9、命のソナタ(6)
直哉が目黒救急病院にたどり着くと、恵一が入口で待っていてくれた。
「兄貴、一体何だよ?」
「詩織さんが、さっき救急車でここに運ばれてきた」
「え?」
「危篤状態になっている」
「何だって!どういう事なんだよ!」
二人で病室に行くと、痛々しく酸素マスクを装着した詩織が、ベッドで寝ていた。すでに意識はなく、ただ、ピッ、ピッ、と医療機器の音だけが静かな病室に響き渡る。
「これは・・・」
直哉は一体何が起こったのかさっぱり理解が出来ないでいた。すると恵一は「詩織さんは肺がんだ。末期症状だ」と言って直哉の顔を見つめた。
「がん?・・・」
「10か月前に、詩織さんがこの病院にやってきた。それからずっとここで治療をしていた」
「じゃあ、兄貴は全てを知っていたのか?」
「ああ・・・ここに来たときはもう手遅れだった・・・」
恵一が寂しげな顔でそう言うと、直哉の顔が一気に紅潮した。そして感情的に恵一の胸座を掴み上げ「どうして教えてくれなかったんだよ!どうして何も言わなかったんだよ!」と食って掛かった。
「・・・」
「答えろ!さあ答えろ!どうして教えなかった!この卑怯者!」
「・・・詩織さんが教えるなと言った」
「え?」
「箱根駅伝に影響したらいけないと言って、黙っているように言われた」
「詩織が・・・」
するとその時、直哉の目から涙がこぼれた。
詩織はそこまでして自分の事を心配していた。それに比べて、自分はロクに理由も聞こうともせず、AV女優である事を知ると、その場を飛び出してしまった。
恵一も詩織に会うように勧めてくれた。しかし自分はそれすらも突っぱねてしまった。
全て自分の愚かさというものだった・・・。
直哉は、自分が取り返しのつかない事をしてしまったと、初めて気付かされた。
すると恵一は「何故気付いてあげられなかったんだ?」と聞いてきた。
「・・・」
「好きなら気付いてあげろ。本当に好きなら理由をちゃんと聞いてあげろ。それが優しさってもんだろ?それが男ってもんだろ?」
「・・・」
「どんな苦労も二人で乗り越えて行こうという気持ちが無くてどうするんだ?理由も何も聞こうとせずに、一方的に去っていくなんて、お前の方がよっぽど卑怯だ!」
するとその時、詩織がうっすらと目を開けた。
そして「ナオ・・・」と言って、少しだけ目を細めて笑った。
「詩織!」
「ナオ・・・ごめんね・・・ずっと嘘をついていて・・・ごめんなさい・・・」
詩織のその言葉を聞くと、直哉はもう涙が止まらなくなってしまった。そして「いいんだ。もういいんだよ」と言ってひたすら泣き続けた。
「俺は詩織の苦しみを、何一つ気付いてあげられていなかったんだ。聞こうともしなかった。知ろうともしなかった。幸せすぎて何も気付いてあげられなかった。ごめん・・・詩織・・・本当にごめん・・・」
「ナオ・・・私は・・・今でも・・・ナオが・・・ナオの事・・・好き・・・」
「俺も詩織が好きだよ・・・詩織の事だけが好きだよ。俺が本当に好きな人は詩織だよ」
ポロポロと溢れんばかりの涙。直哉は愛する詩織を力いっぱい抱き締めた。
「ナオ・・・助けて・・・死にたくない・・・死にたくないよ・・・」
「詩織!詩織!お願いだ!死ぬなよ!」
「ナオ・・・」
「詩織!!!」