前回のブログ『①始まり 太陽に向かって進む人達』より続きます。

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

今回のブログは、前回の『①始まり 太陽に向かって進む人達』の続編となります。

本日早朝から農作業のお手伝いに行って参ります。

しばらくは時間が取れませんので、昨日に続いて早急に二日続けての投稿となりました。

 

未だ、お読みでいらっしゃらない御方は、ぜひ前回のブログを

お読み頂いた上で当ブログをご覧頂く事をお願い申し上げます。

 

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はじめに

 

前々回のブログ『源流を知る為の必読書より 肥は日なり 涙が溢れ・・』に対して

 

yabutsubakime様より大変貴重な情報を頂きました。

ご紹介させて頂きます。😊

 

①日国 八代郡

 

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究

 

 

 

神に関する古語の研究を拝読して

源流を知る為の必読書より 肥は日なり 涙が溢れ・・』の中で書かせて頂いた事

 

肥国の肥は日なり
「肥国」の「肥」は「日」の借字なり。
「久士比」は「奇し日(くしび)」の義なり。

 

かくてこの「肥国」(日の国)の名は、いみじくも天日の祖国、日神の本国なる
「日本(ひのもと)」の起源となれり。

 

この記述をお読み頂いたyabutsubakime様

ご自身のブログ『肥後―阿波―尾張を繋ぐ久米のレイライン』で

以前掲載なさっていらした『諸系譜』第2冊
ヤマトタケルノミコトの東征にお供した七拳脛命(七掬脛)から始まる
久米宿祢系図

「ある記述」が記されていた事に お気づきになられました。

 

それは「日国 八代郡」 です。

 

yabutsubakime様のブログ『肥後―阿波―尾張を繋ぐ久米のレイライン』をご紹介致します。

 

 

 

yabutsubakime様は

 

南朝の征西大将軍・懐良親王に仕えて九州に入った松岡希行という御方のお孫様

松岡兼泰

この方の項に 以下の言葉が記されていた事をお気づきになられました。

 

兼泰 松岡左近九郎 
住也日国八代郡空地
是久米清渕等の祖也

 

yabutsubakime様からコメントを頂き、私もすぐに拝見したのですが

自身のブログで書かせて頂いた内容と、yabutsubakime様が載せていらっしゃった系図の記述が、直ぐに一致した事に対して、私はとても驚きました。

 

そして yabutsubakime様のご先祖様の調査と私の調査、何か大きな流れ・・お力が

結び付けて下さった・・・そのように強く感じました。

 

古代の方々を思う気持ち・・・
ご先祖様への気持ち・・・
yabutsubakime様と私の波動・・
繋がっていると強く感じました。

こういう偶然って 無い! と思います。
この流れは・・
必然・・二人の其々のご先祖様方から頂いたお導きだと
強く 強く 感じました。

 

yabutsubakime様

あらためまして ありがとうございました。

 

 

※住也日国八代郡

 

肥国の肥は日なり
「肥国」の「肥」は「日」の借字なり。
「久士比」は「奇し日(くしび)」の義なり。
かくてこの「肥国」(日の国)の名は、いみじくも天日の祖国、日神の本国なる
「日本(ひのもと)」の起源となれり。

 

再び 感動で涙が溢れてまいりました・・・・

 

 

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②1000人が隠れた洞窟

 

先日、椎葉のおじが家に遊びに来られた時に、

ブログ『扁額とシトトと神代の文字 予告編御陵殿でチョッポ発見! 』でご紹介した

球磨村 岩戸熊野坐神社様 (岩戸熊野座神社様)の話が出てまいりました。

 

 

 

椎葉のおじは

『おじさんが子供の頃は 

岩戸熊野座神社さんがある洞窟(鍾乳洞)を

1000人隠れ

と呼びよったとぞ』

と 突然 言い始めたのです。

 

1000人隠れ

?????

 

何それ!!? と私・・・

 

椎葉のおじは

「なんか!? 知らんとか!?」 

「昔は皆、そげん呼びよったぞ!?」 (昔は皆 そう呼んでいたぞ)

と・・

 

私は 「知らんよ!! いつ1000人隠れたの!?

