会についていけなくなるからだった。





デジタルカメラが普及してきた頃も、フィルムを入れるカメラや写るんですを使っていたっけ。




ケータイを持ったのもそんな流れだった。




私が持つようになったときは、もう中学生が普通に持つようになっていたときだった。

誰もが当たり前のように持っていた。




スマートフォンを持ったのもつい7年前のこと。

それまではガラケーを使っていた。




そして今。

気づいたらスマホどころか、iPod、タブレット、ノートパソコンを所持している。




そのちょっと前は、通話料が無料になるからとPHSも持っていた時期もあった。




SNSはいろいろとやってみてはいるものの..........



イマイチ使い方がわからない。

なにか反応らしきことがあるみたいだけど。

ほとんど放置したままになっている。






なので、たいして使いこなしてもいないし活用している実感もない。





それなら最初からなにも持たない、やらないのがいちばん良いのではないか?



私はなんのためにアレコレと所持しているのだろう?




みんなと同じなのが良いから、なのか。





現実はどうかというと、かえって時間を取られたり頭を痛めたりしているではないか。



スマホやパソコンの使い方のことで、販売店に電話することも増えた。



実際、睡眠時間も減った気がする。






自分がこのように変わったことに違和感を覚えるようになったのは、そんなに最近のことでもない。



前々からあれもこれも必要ない、とは思っていた。



正直に言うと、どんなものなのかやってみたい気は少しあったけど。




何も持たず、古くさい自分だけの世界にどっぷり浸かるのもどうか、とも考えるときもあった。






現代人なのだから、これぐらいできて所有して当たり前。



いや、そんなことはない。アレコレ持ち過ぎ、やり過ぎだ............。




って、いつも自問自答してた。




それに何を所持しようと、SNS を活用しようと、それはまったくの自由な話。

誰も私にやってくれと言ったのでもない。




自分で自分のことが見えなくなっていたのだと思う。




たいして使いこなしてもいないし活用している実感もない。

やってみて満足感や充実感などはあまり感じない。




元々の私は前述した通りであり、アナログ派人間だったし。




今さらでもないけど、スマホなどを使った犯罪も増えているようにも思う。

スマホやケータイが無い時代は、そんな犯罪は少なかったかもしれない。





ツールが、役立つことや正義のみに使われるはずはない。





何かを所持することに抵抗感があって、そんなの自分には必要ない、と思ってた頃。




私はそんなだった原点にもう一度、還るべき。




昔の自分に戻りたいけど、戻れるかな............................。




変に流されてしまった自分が悪いのだ。





スマホ一台持っていれば、たぶん生活には困らないと思う。





何年かかるかわからないけど、ひとつひとつ物を捨てていこう。














1948年イタリア


出演 ランベルト・マジョラーニ

   エンツォ・スタイヨーラ


監督 ヴィリオット・デ・シーカ



毎度のネタバレなので、ご注意下さい。




DVD 鑑賞。


大戦後の混迷するローマで、大事な自転車を盗まれたある一家の物語。



多くの人が知る名作だと思います。

本当に考えさせられる映画。





鑑賞は2度目。




1度目はかなり昔に、テレビの名画劇場かなにかで観た。




タイトルが示す通り、自転車泥棒の映画、というべきか。



時代は第二次大戦終結間もない頃のローマ。



 

