前回のブログ『再投稿 氷河崩落と堆積土砂掘削と 今を生きるのは過去があったから』
より続きます。
私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
ご家族の代わりに、献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に心から感謝致しております。
感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。
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この1週間の期間、最低気温は氷点下3℃くらいから最高気温が20℃を超える
という日もあれば・・・
一昨日、昨日は雪が降りまして、九州自動車道八代インターからえびのインターまでが通行止めとなりました。
今朝の最低気温は氷点下5.2℃。
私の住む球磨郡あさぎり町は熊本県内でも、夜間に気温が下がり、最低気温は県内でも一位か二位の寒さが度々・・
その理由が先日、地元テレビ局の番組内で解説されていました(p_-)
球磨郡あさぎり町には冷たい空気が夜間降りてきて冷気湖が出来るそうです\(◎o◎)/!
冷気湖 バイオウェザー様 サイトに詳しくご説明がありました(^'^)
冷気湖 まとめてみると🙄
①地球上のあらゆる物体から宇宙空間に向かって赤外線のかたちで熱エネルギーが放射されている
②日中は太陽から受ける熱エネルギーの方が多くなり日の出と共に気温は上昇、しかし
反対に夜間は太陽からの熱エネルギーが来ないため、地球から熱エネルギーが出て行く一方で、気温は下がる
③放射冷却により冷やされ、重くなった空気は斜面に沿って低い方へ移動し、窪地や谷底には冷気が溜まり、ときには広い範囲に冷気が溜まり、まるで湖のようなので、
この状態を「冷気湖」と言う
(p_-) 大変勉強になりました。
球磨盆地は地図で見ると九州南部のように感じますが
気候は九州北部
気象庁さんも 九州北部と位置付けていらっしゃいます。
父は九州中部にはならんのかなぁ~ と天気予報を見ながらいつも言っております。
一昨日は、雪の中、ビニールハウスでスナップエンドウの収穫を行いました😊
いつもの年より、若干?早くスナップエンドウは春を感じているようです・・
宇宙エネルギーという言葉にワクワクしてしまいますが・・・
今回は宇宙から少し離れて(ー_ー)!!
偶然気が付いた鯰と鮎と球磨弁の関係について書かせて頂きます<m(__)m>
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1.球磨郡久米郷の鯰の神様
球磨郡久米郷について久米族との関係を『球磨(久米)の古代久米人が継承した治山治水』
に詳しく記させて頂いていました。
太田亮博士が球磨郡久米郷について、如何なるお言葉を「姓氏家系大辞典」にて
お書きであったのか・・・
肥後の久米部
和名妙、當國球磨郡に久米郷あり。
久米部の発祥地か。
『久米は黒原山の裾野一帯である』
久米部の発祥地か。
黒原山
さらに・・・
2017年の12月に書いた過去ブログで、久米氏と鯰について触れておりました。
当時、ブログを書いた時に、私は・・・
★「久米部は球磨人」・・・球磨人は鯰さんと共に奈良に移動している!!
鯰さんへの信仰と共に 北に東に移動している・・・
と感じていました。
その鯰さんなのですが・・・
人吉の遥拝神社様には鯰の石像や絵が至る所に見えるのですが
肝心の旧球磨郡久米郷では神社様にトーテムとしての装飾?は見られません・・
私はこの事がず~っと不思議だったのです・・・
所が!(p_-)
昨年末に 物凄~く驚く話を 御年91歳になる椎葉のおじから聞いたのであります。
私が椎葉のおじに
「おじさん、鯰はこの辺りにはいないよねぇ~」と言った所・・
椎葉のおじは
「なんば言いよっとか! 昔は何処にでもおったっぞ😊」
「おじさんが子供の頃、井口川(旧久米川)のここから少し上には川の横に洞窟のような深い淵があって、そこに潜れば鯰はウヨウヨしっとった!」
「神様もおんなったとぞ」 (神様もいらしたのだよ)
(私) 神様・・・\(◎o◎)/! ナンデスト~ 何処に!!
