12、奇襲攻撃(5)
横浜スタジアムに、どよめきが起こった。
なんと陽一がマウンドに立っているではないか。
「大丈夫かよ」と言う不安な声が上がったが、そんな声は陽一の投球練習で一蹴された。
電光掲示板に表示された球速は、なんと145キロ。
球筋が素直な為本業としては通用しないだろうが、一人ぐらいは抑えられると古屋監督が判断したのだった。
まさに小学校以来のマウンドであった。
試合再開となると、陽一は全力投球でストレートを投げ込み続けた。
そして下手くそながらも、なんとか2ストライクまで追い込んだ。
球速は速いが球筋が素直な為、これなら打てると判断した打者は、次の球に勝負を賭けようと思っていた。
すると淳紀がサインを出しながら、ウインクをした。
陽一は淳紀のそのサインに「うん」とうなずいてボールを投げた。
なんとその陽一の投げたボールはチェンジアップだった。
湘陽大付属の打者は、完全にタイミングを狂わされ、思いっきり空振りをしてその場に尻餅をついた。
「ストライク!バッターアウト!」
港南学院応援席から、歓声が起った。
「よし!」陽一は笑顔でそう言うと、グラブをバシっと叩いて、マウンドから走り去っていった。
4―4の同点に追いつかれた港南学院は、9回裏の攻撃を迎える事となる。
9回裏、ワンアウトで打順は文麿だった。
古屋監督は、文麿を呼び寄せた。
そして「文麿、なんとか3塁まで行け」と言った。
「なんで3塁なんだよ」
「ホームスチールを敢行する」
「なんだって?なんでそんな危険な事するんだよ」
「いや、ホームスチールの方が確実なんだ。沢尻は左投手で、モーションが大きいだろ。走塁の上手いお前だったら、80%ぐらいの確率で成功すると思う。タイムリーが出るより確率が高い」
「本当かよ・・・」文麿は半信半疑だった。
「この作戦が失敗すれば、ウチの負けだ。もうピッチャーがいない。この試合の勝敗はお前にかかっている」
文麿はバックスタンドの電光掲示板を、見つめると「わかったよ。一か八かやってみる」と言ってバッターボックスへと歩いて行った。
そして試合が再開された。
沢尻は少しへばっていた。
港南学院の執拗な攻めに、球数は140球を越えていたのだ。
その沢尻の初球、いきなり文麿はバントの構えをした。
「2度も同じ作戦に引っかかるか!」沢尻はそう言いながら、思いっきり前進してきた。
すると文麿は、なんとプッシュバントをしたのだ。
「なんだと!」
文麿の試みたプッシュバントは、小さな弧を描きながら沢尻の頭上を越えていった。
そして文麿は全力で一塁ベースへと走って行き、セーフとなった。
「やったぜ!」文麿は腕を高々に上げた。
そして次の打者修二は、バントで文麿を進塁させた。
2塁まで進塁すると、左投手である沢尻にとって、セットポジションの死角となる。
バッターは、港南学院ナンバーワンのスラッガーである陽一。
しかし陽一をバッターボックスに迎えると、湘陽大付属のキャッチャーは立ち上がった。沢尻は、陽一を敬遠することにしたのだ。
その時司は文麿にサインを送った。
「一ノ瀬君、走れるよ」
文麿は真剣な表情で、小さくうなずいた。
無警戒にゆっくりと敬遠のボールを投げる沢尻を横目に、文麿は思いっきりスタートを切った。
「なんだと!」沢尻は驚いたが、間に合わなかった。
文麿は3塁にヘッドスライディングで到達し、遂に古屋監督のミッションを達成させたのだ。
「よし、これで勝った」古屋監督は安堵の表情を見せた。
沢尻の長所、それは左投手である事と、長身でゆっくりとしたフォームからとてつもなく速い球が放たれる事。
しかしそれは裏を返せば弱点である。
左投手である為に、3塁まで到達すればランナーは大きくリードを取る事ができる。
そして長身投手はクイックモーションが苦手な者が多く、沢尻もクイックモーションが下手くそだった。
その下手なクイックモーションに輪をかけるような、ゆったりとしたフォーム。
沢尻は、今まであまり打たれてこなかった為、ランナーを3塁に置いた時の自分の弱点に気付いていなかった。
それらを条件に入れると、文麿ならホームスチールが高い確率で成功できると古屋監督は読んでいたのだ。
そしてこの作戦を、勝負を決める1点のためにとっていたのだ。
陽一が敬遠で歩かされると、次の打者は真である。
誰がクリンナップの打順でホームスチールをすると思うだろうか?
しかし文麿は走った。
沢尻の足が上がる前に、思いっきりスタートを切ったのだ。
「あっ!」沢尻は文麿のスタートに気付いたが、もうモーションに入っていたのだ。
そしてホームへ全力で投げたが、間に合わなかった。
文麿はザザザッと砂煙をあげてホームインしたのだ。
サヨナラホームスチールだった。
文麿がホームベース上でガッツポーズをすると、そばにいた真が文麿を思いっきり抱き上げた。
「文麿!やったぜ!」
「おう!」
そして一斉にベンチから選手達が飛び出してきて、文麿の頭をポカポカと叩いた。
やがてみんながモミクシャになっていった、
文麿はとても嬉しそうな顔で、笑っていた。
その姿を観客席の弥生は、拍手をしながらずっと見ていた。
神奈川県代表 港南学院高校 2年連続24回目の出場。
去年の決勝に続く、奇襲攻撃による勝利だった。
試合後、文麿は弥生と一緒に帰った。
電車に揺られながら、夕暮れの横浜の町を二人は見ていた。
「文麿さん、あのホームスチール凄かったね」
「俺が凄いんじゃねえよ。あれを考えた古屋のおっさんが凄いんだよ」
「でも、あれが出来る人ってそうはいないよ」
「どうなんだろうな」
文麿は、黙って横浜の町を見続けた。
実は文麿は、甲子園出場を決めたら、弥生に告白しようと思っていたのだ。
そして「弥生さあ、俺と付き合ってくれねえか?」と言った。
「えっ!」
「俺、弥生が好きなんだよ」文麿はポツリとそう言った。
弥生は黙って文麿を見つめた。
すると文麿は少し笑いながら「勿論今すぐ返事しろとは言わない。甲子園が終わった頃に返事を聞かせてくれればそれでいい」と言った。
「わかったよ。ちゃんと考えとく」弥生はそう言って、白い歯を見せた。