と聞くと

椎葉のおじは

「そりゃ 解らん 😊 」

「昔からタイ 😊 」 

と・・・

 

この話を聞いて、私は頭の中に 2020年2月に書いた

過去ブログ「(追記あり)動画の補足 姫島・阿蘇・多久との交流 と球磨郡内のシェルター」で書いた事が頭の中をす~っと過りました。

 

 

 

 

球磨郡内の天然シェルター
 

★早期の遺跡では、球磨村大瀬洞穴遺跡と同村高沢洞穴遺跡が有名である。いずれも石灰岩地帯にある鍾乳洞の遺跡で、骨や貝殻などの保存に適した条件を備えている。

 

球磨村 岩戸熊野坐神社様 (岩戸熊野座神社様)

日本最大の洞口を持つ洞窟・・・

1000人隠れ・・・

 

開口部の横が約40m・高さが約17m

 

 

過去ブログ「(追記あり)動画の補足 姫島・阿蘇・多久との交流 と球磨郡内のシェルター

を書いた当時、私が考えていたこと・・・

 

球磨郡内には球磨村大瀬洞穴遺跡・球磨村高沢洞穴遺跡等
多数の鍾乳洞が存在しています!

これらの鍾乳洞は・・喜界火山の爆発的噴火の際の 球磨における
天然のシェルターの役割を果たしたのではないのか!?
と。

喜界火山の爆発的噴火を逃れる事が出来たとしても、この球磨盆地は火山灰に覆われ、
しばらくは人が住む事は出来ない状況となったと言う事は簡単に推測可能です。

何千年も開発してきた土地が無残な姿になって、この災害を受けた当時の人達はとても悲しい思いをされたと思います・・

難を逃れた人達の中には移動を開始した人達もきっといたのでしょう・・・

九州を離れ、日本列島を北上した人達や日本列島を離れ、海を渡って大陸へと向かった人達・・海を渡った人達が目指した大陸で、この人達は持ちえた高度な文化を元に開発を行った可能性だって、あり得るのではないか!? 

と・・・

 

まさか・・・ブログを書いて1年以上経て 1000人隠れ という言葉を知るとは

夢にも考えていませんでした・・

 

この地の7300年前の人達がもし・・洞窟(鍾乳洞)に隠れて、辛うじて難を逃れていらっしゃったと仮定しても、しばらくは火山灰が降り注ぎ、太陽光は遮断されて、薄暗い闇の中で

生活をされていらっしゃったのでしょう・・

 

ようやく 太陽の光が見え始めた時

この方々は とても喜ばれた と思います。

 

日を神様と崇める 7300年前の方々は

とても 喜ばれた! と思います・・・

 

前回のブログで喜界カルデラの降灰地域の図をご紹介致しましたが

日本国内の殆どの地域が火山灰に覆われていた事が解りました。

薄暗い中でようやく太陽の光が見えてきた・・

 

その時

日を神様と崇める 7300年前の方々は

とても 喜ばれた! と思います・・・・・・・

 

ふと 考えたのですが

このような話は 代々 伝承で人々の口から口へ、後世に

伝わっていたのではないのでしょうか・・・・

 

 

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③太陽とナマズ

 

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究を拝読して

太陽に対する古代の方々の崇拝を理解させて頂く事が出来るようになりました。

 

 

ブログ『久米・くま は実に神(かみ)の転語なりしなり。尻久米縄から理解した事』で

ご紹介したように・・・

 

 

 

※「久米」は実に神(かみ)の転語なりしなり

※「くま」は同じく神(かみ)の転語なりしなり

※即ち「久米」は「くま」と全く同趣 神 の転訛なり

※熊襲の熊は同じく神(かみ)の転語なりしなり

 

さらに、書籍を拝読して勉強して 理解した事はとても貴重なお話でした。

 

 

 

 

 

そこで、ふと 考えたのですが

※即ち「久米」は「くま」と全く同趣 神 の転訛なり

 

太陽 神様・・・

では久米族の方々のトーテムと言われるナマズはどう繋がっているのだろう・・??

