●奇跡の作戦

 

 

 

今日は何を書こうかと、ニュースを見てみると、

 

 

一昨日の19日、外務省が今まで極秘扱いになっていた外交文書を22冊公開した。

 

 

これによって、沖縄返還交渉をめぐってのやり取りや、中曽根・レーガン書簡など、

 

 

今までベールの下に隠されていた外務省とアメリカ政府とのやり取りが、明らかになった。

 

 

こういう外交文書は、50年間は公開しないとしていた。

 

 

 

 

 


この様に、当時はどうしてアメリカが、ああいう行動をとったのか、

 

 

今まで謎だった部分が、戦後になって初めて明らかになる事があります。

 

 

 

 


今日は、私が最も感動した、東京裁判(戦争犯罪人を裁いた裁判)での、

 

 

あるアメリカの不可解な謎の行動には、戦後だいぶたってから明らかになった話を紹介したいと思います。

 

 

そこには今の日本の歴史の教科書には載っていない恐ろしい野望があったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

1888年、一人の男の子が淡路島に生まれます。

 

 

名前を、季一郎(きいちろう)。

 

 

5人兄弟の長男でした。

 

 

実家は代々続く船問屋でした。

 

 

所が、この時期(明治)以降、世の中は蒸気船が普及し始めます。

 

 

そして、季一郎の父の代で、船問屋は倒産。

 

 

両親は離婚しました。

 

 

季一郎、11歳の時でした。

 

 

その後、季一郎は母の実家に引き取られますが、生活は苦しく、

 

 

季一郎、18歳の時、養子に出されました。

 

 

当時、日清戦争が終わったばかりで、日本の勝利で終わった戦争でしたが、

 

 

ソ連(今のロシア)は、日本が戦争で勝ち取った遼東半島を自由に出来るのが気に入らず、

 

 

フランスとドイツと共に、遼東半島を返還する事を要求してきます。(三国干渉)

 

 

結局、日本はソ連の要求を蹴る事が出来ず、遼東半島を放棄したのでした。

 

 

季一郎は、この事を知りソ連に対して危機感を覚えます。

 

 

軍人となる決意をすると、迷わず陸軍士官学校に進学しながら、

 

 

東京外語学校でロシア語を徹底的に勉強したのでした。

 

 

その後、陸軍大学校を卒業すると、ロシア語が堪能だった事もあり、

 

 

季一郎は、すぐウラジオストク(シベリア)に派遣されます。

 

 

その後、満州やロシアのあちこちに赴任したのち、36歳の時にポーランド公使館付武官に任命されます。

 

 

しかし、当時ヨーロッパでは、日本人も下に見られ差別の対象になっていたのである。

 

 

そんな中で、季一郎に優しく接してくれたのはユダヤ人だけでした。

 

 

ソ連に赴任している時も、どうぞ私の家を使って下さい。と言ってくれたのもユダヤ人だった。

 

 

だからウラジオストックに滞在していた半年間も、ずっとユダヤ人の家の身を寄せてお世話になっていた。

 

 

ある時、季一郎がロシア領のグルジアを旅している時でした。

 

 

貧しい集落に立ち寄ると、一人のユダヤ人の老人に呼び止められます。

 

 

老人は季一郎が日本人だと知ると、急に顔色が変わりました。

 

 

そして、急いで家に招き入れ、彼に涙ながらにして話し始めたのでした。

 

 

「私たちユダヤ人は世界中で迫害されています。

 

 でも、日本の天皇こそが、そんなユダヤ人が困っている時に救ってくれる救世主に違いありません。」

 

 

実際、その直後の1933年、ヒトラーが総裁になると、ユダヤ人への虐待が積極的に始まったのです。

 

 

その中でも特に有名なのは、「水晶の夜」という事件です。

 

 

発端はあるユダヤ人の少年がドイツの大使館員を殺してしまった事件でした。

 

 

これは数ある事件の一つに過ぎませんでしたが、ヒトラーのナチス政権は、この事件を利用します。

 

 

全ドイツ国民に、ユダヤ人への報復を呼びかけたのです。

 

 

すると、それを聞いた国民がたった一夜の内に、ドイツ国内の全ユダヤ教の教会を破壊し、焼き、

 

 

7500店舗ものユダヤ人が経営する店のガラスを割ったのでした。

 

 

町中の路地は、教会のガラスと店舗のガラスの破片が散らばり、

 

 

