前回のブログ

動画 8000年前の石製「人形」が出土していた多良木町 菱形文等は縄文時代早期から

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12576448900.html

より続きます。

 

2020/02/28 追記

船元式土器について『鯨の脊椎骨』の写真の上部に追記を書かせて頂きました。

さらに、皆様方にぜひご覧頂きたい「コメント」をコメント⑬・⑭に続けて書いています。

反省を込めたコメント。タイトルは『デマに振り回された2月27日』です。

皆様方、私、とても恥ずかしい事ですがデマに振り回されてしまいました<m(__)m>

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

昨晩(2月23日)深夜、NHKのEテレで放送された『地球ドラマチック 兵馬俑に託された始皇帝の野望』と言う番組を、父と二人で見たのですが、番組の中で、古代とても貴重とされた

『辰砂』と『水銀』について何度もクローズアップされていました。

広大な始皇帝陵の地下には水銀の川や海が人工的に作られていたと言う事を知りました。

紀元前の秦の始皇帝の時代において、『辰砂』と『水銀』が不老不死の薬として考えられていた事、さらに中国全土を統一した権威の象徴であった事、がよ~く理解出来ました。

その貴重な『辰砂』と『水銀』が採れる、日本の3大水銀鉱床群の中の

九州南部水銀鉱床群にすっぽりと入る『球磨盆地』から、今回も新たに知った事をわたくしひろっぷがお伝え致します<m(__)m>

 

前回、ご紹介した球磨郡多良木町大久保台地遺跡群から出土した今から8000年前に滑石で造られた日本でただ一つの出土品『石製品の人形』や12000年~8000年前の土器に施された『紋様』、さらに、縄文時代後期今から4000年~3000年前に作られた写実的なワンちゃんの土偶 等を拝見して、感動して作った動画を皆様にご紹介致しました。

 

 

動画をご覧下さった方々にお礼を申し上げます。

ありがとうございました。(^'^)

まだ、ご覧になられていらっしゃらない御方は、前回のブログをまずお読み頂ければとてもありがたいです<m(__)m>

 

ど素人が簡易動画ソフトを使って作った動画ですが、自分が感じた事をお伝え出来ていれば嬉しいな・・と思います。

 

がっ!しかし!! 私はこの動画に、凄く大切なお話、画像を入れていなかった事に気が付きました\(◎o◎)/!

動画を作る前に古代の里 黒の蔵に関わっていらっしゃる「御方」に電話をかけさせて頂き、お話を伺っていたのですが、その御方がおっしゃっていらした、とても大切な事を動画に入れていなかったのです!! 凄く反省致しました(*_*)

 

それは・・・大久保台地遺跡群から出土していた黒曜石についてでした。

 

①大久保台地遺跡群内で出土した黒曜石

画像 古代の里 黒の蔵様にて撮影

 

こちらの黒曜石は大久保台地遺跡群内 北井手詰遺跡から出土した物で

大分県姫島産の黒曜石

でした!!

頂いた、冊子『発掘された大久保台地』の中には、こちらの黒曜石の写真の下に

大分県姫島から来た黒曜石

北井手詰遺跡では、姫島産黒曜石の他に、阿蘇(熊本県)・多久(佐賀県)産の黒曜石が確認された。

 

と記されていました。

つまり、縄文時代早期の大久保台地遺跡群を構成した球磨の人達は

大分県姫島・阿蘇(熊本県)・多久(佐賀県)と

交流を行っていた!!

と言う事が解ります!

 

実は、球磨郡内でも黒曜石は採れていたのです(p_-) 

ネット公開されている こちらをご覧頂くとお解り頂けると思います。

研究報告書 熊本県球磨郡球磨村大字三ヶ浦地区から産出する黒曜石ガラスの化学組成

向井正幸氏

https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/science/17/p038991_d/fil/1-kokuyo.pdf

 

 

球磨郡球磨村からも黒曜石は産出されるのですが、大久保台地遺跡群内 北井手詰遺跡からは

姫島産黒曜石・阿蘇(熊本県)産黒曜石・多久(佐賀県)産の黒曜石が出土。

つまり、縄文時代早期(12000年前~8000年前)の球磨縄文人は遠くの地域まで様々な黒曜石を求めて交流を行っていた!

と言う事になります!!

 

そう言えば・・縄文時代早期さらに縄文時代中期の球磨の方々の交流は・・九州内だけではなかった!と言う事を思い出しました(p_-)

ブログ『常識を覆した球磨からの出土品 鳥が先か卵が先か・・』で勉強していた事です!

