3、 鏡の向こうに写る者(1)
直哉はひたすら筋力トレーニングを行っていた。筋トレマシンにも少しは馴れたきたのか、重量をどんどんと重くしていった。さすがに全国区のラグビー部員達もこれには驚いた。脚力は自分達のほうがあるのだが、直哉はいかんせん、桁外れな持続力を持っていた。
「くお!」
そうやってひたすらマシンを繰り上げる直哉。最近ふくらはぎが一回り太くなったような気がする。
額から汗を滴らせながら、必死の筋力トレーニング。それはまるで何かに取り付かれたようだった。
そして筋トレを終えると、数年ぶりにトラックへ出てみる事にしてみた。
多数の陸上部員が練習するトラック内。この大学はどういう訳かスポーツ設備だけはしっかりとしていた。
アスファルトの上を走ると足に負担がかかるので、トラック内から走ってみる事にしたのだ。材質の柔らかいトラックは、爆弾持ちの直哉としては大いに助かる。
1年半ぶりにトラックの上に立った直哉。突然の高校総体優勝者の登場に、陸上部員達は驚いた顔をした。しかしそんな事を気にする事もなく、ジャージ姿の直哉は、ゆっくりと走り出した。
最初はゆっくりと走ってみた。アスファルトの上を走る時のような違和感は全く無い。リズミカルに足が前へ前へと出て行く。
現役時代と比べてみると、やはり重く感じるが、これなら全力疾走できると確信を持った。そして直哉はどんどんと速度を上げていった。
タタタッと軽快には走る直哉。しかし200m程走ったところで、後遺症の痛みがズキズキと響き始めた。
「いた!」
走る振動がどんどん痛みへと化していき、そのまま全力疾走を止めてしまった。
「だめだ!やっぱりだめだ」
そう言うと直哉は天を仰いだ。軽く走るにはよいが、全力で走ると、やはり振動で痛みを感じてしまう。全力疾走すら出来ないのであれば、駅伝などほど遠い。
そしてトラックの外に出ると、そのまま仰向けに寝転がってしまった。
空は青々とした春の空。熱いぐらいの真昼の日差しが直哉の頬を焦がす。ほんのりと滲み出る汗を手でぬぐうと、なんとなく昔の自分を思い出してくる。結果はどうであれ、汗をかくのはやはり気持ちいい。
すると尾崎キャプテンが、直哉の目の前へとやってきた。
「牧野、もうギブか?」
尾崎にそう言われた直哉は、スクッと起き上がり、尾崎の顔を見つめた。そして「ダメ。まだダメですね」と言って、首を横に振った。すると尾崎は、三角すわりで直哉の横に座った。
「お前、やっぱりいい陸上選手だったんだな。フォームみて分かるよ。フォームだけなら大学駅伝でも上位クラスに入れる」
「嬉しくない褒め方ですね」
「褒めているのさ。天才ランナーのフォームだよ」
「有難うございます」
「なあ牧野。この間お前言ったよな。ズルしてでも勝ちたいと思う気持ちが大切だって」
「はい。確かに言いました」
「まあ、俺は人間としてズルい事はしたくない。でも、勝ちたいという気持ちをなんとか形にしてみせようとは思っている」
「・・・」
「だが、俺はお前のように天辺を知らない。だから形にする方法を知らない。教えてくれ。勝つ為には何をしなきゃいけないんだ?」
尾崎にそう言われると、直哉はゆっくりとした口調で語りだした。
「合宿をする事です。高地合宿なんていいですね。そこで選手をひたすら走らせる。泣くほどに走る。いや、泣くぐらいならまだ甘いです。泣く体力も残らない程に走る。そしてヘトヘトになって走れなくなった時は鏡を見る」
「鏡?」
「鏡の向こうには、ランナーが一番戦わなければならない者がいるからです。ランナーが戦う者。それは東洋大でも順天堂大でもなく、自分自身なんです」
その時直哉は、自分の高校時代の頃の事を思い出した。当時の監督はよく「鏡を見ろ」と言っていた。
『牧野!鏡を見てみろ!そこには何が写っている!』
『自分です・・・』
『違う!弱虫で負け犬の牧野だ!いいか?ランナーが戦う者。それは鏡の向こうに写る奴だ』
いつもそうだった。苦しいときは鏡の中に写る自分の姿をみつめていた。
負け犬の自分。弱虫の自分。だが、そんな者は全部まとめて便所に流してしまえ。
そうやって走ってきた。そう思ってこれまで戦ってきた。
今の自分は何だろう?
切れそうなアキレス腱をかばいながら、60%の力で生きる事しか出来ない哀れな自分だ。
その言葉を思い出すと、直哉は「部室を見せてくれませんか?」と尾崎にお願いをした。