その日の夜には、街灯の下で沢山のガラスの破片がキラキラと光り、

 

 

まるで沢山の水晶がばらまかれてるいる様に道が輝いていたと言います。

 

 

やがて、ユダヤ人はゲットーに送られ虐殺が始まったのである。

 

 

当時ポーランド国民の3分の1がユダヤ人でした。

 

 

みな虐殺を逃れようと子供を連れて命からがら、ソ連(今のロシア)に逃げます。

 

 

ソ連は当時、ユダヤ人達の入国を許可していました。

 

 

と言うのは、シベリア開発の働き手が大量に必要だったからです。

 

 

しかし、ソ連に逃げてきた人たちはひ弱なインテリや子供、老人、女性たちで、

 

 

とてもシベリア開発の担い手になりそうな人たちではありませんでした。

 

 

そうなるとソ連政府は、そんなユダヤ人達には興味が無く、援助する事はありませんでした。

 

 

ユダヤ人家族や子供たちは、電車を乗り継ぎ、ロシアと満州の国境までたどり着きます。

 

 

シベリア鉄道の満州への終点・ オトポール駅です。(現在のザバイカリスク駅)

 

 

しかし、満州国に入る為のビザがありません。

 

 

ユダヤ人達は、オトポールの駅で-20度という寒さの中、途方に暮れていました。

 

 

極寒の中、凍死する者や餓死する者が出始めます。

 

 

当時、日本はナチスドイツと防共協定を結んでいて、ナチスから逃れてきたユダヤ人達に

 

 

ビザを発給する事が出来なかったのです。

 

 

満州国に居たユダヤ人会の仲間たちは、色々な方面にお願いしますが、

 

 

誰もビザを発行する危険をおかす日本人を探すことはできませんでした。

 

 

何しろ軍部の方針に逆らう事は、即クビが確実だったからです。下手したら銃殺です。

 

 

そんな時、ユダヤ人会が最後の頼みの綱として頼ったのが、

 

 

当時ハルビン特務機関長になっていた樋口季一郎でした。

 

 

極東ユダヤ人協会の会長、カウフマンは季一郎に難民の救済を訴えました。

 

 

「仲間たちが、オトポール駅で凍死しそうになっています。

 

 どうか、どうか助けて下さい。」

 

 

季一郎は、迷うことなく、直ぐにオトポールに居るユダヤ人達に食料と毛布、燃料を届けます。

 

 

そして独断で、ユダヤ人達にビザを発給しただけではなく、彼らの為に特別列車まで用意したのです。

 

 

助かったユダヤ人達は、季一郎とそれを手伝った安江氏の事を列車から、

 

 

見えなくなるまで手を振って感謝していたといいます。

 

 

「ありがとう。ありがとう。Mr.樋口。

 

 この御恩は、きっといつか、きっといつの日か、お返しいたします。」

 

 

当時、季一郎の妻は娘(四女)にこう言っていました。

 

 

「お父さん、クビになって日本に帰るかもしれないの。だから荷物の整理しましょう。」

 

 

実際、この事件を耳にしたナチスは激怒して、日本に抗議します。

 

 

「ユダヤ人達を助けた樋口を処分しろ!」

 

 

ナチスの抗議は、当時の東条英機の耳にも入ります。

 

 

そして独断で軍部の規則に違反したとして、関東軍司令部に出頭し、東條英機参謀長と会います。

 

 

季一郎はクビを覚悟していました。

 

 

しかし、相手が東条英機といえども、一応言いたい事は言ってから辞めようと思いました。

 

 

「日本はドイツの属国ではありません。

 

 ドイツが ユダヤ人達を迫害し死に追いやるのであれば、 それは人道上の敵と言うべきです。

 

 それに日本が日露戦争の時、困っていた時に助けてくれたのは、ユダヤ人です。」

 

 

実は、日露戦争の時、日本は資金難で戦争するお金が無くて困っていた。

 

 

当時の日銀副総裁だった高橋是清(これきよ)は資金調達の為にアメリカに渡り、

 

 

外債を引き受けてもらうと奔走するが、どこも日本の公債を引き受けようとしなかったのである。

 

 

高橋是清は最後の綱として、日英同盟を結んでいたイギリスに渡ってお願いしたのだが、

 

 

ロスチャイルドに融資を断られ、八方塞がりの状態だったのである。

 

 

そんな時、日本を救ってくれたのがユダヤ人の銀行家だったのである。

 

