おひさしぶりです。すながっちでございます。
今年の3月に再開したくせして、その数日後からまた休んでしまいました。申し訳ありません。
流石にこのままではまずいと思いまして、また書き続けようと決意?したわけです。
季節は春から夏を過ぎ、もう秋になっております。その間、私は全然成長しておりませんが。
さて、
まず再開にあたり、今までたまっていたどうしようもないコメントやメッセージ等を削除し、身と心を清めた上で今日以降の記事を書きます。
おひさしぶりです。すながっちでございます。
今年の3月に再開したくせして、その数日後からまた休んでしまいました。申し訳ありません。
流石にこのままではまずいと思いまして、また書き続けようと決意?したわけです。
季節は春から夏を過ぎ、もう秋になっております。その間、私は全然成長しておりませんが。
さて、
まず再開にあたり、今までたまっていたどうしようもないコメントやメッセージ等を削除し、身と心を清めた上で今日以降の記事を書きます。
こんばんは、すながっちです。
先ほど仕事が終わり、夕食、入浴を済ませ、就寝までのひととき、こうしてPCに向っているわけです。
今日は、夕方より、出入りの神奈川県庁にて作業がありましたのでそのお手伝いに参りました。
工事の趣旨とは、以前やはり当社にて県庁の事務室内の什器(ロッカー、書類入れなどのこと)に耐震用のL型金具を取り付けたのですが、その取り付けた事務室の部署内でこのたび机の模様替えをすることになったわけです。
即ち、
1.一旦金具を当社にて取り外し、
2.職員の皆様で机・什器の模様替えをしていただき
3.確定したところで、当社にて金具を再取付
というのが本工事の内容です。
まあ、ドライバーさえあれば、誰でもできる、およそ「工事」と呼ぶには大げさな気がしますが、県庁といえども「お客様」にはかわりなく(支払いの良い点では上客)、
またこういう簡単な工事を民間業者に請け負わせるというところに、日本行政の深遠なる奥ゆかしさがあるのです。(ここら辺はかなりスキンミートが入っています)
ともあれ、この工事、模様替えを手早く完了してもらわないことには、我々の作業(金具再取付)ができないというところがミソです。
「お役所のことだ。机一つ動かすにも例えば「机移動申請書」なる書式があって、上長の決裁印がないと移動できない、なんてことになったらどうしよう、もしその上長が不在だったら・・・」
なんていう、くだらない私の心配は必要なかったみたいで、職員一同一致団結してスムーズに段取り良く模様替えを行っていただき、よってこちらの作業も予定より早く終了できました。
公務員の行動規範である「上命下達」の原則が良い方向に出た典型です。
実はこれまでにも県庁(神奈川県)のお仕事とか、他の業務上での問い合わせとか多くお付き合いさせていただいていますが、概して神奈川県の職員の方は皆さん人当たりも良く親切で、迅速に対応していただいているなあというのが、いち納税者の感想でして、これならば喜んで納税できるというものです。
(逆にひどいのがY×K×H×M×市。とにかくトノサマ稼業という感じで、本当ならビタ一文すら納税したくないのですが、まあこれは健全なる国民の三大義務ですから・・・
Y×K×H×M×市職員に捧ぐ条文を下記して今日のブログを終わります。
おはようございます、すながっちでございます。
大相撲春場所が終わり、朝青龍が優勝しましたが、このときの言動がかなりの物議をかもしておりますな。
まあ、サンピリョウロンあるようですが、「まいどおおきに!」は百歩譲っても、あのガッツポーズはイタダケマセンねえ。
ボウリング場でタマタマ投げた球が何の弾みか知らないけれどストライク!して、両手にVサイン突き出して得意満面で座席のほうへ戻ってくるオジサマをたまに見かけるけど(これは、見ているこっちが恥ずかしくなってしあまう)、あの映像とかぶってしまうのは僕だけでしょうか
こんばんは、すながっちです。
今日はお休みでして、いつもの休日のように食っちゃ寝を繰り返しておりました。
それでも太らないところが不思議なところです。まあ、念のため先週からブルワーカートレーニングをやっておりますが。
さて、明日からどこの業界でも年度末に向けた動きがラッシュすると思います。
只今公共工事を請け負っている我が社も例外ではなく、引渡しに向け最後の詰めを行っております。
お互いに頑張りましょー!!!!!
こんばんは、すながっちです。
今日の記事は、私の勤務する会社が、東京ビッグサイトで、ナイス株式会社さんが主催で行われました
「ナイスわくわくフェア」その出展レポートです。
このフェア、本来の目的は、大手住宅建材メーカーと、地場の多くのビルダー(勿論私はこちらに属する)とが一堂(東京ビッグサイト)に会して、共存共栄を図るというものなのですが、
早い話、メーカーの新製品のお披露目の場が事実上の主目的になってしまうのでありまして、今回もまたそういう結果に帰着してしまったようです。(当社は昨年夏につづいて2回目の出展)
そりゃあ、ヒト(優秀な多くのスタッフ陣、特に多くのキャンギャルのカワイコちゃん)、モノ(魅力的な新製品)、カネ(潤沢な資本)を総動員できる大手メーカーさんには太刀打ちできませんよ。
前回のときは「これを機にわが社もあわよくば・・・」と少なからず山っ気はあったのですが、なす術も無く完敗。
だから今回は、大手サマのテクニックを少しでも吸収できたら・・・とまあとにかく謙虚な姿勢で(見学させていただくという慎ましやかな気持ちで)のぞみました。我が方としてもこちらの方が遥かに精神衛生上宜しいのです。
ただ私ひとりで大手の牙城へ乗り込むには心細いと思っていたところ、我が社と取引していただいている商社の営業部長様(こちらは実質とも部長です、私も「設計開発部長」と名乗ってはいますが、ホント名ばかりです)と一緒に回っていただくことになりました。おかげで百戦錬磨の各社営業さんと対等にお話しすることができました。
中には某大手水回りメーカーの支店長さまともお話しでき、さらにはそのプラチナカードともいえる?お名刺まで頂戴したのです!ハハーッツ!(とひれ伏す)
(この方は会社ではナンバー2クラスだそうです。私も自社内ではナンバー3くらいなのですが、レベルの桁が全然違います!)