『 宮麓(旧久米郷宮原村)と奥野(旧久米郷奥野村)の境ふきんは
昔は湧水地が沢山あって、淵が至る所にあった。
その中に”ナマズ池”と言われる大きな淵があって そこを覗くと
物凄く大きな鯰が泳いでいて ここら辺の人達は 一番大きな鯰を
鯰の神様 とお呼びして、この鯰池では 鯰はとっちゃならん!(捕ってはいけない)
と言われとったとタイ
ナマズ池には 生きた鯰の神様がおんなったとぞ 』
(いらしたのだぞ)
生きた鯰の神様 ひえ~っ\(◎o◎)/! と驚いた私は 椎葉のおじに
奈良の久米寺様の鯰さんの話や九州の鯰さんの話をした後に
「私・・久米族の本拠地と言われたこの地に何故?鯰さんの装飾がないのかな・・と思っていたとよ・・」
と言うと 椎葉のおじは
「そげん 造り物をせんでっちゃ ここにはちゃんと生きた鯰の神様がおんなったとバイ」
(そんな造り物をしなくても)
と 笑って言いました・・・
そういう事か!! \(◎o◎)/!
わざわざ 鯰の神様の造り物をしなくても ここには
生きた鯰の神様が崇められていた!
という事だったのだ~!!
私は ようやく 一つの謎が解けた気分になりました😊
椎葉のおじさんが子供の頃と言う事は・・・
このブログでご紹介した昭和10年代のお話です・・・
面白い(p_-)
と言うか 感動 しました😊
しかし・・・(ー_ー)!!
戦後の農地改革において 鯰さんの池や多くの淵は埋められたそうです・・
歴史を重んじる事が戦後は失われたのだな・・
つくづく 私はそう感じて 悲しくなりました・・・
たかだか200年そこらの歴史を持つ国の方針に日本は従うを得なかったのでしょう・・
(思わず・・独り言を呟いてしまいました・・・)
2.山部氏の国内分布
鯰をお祀りする 阿蘇地方には 久米族山部氏の後裔の方々が日本で一番多い
と言う事に実は昨年の11月頃に気が付いていました😊
電話帳を元に行う検索ソフトによると
山部さんは全国に842軒
圧倒的に多い県 一位は 熊本県で 182軒
内 102軒が阿蘇市 36軒が熊本市 15軒が山鹿市 と続きます(p_-)
非常に興味を持ったのは 山部姓の方々が熊本県に続き国内第二位の県が
岡山県120軒
である事です(p_-)
詳しく拝見すると 際立っている地は
岡山県小田郡矢掛町が47軒
岡山県笹岡市が33軒
でありました(p_-)
阿蘇地方には 久米族の本拠地球磨郡久米郷から
久米族山部氏が移動なさったのでは!?
と私は推測いたしました(p_-)
鯰をトーテムとなさる神社様と言えば・・先にご紹介したブログ
『『本題』肥国のトーテム「鯰さん」と奈良の久米寺様』でも書いておりましたが
佐賀県佐賀市大和町、嘉瀬川(川上川)の上流に御鎮座の肥前国一宮
『與止日女神社(よどひめじんじゃ)』様にも「鯰」に由来する伝説が残っています。
最近の方々は(あなた幾つ?と言われそうですが・・) 近年の行政区分で物事をお語りになられるようですが・・
例えば・・佐賀県佐賀市大和町であれば 九州北部 と言った具合に一括りに・・・
近年の行政区分は古代を語る上では一旦 頭から離して考えなければならない
と私は考えます(偉そうに申し訳ございませんが<m(__)m> )
球磨郡も、阿蘇も、佐賀県も そして 長崎県も
元は 肥国(火国)
古代は 同じ国の中 なのであります!