 

これによって、日本は戦時国債を発行する事が出来、日露戦争に勝つ事が出来たのである。

 

 

実は後に分かるのだが、当時ユダヤ人達にとっても日本は救いの神だったのである。

 

 

その頃、ソ連(ロシア)ではユダヤ人迫害が始まっていたが、

 

 

どの周辺国も大国ソ連に戦いを挑む国など無かったのである。

 

 

のちに投資したユダヤ人銀行家は、こう書き残している。

 

 

「ロシア帝国に対して、立ち上がった日本は、神の杖(つえ)である!」

 

 

その後、日露戦争に負けた帝政ロシアが崩壊したのは言うまでもない。

 


いずれにしろ、樋口季一郎の言い分に納得した東条英機は、

 

 

樋口季一郎の行為を不問として許しただけでなく、

 

 

彼を処分せずに、逆に参謀本部第二部長へと栄転させたのでした。

 

 

そして、東條英機はドイツの抗議にたいして

 

 

「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ!」と一蹴しました。

 

 

後に、樋口季一郎はこう語っています。

 

 

「東条は頑固者だが、筋さえ通せば話は分かる。」

 

 


その後、このユダヤ人救出ルートをユダヤ人達はヒグチ・ルートと呼び、

 

 

次々にこの命の脱出ルートを聞きつけて、ユダヤ難民達が助けを求めてやってきたのでした。

 

 

このルートで上海に逃げる事ができたユダヤ人は、4370人に上ります。

 

 

また極東ユダヤ人会によれば、助かった人達は2万人にもなるはずとも言われます。

 

 

1942年、季一郎は、札幌に司令部を置く北部軍の司令官となり、

 

 

北東太平洋陸軍作戦を指揮する事になり、満州を立ちました。

 

 

しかし、ハルピンを出発する日、数千人のユダヤ人が季一郎を見送ったと言われています。

 

 

 

 

 


さて、北海道に赴任になった季一郎ですが、

 

 

ここで、人生最大の難問が彼を襲います。

 

 

 

続きは、→ ⇒ https://ameblo.jp/hirosu/entry-12427301059.html

 

 

 

前のページ(奇跡の作戦のつづき)に戻って読んで下さい。

(1つ前にすでにアップ済)

 

 

 

 

 

 

●自殺した場所。

 

 


自殺した人は、普通に亡くなった人よりも倍以上成仏しにくいです。

 

 

それは、悩みや恨み、悲しみや絶望感を抱えて亡くなったり、

 

 

後悔や世の中に対しての恨みを抱いたまま解決しないままに亡くなるからです。

 

 

亡くなってから、ああすれば乗り越えられたのに、とか、せめてあの人に相談していれば、と、

 

 

亡くなった後から、冷静に考えて後悔するのです。

 

 

倍以上成仏しにくい。という事は、遺族の方は倍以上供養してあげればいいのですが、

 

 

実際はなかなか、そうはなっていない事は多いです。

 

 

だから、自殺はしない事。必ず何か乗り越える方法があるはずです。

 

 

占いは、匿名の名前で相談出来る事もあり、

 

 

稀にですが、同級生をいじめに加担して自殺させてしまった事があります。

 

 

という事を打ち明けられる事があります。

 

 

その子は、主犯格では無かったと言いますが、今でも忘れらないといいます。

 

 

その自殺した同級生は、電車に飛び込んでの自殺だったそうです。

 

 

私が彼女にアドバイスしたのは、確か3つほどです。

 

 

■まず、普段その自殺した彼女の事が頭をよぎったら、

 

その彼女がそばに居るという事もあるので、手を合わせて、

 

「ごめんなさい。どうか成仏なさって下さい。」と祈る事。

 

 

■電車でその自殺した駅を通り過ぎる時や、車でその駅の近くを通り過ぎる時は、

 

窓から手を合わせてあげる事。

 

 

■そして、なくべくなら、その駅は使わない事。

 

なぜなら、亡くなった霊にもよるんですが、恨みが強い時は、

 

いじめた相手を待っている事があります。その場所でいじめた相手がやってくるのを、

 

じっと待っていて、復讐してやとうと思っている事が稀にあるからです。

 

 

 

 

 

 

 

こんな不気味な出来事があった事があります。

 

 

ある町のマンションで、女性が殺されました。

 

 

犯人はその女性とは面識の無い行き当たりの犯行だったと思われました。

 

