7、監督招聘(3)
次の日、古屋監督と仁科先生は校長室に呼び出された。
校長は仁科先生を注意した「困りますよ部外者立ち入り禁止なんだから」
「許可を貰わなかった事は私の責任です。すみません。でも部員達が決めた事なんです。許可してあげて下さい。お願いします。」仁科先生は頭を下げた。
「駄目です。部外者の方が我校の生徒の指導なんてもっての他です」
古屋監督は食い下がった「別にお金を取ってるわけじゃありません。それに誰か彼らに野球を教えられるのですか?校長先生」
「そんな幼稚な話をしているんじゃありません。野球部だけで勝手にルールを作られては困ると言っているんです」
駄目だこいつ。古屋監督はそう思った。
「そこをなんとか!生徒達の夢なんです。甲子園に行くって」仁科先生は再度頭を下げた。
「駄目です。古屋さん学校から出て行ってください」
「校長先生!」仁科先生はまた泣き出してしまった。
古屋監督はスッと立ち上がった。「先生行きましょう。話しても無駄ですよ」
仁科先生は涙目で「古屋さん・・・・」と悲しそうに言った。
校長は冷たく「じゃあ古屋さん監督を辞めていただけるのですね」と言った。
すると古屋監督は「いえ。辞めません」とキッパリ言って、校長を睨み付けた。
「なんですと!」
「これはお宅の生徒と交わした男同士の約束です。だから監督は辞めません」
「そうですか・・・じゃあ警察呼ばないといけませんね」
「好きにすればいい。警察でも何でも呼べばいい。しかし私も元プロ野球選手です。各メディアに知り合いも多い。港南学院の校長は生徒達の夢を潰していると連絡しますよ」
「メッ・・・メディア!」
古屋監督の方が一枚上手だった。学校のルールよりメディアは強い。
3年前に野球部が事件を起こしてから学校はメディアに敏感になっていた。
古屋監督は仁科先生と一緒に校長室を出ようとしたが、立ち止まって再度校長先生を見た。
「校長先生。あなた今おいくつですか」
「59歳ですが、なにか?」
「私より4つ上ですね。つまり私と同じように青春時代を過ごしたんですよね。思い出してください。あなたの高校時代の事を。学校の先生ってそんなもんでしたか?」
そう言って古屋監督は校長室を出た。

(c) HOME |写真素材 PIXTA
校長室を出て、廊下を歩く仁科先生と古屋監督。
しかし仁科先生はまだ泣いていた。
スクールウォーズもびっくりの『泣き虫先生』だ。
泣いているのを、生徒に慰められる教師も問題はあると思うが、泣きたい時にワンワン泣くこの教師に、生徒達は妙な人間臭さを感じていた。
陽一や速見は、泣いてばかりいるこの先生を、可愛い女の子だなと思うほどだった。
古屋監督は声をあげて泣く仁科先生に、そっとハンカチを差し出した。
「もう泣くのは止めなさい。あなたが生徒をしっかりと守ってあげないとどうするんですか」
「すみません、古屋さん・・・」仁科先生は涙をぬぐった。
「生徒が言っていますよ。先生を甲子園に連れて行って、正教諭にさせるってね」
「そんな・・・私生徒が野球を楽しんでくれたらそれでいいんです」
「あなたが契約教諭で、校長先生があれとは世の中どうかしてますよ」
古屋監督は選手の期待以上に熱心だった。
練習が始まる3時10分前には必ず部室へやってきて、15分間のミーティングを行い、各自に今日の練習目標を与える。
そして実戦を想定した練習をたっぷりと行う。
グラウンド上の言葉使いは激しいのだが、練習中に水分を摂るのは自由だし、中腰でひたすら「オーオエー!」と声を出させる事もさせなかった。
空いた時間は安全な場所で休憩しててもよかったし、下級生も上級生も公平にノックを行い、球拾いも交代で行わせた。
一番良いのは「肩が弱いからダメ」「足が遅いからダメ」「精神的に弱いからダメ」といった中傷は一切しなかった。
彼は「肩が弱いならどうしよう」「足が遅いならどうしよう」「精神的に弱ければどうしよう」というような指導だった。
そして内容もすごく具体的だった。
一番良い例が、外野にカラーコーンを数本立てて、タッチアップのアウトラインというのを儲けた。
アウトラインとはタッチアップでこの位置より前でキャッチすれば、確実にホームでアウトに出来るようにする目標ラインである。
走塁に関しては、文麿が回りを見ずに猪のように走るので、ボールの行方を見て走れと指導した。
案の定、文麿は食ってかかった「監督!そんなんじゃ遅くなるだろ!」と。
すると古屋監督はストップウォッチでタイムを計り、前を見て走っても、ボールの行方を見ながら走っても、タイムは変わらないという事を立証させた。
毎日が新たな発見ばかりで、野球が楽しくて仕方ないと部員は思い始めた。
中でも一番喜んでいるのは司である。
今まで陽一にしか見てもらえなかった資料を山盛り古屋監督へ提供したのである。
これにはさすがに感心したようだ。
そして経験不足を補う為に、練習試合を週二回行った。
これは仁科先生が影でかなり動いていた。
あちらこちらの学校へ訪問し名刺交換するおかげで、名刺を追加注文しなければならない程であった。
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