3、鏡の向こ うに写る者(4)
直哉が初めて連れてきた女性、詩織の姿をみると、まどかは大喜び。
「かわいい!」
「初めまして。私、岡野詩織と言います」詩織はそう言うと、玄関先でまどかに深く頭を下げた。
「詩織ちゃんね。よろしく。私、直哉君の東京の保護者なの」
「ええ!そうなのですか?」
「あはは。さあどうそ入って」
しかし部屋の中へ入ると、恵一はまだ帰っていなかった。
「あれ?兄貴は?」直哉がそう言うと、まどかは「まだ帰ってこないの。多分また救急の仕事していると思う」と言って、せっせと準備をした。
部屋の中は、玲奈がいつも遊ぶアンパンマンの人形。おつかいセット。おもちゃのスマートフォン。詩織はそんな光景を微笑ましい表情で見渡していた。
そして、部屋の隅にいる2歳の女の子の玲奈を見つけると、思わず目を細め、そして「かわいい!」と言って、そのまま玲奈を抱き上げた。そんな詩織をみて玲奈も「きゃあきゃあ」と言って大喜び。
結局、恵一が帰って来ないため、定刻通りに焼き肉パーティーを始めた。
詩織が「お兄さん待っていた方がいいかと・・・」と気まずそうに言うが、まどかと直哉は「いいのいいの」と言って口を合わせた。
「でも・・・」
「いいから食べようぜ」
「そうそう」
ジュウジュウと油の跳ねる家焼き肉。家庭という物に最近無縁だった詩織は、何故か羨ましく感じてしまった。そして小さな玲奈を膝の上に乗せると、まどかに「子供ってやっぱりいいものですか?」と聞いた。するとまどかは「う~ん」と難しい顔をして考え込んだ。
「どうして悩むのですか?」
「それが傍にいると、ナカナカ可愛いと思えないのよ・・・特に女の子だからムカツク事平気で言うしね。部屋が汚いとか、服が可愛くないとか、意味も分からずにとんでも無いこと言うから・・・」
「あはは。そうなのですか」
「でもねえ。子供がいると、一人でいたら耐えられない事も、どういう訳か耐えられるようになるの。やらなきゃいけない。しなきゃいけないって。頑張らなきゃって。育児をしているつもりだけど、本当はこうやって子供から育ててもらっているのかもしれない」
そういうとまどかは、ニコリと詩織に笑った。
しばらくすると、直哉と詩織は、ベランダに出て外の空気を吸ってみた。
「まどかさんて本当にいい人だね」
「ああ、兄貴には全くふさわしくない人だよ」
「またそんな事言う」
「本当だって。会えばわかるよ。とんでもない奴だから」
「ふふふ」
「何だよ。なにかおかしいか?」
「どうしてお兄さんの事そんなに嫌うのかなって。何か嫌な事あった?」
「親父の葬式の日に、俺全然悲しくないって言ったり」
「他には?」
「俺が中学の県大会で優勝したって、全く興味がないって感じだったし」
「他には」
「俺が国体で優勝した時も全くの無視。親父だけがいつも俺の事を褒めてくれた」
「そう。じゃあ質問」詩織はそう言うと、右手を高らかに上げた。
「なんだよ」
「お兄さん順天堂医大卒なんだよね?」
「そうだよ」
「大学に合格した時、喜んであげた?」
「・・・いや・・・」
「じゃあ、お医者様の試験受かった時に、喜んであげた?」
「いや・・・」
「人って、一生懸命にやってきた事を、大切な人に喜んで欲しい、褒めて欲しいと思っている生き物だと思うんだ。私だってピアノやっているし、ナオだって今、陸上をやっている。でもそれって本当は心の奥底で、誰かに褒めて欲しいと思っているんじゃないのかなあ」
「・・・」
正論だった。直哉も本当は心の奥底では、詩織に褒めて欲しいと思っていた。
走る事でしか自分を表現する事ができなかった。それは、医学と言う道でしか自分を表現出来ない兄とあまり変らないのかもしれない。
「本当に一生懸命にやった事を認めてもらえないから、みんなそうやってへそ曲げるんじゃないのかな」
詩織が笑顔交じりにそう言っていると、部屋の中から「ただいま」と相変わらず無愛想な声。
「あ、兄貴が帰ってきたよ」そう言うと直哉は、しぶしぶ部屋の中へと入って行った。
直哉を見ると、恵一は「何だ来ていたのか」と一言。来ているのは知っていた筈なのに、この態度。さっき詩織に言われて、少しは兄貴への態度を変えてみようと思ったが、相変わらずの偏屈ぶりにそんな気持ちも失せてしまう。
すると直哉の背後から詩織が顔を出し「岡野と申します。お邪魔しています」と言って、挨拶をした。
「ああ、どうぞごゆっくり」恵一もそう言って、至って社交的な挨拶。しかし二人が同時に目を合わせると、その姿にお互い驚き硬直してしまった。
「君は・・・」
普段から冷静な恵一だが、自分の患者の突然の訪問に、思わず取り乱してしまった。
そして詩織も同様、恵一の姿を見て思わず呆然と佇んだ。