9、由香子の気持ち(3)

(c) birdseye |写真素材 PIXTA
神奈川県は全国で一番高校野球の参加校の多い地区である。
その中でも、毎年甲子園出場を有力視されている高校を『トップ3』と呼んでいる。
そのトップ3とは、横浜の明田学園、鎌倉の陵善寺義塾高校、そして最後、相模原の武南高校の事である。
そして準々決勝に進んだ港南学院は組み合わせの結果、この『トップ3』すべてに勝たなければ、甲子園の切符をつかむ事ができないのである。
そのトップ3の最初の相手は明田学園である。
明田学園はエースの黒田を中心としたバランスの良いチームであり、確実にバントやスクイズを行ってくる、いわゆる夏の大会に強いタイプである。
エース黒田は速見と同じ左腕で、140kmのストレートと大きく割れるカーブを駆使する本格派投手である。
7月23日、世間は既に夏休みに入っている。
36度の灼熱の昼下がりの横浜スタジアム。
今、両校の熱い戦いが始まろうとしている。
応援にやってきた恵と茜は、3塁側のスタンドで、あまりにもの暑さの為頭にタオルをかけながら、席を並べて座っていた。
夏休みに入ったせいか、両側のスタンドにはブラスバンドがやってきて準備を始めていた。
「茜、私怖いよ」
「本当心配性だね。大丈夫。絶対勝つって」
「だって、周りの人みんな明田学園が勝つって言ってるよ」
「知らないだけよ。むこうは有名だから、勝手にそう思っているだけよ」
野球を知らない恵にとって、勝ち負けなんてどうでもよかった。
ただ陽一が悲しむ姿だけは見たくなかった。
校長先生がスタンドを見渡していると、恵と茜がタオルを頭からかけている事に気付き、二人に野球部とお揃いの濃紺に白く『K』というアルファベットが入った帽子をプレゼントした。
そして「君達、野球を見に来るのに帽子ぐらいもってきなさい」と言って去っていった。
準々決勝からテレビ中継が始まる為、数台のテレビカメラが右に左に動いている。
左腕に『報道』と書かれた腕章を付けている人も沢山いる。
その物々しい雰囲気に恵の鼓動はドクドクと高鳴った。
だが恵よりも緊張している女性がいた。それは仁科先生だった。
仁科先生は野球部部長だから、当然ベンチに入るのである。
この間、横浜スタジアムのベンチに入っただけでも緊張していたのに、今日はテレビカメラまであるのだ。もう逃げ出したいくらいである。
選手控室で港南学院の生徒は円陣を組んでいた。
「あと3つだ。あと3つ勝てば甲子園だ。頑張っていこう!」
速見の声に、全部員は声を揃えて「オー!」と叫ぶと、控え室を出た。
明かりで照らされた廊下を歩く港南学院の選手達。
先頭はもちろん野球部部長の仁科美幸である。
続いて古屋監督、そして主将の速見・・・。
報道陣がバシャバシャとフラッシュをたく。特に女性部長は珍しいため、フラッシュの数はハンパじゃない。
仁科先生は強張った顔で、「助けて!」と心の中で叫んでいた。
そして港南学院がベンチに現れると、陽一や真がオーロラビジョンに映し出された。
「すごーい!」茜と恵は声を揃えた。
選手がそれぞれのポジションへと散っていくと、アナウンスが流れた。
「港南学院高校。選手の紹介を致します。1番サード一ノ瀬君。2番ショート片岡君」
紹介されるたびに「わー!」と歓声がとんだ。
「3番センター徳永君。4番レフト遠山君。5番ピッチャー速見君」
クリンナップの紹介の時、放送席の解説者が何やら熱く語っているようだった。
「6番ファースト迫田君。7番キャッチャー宮城君。8番セカンド原君。9番ライト北原君」
陽一は笑顔で、慎太郎と真にポジショニングの指示を出していた。
それを見て恵は少しだけホッとした。
ウー!というサイレンとともに、両校の選手がベンチを飛び出してきた。
そしてホーム上でお互い礼をした後、港南学院の選手は3塁ベンチへと戻っていった。
港南学院は先攻である。
明田学園の黒田が投球練習投げた速球を、電光掲示板は141kmと表示した。
黒田のスピードに、スタンドから歓声があがった。
投球練習を終え文麿がバッターボックスに入ると、主審は「プレイ!」と言って手を上げた。
初球はカーブだった。「ストライク!」主審が小さくジャッジした。
「よく割れるカーブだなあ」文麿はぶつぶつ言って、またバットを構えた。
2球目はストレートだった。「ボール!」
「なるほどなあ・・・いい球だな」またぶつぶつ独り言を言った。
3球目もストレート。「ストライク!」あっと言う間に2ストライクに追い込まれてしまった。
「緩急だなあ」相変わらずぶつぶつ。
4球目カーブ「ストライク!バッターアウト!」
文麿がベンチに戻ってくると、すぐさま司が駆けつけてきた。
「一ノ瀬君どうだった?」
「う~ん。やっぱストレートとカーブ2種類だけだな。ストレートはそんなに速く感じない。打てない球じゃないと思うんだけどなあ、カーブがすんげえ割れるんだよ」
司は「やっぱストレート狙いか」と言ってじーっと黒田の投球フォームを見た。
古屋監督はいつも思っていた。司は選手としてより、裏方の方が向いているのではと。
そしてこの回は三者凡退で終わってしまった。やはりあのカーブでタイミングが狂ってしまうのである。
1回裏、速見はまた悪い癖がでた。最初のランナーをフォアーボールで歩かせてしまったのである。
古屋監督は頭をかきながら「こりゃ先制されるな」とボヤいた。
案の定バントで送られた後に、タイムリーを浴びてしまった。一番いけない点の取られ方だった。
「どうしよう。助けて」恵は両手で顔を塞いだ。
「まだ1回じゃない。しっかりしなよ」と茜は恵の頭を軽くコツンとやった。
3回を終わっても港南学院にはヒットが出ない。
そして3回裏に、速見はまた点をとられた。
初回と全く同じである。
最初のランナーをフォアボールし、バントで送られタイムリーと言う結果に、古屋監督のボヤキがまた入った「こりゃ病気だ。直らんな」
「大丈夫かな速見君」仁科先生が横で心配すると「大丈夫だよ。尻上がりに良くなるタイプだから。ほら奴何も気にしてない」古屋監督は速見を指差した。
すると速見は「やっちゃったー」と言う感じで舌を出して笑っていた。
そんな速見を見て思わず仁科先生は噴出してしまった。
3回裏を終わって2―0。港南学院は2点のビハインドとなった。
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