【<その①>からの続きです
】
にしても、
毎回オンエアチェックするのですが
今回は区切り決意に至ったこれまでの思いを
述べようと思っていたものの、
とは思いつつ時間切れになる気配も想定しまくり。
で、
結果犬島でお世話になった島民の方々のエピソードが
半数以上を占めてしまった感が強い仕上がりに
なってたという(^^;
なのでラジオ内トークの補足をしますと
◉なぜ宮沢りえエピソード?
ラブリーで大好きでQ時代からの付き合いでもある
アンチボ主宰のお二方に心情を話す際に思い出したのが
このトーク番組での宮沢りえ様。
記憶を辿っていったらありました。
「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」(23:50あたりから)
全然自分より雲の上のポジションの人だけども
りえ様30代の経験がすんごい自分を重ねるような感じで
テレビ見てたんですよね。
(わりと20代順調だったもっしゅは30の時、ドイツのカンパニーでEUの同僚ダンサーがすごい引き出しあるのに自分は未熟だ!と気づき帰国後BABY-Q時代のヨーコさんの元で1から基礎クラスで初心者バーレッスンを始め、”とにかく30代は自分の中で「修行の10年」だ”と思ってやっていました。)
もっしゅが舞台に深く関わるキッカケになった高校時代。
私は昭和スポ根がまかり通る本当に最後の世代でしたが、
「そんな厳しい上下関係とかしきたり、必要ないわ!」
ってタイプにその後ももし私がなってたら、
アンチボの回遊型という形式に違和感なく関わっていたと思います。でも、もっしゅの場合は
「あの当時めっちゃしんどかったけど、あの頃叩き込まれた舞台に立つということへの精神や経験があるからこそ今の自分がある。本当に良かった」
と思ってるタイプなんですよね(^^ゞ
これはもうこういった経験をした方なら、昭和・平成とか
映画・テレビの世界問わずみんな思いは同じじゃないかなと思います。
というのもあり、上京して初舞台踏んだ24歳の頃からもずーっとそのスピリットは今も変わらずで、
ある種”ストイック”と呼ばれるかもしれないけど、
映画と違って記録として残りにくい舞台芸術の世界ってやっぱりお客様には
「お金を払って足運んでもらって観てもらう」
世界だから、観せれるだけのものにしないといけないし
リサーチも念入りにするし、1人で素舞台に立たされても魅せれるだけの技術の研鑽も大切な作業だし、
ほんともう、なんというか
ほんと、私はお客様に生かされてます(≧∇≦)ノ!!!
って感じで
ちなみに、
自分がお客様に本当に生かされてるなーと犬島でも
思う瞬間があって
ポールダンサーのメガネさんの部屋のシーンでもっしゅの担当が
「赤紙が来た夫を涙ながらに受け止める戦時中の妻」
という芝居をする役割だったのですが、
「泣けるかなぁ。。」と不安だったけど、オーディエンスがいると初回リハから号泣
この時は改めて、演者は観てくれる人、支えてくれるスタッフが
居てこそだなと思いました。




◉アンチボ4月横浜公演で本番中から涙止まらずって?
その時のもっしゅ自作自演パートは
①本来10代の子が20人くらいでやるチアダンスの演目を
アラフォーのいま“1人で20人分を背負って”の全力ダンス
②昭和の前衛アングラ演劇よろしく「ベルばら」を全力朗読
と、1人でエントロピー度の高いことをやってますが(^^ゞ
でもお蝶夫人の時と同じく、決してコスプレで笑わせようとかいう気持は全くなく、全部細部まで作品への思いを込めて本番に乗せれる状態へ作りこみ、来てくれたお客様にお観せできるものを本番へ持って行く。というもっしゅのような自作自演の(アンチボの中では特殊部隊?)者にとってはいつもの動作でこの時も本番に挑んだのですが、
いかんせん回遊型で部屋が区切られてる空間を時間内に演者も観客も移動となると、もう②をやる頃には、最後の見せ場の音楽・照明・群舞シーンのメイン会場にみんな移動して他の部屋は観客ゼロ状態ってこともザラに。
お客様と演者が最初から最後まで向き合う形式ではないのでよくあることなのですが、この時ばかりは特に10代を過ごした時代のことをそのまま演じるにあたり体力づくりから、当時の意気込みを現役時代さながらに蘇らせる作業をババアながら1人で黙々としてきた経緯があった。でもそのシーンの時たまたまそこに居る数人にしか伝えることができないもどかしさ。それが1つと、
あとは、これまで記してきたように「昭和スポ根スピリット」を大事に持ち続けていたいという想いがベースにあるからかもしれない。
そこが無性に涙が止まらなかった大元の部分なのかなぁと。
なんというか、以前ある小さな個人料理屋さんのツイートで
「大口宴会予約入ってて、お客様に満足してもらえるよう準備万端でお料理作ったけど当日ドタキャン連絡入り行き場をなくしたお料理たち、、」
というようなのがあったと思うのですが、
その切ない感じ。。
うん、それ的な(^^;
(ちなみに幸い薄暗い中で亡霊のうちの1人でラストまで照明暗いままだったので本番は無事終えることができました◎)
そういえば、お蝶夫人も回遊型なのになぜお蝶夫人だけはお客様の反響が大きかったのかな?とふと考えた時に、
「目黒庭園美術館のあの芝の空間はフラットで塀も囲いもない。たとえ演者と観客が同時に移動しても、あの芝の広場は”1つの劇場=ステージと客席”と同じ形態であって、常に両者が平等で対等な状態にあった。 .....だからかぁ!!
」
・・確かにフラットで広大な芝生で本当に美しい光景の庭園だったなぁ。で、隣の建物内に移動したダンサーは「誰も人いない、、」って言ってたなぁ。。
やはり、ショーワウマレの私には往年の、というか一般的なスタイルが合うんでしょうね(^^ゞ
なんだか自我強すぎ感が前に前に出て面倒くさい人って感じになってるかな
あ、でももちろんラブリーな人たちの集まりのアンチボ作品は今後も参加する機会があれば出没する時もあるかと思いますので、ぜひぜひ今後ともどうぞよろしくお願いします