失業者があふれ、物資も不足していた。

モノはどんなものでも貴重品も同然だったし、それゆえに盗難なども横行していたことは容易に想像がつく。



物語は、アントニオ・リッチが職安から呼び出されるところから始まる。




彼もまた大勢いる失業者のひとりで、妻と幼い子供2人を養う立場でありながら、仕事が2年間も見つからない状態だった。




やっと見つかった仕事は、役所から依頼を受けてポスターを貼り歩く仕事。




採用条件は自転車を持っていることだ。



帰宅してさっそく妻に相談。



彼女はシーツを質に入れて、自転車の購入資金を出してくれた。





こうして晴れて失業者組から抜け出せた。

はりきって仕事に精をだす彼。



しかし、そんな晴れやかな希望に満ちた心は、勤務初日に無惨に打ち砕かれる。



作業中に、命綱とも言うべき自転車を盗まれてしまうのだった。




必死で追いかけるものの見失う。

警察に届け出るものの、頼りにならない。




こうして、自分で盗まれた自転車を探し歩くことになるのだが..............。




「悪」ははっきりしていて、誰がどう見たって自転車を盗んだ人が悪い。




それはわかるのだけど。



街では、盗難や窃盗などが日常的に横行していたのは一目瞭然。



盗まれた側にまるっきり非がないとも決めつけられない。

ちょっと甘過ぎたかも。


仕事熱心なのはいいけど、もう少し自転車に気を配るべきだった、と誰もが思う。




盗まれてしまったのはしょうがない、とも割り切れない。




現代なら、また買い直せばいい、レンタルを利用すればいい、だけど、そのように何とかなる時代ではなかった。




自転車一台がどれだけ貴重だったか。




自転車を持ってるか持っていないかで、仕事に就けるかどうかと考えたら、自動車以上の価値があったはず。



さらに一般市民が自分たちで探し回るなんて、どれだけの苦労なの?



無事に見つけられる確率なんて、どれだけ低いの?




絶望的なことばかりではない。




一緒に探してくれた友人もいた。



2回目に登場した警察官は、わりと献身的に接してくれた。



なにより、6歳(ぐらい?)の長男ブルーノが何かとお父さんの力になってくれた。



それでも見つけることは困難極まりない。





紆余曲折を経て終盤近く、偶然にも犯人と思われる若者を発見した。



人違いではないと思われる。



シラを切る犯人だったが、アントニオはあきらめられるはずがない。



自転車一台に、一家のすべてが懸かっているのだ。



若者の家族や、付近の住民も交えて騒ぎになる。





結果的に自転車は出てこなかった。

証拠もなにもない。

こうして取り返せる唯一の機会を失ってしまう。



またイチから自転車を探し回るなんて、あまりにも酷である。





失意のアントニオは、自然とサッカースタジアムの自転車置き場や、ビルの横にとめてある自転車に目が向く。




そして、魔が差してしまう。



ここでも不運(?)に見舞われる。



あっけなく周りの人々に取り押さえられてしまうのだった。



警察に突きだせ、との声が上がるが、自転車の持ち主は彼の幼い息子に同情したのか、アントニオを見逃す。



雑踏の中を淋しく歩く親子。

失意のまま、映画が終わる。




......................。


......................。



あなたは、何を感じましたか?



