12、店長のはからい(5)
仁科先生が古屋監督へ話しかけてきた。
「あの・・・私、疑問があるのですけど、速水君はそのスクリューって言うんですか?左に落ちていく球を投げられるのに、落ちないで曲がる球を投げられないのは何故ですか?素人の考えだと、曲がって落ちる球より、ただ単に曲がるだけの方が簡単だと思うのですが」と聞いてきた。
古屋監督は仁科先生に物凄いヒントを得た。
そして「そうだ!スクリューにこだわる事はないのだ!」と大きな声を出した。
「速見!シュート投げてみろ」
「ええ!」速見は驚いた。そんな急にシュートを投げろとは・・・。
しかし監督命令だ。
速見は宮城を連れて、半信半疑でキャッチボールを始めた。
ところが意外とキレがあるのである。
そうだった。速見は小学校の頃シュートボールの練習を始めて、それからボールを指で挟む事を覚えたのだった。
スクリューボールであまりにも打ち取れる為、いつのまにかシュートを封印してしまっていたのだ。
しかしやはり即席シュートである為、とても甲子園で通用するようなシュートではない。
「そうか!わかった!」司も、古屋監督の言っている意味に気付いたのである。
古屋監督は仁科先生に「先生、大ヒントありがとう」と言うと、仁科先生は何がなんだかわからずに、ただただ愛想笑いだけをした。
「司、何がわかったんだ?」と陽一が尋ねると、司は自慢の『こうしゃく』を始めた。
「スクリューボールにターゲットを絞らせない為だよ」と自慢気に言った。
速見の普段の球は、シュート回転をあまりせずズドンと重たいボールを投げる。
つまりスクリューボールだけが激しくシュート回転するのだ。
これではバッターの目の前に来るまでに、球質だけでスクリューが来るとわかってしまう。
だから普通のシュートをおり混ぜて、スクリューボールを読めなくするのである。
しかし古屋監督は、これは応急処置ぐらいにしかならないと考えていた。
所詮、即席変化球の為、終盤には読まれると覚悟していた。
浜風が吹こうとも、やはり甲子園は熱い。
茜は『かち割り氷』とは何だろうと思って買ってみた。
するとただの氷だった為、少しがっかりしてしまった。
しかし火照った頬に、その『かち割り氷』付けてみると、少し生き返る気持ちになった。
内野席の茜は、かち割り氷でおでこを冷やしながら、心配して試合を見守っていた。
だがその茜の不安は3回表に、一時的に解消されるのである。
淀商の先頭打者が、速見のスクリューの餌食になったのである。
空振り三振をした打者が戻ってくると、大河内は「なんや。ミスか?」と言った。
すると「大河内さん、あいつシュートも投げますよ」と言った。
「なんやと!」
大河内のコンピューターが少しずつ狂いだした。
篠宮はいやな予感がした。
陽一にアウトローぎりぎりのカーブをスタンドインされ、さらに速見の突然のシュートボール。
データーは本当に正しいのかと、大河内を疑い始めた。
大河内は、速見の投球をじっと見つめた。
結局3回表、淀商打線は三者凡退に終わった。
「大河内、どうや?」松永監督はプロテクター姿の大河内に言った。
だが今の大河内には言葉が出なかった。
テレビを見ていた恵は少し安心し、由香子の体を冷たくなったタオルで拭き出した。
なにもさぼっていたわけではない。
由香子が少し汗ばんでいたので、タオルが冷えるのを待っていたのだ。
少し体を傾けて、由香子の背中を拭くと「恵・・・痛いよ・・・」と寝言のように言った。
恵は「ごめんね」と言って、由香子の体を拭き続けた。
篠宮は強かった。
心に若干の不安を抱えながらも、気合の入ったピッチングを見せた。
選抜大会決勝で、武南の小林と投げ合った篠宮。
技術は小林とほぼ互角だが、素晴らしい精神力を持っていた。
4回裏、先頭打者の修二を145km/hの速球で三振に仕留めた。
「しかし凄い投手だな。プロでも即戦力だよ」と古屋監督は篠宮を絶賛した。
そして続く陽一、そして真まで三振に仕留めた。
普段はポーカーフェイスの篠宮だが、真を空振り三振に仕留めると「よっしゃ!」と言わんばかりのガッツポーズをした。
しかしこの回、淀商には異変があった。
篠宮は陽一と真の時だけ、大河内のリードに首を振り出したのだ。
なんとこの二人に、篠宮は全てストレートを全力で投げ込んできたのである。
3塁ランナーボックスの司は、その異変を読み取った。
「大河内さん、信頼されてないのか?」
篠宮がベンチに戻ると、大河内は「篠宮、お前どう言うつもりや」と言ったが、篠宮はなにも言わず、大河内を無視し続けた。
速見も恐ろしい程の気合を見せた。
先頭打者を三振に仕留め、そして次の打者をキャッチャーファールフライ。最後のバッターをセカンドゴロに打ち取った。
そしてグラブをバシッと叩いて気合の表情を見せ、駆け足でベンチに帰っていった。
5回表も淀商は三者凡退に終わった。
「あいつ、こんな一面もあったのか」古屋監督は、速見にとっての最後の試合で、改めて彼の事を見直した。
しばらく両投手の必死な力投で、試合は膠着状態へと突入した。
3―1で、港南学院は2点のビハインド。
レフトの守備から戻る真は、内野席の茜の姿を見つけると目が合った。
茜はペットボトルのお茶に口をつけながら、少しだけニコリと笑って真の姿を見つめた。
真も、強面な顔だが少しだけ口元を緩ませ、表情をニコリとさせた。
この二人は、陽一と恵より少し大人びていた。
茜は心の中に不安があっても、決してそれを顔に出さずに真を見続けていた。
その姿は、夫の試合を見に来るプロ野球選手の若奥様のようで、まるで真の将来を予想させるかのような大物ぶりだった。
両投手の投げあいで膠着状態となった試合は、7回遂に均衡が破られるのである。
恵は、イヤホンを付けて試合を見ていた。
すると何か視線を感じた。
そしてふと由香子を見ると、由香子が恵を見て微笑んでいた。
「由香子!」
「恵・・・」
由香子はとても美人だ。
その美しい由香子の目覚めは、まるでこれから起こるドラマの勝利の女神のようだった。
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