と・・

 

今まで、ネット検索で調べた事の無い キーワード「太陽 ナマズ」を使って検索すると

驚きの研究資料を拝見する事が出来ました。

 

日本食生活学会誌 第25巻 第3号 211-220 (2014)

世界のナマズ食文化とその歴史

です。

 

御公開の資料をご紹介致します。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jisdh/25/3/25_211/_pdf

 

 

日本食生活学会誌 第25巻 第3号 211-220 (2014)

世界のナマズ食文化とその歴史

の中に

太陽とナマズの関係についてのお話がありました。

非常に興味を抱いた お話をご紹介させて頂きます。

 

 

古代エジプトでは、ナマズは「ナルメル王パレット(紀元前3150年頃)」墓の壁画、

新王国時代(紀元前1569年~1081年頃)の「宗教パピルス(洞窟の書、アムドゥアド)」、

「医療パピルス(エーペルス・パピルス)などに記されている。

 

 

古代のエジプト人はナマズが濁った水を好むことから

夜間、冥界の世界の暗やみの川を通る太陽船をナマズが導くと信じていた

 

 

さらに

ナマズは神聖なバステト女神の現れと見なしていた

 

 

ナマズは初期王朝第1代ナルメル王の王名

(象形文字ナル = ナマズ + 象形文字メル )

に用いられていることから、ナマズは古代エジプト人にとって特別な魚類であったとみられる

 

 

以上

日本食生活学会誌 第25巻 第3号 211-220 (2014)

世界のナマズ食文化とその歴史

より とても興味を抱いたお話をご紹介させて頂きました。

 

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古代のエジプト人はナマズが濁った水を好むことから

夜間、冥界の世界の暗やみの川を通る太陽船をナマズが導くと信じていた

 

ナマズは太陽船を導く・・と信じられていた

 

ナマズと太陽は 古代エジプトで 繋がっていた

と言う事を初めて知りました。

 

 

 

※初期王朝第1代ナルメル王の王名・・・

エジプト第1王朝 ウィキペディアより

 

 

エジプト第1王朝(えじぷとだいいちおうちょう、紀元前3100年頃? - 紀元前2890年頃?)は、古代エジプトにおいて史上初めて上エジプト(ナイル川上流域)と下エジプト(ナイル川下流域)を統一したとされている王朝。

 

 

 

※ナマズは神聖なパステト女神の現れと見なしていた

バステト女神 ウィキペディアより 抜粋

 

 

バステト(Bastet)またはバストはエジプト神話に登場する女神。

 

バステトは猫の女神として知られる。

通常、バステトは太陽神ラーの娘あるいは妹や妻とされることもある

 

 

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ナマズは太陽船を導く・・と信じられていた

 

ナマズと太陽は 古代エジプトで 繋がっていた

 

 

エジプト第1王朝(紀元前3100年頃? - 紀元前2890年頃?)

という事は、日本で言うと縄文時代中期頃の事でしょうか・・・

 

私の造語 日本縄文文明 の盛んな頃ですね😊

 

ふと考えたのですが・・・

太陽を求めて東に向かった方々は

数千年どころか 数万年前から 

太陽とナマズの関係

太陽とナマズを神様として崇める

そういうアニミズム 自然崇拝 が

ず~っと古代から

世界共通の 自然崇拝があったのでは ないか・・・・?

 

と・・

 

だから 古代の日本では

日 日神を崇拝する

太陽を神様と崇める

くま・クメ の方々が ナマズを祀っていらしたのではないのか・・・?

 

と・・・・ ど素人ながらに 私は考えてしまいました。

 

 

 

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今回のブログは

①日国 八代郡

②1000人が隠れた洞窟

③太陽とナマズ

 

といったお話を書かせて頂きました。

 

 

 

実は ・・・・

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究 を拝読して 勉強させて頂きながら

とてつもない 疑問が

私の住む 球磨に対して 湧き上がっているのです・・・・

 

そのお話は また 次回ブログにて<m(__)m>

 

 

 

最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

皆様方 お身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

 

 

私は 今から準備をして 農作業のお手伝い(スナップエンドウの収穫)を

終日 頑張って参ります(^^)/

 

 

久しぶりに・・

巨石崇拝 磐座 が見える

球磨郡相良村の雨宮神社様の動画を見たくなりました・・・

 

ANASHI様の動画

そうだ神社に行こう!#04 雨宮神社 

Let's go to the shrine. #04 the Amamiya Shrine(japan kumamoto)

 

 

 

球磨の地より ひろっぷでした😊