 

防犯カメラから、犯人は中肉中背のやや四角っぽい顔の男としか分かりませんでした。

 

 

結局犯人は捕まらないまま、1年が過ぎました。

 

 

すると、そのマンションで不思議な事件が多発したのです。

 

 

続けざまに、そのマンションを訪れたセールスマンや初めて訪れたという人が、

 

 

マンションから落下して3人が亡くなるというものでした。

 

 

不思議な事に、その3人とも男性で、しかも、

 

 

中肉中背で顔が四角っぽかったといいます。

 

 

 

 

 

 


こういう自殺した場所というのは、私たちも無縁ではありません。

 

 

私は今、千葉県に住んでいますが、東京から千葉に越して来る時に、

 

 

同じ東京にあるマンションに引っ越す事も候補に挙がっていました。

 

 

母が探してきたマンションで、仮契約したのちに私と父が見に行っての最終判断となりました。

 

 

そのマンションは、縦長な部屋の構造をしていて、南側に面している部屋と、

 

 

北側に面している部屋がありました。

 

 

どちらの部屋も窓があり、窓から景色が見えます。

 

 

ところが、北側の部屋に私が一歩踏み入れた時でした。

 

 

少し寒気を感じたんです。

 

 

 

何だろう。窓でも少し開いているのかな。と思いましたが、窓は開いていません。

 

 

実は、地縛霊が居る時、人は近くにいくと寒気を感じる事があるのです。

 

 

その後、私たちは自宅に帰って話し合う事になりました。

 

 

ところが、その時、友人の渡河から電話があり、

 

 

なぜか話題が、過去に扱った飛び降り自殺の話になりました。

(その後、彼になんで飛び降り自殺の話をしだしたのか聞いても、分からないと言いました。)

 

 

しかし、これは決定的な事だと感じました。

 

 

実は貴方の守護霊が、どうしても貴方に伝えたい事があると、上の様に、

 

 

誰かの口を借りて伝えてきたり、偶然開いたいた雑誌のページが飛び降り自殺の記事だったり、

 

 

偶然見たテレビが飛び降り自殺の事をやっていたりします。

 

 

結局私たちは、東京のマンションを止めて、千葉に引っ越す事になったのです。

 

 

のちに調べてみると、やはりあのマンションの部屋で飛び降り自殺があったのがわかりました。 

 

 

それも北側の部屋から下の路上に飛び降りたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

なんか今日は、湿った話題になってしまいましたので、

 

 

最後は、何か皆さんに役に立つような話で締めたいと思います。

 

 

 

 

 

 

ある夜、若い女性の方から電話相談がありました。

 

 

彼女は現在、彼氏の実家から電話しているといいます。

 

 

結婚を前提として付き合っているという彼が、彼女を親に紹介してくれたのです。

 

 

彼女は大喜びで、用意していた勝負服を着て、彼の実家に挨拶に行ったそうです。

 

 

すると、せっかく来たのだから夕食も食べていきなさいという事になり、

 

 

その後も全員でDVDを見たりしていると、

 

 

今度は遅くなったので、もう今日は泊まっていきないさいという事になったそうです。

 

 

彼氏の実家は、駅まで歩いて行ける距離では無かったし、バスの運行も終わっていたので、

 

 

一人暮らしだった彼女はその言葉に甘える事になりました。

 

 

そこまでは良かったのですが、

 

 

突然、彼のお母さんから、

 

 

「ケイちゃん、彼女に隣の開いている部屋を使ってもらいないさい。」

 

 

と、二階の開いている部屋を彼女に使ってもらう様に指示したのです。

 

 


実は、彼女は彼氏から、約10年前に兄がその部屋で自殺した事を聞いていたのです。

 

 

彼女は困ってしまったといいます。

 

 

彼氏には、両親は昔ながらの古い考えの人で、まだ婚約もしていない間で同じ部屋で寝るのは、

 

 

良く思われないので、今日だけ我慢して。と言われたそうです。

 

 

かと言って、ご両親の手前、自殺した部屋なんかで寝れません。とも言えないと言います。

 

 

彼女いわく、「怖くて、そんな部屋で寝るなんて出来ません。どうしたらいいでしょうか?」

 

 

そんな電話相談でした。

 

 

 

 

 

 

 

実は、こういう地縛霊が居そうな部屋で安全に寝る方法があります。

 

 

■まず、部屋に入る前に「お邪魔します。」と言ってから入ります。

 

