1、野球少年の夢(1)
恵は今日も夢を見た。
それは野球のユニフォームを着た、小学3年生ぐらいの少年がうずくまって泣いている夢だった。
そして恵がその少年の顔を覗き込もうとすると、少年は恵の体に抱きついて泣き出したので、そのまま少年を抱きしめた。
この野球のユニフォームを着た少年が泣く夢を、何故か最近見るようになったが、いまだにその少年の顔がわからないでいる。
分かっている事は、小学校3年生ぐらいで、いつも背中に「8」という背番号が書かれてある事だけだった。
はっと目が覚めて時計を見ると、朝の11時になっていた。
高校が春休みの為、恵はいつもこの時間に起きていた。
「またこの夢・・・」
最近あまりにも同じ夢が続くので、気味が悪いと思った。
少しあくびをしながら階段を下りて、一階の居間に行くと、恵の弟の淳紀がテレビの選抜高校野球を見ていた。
「じゅん、今日部活じゃないの?」と恵は眠い目を擦りながら言うと、淳紀は「もう終わったよ」と無愛想な感じで一言だけ言った。
淳紀は今それどころじゃなく、テレビの高校野球に夢中だった。
何故なら今日は選抜高校野球の決勝戦で、これから地元神奈川代表の武南高校と大阪代表の淀商高校の戦いが始まろうとしていたからだ。
淳紀が野球を見出すと、喋らなくなる事を恵は知っているので、そのまま何も言わずに台所に向かい昼食の準備を始めた。
そして居間のテーブルに、たまごやき、焼き魚、ごはん、味噌汁を並べると、淳紀は何も言わずに、テレビをみながらモグモグと昼食を食べはじめた。
恵が「じゅん、いただきますぐらい言いなよ」と注意すると、淳紀は面倒臭そうに「いただきます」と言った。
「まったく・・・」
恵は昼食を食べながら、淳紀と一緒に高校野球の放送を見た。
野球の事はさっぱり分からないが、何故か背番号「8」が気になってしょうがなかったのだ。
夕方になると恵はバイトに出掛けた。
恵の住む鎌倉の町には桜の花が咲きだしていた。
「キレイ・・・」と思いながら、これから夜桜祭りが始まろうとしている桜並木の道を歩き、そして鎌倉駅から電車に乗って、バイト先の横須賀へと向かった。
恵のバイト先は、横須賀の『コロンブス』と言うハンバーグレストランである。
夕方6時頃になると客足がピークを迎え、店内は一気に混雑しはじめる。
「恵、7番もうすぐハンバーグ焼けるよ」
「うん、わかった。じゃあ茜、11番の注文とってね」
そんなふうに言いながら、ホール担当の恵と茜は慌ただしく店内を駆け回った。
そしてバイトが終了すると、二人は休憩室で恒例のお喋りタイムをする。
茜は休憩室のパイプ椅子に座って「あ~疲れた」と言いながら伸びをした。
そして恵に「ねえ結局バイトだけの春休みだったね」と言った。
「そうだね」
「ねえ恵、なんかいい事ない?」
「ないよ・・・あっ!そうだ!」
「なになに」茜は興味津々で恵の話しに食いついてきた。
「あのね、今度鎌倉に『しまむら』がオープンするんだ。茜も一緒に行かない?」
茜はがっかりして「また『しまむら』の話?もういいよ、帰ろう」と言った。
恵と茜はバイトを終えると、京急線の汐入駅までいつも一緒に帰った。
「ねえ茜、私また見ちゃったんだ。あの夢・・・」と突然恵が言い出した。
「またあ?恵、大丈夫?呪われてんじゃないの?」
「なんか気味が悪くて・・・」
「気味が悪いのに、なんでその男の子抱きしめるの?」
「わからない・・・」
そんな話をしながら歩いていると、京急汐入駅までやってきた。
茜は、ここから電車に乗って横浜へと帰るので「じゃあね、恵」と言って、手を振りながら駅の改札口へと消えていった。
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