フォーエバー・フレンズ -93ページ目

5、完全復活(1)

詩織は今日も何かに取り付かれたように、ピアノのレッスンを受ける。

詩織の通う帝国音楽大学の教室には夕日が差し込む。ショパンの幻想曲へ短調は、一ヵ月後のコンクールの課題曲である。ショパンの中でも難易度の高いとされるこの曲も、全国区のコンクールとなれば、いとも簡単にこなしてしまう。

「岡本!ダメだダメだ!」

教授はそう言って演奏を止めてしまった。

「強弱が不自然すぎる。まるで怒りをピアノにぶつけているようだ」

「はい・・・」

詩織は思わず下を向いて黙り込んでしまった。必死に練習をして、必死に覚えて。だけど、音楽を人に伝えるという事は、なかなか上手くいかない。

怒りをピアノにぶつける?

今の自分は怒っているのだろうか?

そんなつもりは毛頭無い。しかし、教授はそのような酷評を繰り返す。

自分で自分がわからなくなってきてしまった。

音大のキャンパスを出ると、外は薄暗くなっていた。

薄暗くなった東京の空は、孤独な詩織からしてみれば尚更寂しく見えてしまう。

自分で選んだ道。自分で決めた道。そうやって何度も何度も自分に言い聞かせてきたが、時に人の心は限界というものを感じさせる。

そんな時、一通のメールが詩織に届く。直哉からだった。

『只今減量中。5キロ体重を落として、足への負担を軽減する。ああ・・・肉が食べたい』

「ふふふ」思わず笑ってしまった。

直哉も詩織同様何かに取り付かれたように、ロードワークを行っていた。

改造したばかりのフォームを何度も何度もチェックをしながら、自分の体に染み込ませる。

ロードワークが終われば、いつものように筋トレ。後遺症の足に筋肉という鎧をつける。

ストレッチ体操も欠かせない。

人に追われる詩織と違い、これからを目指す直哉。とにかく楽しくて仕方が無かった。

そして以前のような痛みは、少しずつだが消えて行き、段々と走れるようになってきた。

今駅伝に出ろと言われても困るが、秋の予選会までにはなんとか間に合うかもしれない。

そんな思いが直哉の脳裏にはあった。

そして練習を終わると、品川キャンパスから五反田の自宅まで走って帰って行った。

直哉が五反田にたどり着くと、外は真っ暗になっていた。そして家に帰る前にスーパーマーケットへ寄った。

最近はなるべく自炊をするよう心がけていた。スポーツ選手たるもの健康管理は、何よりも大切である。

「煮物でも作るか・・・」

そんな事を思いながら、カレイをじっと見つめていると、ポンポンと肩を叩かれた。

振り返るとなんと詩織が立っていたのである。

「詩織!」

「何してるの?カレイなんて見て」

「あ、ああ・・・その・・・カレイの煮付けでも作ろうかと思って」

「ええ?ナオって自炊するの?」

そして詩織は、直哉に連れられて、ワンルームマンションへとやってきた。

直哉の部屋はきれい好きな性格の為か、綺麗さっぱりと片付いていた。

棚の上には、過去の栄光の遺産であるトロフィーが並べられ、小さなちゃぶ台の上には、ゲーム機。男の部屋といえば、服を脱ぎ散らかしたりしているものだが、直哉の部屋は整理整頓が行き届いていた。

「へえ、綺麗・・・」

詩織は少し意外と言った顔をした。散らかっていると思ったら、意外にも綺麗だった。

「物が無いだけだよ」直哉はそう言うと、コーヒーを詩織に入れてあげた。

「これでも飲んで。インスタントだけどね」

「あ、ありがとう」

「よかったらご飯も食べていく?作ってあげるよ」

「ええ?本当?」

すると直哉はニッコリと笑いながら、料理の準備を始めた。

詩織も女の自分が台所に立たないとと思い、調理場に立とうとするも、いかんせん都内の小さなワンルームマンション。二人も台所に立つと、スペースが無くなってしまう。

「いいよ、いいよ。俺が作るよ」

「でも・・・」

「いいって」

煮付けのあまい香りがただよう直哉の部屋。今日の夕飯はカレイの煮付け。直哉は詩織の為に一生懸命に作ってみせた。

そして小さなちゃぶ台の上に、煮付けと、コーンサラダと、味噌汁が二人分置かれた。

「おいしそう!」

詩織は、煮付けのあまりにもの出来栄えの良さに驚いてしまった。煮崩れも全く無く、とても男の手料理とは思えない。

そして直哉に「食べてみてよ」と言われると、詩織は、そのカレイの煮付けを箸で細かく切り、口へと運んだ。

「おいしい・・・」

「だろ?」

「ナオって料理上手いんだね」

「まあ、基本食べる事が好きだからさ。詩織はよく料理するの?」

「それが・・・」

実は詩織は、全く料理が出来なかった。子供の頃からピアノばかり弾いていて、その手の類は、ほとんどといっていい程出来ない。

「私・・・料理できないんだ・・・」

「え?でもさっきスーパーに・・・」

「実は、お水買いに行っていただけなの。スーパーで買うと安いから」

そう言って詩織が照れ笑いすると、直哉は「あはは」と笑った。そして「料理なんて、いつでも勉強できるよ」と笑顔で言った。

ピアノに没頭する毎日だが、詩織には心のゆとりのような物が全く無かった。

自分と同じ歳の直哉。後遺症に悩みながらも、日々厳しいトレーニングをし、そしてキチンと料理もこなす。

ひたすらピアノを弾くだけが本当に正しいのだろうか?

お金を稼いで投資する事で、豊かな心がうまれるのだろうか?

もっといろんな事に挑戦して、もっと視野を広め、そして社会のいろんな事を理解する事で、自分の音楽は変っていくのではないか?

そんな事を考えながら、一人五反田の街を歩いていると、小さな一件の本屋さんを見つけた。そして詩織は何か思い立ったかのように、その本屋さんの中へと入っていった。

料理本を買って、ピアノ以外の事を少しでも挑戦してみようと思ったのだ。