基礎講座6
市場が半年先、1年先を予測することなどはじめからできないのです、それは「見せかけ」、結果としてそのように見えるということです。株価の上昇は企業に新たな資本余剰を産み出し、より高い生産活動を保証します。設備投資、労働賃金の向上を通じ全産業、社会全体に波及していきます。さらに国民の貯蓄は金融機関を通じ投資意欲に向けられ上昇トレンドが補強されていきます。つまりその過程にようする時間が、結果として「半年先、1年先の状態を表現」しているように見せかけているのです。
それでは株価が下落すればどうなるでしょうか?
マルクスの「資本論」では「恐慌論」が未稿に終わっています。
しかし彼の「余剰価値学説史」のなかでその一端が伺えます。余剰資本が企業の生産枠、社会全体のシステムの枠を大きく上回ったとき、いき場のない矛盾を発生させます。ある業種への疑問視が、それとリンクする全産業に波及し、やがては社会全体への影響を及ぼします。一気にグラグラと来るわけです。
株式市場の下落がGDPにどれだけ影響を及ぼすのかご存知でしょうか?そしてこれも「半年先、1年先」という時間経過で実際にファンダメンタルズが低迷するという「見せかけ」を生むのです。
私としては予定調和な「市場論」よりも、こちらの説明のほうが理にかなっていると思うのですが…
基礎講座5
私達は次のことをよく耳にします。
「株価は経済全般の先行指標である。株価水準は半年先、一年先のファンダメンタルズの状態を表現している」なぜなら「市場で株価はこれから予測される材料を次々と織り込んでいくから」と。
しかし私は市場にそのような機能が本当にあるのか常々疑問に思っていました。市場参加者はすべての将来を予測できる神か予知能力者ばかりなのでしょうか?むしろ市場は誤り続けていると考えているのです。
ソロス氏が80年代に株価変動をブーム=バーストモデルで説明しました、簡単にいうと、市場は常にバイアス(ゆがみ、偏り)を内包しており、投資家がゆがみをもった市場の中で正しい株価水準を発見したとしても、市場の中ではそのトレンドが常に補強され、新たな「ゆがみ」を作ってしまう。その「ゆがみ」が「ブーム」となり拡大し「バースト」するまで動きを止めない、「バースト」は新たに負のゆがみを作るというものです、そのため市場は常に誤っていると。
こんないい会社の株が上がらないハズはないと思って買ったら急落した、こんな話はよくあることなのですが「ハメられた」「市場は信用できない」と嘆くよりも「常に正しいのは相場自体であり、常に間違っているのは自分自身だ」という認識が必要なのです。
基礎講座4
株価(市場価格)の変化に不合理性を感じる投資家はどれだけ多くいることでしょうか? 過去からいかに多くの投資家が「こんな相場は間違っている」と叫んだことでしょう。
株価(資本)の本来の価値はどのようなものであり、どうして市場価格との間で乖離が生まれるかを考えてみましょう。
「株式」には3つの性格と価値があります。これを株価の3つのファンダメンタルズと考えます。
1、受益証券
企業の獲得する利潤の分配を受ける権利。
現在、配当期待で株を購入する投資家は少数でほとんどがキャピタルゲインを期待しての投資行動です。
しかし当然ながら、資本は前期資本金額と当期利益で構成しますので、1株あたりに占める利益の割合が投資行動の出発であります。
2、物的証券
企業が保有する資産に対する所有権です。
きぎょうが解散した場合、株主は株式数に応じて企業に残存する純資産を獲得することができます。株主の残存財産請求権ですが、このことが株式の最低限の価値(PBR)の裏付けです。株価が低迷し倒産が話題になるとき脚光を浴びる視点です。
3、支配証券
企業の経営権です。株主総会が企業の最高決議機関であり、経営決定権限は保有株式数に比例します。
PERを株価のファンダメンタルズとして最も重要な要素と考えれば、「株価」は「利益成長率」「リスクプレミアム」「市場金利」の3つの要因で変動することになります、格付け会社なるものが繁盛するのもうなずけます。
「利益成長率」「リスクプレミアム」は将来の予想価値です。現在の株価というものは前提として将来価値を含んでいる、という理解が必要です。
現在の株価は、投資家が将来期待している株価に配当を加えたものを市場金利とリスクプレミアムで目減りさせたものに他ならないのです。
ここでいう「投資家が将来期待している株価」の将来とはいつの時点をさすのでしょう?企業決算の1期とみるのが常識ですが、はるかかなたの将来を夢見る投資家もいれば、目先の近い現実を見る投資家もいることでしょう。毎日の株価の変化、それらが微分的に煮詰められた結果なのです。
「こんな相場は間違ってる」と叫ぶ投資家への答えですが、「市場はは最初から最後まで間違っているのです、投資家すべてが神でない限り」