 

■次に、机などの上に、コップ一杯の水を入れて置きます。

 

可能なら、その前にお菓子なども置きます。

 

 

■そして、「どうか成仏なさって下さい。」

 

「どうか今日一日だけ、ここで寝かせて下さい。」と手を合わせます。

 

ちなみに彼女の場合、霊の名前が分かるので、「○○さん、どうか成仏なさって下さい。」

 

と言う様にアドバイスしました。

 

 

■使用後に、「ありがとうございました。」と礼を言って出ます。

 

 

 

 

これは、色々な所で利用出来ます。

 

 

例えば、海外のホテルに泊まった時に、なんか嫌な感じがする部屋に泊まった時とか、

 

 

日本でも気味の悪い旅館に泊まって、寒気がした時などに上の様にして寝るといいです。

 

 

実際、芸能人でもホテルに泊まって怖い思いをしたという事も有るようで、

 

 

俳優の中尾彬と奥さんの池波志乃さんが、実際にホテルに泊まった時に怖い思いをしたそうです。

 

 

詳しくは下のブログに書いた事がありますので、興味がある方はどうぞ。

●父は成仏してますか?(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12261152059.html

 

 

 


そんなホテルでも、上の様に事をやって寝れば、

 

 

大抵の地縛霊は、あんただけは今日一日くらいなら大目に見てやる。

 

 

と許してくれる事が多いと、霊能者は言います。


END

 

 

●結婚相手が外国人

 

 


占いの仕事をしていると、年に1件くらいですが、

 

 

国際結婚の悩みを抱えた女性の相談を受ける事があります。

 

 

 

 


そんな時、占い師として、まず頭に入れておかなければならないのは、

 

 

やはり、相手が何人かという事です。

 

 

なぜなら、どんなに占いでの相性が良いと出ても、相手のお国事情を考えないと、

 

 

滅多やたらに賛成は出来ないからです。

 

 

 


私はマレーシアという他民族国家で高校時代を過ごしたので、

 

 

その点は少し学んだ所がありました。

 

 

例えば、マレーシアの女性は17歳近辺で結婚してしまう人が多かった。

 

 

そして、従兄弟(いとこ)同士の結婚が多いのも日本では考えられい事だった。

 

 

また、マレー人は基本イスラム法に忠実な方がほとんどなので、

 

 

イスラム教によると、5人以上の女性と婚姻してはならないとある。

 

 

もっと詳しく言えば、

 

 

アッラーの神は、こう言ったという

 

 

『あなた方の気に入る女性と、2人でも、3人でも、4人でも、結婚するがよい。

 

 それで、もし(それぞれの妻を)公正に扱えない事を恐れるなら、1人だけにせよ。』

 

 

そして、こうも言っています。

 

 

もし、他の宗教からイスラム教に改宗した時に、

 

 

5人以上の妻がある者は、彼女たちから4人を選び、残りは離婚しなければならない。

 

 


この事から、5人以上の女性と婚姻してはならない。という教えになっています。

 

 

 


つまり、占いの相手の男性がイスラム教の方なら、

 

 

私も不倫などの心配をしなくて占えるという事です。

 

 

というのは、外国人の場合、本国に帰ったら妻がいたという事もあるので、

 

 

男性の国籍を知る事はとても重要です。

 

 

国際結婚の場合、宗教以外にも親の存在が以外に大事という国もあります。

 

 

 

例えば、インドの場合、

 

 

ほぼ90以上は、結婚は親が決めます。

 

 

だから、インド人を好きになった女性には、

 

 

まず、彼の親は今どこに住んでいるのか聞きます。

 

 

日本で一緒に暮らしているなら、まだ可能性は高いです。

 

 

日本暮らしがもう何年になるかでも違いますが、

 

 

日本人との結婚も許してくれる可能性があります。

 

 

ただそれには、占いよりは、まずは親に気に入られる事が最優先となります。

 

 

だから、彼と結婚したいなら、まず親と結婚するつもりで気に入られる様にしないさい。

 

 

というアドバイスが必ず加わります。

 

 

 


彼が中国人という場合も、インドと似ています。

 

 

中国もインドほどではありませんが、結婚は親が決めるのが現地では通常です。

 

 

だから、相手が中国人の男性であれば、やはり親に気に入れられないと、

 

 

例え占いの相性が良くても、結婚まで行くのは難しいのです。

 

 


