こんばんは、すながっちです。



雨が降りしきる春分の日の今日、いつものようにパソコンをボケーッと見ていたら、ニュースで



「地下鉄サリン事件13年」



という、見出しで報じられていました。




「ああ、あれからもう13年も経っちゃったんだな」



だって、このとき生まれた赤ちゃんが今はもう中学生ですから、早いものです。



この事件の起きた1995年というのは、一昨日のブログでご紹介しました「ウィンドウズ95」発表など、明るいニュースももちろんあったけど、それ以上に、考えられないような事件が多かったという記憶があります。



まず、おとそ気分覚めやらぬ1月17日早朝に起きた「阪神・淡路大震災」



そして3月20日のこの事件、(これに前後して、類似の事件が頻出しましたのを覚えている方もいらっしゃるでしょう)



このあと、某団体の一斉捜査が始まるわけですが、マスコミも異常に煽動していた気がします。




実は、首都圏が大パニックに陥っていたまさにこの日、私にも悲劇が起きたのです。





「大学受験不合格、浪人決定」





受験には不利な工業高校に通っていた私はそのギャップを埋めるべく、高校1年生のときから3ヵ年計画で受験勉強をしておりました(今となっては「カッコ」だけで、全然アタマに定着されていなかった)


高校2年からは大手の予備校へ通いはじめ(有数の進学校の人たちに混じって臆面も無くがんばっていた?あの日)、高校3年の秋からは、下校時刻ギリギリまで卒業設計(建設科だったので)に取り組んだあと、夜は予備校、深夜は自宅で勉強、そしてまた朝学校と・・・



今にして思えば、このムチャクチャなスケジュールが、効率の悪さの極みと変な慢心を引き起こしたのだと思います。



そして、箸も棒にもかからないような某国立大学に専願し(前期、後期とも)、その後期日程で撃沈決定したのが13年前の今日だったのです。



このときまで、わりとスムーズにことが進んで来たのですが、この18歳の春に初めて挫折を味わったのです。



確かこの日、掲示板を見て脱力し、それでも乗ってきた自転車をこいでわが町へ戻り(たかだか30分くらいの距離です)、本屋でマンガを立ち読みし、それで家に帰った記憶がまだあります。



暖かい春の陽射しがなんともうらめしかったです・・・。



ここら辺の記述が詳しいのは、この日より、数ヶ月間大学ノートに「浪人日記 捲土重来」と題した日記をつけていたからにほかなりません。もっともノートも数年前捨ててしまいました。



とっておいていれば、あの青臭い自分にまた対面できたのにと、今思えば残念でなりませんが。