つまり吉野ケ里も 肥国(火国) ですよぉ~
皆様方 どうか お忘れなき程に よろしくお願い申し上げます(p_-)
<m(__)m> ・・・・ 😊
所で・・・マタマタ最近気が付いていたのですが
久米(クメ)
クメと入力して登場する漢字一覧・・
こうなります(p_-)
久米 粂 組 区目 句目 久目 久留 久女 求女 等・・・
久留(クメ) なのですね(^'^)
なるほど~ 久留(クメ)にも もちろん 移動なさっていますね😉
3.鯰と鮎の漢字と球磨弁
鯰に意識を持っていったら マタマタマタマタ 気が付いてしまいました😊
鯰 ウィキペディアより 抜粋致します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%BA
ナマズ(鯰・鮎、魸、学名 Silurus asotus)は、ナマズ目ナマズ科に属する硬骨魚類の1種。
日本・中国・朝鮮半島・台湾など、東アジアの河川や湖沼に生息する肉食性の淡水魚である。
日本におけるナマズは、古代から食用魚として漁獲されたほか、さまざまな文化に取り入れられた歴史をもつ。神経質でデリケートな性格から暴れたり飛び跳ねることも多く、日本では中世以降地震と関連付けられ、浮世絵をはじめとする絵画の題材にされるなどして、人間との関わりを深めてきた。
なお日本では通常、ナマズに「鯰」の字を当てるが、中国では(日本語でアユを意味する)「鮎」を当てる(「鯰」はナマズに当てるために日本で作られた国字である。瓢鮎図の節を参照)。
大きなナマズは「鯷」と記し、『漢書』地理志と『後漢書』東夷伝に現れる「東鯷人」は倭人との関係で注目される。
分布
マナマズは中国大陸東部・朝鮮半島などの大陸部に加え、台湾や日本など島嶼域を含めた東アジア全域に幅広く分布している。ユーラシア大陸での分布は、アムール川・シベリア東部からベトナム北部まで。流れの緩やかな河川・湖沼から水田・用水路などに生息し、岩礁域よりも水草の繁茂する泥底域に多くみられる。
現代の日本ではマナマズは沖縄諸島などの離島を除く全国に分布しているが、本来の生息域は西日本に限定されていたとみられている。
縄文時代の貝塚など全国各地の遺跡から、ナマズ目魚類の骨格が出土しているものの、古い時代のものは滋賀県より西の地域に限られている。
一方で、『本朝食鑑』など複数の文献記録や、愛知県と東京都における江戸時代の遺跡から遺存体が見つかっていることなどから、マナマズは人為的な移植によって江戸時代中期には関東地方に、後期には東北地方に順次分布を広げていったと推察されており、大正期に北海道にも移入された。
以上 ウィキペディアより 抜粋させて頂きました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※日本では通常、ナマズに「鯰」の字を当てるが、中国では(日本語でアユを意味する)「鮎」を当てる(「鯰」はナマズに当てるために日本で作られた国字である。
※大きなナマズは「鯷」と記し、『漢書』地理志と『後漢書』東夷伝に現れる「東鯷人」は倭人との関係で注目される。
中国では(日本語でアユを意味する)「鮎」を当てる(「鯰」はナマズに当てるために日本で作られた国字である)。
では~ ここから 鮎 について調べてみました(p_-)
ウィキペディアより 抜粋させて頂きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A6
アユ(鮎、香魚、年魚、銀口魚、Plecoglossus altivelis)は、キュウリウオ目に分類される、川や海などを回遊する魚である。「清流の女王」とも呼ばれている。
なお、漢字の「鮎」は、中国ではナマズを指し、アユという意味は日本での国訓である。
名称
アユの語源は、秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説や神前に供える食物であるというところから「饗(あえ)」に由来するとの説など諸説ある。
現在の「鮎」の字が当てられている由来は諸説あり、神功皇后がアユを釣って戦いの勝敗を占ったとする説、アユが一定の縄張りを独占する(占める)ところからつけられた字であるというものなど諸説ある。アユという意味での漢字の鮎は奈良時代ごろから使われていたが、当時の鮎はナマズを指しており、記紀を含めほとんどがアユを年魚と表記している。
以上 鮎 ウィキペディアより抜粋させて頂きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※アユの語源は、
秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説や・・・
うん🙄
「アユル」(落ちるの意)に由来・・・
えええええ~っ!!