しかし和やかな談笑の中にも、虚虚実実の声なき駆け引きが見え隠れして、これはなかなかハクリョクがあります。
ともあれ、今回も無事に終わりましたが、次回も当社は出展するのか?これは、まだナゾです
おはようございます。すながっちです。
朝から、こんな話は恐縮なのですが、やはり書かずには居られないという妙な正義感心理が働き、認めました。
ソウデスッ!名古屋市の職員が、川に自らのお小水を流したというのです。
しかもこの職員というのが、環境局の資源班なる部署に所属しているというからフンパンものだ!
また、市も市で、これを産業物処理法違反として処理するそうですが、これは恐らく次のような乱暴な発想が根拠になっているのではないかと思ってしまうのですが。
即ち、「人間を「産業の為の一個体」と定義するならば、件の液体は「産業廃棄物」に相当する」ということだろうと思います。
さながら、「モダンタイムズ」とか「女工哀史」の世界ですね。
ああ、野麦峠を越えてゆけ!
しかしこの放流、サケやマスの稚魚の場合とはちがって大変罪は重いのです。はたして産業物処理法違反で済むのかしら?
恐らくこちらが適用されるのではないのでしょうか?(放流先の川が水源だったと仮定して)
もしも146条を適用するに値する事態になったときは、これはタイヘンなことになりますよ。(おそらく件の職員たちは、しょっぴかれたとしても、軽犯罪法程度で済むと思ったのでは?)
また適用されなかったとしても、国民全体に奉仕すべき公務員がこのようなことをすることにより、社会的に大変厳しい訴追を受けることは、いつだかの福岡市職員の飲酒事件の例を待つまでもありません。
税金も無駄に垂れ流す、そして汚物も平気で垂れ流す、
ああ、日本の行政の明日はどちらへ?
ところでタイトルの意味は解りましたか?これはいわゆるトンチものなんですが(今、トンチなんて表現は使わないか)
答えは、
尾張名古屋は城で持つ
ジャジャーン!!!
こんばんは、すながっちです。
雨が降りしきる春分の日の今日、いつものようにパソコンをボケーッと見ていたら、ニュースで
「地下鉄サリン事件13年」
という、見出しで報じられていました。
「ああ、あれからもう13年も経っちゃったんだな」
だって、このとき生まれた赤ちゃんが今はもう中学生ですから、早いものです。
この事件の起きた1995年というのは、一昨日のブログでご紹介しました「ウィンドウズ95」発表など、明るいニュースももちろんあったけど、それ以上に、考えられないような事件が多かったという記憶があります。
まず、おとそ気分覚めやらぬ1月17日早朝に起きた「阪神・淡路大震災」
そして3月20日のこの事件、(これに前後して、類似の事件が頻出しましたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう)
このあと、某団体の一斉捜査が始まるわけですが、マスコミも異常に煽動していた気がします。
実は、首都圏が大パニックに陥っていたまさにこの日、私にも悲劇が起きたのです。
「大学受験不合格、浪人決定」
受験には不利な工業高校に通っていた私はそのギャップを埋めるべく、高校1年生のときから3ヵ年計画で受験勉強をしておりました(今となっては「カッコ」だけで、全然アタマに定着されていなかった)
高校2年からは大手の予備校へ通いはじめ(有数の進学校の人たちに混じって臆面も無くがんばっていた?あの日)、高校3年の秋からは、下校時刻ギリギリまで卒業設計(建設科だったので)に取り組んだあと、夜は予備校、深夜は自宅で勉強、そしてまた朝学校と・・・
今にして思えば、このムチャクチャなスケジュールが、効率の悪さの極みと変な慢心を引き起こしたのだと思います。
そして、箸も棒にもかからないような某国立大学に専願し(前期、後期とも)、その後期日程で撃沈決定したのが13年前の今日だったのです。
このときまで、わりとスムーズにことが進んで来たのですが、この18歳の春に初めて挫折を味わったのです。
確かこの日、掲示板を見て脱力し、それでも乗ってきた自転車をこいでわが町へ戻り(たかだか30分くらいの距離です)、本屋でマンガを立ち読みし、それで家に帰った記憶がまだあります。
暖かい春の陽射しがなんともうらめしかったです・・・。
ここら辺の記述が詳しいのは、この日より、数ヶ月間大学ノートに「浪人日記 捲土重来」と題した日記をつけていたからにほかなりません。もっともノートも数年前捨ててしまいました。
とっておいていれば、あの青臭い自分にまた対面できたのにと、今思えば残念でなりませんが。