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12464570216.html

 

熊本県文化財調査報告 夏女遺跡 2歴史的環境 より 勉強させて頂いた縄文時代早期の球磨郡内の状況・・・

ブログ『常識を覆した球磨からの出土品 鳥が先か卵が先か・・』 より抜粋

(2)縄文時代
夏女遺跡では、後期から晩期にかけての石器が出土している。
人吉盆地では、草創期の遺跡が数遺跡見つかっている。

もっとも古いものは、山江村狸谷遺跡と多良木町里城遺跡で、隆起線文土器が伴っている。石器としては、前者が細石器で、後者が細石器と石鍍である。次に来るのが白鳥平II遺跡で、爪形文土器が伴っている。石鍍が一緒に出土していて、この時期になると細石器が消滅することがわかる。

早期の遺跡では、球磨村大瀬洞穴遺跡と同村高沢洞穴遺跡が有名である。いずれも石灰岩地帯にある鍾乳洞の遺跡で、骨や貝殻などの保存に適した条件を備えている。

 出土した動物関係の資料には、鹿の骨の他、アワビ・ハマグリなどの海の貝殻が発掘されている。このように、海との関係を示唆する貝殻が出土したことは、縄文時代早期社会を考える上でとても重要なデータである。
早期社会と言えば、山江村狸谷遺跡で当時の竪穴式住居跡が検出されたことが想起される今後の資料増加によって、さらに細かい検討が可能となろう。

また、縄文時代早期の壷形土器が出土したとして有名になった山江村城馬場遺跡、塞ノ神式土器を多く出土した大丸・藤ノ迫遺跡、押型文土器で著名な村山遺跡群、多様な種類の手向山式土器が発掘された天道ケ尾遺跡など、数多くの遺跡が盆地内で見つかっている。

の発見される場所は、台地や丘陵地だけではなくて、山地内にもある。球磨・人吉地方でもつもと多くの遺跡が残されている時期である。
前期では、人吉市鼓ケ峯遺跡で轟式土器と曽畑式土器が多く出土している。また、人吉市八
峰遺跡で
快状耳飾りが採集されている。伴出土器は、墨式土器が予想される。曽畑式土器は、人吉市棚平遺跡で採集されている。
中期の遺跡では、球磨村の大無田周辺で数遺跡がみつかっているが、表面採集の資料である。発掘資料としては、人吉市鼓ケ峯遺跡や湯前町米山遺跡がそれにあたる。

 
鼓ケ峯遺跡では瀬戸内地方で一般的な船元式土器が出土していて、その人吉盆地への
入り方が問題となる。
また、この二つの遺跡から見つかった、底部に鯨の脊椎骨の痕跡が残る土器は興味が⓪湧く。ただし、この時期は遺跡数も少なくて、その様子がはっきりしていない。

 

以上 熊本県文化財調査報告 夏女遺跡 2歴史的環境を転記した過去ブログ『常識を覆した球磨からの出土品 鳥が先か卵が先か・・』 より抜粋

 

★鼓ケ峯遺跡では瀬戸内地方で一般的な船元式土器が出土していて、その人吉盆地への入り方が問題となる。

 

瀬戸内地方との交流もあった!!

と言う事がよ~く理解出来ました。(p_-)

 

2020/02/28 追記

船元式土器とは 簡単にですが勉強致しました。

岡山県倉敷市にある縄文時代中期を中心とする貝塚『船元貝塚』から出土した土器に付けられた名称でこの型式の土器は近畿地方から北九州にわたる広い範囲でみつかっている・・

と言う事が倉敷市公式ホームページ様に記されています。

https://www.city.kurashiki.okayama.jp/5521.htm

 

愛媛県内で出土した船元式土器については山口県立山口博物館様サイトで公開されていました。

http://db.yamahaku.pref.yamaguchi.lg.jp/script/detail.php?no=461

愛媛県今治市於泊(宮崎)遺跡は四国地方愛媛県の高縄半島先端に位置します。著名な縄文時代の貝塚、江口遺跡に隣接する未調査の臨海型遺跡です。

以上 山口県立山口博物館様サイトより

 

あらためて・・球磨の縄文時代中期の方々

瀬戸内地方との交流もあった!!

と言う事がよ~く理解出来ました。(p_-)

以上 2020/02/28 追記でした。

 

底部に鯨の脊椎骨の痕跡が残る土器

ブログ『球磨の少年が発見していた有肩打製石斧・鯨の骨・免田式土器の写真と さらに「丹」の神様』でご紹介致しております!