と、問題提議を出されたようなラスト。





アントニオは途方に暮れて悩んだ挙げ句に、他人の自転車を盗み返す。



被害者が、同じことをしてしまう。



悪いことをしたのは間違いないが、そんなに極悪非道なことをしたのだろうか。



でも、こんなことを肯定すれば盗難だらけの世の中になるでしょう。




1円でも盗めばたしかに罪は罪。




昔でも現代でも、もっと悪い人もいる。




アントニオの自転車を盗んだらしい若者は、早々に自転車を売りさばいて証拠を消したのかもしれない。

さらにはアントニオに突っ込まれると、発作が起きたような演技(おそらく)までして。



家族や周りもグルみたいで、常習犯のようだった。



見方を変えて見ると、この人たちもこんなことをしなければ生活していけなかったのかもしれない。




理不尽なもので、こんな悪い人ほど捕まらない。

おそらく問い詰められたときを想定して、シナリオを描いていたのだと思う。





生真面目で、善良な「いい人」のお父さんはバレてひどい目にあう。

こんな人は悪いことをするべきではなかった、とも思わなくもないが、

もはやそれしか選択肢はなかった。




世の中、何が良くて何が悪いのか。




ただひとつ言えることは、




お父さんを、責める言葉が出てこない。




やったことは悪いことなのだけど、ひどいことをしたと決めつけることはできない。




だから悲しい。




最後に、自転車の持ち主が、彼に対してとった行動.................。




それがすべてを物語っている、と思う。








筆者は永らくの間、英語のテキストらしき本をずっと読んできた。

「独学」ってほどではなくて、ほとんど読書レベル。

読みたくなくなったらやめていた。



読み始めてはやめる、の繰り返しだった。

単語カードを作ってみたり、なんてことはあったかも。



べつに語学に関心があるのでもない。

読む理由って「ただ、なんとなく」だった。




そんなわけで、適当に読んできた私は英語って本当にわかってないというか、理解できていない。





当たり前のように学校での授業も受けてきたし(英語の成績はごく平均点だった)、洋画好きで英語は昔から耳にしてきた。



テレビをつければ、ニュース番組では普通に英語が聞こえてくる。




それでもさっぱり、という感じで、話す、聞く、書く、読む、どれも苦手。





いつの時代もそうだったと思うけど、私が若い頃もすでにこれからの社会は国際化の時代になるだろうから、英会話はできたほうがいい、みたいな風潮は少なからずあった。




現代はもう、当時より格段に進んでいるでしょう。



なんか今の大学生とかは、普通に英語がわかっていそうだし。





田舎に住んでいると、わからなくて困ることはまずないし、わかるから助かった、なんてことも..........、ほとんど記憶にない。




ここは都市部とは違って、外国語はまるで必要ない田舎。




そんな生活環境にいると、自然と語学などに関心が向かない。

私の周りの人たちも同様だと思う。





もうほとんど、英語ができるからって何なんだ?って感じ。



英語なんてどうでもいいから、自分の仕事をちゃんとしろよ!なんて言われそうだし。



勉強するとか言うと、「アンタ、そんなにヒマなの?」とも思われそう。(って決まってる)



私は普段は、日本語よりさらに難しいと思われている津軽弁で話している。(苦笑)




英語が得意科目だったという人はいたと思うけど、ペラペラなんて人もまず、いない。



私のようにときどきでも本を読んだり勉強する、なんて人もいない。(と思う)




でも、英語検定○級に合格したことがある人はいる。





私には外国人の友人、知人もいない。



職業柄、外国語の習得が必要だという人もいない。



アメリカ人が多い三沢市民はどうなのだろう。



不特定多数の人と接する、サービス業の人はどうだろうか。



近年は、昔よりも外国人も見かけるようにはなってきてると思うけど。






話せて会話ができる人って、何より賢くて知的に見える。



通訳や、翻訳みたいなことを頼まれたりするのでしょうか。



海外赴任の話などもきそうだし。



もちろん、海外旅行に行って言葉で困ることも減ると思う。



言うまでもなく、就職にも有利。



英語が堪能ならいいことずくめで、少なくとも損をするなんてことはないでしょう。




できる人って尊敬できるし、憧れます。




仕事で必須だとか、できないとなんらかのデメリットを被るとか、そうでないとなかなか身につかないものでしょう。





独学では無理だろうからキチンと習いに通いたい、と思ってたときもあった。



でもやっぱりちゃんとした目的がないと、途中でやめてしまうのは目に見えている。

それはもう、お金を捨てるようなものだし。



漠然と、話せたらカッコいい、とか、なんとなく、という理由ではそうそう身につかない。





ということで、私にはしっかりした目標がないから何十年間もこうだった。




テキストを開けば、文法的な説明などが主でそれが難しく思えて理解に苦しむ。



そこでまず、つまずく。



こんなだからいつまで経ってもわからないままだ。



解りやすいテキストがないか、探し回ったときもあった。




私はもう勉強をするという年齢ではないのだが、やっぱり何歳になっても勉強は必要なはず。



だから目標があって、気持ちがぶれずに突き進める人ってそれだけで立派に見える。



なので、本格的に勉強する前にまずは目標を決めなくては。



大げさな目標でなくてもいいかと思う。



趣味の映画鑑賞で、字幕なしでセリフを理解できたら、と「趣味レベル」の目標から始めよう。



って、こんな気持ちをいつまで維持できるのか...............?


 






昨年の夏の午後のこと。


たまたま偶然に、路上で小さ目のカブトムシのメスがひっくり返っているのを見かけた。




最初は死骸かと思った。

よく見たらまだ生きていた。




放っといておけば死ぬ。

かわいそうだけど自然界はそのようなものだろうと、そのまま立ち去った。




1時間ぐらいして再び通りかかったので、さっきのカブトムシはどうしたかと気になったので探した。




先程と同じ状態だった。

弱々しく生きていた。





こうなるとほっとくわけにはいかない。




家に持ち帰り、さっそく飼育ケースを用意した。

マット(土)など、家にひと揃い置いてあったもので間に合わせて飼育体制を整えた。




カブトムシのそばにエサも置いたが、どうにも食べると思えなかったが。

やれることはやった、思う。





翌日の朝、ケース内を見たら死んでいた。



家の裏庭に穴を掘って埋めた。





カブトムシがひっくり返っていた場所の近くは、草むらが広がっている。

どうみてもカブトムシが居そうな場所ではない。



木々が立っている所からはかなり離れている。




エサを探しているうちに、場違いなところに来てしまったのだろうか?



それとも外敵に追われているうちに、こんなところまで来てしまったのか?




