6、ピティナピアノコンペティション(3)
気象庁は今日、東京の梅雨入り宣言を発した。
ダラダラと降る長雨の中も、直哉はトレーニングを欠かさなかった。試合に勝つ為だけの練習では無かった。辛い練習をしていると、詩織の事を少しでも忘れる事が出来た。そしてまるで何かを忘れたいかのように、直哉は連日必死のトレーニングを行っていた。
空を見上げれば、曇天の空。体を蝕むような空虚を振り払うように、直哉は一人トラック内を走り続けた。
そして雨の中を走り終えて、シャワールームから出ると、武が「今日行こうぜ」と言ってきた。
「何処にだよ?」そんなそっけない返事をしながら、着替えのシャツに袖を通すと、武はいつもの如く「合コン」。
「やだよ。疲れてんだ」
直哉がそう言って断ろうとすると、武はニターと不気味な笑みを浮かべた。
そして「お前、女に振られたんだろ?」と聞いてきた。
この図星とも言える武の発言を聞き、直哉は一瞬だけピタッと動きを止めてしまった。
「あはは!やっぱりな!」
「な、何でわかったんだよ」
「お前顔に出るからな。恐らく一途な片想いって奴だな」
「くっ・・・」
「あのなあ、もっと遊べよ。結局男は女から選ばれる側なんだから、一杯数こなさなきゃだめさ」武はそう言うと「今日は優作の奴も誘っておいたからな。絶対に来いよ」と言って、着替え室を去っていった。
そしてその日、直哉は優作と武と一緒に、またしても合コン。今日のお相手は、なんと武蔵野音大の女の子達。学校こそ違うが立派な音大生てある。
居酒屋行って、カラオケ行ってと大盛り上がり。ウブな優作も、少しワクワクしながら女の子達と話す。可愛げのある彼は女の子達から「優ちゃん。ファンモン歌って。ねえ歌って」と言って、遊ばれていた。
すると一人の女の子が「ねえねえ。直哉って、どんなタイプが好きなの?」と聞いてきた。
直哉も少し酔っ払っていた。そして「音大生が好きだな」と言ってしまった。
すると女の子達は「えええ!やめなって!音大って結構乱れてるんだよ」と言ってきた。
「そ、そうなの???」
「うん!だって学費高いじゃん。学費稼ぎにお水やっている子とか結構いるよ」
まさしく音大裏事情であった。そして直哉はどういう訳か「帝国音大ってやっぱりお金かかるの?」と聞いてしまった。
「帝音なんて本当に大変よ!年間300万ぐらい平気でかかるもん。他に特別レッスンとか入れたら、さらに100万円はかかると思うよ」
そんな女の子達の言葉を聞いて、直哉はさらに気になってしまった。
「ねえ、例えばだよ、都内でワンルームマンションの一人暮らしで、親は居ないとするじゃん。そんな子が帝国音大に通いながら、プロピアニスト目指すって有り得るかな?」
すると女の子達は、口を揃えて「絶対にあり得ない」と一言。
「スポンサーになってくれるような愛人がいないと絶対に無理だよ」
「お水でも無理よ。風俗じゃないの」
その後直哉は、一人五反田の自宅へと帰っていった。
考えた事もなかったけど、詩織って本当は何者なんだろう?
よく考えてみると、環境からして何かがおかしい。
そんな事を考えるも、今となっては振られた女でしかない。
そして「ああ!もう難しい事考えるな!」と言って、自宅に向かって走り出した。
平塚で行われた『日本学生陸上競技大会』。10,000mで、一回生の鷲尾優作は、見事準優勝を果たした。これまで全くの無名だった東部工業大学。しかし、突如現れたこの新星に、周囲は驚きを隠せなかった。
「今年の東部工大は違う」そんな言葉があちらこちらから飛び上がった。
そしてそれだけではなかった。直哉が見事4位入賞を果たしたのだ。このかつての天才ランナー牧野直哉の復活劇に、陸上雑誌各社は、こぞってインタビューを求めてきた。
優作と直哉の活躍で、東部工業大学に大きなインカレポイントが加算された。
そして次の全日本大学駅伝対校選手権大会
では、直哉、優作、尾崎の3人が個人区間タイムで入賞。さらにインカレポイントが加算。
順大や中央大学には到底及ばないものの、東部工業大学はまた一歩箱根へと近づいた。
大会が終わると、直哉は妙に詩織のピアノコンクールの事が気になってしまった。詩織だから大丈夫だろうとは思うものの、なんとなく心配になってきてしまう。
そして気がつけば、直哉の足は、自然とコンクール会場へと向かっていた。コンクール会場は、直哉が見た事が無いほどの気品に包まれていた。タキシードを着た審査員達の国籍は、さまざまだった。イギリス、オーストリア、南アフリカ。
一予選でしかないこの会場に、このような審査員が来るとは。自分だったら絶対にプレッシャーに負けてしまうだろう。
そんな事を思いながら、ただぼんやりとコンクールの光景を見つめていた。
相変わらず音楽の価値はよくわからない。みんな上手。それぐらいの事しかわからなかった。
何人の人が演奏をしたであろうか?素晴らしい演奏の続く中、遂に詩織の出番がやってきた。