7、海の上の空気(2)
佐久での合宿は、尾崎キャプテンの元、過酷を極めた。
高地でのロードワーク。なんと、ひと月で1,100kmもの距離を走る目標をたてていた。
「はあ・・・はあ・・・」
直哉はひたすら故郷佐久の高地を走り続けた。そして、一度は死んだ直哉の体は体をいじめ抜いたおかげで、日を追う事に機敏な物と化していた。一度は忘れかけたこの体、いつ爆弾が炸裂するかもしれないが、何も恐れずに、勇気を出し、そして勝利に向かって邁進するかの如く、突き進んでいた。
勿論直哉だけではない。尾崎キャプテンも、武も、優作も、そして全部員が日を追う事に、記録を伸ばしていった。
夜、宿舎で一人本を読んでいると、武と優作が部屋の中へと入って来た。
「直哉、合コンしようぜ!」武がそう言うと、直哉は「はあ???」と言って驚いた。
さらに最近武とつるんで、女に興味津々の優作も同じように「牧野さん行きましょうよ」と声を掛けてきた。
「ここは佐久だぞ?どうやって合コンやるんだよ」
しかし武は自信満々で熱く語る。
「ばっかだなあ。俺、マメだから夜もしっかりセッティングしてるんだよ。さっき、城西大のテニスサークルの女に声掛けたら、夜、合コンしようって話になってさあ。どうもテニスサークルの男は軟弱らしいな」
そんな武の話を聞いて、直哉は完全に呆れかえってしまった。そして「俺、彼女いるから無理」と言って、布団の中に潜り込んだ。
「え?お前女いたのか?」
「いるよ」
「何だよ。写真見せろよ」
武にそう言われると、直哉は自慢の彼女をみせてやろうと思い、充電中の部屋の隅に置いてある携帯電話を手に取った。そして携帯画面に映し出された詩織の画像を、どんなもんだと言わんばかりに武に見せつけてやった。
「あ、なんだよ可愛いじゃん!」
「だろ?」
「ん?・・・でも、どっかで見たことあるぞ」
「詩織を?そりゃピアノで有名だからな」
「う~ん・・・」
そう言うと武は少し難しい顔をした。
結局、武と優作だけが、その城西大学のテニスサークルとやらの、女性達とのコンパに出掛けてしまい、民宿の部屋には、尾崎キャプテンと直哉の二人が取り残されてしまった。
「なんとかなりそうだな」
尾崎がおもむろにそう言うと、直哉は「何がですか?」と意味不明な顔をした。
「箱根さ」
「そうですか???」
「ああ、なんか最近肌で感じるんだ。箱根が近くなっているなあって」
「どうしてですか?タイムがまだ全然足りないじゃないですか?」
「タイムだけでは、箱根は語れないと思うんだ。なにせ10人が全員好条件じゃないと予選会は突破出来ない。勿論俺も本戦に出たことは無いけど、毎年予選会には出る。そうしたらこのチームは絶対に大丈夫だろって思った学校が、簡単に予選落ちしてしまうんだ。あれは魔物さ」
尾崎にそのような事を言われて、直哉も黙り込んでしまった。自分だって箱根駅伝は出たことがないので、その魔物という存在を知らない。
そしてさらに尾崎は、語り続ける。
「俺たちは、順大や東洋大のように、綺麗には走れない。だから・・・」
「だから何ですか?」
「襷をつなぎたい。もがき苦しんでも、這いつくばってでも襷をつなげられるようなチームになりたい。そしてそうなる日が近く感じるんだ」
「・・・」
「大手町をスタートした時の襷を10区までつなぎたい。それは当たり前のようだけど、難しい。その当たり前と思われる事をやりたいんだ」
「・・・そうですね」
直哉は尾崎キャプテンの事を少しは見直した。いままでは言葉だけで『目指せ箱根駅伝』と言っていたが、今の彼は、自分たちの力をよく分析し、そして自分達がどのように走れるかをよく理解していた。もし東部工業大が出場出来たとしても、自分達の襷を最後までつなぐ事すらも難しい。
彼は今、その前提条件の中で、自分達が何を出来るかという事を考えていたのだった。
翌日も、またその翌日も、直哉は佐久の高原を走り続けた。
そして、合宿を終え、各自の20kmのベストタイムは、次のように向上していった。
鷲尾 優作 58分03秒
牧野 直哉 58分14秒
尾崎新太郎 1時間01分16秒
小野寺 武 1時間01分07秒
久保 義人 1時間02分17秒
岡野 雄志 1時間02分07秒
富良野 久 1時間02分16秒
大貫 啓太 1時間02分46秒
小島 卓也 1時間03分52秒
手塚圭一郎 1時間03分10秒
予選突破ラインと言われる、平均1時間01分台のタイムに届きそうであった。