7、監督招聘(4)
6月も終盤に差し掛かろうとしていたある日、仁科先生は校長先生に呼び出された。
「古屋さんは監督ができない?顧問は私ですよ。部長が学校の教師なら、監督は誰でも出来るのでは」
「いや・・・ちゃんと見てごらん。高校野球連盟の規則に書いているんだよ。ほら、高校野球の監督は2年間以上の高校勤務実績のあるものしかできないと」
本当に書いてあった。
「つまり元プロ野球選手であろうが、教育者としての実績が無いとなれないんだよ」
これは校長の寝技である。
真正面から戦うと古屋監督を通してメディアを使われるからだ。
まさに絶妙な寝技であった。
校長は野球関連の書類に目を通し、いろいろとアラ探しをしていたのである。
そしてこの文章を発見したのだ。
仁科先生はガックリ肩を落とした「これはもうだめだ・・・」と。
「だから仁科先生、古屋さんに辞めてもらってください。私もこんな事いいたくないんだよ」
「・・・わかりました」
仁科先生は落ち込みながら、その日の夕方野球部の練習中に、古屋監督へその事を告げた。
古屋監督は「そうですか・・・・仕方ないですね。そんな規則があったとは・・・」と潔い姿勢を見せた。
「思うようにいかないなあ。あなたの人生も、私の人生も、そしてこの子達の人生も」と古屋監督は夕焼け空を見上げた。
「ごめんなさい・・・折角ここまできたのに・・・」仁科先生はまた泣いていた。
「また涙ですか。でもあなたのそういう所結構好きだなあ。人間味があって。だから生徒が集まってくるんだろうな」
古屋監督は立ち上がって「このまま帰りますよ。お別れを言うのも照れくさいし。それじゃあ」と言った。
そして去り際に、仁科先生へ「この子達、あなたを必ず甲子園に連れて行きますよ。だから頑張って下さい」と言って夕焼けの校舎を後にした。
すると何か異変に気付いたのか、部員全員集まってきた。
「先生、何で泣いているの?」陽一は心配そうに仁科先生の顔を覗き込んだ。
「ごめん・・・古屋監督には辞めてもらいました」
「どうしてですか?」速見が驚いて聞いてきた。
仁科先生は泣きながら説明した「高校野球の規則で2年以上の学校勤務の実績がないと監督になれないの。だから辞めてもらいました」
すると文麿が「おい!先生!何でもかんでも泣きゃいいってもんじゃねえぞ!」と言って食いついてきた。
そして「俺、校長室行ってくる!しめてやる!」と言って校長室へ向かおうとした。
「一ノ瀬君!止めなさい!これは連盟の規則なの!」仁科先生は校長室に行こうとする文麿を叱りつけた。
「だって・・・」文麿は悔し涙を流した。
すると速見が「おい!監督を追いかけようぜ!きっとまだ駐車場にいるよ。みんなで有難うって言おう」と言ってみんなを連れて走り出した。
夕焼けの港南学院校門、走り去る古屋監督の車を部員たちは「監督!」と叫びながら追いかけた。
でも車は止まる事はなかった。
何故なら古屋監督も泣いていたからだった。
生徒達にどうしても泣き顔を見せたくなかった。
古屋監督はルームミラーに見える13人の野球部員を泣きながら見ていた。
「お前ら、先生を甲子園に連れていくんだぞ」
恵は陽一を心配した。
「もういやになった・・・」珍しく陽一は弱気だった。
「元気だしてよ」
「自分が嫌でしょうがないよ。俺本当に馬鹿だ。そんなルール確認もしないで古屋監督を・・・」大きな陽一の背中が、今日は一回り小さく見えた。
恵もなんて言っていいのかわからず、ただただ黙っていた。
陽一は電車に乗ろうともせず、ずっとヴェルニー公園から見える横須賀軍港をみていた。
そして恵も、いつもと違う陽一が心配で、ずっと傍にいた。
「山野、帰らないのか?」
「帰れないよ・・・。徳永君がそんなんじゃ」
やがて陽一と恵はベンチに座った。
陽一はよっぽどこたえたのだろう。
崩れるように、ベンチに座り込んだ。
今までずっとはりつめてやってきた陽一は、ここで糸がプツンと切れてしまったのだ。
「俺、もう辞めようかな・・・」
「辞めてどうするの?野球の血が流れてるんでしょ」
「いいんだよもう・・・どっか遠いところに行ってしまいたいよ・・・」
陽一が途切れ途切れにそう言うと、恵はそっと陽一の肩に寄り添った。
「山野・・・」
恵は何も言わずに瞳を閉じた。
そしてこの時初めて自分の気持ちに結論が出た。
今私が、心から好きな人は徳永君なんだと。
横須賀の町は夏を迎えようとしていた。
次の日、起死回生のホームランが飛び出した。
それは野球のホームランではなく頭脳のホームランだった。
司は野球部員全員引き連れ、校長室へとやってきた。
「なんだ君達は」と校長先生の第一声に、司は落ち着いた口調で「古屋監督の辞任は撤回となりました」と言った。
「君、これは連盟の規則なんだよ」校長はこいつ何を言い出すんだという表情だ。
だが司は自信たっぷりの表情で「はい連盟の規則に基づき、撤回させていただきます」と言った。
「あのねえ・・・これを見たまえ」
「はい2年以上の勤務実績の無いものは、高校野球の監督になれないと言う事ですよね」
「わかっているじゃないか。私だってこんな事はしたくないよ」
「はい校長先生もそんな嫌な事しなくてもいいのです。何故ならその規則は、とある者を対象としているのです」
「とある者?」
「実はその規則は教員免許をもっていない方が対象なんです。なので学校でなんらかの勤務をした実績がいるという事なのです」
「だからなんなんだ」
「実は古屋監督は教員の資格をもっております。大学を卒業する際にとられております。つまりこのルールは古屋監督には適用できません」
「そんな馬鹿な!」
「これは教員免許が無いけど、かつて野球選手だった人が監督となるために、2年間コーチ等をして学校勤務の実績を積んで、それから監督をやりなさいという意味なんです」
「そんな・・・」
すると仁科先生が飛び込むように校長室へと入ってきた。
「OK!みんな大丈夫!いま連盟に確認したら、監督として認められますだって!」
「やった!」全員その場で大騒ぎをしだした。
校長先生は悔しさのあまり思わず「うるさい!お前らでていけ!」と言ってしまった。
司の起死回生のホームランだ。
腕っ節は細くとも、こんな戦いはやっぱり司だった。
でも何故そこまでして校長は野球部を毛嫌いするのだろうか?
本当はもっともっと深い理由があるのじゃないのか?
今の野球部員はそんな事を考えている余裕はなく、前進あるのみだった。
そして仁科野球部部長、古谷監督率いる港南学院高校は、神奈川県の予選会の荒波へと突入していくのだった。
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