10、そばにいてくれた人(4)
数日後、恭子は無事退院する事が出来た。そして、すぐさま引っ越し業者を呼び、部屋を引き払う準備をし出した。
そしてその後、六本木ヒルズの大橋会計事務所へと行き、先生に辞表を提出した。
「宇佐美さん。もう少し考えてみないか?」
「すみません。大橋先生の言う通り、やっぱりタッチしてはいけなかったのです。悪いのは自分なのです。本当にすみません・・・」
「宇佐美さん・・・」
「もう怖くてもう一人で住むのは・・・実家に帰って静養したいんです」
そう言って、落ち込む恭子を見ていると、大橋先生も何も言えなくなってしまった。こんな小柄な女性が、いきなり襲撃を受けたのである。その心の傷は計り知れないものだろうと思った。
そして大橋先生は「わかった」と言って、辞表を机の中にしまい込んだ。
「今日の晩にでも、福岡に帰ります・・・」
「そうか・・・残念だ・・・」
冬至が近い為か、東京の街は4時半にもなると真っ暗となる。
飛行機嫌いの恭子は、東京から博多行きの新幹線に乗り込んだ。そして新幹線の窓から見える、沢山のネオンサインを見つめていた。
上京してきた時、この新幹線から見える夜の光を見て胸を躍らせた。この街に夢を抱いた。
そして今、恭子は愛する故郷へと帰ろうとしている。
さよなら東京。
さよなら野島さん。
そして恭子は、最後に自分の伝えたかった言葉を携帯に入力し、圭一郎へと送信した。
突然ですが福岡に帰る事になりました。
今、新幹線に乗ったところです。本当に今までいろいろと有難うございました。
大学を出たばっかりで右も左もわからない私を、ここまで育てていただき本当に有難うございました。
私、野島さんと出会えて本当によかった。
最後に一言だけ言わせてください。どうしても伝えられなかった言葉です。
好きでした。
圭一郎がそのメールを受け取ったのは、工事終了の後片付けの最中だった。
「恭子ちゃん・・・」
圭一郎は、そのメールを見ると、思わず涙ぐんでしまった。
恭子とは自分にとって一体どんな存在だったのか?
初めて会った日の事を思い出した。
「初めまして。今日から担当となります。大橋会計事務所の宇佐美です。宜しくお願いします」
「野島です。この会社の財務担当やっています。今後とも宜しく」
税理士の試験に落ちてしまい、落ち込んでいた恭子を励ました事も。
「税理士なんてハンコだけの話。別に税理士の資格が無くたって確定申告はできるよ。一番大切なのは企業の立場に立って、効率的なファイナンスを提案できる事。試験ごときで気にしちゃだめだよ」
時には、個別でレクチャーした事も。一緒に飲みに行った事も。一緒にセミナーへ出掛けた事もあった。
いつも仕事という繋がりだけだったが、それでもお互い一緒になって勉強し、一緒になって丸和工務店を支えて来た。励まし、そして時には励まされて。
可愛いと思う。
心から大切にしたいと思う。
そしてこれからもずっと一緒にいたいと思う。
今の自分にとって一番大切な女性。それは恭子であった。
すると横にいた優太が「野島、後悔するなよ」と言って肩をポンと叩いた。
「優太・・・」
「いなくなってしまって後悔するぐらいなら、今すぐ迎えに行け。ダンプ貸してやるからよ」
そう言うと、優太は後片付けを再開した。
優太から2tダンプを借りた圭一郎は、作業着姿のまま工事現場を後にした。しかし新幹線はもう出発してしまっている。恭子の携帯に電話をしても出ない。一体どうすればよいのか?渋滞真っ只中の師走の東京。圭一郎はダンプを運転しながらずっと考えていた。
「どうしようか・・・」そう言って困惑していると、ふと以前の事を思いだした。
丸和工務店時代、飛行機が苦手で福岡から出張の帰りは新幹線で移動している課長がいた。
そんな課長を揶揄するかのように、部下たちが言った言葉。
『俺、課長より3時間も後に福岡発ったんだけどさ、品川駅着いたの同じ時間だったよ』
その言葉を思い出した圭一郎。
「そうだ!飛行機で追いかけよう!」
なんと圭一郎は飛行機で福岡へ飛び、先回りしようと考えたのだ。そしてそのまま羽田空港へと向かって行った。
羽田空港ロビーの発着掲示板には『全日空 455便 福岡行 20時発』と表示がなされてあった。
「これだ!これなら間に合う」
圭一郎は、福岡空港行きの搭乗券を購入すると、急いで出発口へと走っていった。
夜8時。羽田の夜空に一機のジェット機が飛び上がった。行先は福岡空港。
キラキラとした夜の光を反射させながら、大東京の夜空に浮かび上がった一機のジェット機。それは圭一郎から恭子への想いを運ぶ、音速のエクスプレス。
二人の夢を乗せ
そして二人の未来を乗せ
遠く福岡へ向けて飛び立って行った・・・