小さいカブトムシはエサにもありつけず、弱って死んでいくのだ。




この時期は真夏だったから、暑さでもやられたと思う。




若くて体力があって身体も大きいカブトムシは、エサがある場所も探せるし、それなりに食べることもできるでしょう。

涼しい場所にもスムーズに移動もできる。





身体が小さくて体力も衰えてきたようなカブトムシは、こうして弱っていき、そうこうしているうちに外敵に襲われたりして命を落とす。




これが厳しい自然界というか、昆虫の世界の定め。





では、人に飼われているカブトムシはどうなのか。

野生のカブトムシと比べて恵まれているのだろうか?






昆虫飼育を再開して、早いもので4年が過ぎた。

(再開のきっかけはコロナだったこともあった)




この4年間で、カブトムシ(成虫と幼虫)、クワガタ(成虫)、鈴虫を飼育してきた。




総合して考えると飼育下の昆虫は、





「少し長く生きていける」





ただそれだけ、って気がする。




生きれるだけ、恵まれているのだろうか。




これまでの経験では私の飼育方法が悪かったのか、元々の個体の生命力が弱かったのか、短命に終わった昆虫もいた。




正反対のこともあった。





たいして気をつけたのでもないのに、丈夫だったのか長生きした昆虫もいた。




昆虫飼育って、それなりに飼い主の飼い方も影響すると思うけど。




私は昆虫飼育に関しては素人だから、せめて自然界の昆虫と同等の環境に近づけようと、なるべく大きいケースで飼った。




他にも暑さ、寒さ、湿度、害虫駆除........。

自分なりに気を配ったつもり。





とはいえ、どんなに大事に飼育しても昆虫は何ヶ月か(カブトムシは幼虫などの期間を含めると、種類によっては1年から数年)で一生を終える。




明日生きているかわからないのは何も昆虫に限ったことではなく、命ある生き物すべてにあてはまる。






昆虫は本能のままに生きていると思う。




食べ物があれば食べるし、暑い寒いを避ける習性を供えている。


外敵から身を守る習性もある。




それなのに、長くは生きられない。

  



飼育下の昆虫も同様で、ほんの少し長く生きられるぐらいだ。





中には、生命力が強くて弱ってもなかなか死なない昆虫もいた。



弱って苦しんでいるのは、もうあきらか。




でも飼育下では外敵もいない。

温度もほぼ適正。





だから死ねない。





かといって、私の手で殺すことはどうしてもできなかった。



外の草むらに逃がすのはどうかと考えたが、それは飼い主の責任を放棄するようで、それもできなかった。



結局、弱って苦しむ期間が延々と何日も何週間も続いて死んでいった。





それって逆にものすごく残酷なことだと思った。





自然界では、弱ってきた頃にちょうどいいときに外敵に喰い殺されたり、アリなどに運んでいかれる。



あるいは暑さや寒さにやられる。



それは私たち人間の感覚では残酷なことに思える。




けど、自然界では残酷なことでもなんでもない。





外敵の存在も普通なこと。



もし外敵が居なかったら、そこらが昆虫だらけでとんでもないことになる。




外敵が昆虫を襲うことで、数のバランスがとれるのでしょう。




その外敵自身も昆虫を食べることで生きているし、自分よりも強い外敵から身を守っている。






そして最終的には、また土に還る。



土は言うまでもなく、昆虫や生き物にとってなくてはならないもの。



それにまた還っていく。

新しい命の源になる。




これを繰り返す。

命はつながり、循環していくのだ。






それを人間だけが思うように変えようとする。





私が弱ったカブトムシを見つけて持ち帰り、元気になるようにと飼育下に置いたなど、カブトムシや自然界からみればいい迷惑、ということになる。




私は死んだ後も、形にして残したいと標本にしたこともあった。





それがどういうことなのかは、凡人の私にはうまく答えられない。

気の利いた答えなど、私には述べられない。




昆虫飼育をしていると、この矛盾にいつも突き当たる。




飼育をしながら実は日々悩んでいる、ということは薄々感じてる。





昆虫が好きだから、という気持ちが逆に昆虫を苦しめているのかも..................?




飼っている昆虫が元気なうちはいい。


けど弱っていく昆虫を毎日見ると、気持ちも落ち込む。





こんな気持ちになりながらも、昆虫飼育は続いてきた。



本当に耐えられなかったら、もっと早くにきっぱりやめていたはず。



なのに、続けてきた。



やっぱり昆虫が好きだから、でしょう.......。



生と死は見えない何かでつながっている。






画像は、弱ったカブトムシのメスを見つけた場所。