12、店長のはからい(3)

(c) みやさこ |写真素材 PIXTA
決勝戦当日、真夏の甲子園球場の前には恐ろしい程の人ごみが出来ていた。
その甲子園の人ごみの中、茜は一人たたずんでいた。
真を乗せたバスを待っていたのだ。
港南学院の選手を乗せた観光バスがやってきた。
するとテレビカメラ、記者、追っかけの少女たちがわんさかとそのバスに走りよった。
「これはまずい!」と思い、茜も負けじとその人ごみに混じって走っていった。
パシャパシャとおびただしい数のフラッシュ。マイクを持つリポーター達。「徳永く~ん、遠山く~ん」という黄色い声援。
あたりはもうパニックだ。
立ち入り禁止の目印となる手すりの向う側にバスが止まり、選手が次々と降りてきた。
すると陽一に続いて真が降りてきた。
「真!真!」茜が賢明に叫んでも「キャー」という声にかき消されてしまう。
これはまずい。恵にお願いされた物を渡せない。
茜は腹の中から大きな声を出した「真!茜だよ!」
すると真はその声に気付き、あたりを見回した。
「真!真!茜だよ!」
すると真は、人ごみの向こうから茜の声が聞こえている事に気付き、なんと手すりを越えて人ごみの中へと入っていったのである。
真はベタベタとファンに触られ、もうあたりパニックだ。
「茜!茜!」真は人ごみの中で大きな声を出すと、茜が人ごみの中を掻き分けてやってきた。
すると真は「茜!」と叫んで、そのまま茜を抱き上げた。
甲子園のスターの突然の行動に、あたりは静まり返ってしまった。
真は茜を抱き下ろすと「茜!来れたのか!」と言った。
「うん!見に来たよ!一塁側の内野席なの!頑張ってね!」
「ああ!」
すると係員が「君!戻ってきなさい!」と言って怒り出した。
「いけね。茜、じゃあな」と言って去ろうとすると、「真、ちょっと持って。これ陽一君に渡して。恵からなの」と言って、赤い紙袋を渡した。
「わかったよ」と言って、真は紙袋を持ってその場を去っていった。
茜は「やった!渡せた!」と言って、その場でガッツポーズをすると、あたりの人から自分がひんしゅくをかっている事に気付いた。
そして「やばい!」と言って、その場を走り去った。
選手控え室で、陽一は真から渡された小さな赤い手さげの紙袋を開けていた。
すると中には一枚の手紙と、黒いリストバンドが入っていた。
早速陽一は、恵からの手紙を開いた。
大好きな陽一へ
この間は手紙ありがとう。
とても嬉しかった。
優勝できたらいいよね。
でももし優勝できなかったとしても、元気な顔で帰ってきて。
リストバンドを入れときました。
道具にうるさい陽一だから、イワサキスポーツで特別に注文したよ。
気に入らなかったら、後ろのポケットにでも入れてね。
私も甲子園に連れて行って。
恵から送られた黒いリストバンドは、陽一の背番号8が白く刺繍されていて、裏に『恵』と小さく刺繍がされてあった。
陽一は普段飾り物は一切付けなかった。
だが、今日はこのリストバンドを付けて戦う事にした。
陽一は、ゆっくりと日に焼けた左手にそのリストバンドを装着すると、手首の位置の8という番号をじっと見つめた。
「恵、見ていてくれ」
そう言って、陽一は席を立った。
5万人の大観衆の甲子園は、一昨日と打って変わっての晴天。
浜風がライト方向へと、旗をなびかせる。
奥行きの深い天然芝の外野。そして真っ黒な土。
大正末期、この地で初めて全国高校野球というものが開催された。
そしてこのスタジアムは、これまでたくさんの英雄達を産んできた。
戦争、戦後の混乱期、そして高度成長期・・・。
日本はこれまで沢山の時代の変革を迎えてきた。
だがそんな変わりゆく時代の中でも、野球は昔も今も変わらずに愛され続けている。
そして沢山の夢を我々に与え続けていてくれる。
恵は病室でイヤホンを付け、由香子を気にしながらも、この決勝戦の中継を見ていた。
由香子は相変わらず、意識が朦朧としている。
たまに起きては、寝言程度に「恵・・・」と言うことがあるが、恵は由香子をそっと寝かしつけるのだった。
痛々しかった傷も随分治ってきた。
酸素マスクも数日前にとれた。
そして体につながれていた管も少しずつ減っていき、点滴だけとなった。
由香子がかなり回復してきているのが、恵にもわかった。
その証拠に、最近は痛さで、点滴を取ろうとしなくなったのだ。
おかげで看病も少し楽になってきた。
テレビを見ていると、ベンチに座る陽一がテレビに映し出されていた。
そこには恵が茜にお願いしたリストバンドを、陽一が付けているのが見えた。
その姿を見ると「茜、ありがとう」と恵は言った。
港南学院は後攻となったので、守備練習は淀商の後となる。
グラウンドへ散っていった淀商ナインは、素晴らしく軽快な守備練習を行っていた。
甲子園球場は、地元大阪代表の淀商の応援一色である。
港南学院は完全にアウェーである。
それでもこの新戦力を応援する声も少なくない。
淀商高校の守備練習が終わると、今度は後攻の港南学院ナインが、グラウンドへと散っていった。
陽一はいつも以上にリラックスした笑顔で、真や慎太郎と遠投を行い、まるで甲子園を楽しんでいるかのようだ。
そして時折浜風でなびく大会旗を見つめていた。

(c) monjiro
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