9 、伝えたかった言葉ー3
ジュリと菜月は、夕暮れの平和島の海へとやってきた。
最近は日が延びて、午後5時でも少し明るくなってきた。
そして二人は、これから日が落ちようとする海を、ずっと見つめていた。
「おどろいた?」菜月は不安そうな顔をするジュリに、優しく問いかけた。
「うん・・・」
「一応は生きているの。でも私の体は完全に停止していて、人工呼吸器でかろうじて血だけが流れてるの」菜月はそう言うと、寂しげな顔で夕暮れの空を見上げた。
「私の姿は誰にも見えないはず。でもジュリさんは私の姿を見る事ができた。だから咄嗟に思った。ジュリさんは天使なんだって」
「菜月さんに天使のお迎えは来ないの?」ジュリがそう聞くと、菜月は首を横に振った。
「どうして?」
「生きてるとみなされているから・・・」
「でも魂はぬけてるじゃん」
「ううん。天使は私を、あの世に連れて行こうとはしないの。生きている霊は連れて行けないって言われて・・・」
天使法第27条、第6項目。
死の定義
死とは、心肺が停止した状態の者の事を言う。よってこれに該当しない魂は生霊といい、天使界に導くことは出来ない。
菜月はこの法律が理由で、天使界へと導かれない浮遊霊となっていた。
「そんなのあんまりじゃん。じゃあ菜月さんはこのまま浮遊霊に・・・」
「うん。何度も死のうと思って、人工呼吸器を切ろうとした。そしたら跳ね返されるの・・・」
「魂になってしまったら、人の運命を変えられなくなるんだ。だから跳ね返されるのだと思うよ」
「ねえジュリさん。お願いがあるの。ジュリさんが天使界に帰る前でいいから、私の体についている人工呼吸器を止めてくれないかな?」
「えっ?」
「自分の為じゃないの・・・毎日私の介護をする恭介が可哀想なの」
「店長が?」
「そう、恭介は私の夫・・・恭介は毎日病院にやってきて、私の介護をしてくれる。でも、それが可哀相なの・・・」
「そうだったんだ。それじゃ、店長はいつも夕方、病院に行っていたんだ・・・」
「ねえ、人工呼吸器止めてくれないかな?私の体をいい加減死なせてくれないかな?」
『天使は人の運命を変えてはいけません』
ジュリはそんな天使界の掟を思い出すと「それは無理・・・天使は人の運命を変えられない・・・」と言って下を向いた。
「そっかあ・・・やっぱりだめかあ・・・」菜月はそう言うと、寂しげな顔で空を見上げた。
「ごめん・・・」
寮へ帰ると、ジュリはみんなと一緒に晩御飯を食べながら、早速その事を相談してみた。
すると寮母さんは「う~ん」と言って、珍しく腕を組んで考え込んだ。
「どうすればいいんだろう?」ジュリがそう言うと、レナは少し感情を乱しながら話し出した。
「そんなのあんまりだよ。だって菜月さんは本来なら天国に召される身だよ。天使法が理由で浮遊霊になってるなんて、そんなのあんまりだよ」
正義感の強いレナは、どうしてもそれが許せなかった。
すると寮母さんは淡々と話し始めた。
「人間界の医療技術は年々上がっている。でも、天使法というのは100年も昔に作られた法律で、脳死というのは想定に無い。大体昔は脳死患者っていなかったんだよ。脳死イコール死だったんだ。だから天使法は今の時代にはマッチしない」
「おばさん、どうすればいいの?どうすれば菜月さんを天使界へ導く事が出来るの?」ジュリがそう尋ねると、寮母さんは何も言わずに目を閉じた。
「ねえ、おばさん。教えて」
すると寮母さんは、手に持っていた箸を置き、真剣な眼差しで話し出した。
「法改正しかないね・・・」
「法改正?」
「ああ、でもこれは簡単な事じゃないよ。天使法は60年も改正されていない、ガチガチの法律。これを改正するというのは、並大抵の事じゃない」
「じゃあどうすれば法改正ができるの?」
「天使議会で3分の2以上の賛成票が必要になる」
「それじゃ議会に訴えればいいじゃない?」
「天使界はあんたのお母さん、つまり総裁の独裁だよ。他の者は総裁を恐れて、誰も自分から新しい事をしようとは思わない。ただでさえ天使総裁は、伝統を重んじるタイプだから、いくら議会に訴えても法改正は通らないだろ」