 

縄文時代の土器の底部にくっ付いていた鯨の脊椎骨

 

 

私が投稿した動画の内容と今回書かせて頂いた黒曜石をめぐる交流、さらには瀬戸内地方との交流・・・縄文時代早期の球磨の人達は行動的であった事・・・・・

これらを考えると、やはり私は、この方々が喜界火山の爆発的噴火の影響を何もせずに受けてしまって滅亡したとはどうしても考えられないのです・・・

おそらく喜界火山の爆発的噴火の前には前兆は必ずあった!と考えます。

その前兆を、ご紹介した『方々』が気が付かないなんて・・

私にはどうしても考えられない!!

 

ここで、あらためて、過去ブログを読んでいて、私はマタマタ気が付きました!!

 

②球磨郡内の天然シェルター

★早期の遺跡では、球磨村大瀬洞穴遺跡と同村高沢洞穴遺跡が有名である。いずれも石灰岩地帯にある鍾乳洞の遺跡で、骨や貝殻などの保存に適した条件を備えている。

 

そうでした! 球磨郡内には球泉洞を含む多数の鍾乳洞があります!!

球泉洞 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%83%E6%B3%89%E6%B4%9E

 

球泉洞(きゅうせんどう)は、熊本県球磨郡球磨村の、球磨川沿いを走る国道219号・鎗倒しと呼ばれる岩壁の上に立地する、権現山(標高694m)の地下にある鍾乳洞。

球泉洞の総延長は第一本洞と第二本洞をあわせ4800m。

これは日本第6位であり九州では最長。このうち、観光用に公開されている部分は約800mである。石灰岩層は約3億年前に海中で形成され、その後地殻変動によって地上に隆起し、二酸化炭素を含んだ雨水が浸透し、球磨川に流れ込む過程で侵食されて形成された。

 

過去ブログ『球磨村神瀬鎮座 磐戸熊野座神社に伺いました。』でご紹介した

神瀬(こうのせ)石灰洞窟  よろしければご覧下さい<m(__)m>

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12275899889.html

 

日本最大の洞口を持つ洞窟

開口部の横が約40m・高さが約17m

 

ぜひ、ご覧頂きたいのは、この洞窟の大きさです。

洞窟の入り口の大きさは、くまとっぷ様のサイトで確認出来ます。
http://www.kumatop.com/index.php?%E7%A5%9E%E7%80%AC%E7%9F%B3%E7%81%B0%E6%B4%9E%E7%AA%9F

 

他にも球磨郡内には先に書いた球磨村大瀬洞穴遺跡・球磨村高沢洞穴遺跡等

多数の鍾乳洞が存在しています!

 

私は考えました

これらの鍾乳洞は・・喜界火山の爆発的噴火の際の 球磨における

天然のシェルターの役割を果たしたのではないのか!?

と。

 

喜界火山の爆発的噴火を逃れる事が出来たとしても、この球磨盆地は火山灰に覆われ、

しばらくは人が住む事は出来ない状況となったと言う事は簡単に推測可能です。

何千年も開発してきた土地が無残な姿になって、この災害を受けた当時の人達はとても悲しい思いをされたと思います・・

難を逃れた人達の中には移動を開始した人達もきっといたのでしょう・・・

九州を離れ、日本列島を北上した人達や日本列島を離れ、海を渡って大陸へと向かった人達・・海を渡った人達が目指した大陸で、この人達は持ちえた高度な文化を元に開発を行った可能性だって、あり得るのではないか!? 

と私は考えます。

 

最後になりますが・・・

動画でご紹介した『写実的なワンちゃんの土偶』について・・私なりに考えていました。

とても小さな写実的なワンちゃんの土偶・・

本当に呪術の為なのだろうか・・???

私は・・・愛する家族であった『愛犬』が天国に召された後に、その姿を思い出しながら、土偶いえ形に残して、側に置いていたのではないのかな・・

愛する家族『愛犬』をいつも思い出して、この土偶を眺めていたのではないのかな・・・

と考えました。

おそらく、考古学者の方々は一笑なさる考えだとは思いますが

私は、動画を作って、つくづく感じたのですが

縄文時代の方々も、現代人と同じように温かい心を持っていらした・・・

そう考えました。

子供を愛する心・・家族を愛する心・・・大事な家族ペットを愛する心

私は縄文時代の方々も現代人も同じだと思います。

だって・・現代人も遡れば、この時代の方々の愛の結晶が何千年にも渡って繋がっているのですから・・

 

 

 

今回は早急に、動画作成における私の抜けを補足しなければ!と思い、ブログ更新をさせて頂きました。

抜けた部分は、新たな動画として、今後作成したいと思っています。

 

最後までご覧頂き ありがとうございました。

ひろっぷ