その点、韓国の場合は、中国ほど親が決めるパーセンテイジは高く無いものの、

 

 

親の承諾は絶対的な所があります。

 

 

だから、占いの結果も良く、彼ともラブラブで、彼も結婚しようとプロポーズしてくれた。

 

 

という状況から、一転、

 

 

彼が、「親が猛反対しているので、結婚出来ない。」と言われた。

 

 

という残念な結果に終わってしまった相談者さんがいました。

 

 

私もその点の反省を含めて、韓国人の方との結婚も親に気に入られるのが最優先と言う様になりました。

 

 

 

 


相手の男性が、台湾人という場合もありました。

 

 

台湾の方の場合、なぜか日本人との結婚を反対する親は韓国ほど多く無く、

 

 

むしろ喜んでくれる感じがあります。

 

 

ただ、台湾の男性は、親孝行な人が多いという感じです。

 

 

もし、親が電車で行ける範囲に住んでいるなら、毎週末親の所に入りびたりという事も。

 

 

だから、台湾の方と結婚された相談者の方が、夫がマザコンで困るというので、

 

 

「それは違いますよ。台湾の方はそういう環境で育っていますから、

 

 日本で言うマザコンとはちょっと意味合いが違います。親孝行と捉えてみて下さい。」

 

 

とアドバイスした事もあります。

 

 

台湾の方は、両親を大切にするという事が多いので、

 

 

もし両親が台湾に住んでいるなら、結婚後は台湾に住むという事も視野に入れて、

 

 

それでも大丈夫ですか?という事を聞く事もあります。

 

 

 

 


フィリピン人の男性と結婚された女性が電話相談してきた事もありました。

 

 

彼女いわく、

 

「生活費に困っています。

 

 夫が給料のほとんどを本国に送金してしまう。」という。

 


「ご主人は、キリスト教ですか?」

 

 

「はい。」

 

 

彼女の場合、結婚されてから2年間は何の問題も無かったというが、

 

 

この前、車を事故って思わぬ出費がかさんでから、生活費が苦しくなり始めたという。

 

 

 

フィリピン人は男性も女性も、とても家族を大切にします。

 

 

ただ、あまり貯金するという習慣が無い人が多いです。

 

 

悪く言えばあるだけ使ってしまう所があります。

 

 

だから、日本人の貴方がいざという時の為に、ヘソクリしないとダメですよ。と言いました。

 

 

しかし、あるだけ使ってしまうという理由の1つに宗教観があります。

 

 

フィリピンの方は、キリスト教(カトリック)の方が多く、

 

 

日曜日には家族全員で村の協会に行き、

 

 

生まれた子供はすぐに洗礼を受けさせるので、結婚する前からその覚悟も必要です。

 

 

きっと結婚すると、キリスト教になって欲しいと改宗を求められる事もありますよ。

 

 

それは大丈夫ですか?と聞いたりもします。

 

 

そんなキリスト教の影響もあるのでしょう。

 

 

フィリピンの方は、誰かが困っていて、自分に余裕があると、

 

 

すぐに困っている人を助けてあげるんですよ。

 

 

その代わり、自分が困ったら、きっと助けてもらえると信じています。

 

 

だから、自分に余裕があると、母国に居る両親や兄弟に送金してしまうのです。

 

 

 

 


6年半前、東日本大震災が起きた時、

 

 

フィリピンからは、3億円近くの義援金が東北に届いた。

 

 

この金額はフィリピンよりも裕福な韓国やイタリア・ドイツ・ロシアやカナダなどよりも多かったのである。

 

 

その中には、家も無く、路上で暮らしていたり、墓で暮らしている人達がいる村でも

 

 

1ペソキャンペーンという子供による募金活動が行われました。

 

 

1ペソとは、日本円で2円です。

 

 

たった2円と思う人もいるでしょうが、家族が1日100円でやっと暮らしているという人にとって、

 

 

見も知らずの日本人に、その中から2円を寄付するというのは大変な事です。

 

 

それも子供ですから、大した小遣いも持っていないのに、その中からですよ。

 

 

それでも、3万9千ペソが集まったそうです。(74000円)

 

 

3万人以上の貧しい子供達が、震災で困っている東北の子供達に寄付をした事になります。

 

 

 

 


「そんな国の人のなのですよ。貴方の御主人は・・・」

 

 

彼女はヘソクリ頑張ってみます。と言って、電話を切られた。

 

END