球磨弁だぁ~っ!!
\(◎o◎)/!
例えば 洗濯しながら汚れを落とす事を
汚れば あゆる
もし 汚れが落ちなければ・・
汚れが あえん
と言います(かなりの高齢の方々 ネイティブ球磨弁)
落ちる は アユル(アユッ)
落ちない は アエン
です! \(◎o◎)/!
※アユの語源 ナンデスト~!!
そこで(p_-)
熊本弁にこの言葉が存在するのか 検証?しました(p_-) (^^)/
ウィキペディア 熊本弁を見ると・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%BC%81
動詞関連 あ行 にありました(p_-)
「あえる・あゆる」(=汚れが落ちる) … 「こん石鹸じゃなかなかあえんね」
(=この石鹸じゃなかなか汚れが落ちないね)
ありましたね(p_-) ・・・・😊
※アユの語源の一つ
秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説
いと おもしろき~!!
あゆる 以外に熊本弁の中でも球磨弁の記述には、以前おちゃも様からコメントで頂いた
えくらう (酔っぱらう) えくらい (酔っぱらい)
の語源について書かれていました😊
「えいくらう・えくろう」(=酔う) …
原意は「酔いを蒙る(ゑい喰らう)」から。
「あさきゆめみしゑひもせす」の「ゑひ(酔ひ)」と同じ用法である。
古語ですねぇ~ 😊
さらに(p_-)
球磨弁では 可愛い事を もぞか~😊 と言うのですが
「むぞらしか」(=かわいい) …
「この小さい花はかわいいね」なら「こんこまーか花はむぞらしかなぁ」という。
古語の「愛(め)づらし」から。
県南部の球磨地方では「もぞか」、天草地方では「みぞか」と表現する。
古語の「愛(め)づらし」から = もぞか(球磨地方)
やはり 古語ですねぇ~ 😊
熊本県南部地方 (葦北・球磨地方)だけの言葉で ぐらしか もあります(p_-)
「ぐらしか」(=気の毒だ)…南部のうち、球磨・葦北地域で使われる。薩隅方言と重複
そう言えば・・・🙄
2019年5月に書いた・・・・ 球磨の台地に広がる遺跡 さらに大和の言葉
こちらのブログ内で書きましたように・・・
「奈良盆地」のウィキペディアの記述で気が付いていた事といえば・・
★平安京への遷都以前、奈良時代までは政治・文化の中心地として栄えた地域である。
旧大和国の内で、奈良盆地に当たる場所を国中(くんなか)、山間部を山中(さんちゅう)とも呼ぶ。
国中(くんなか)
\(◎o◎)/! くんなか・・!!?
あんれ~っ!(?_?) まるで球磨弁ですね・・(?_?)・・
球磨郡の人は 「の・に」を・・「ん」 と言うのです。
例えば・・
宮の原 は「みやんはる」
都城(みやこのじょう) は 「みやこんじょ」
遊びに行く は「あそびん 行ってくっで(^^)/」
みたいな感じです・・
「国中(くになか)」 は 「くんなか」
こりゃまるで 球磨弁ですなぁ~ ・・・・・(p_-) 😊
ここまで書いてあらためて 考えたのですが
もしかしたら・・・火国言葉 球磨言葉は 古語 が残っている・・
火国言葉 球磨言葉は 古代 東に動いて・・・
最初は 標準語だったんじゃ あ~りませんかぁ~ (p_-)・・・😊
なんちゃって・・・
だって・・・・
ずっと書く事を躊躇していたのですが 究極の球磨弁を一つご紹介致します😐
球磨地方 特に 湯前町や旧岡原村(現あさぎり町岡原)では
会合とかの後に行う 会食の事を
なおらい
と言います。例えば・・
会議の後はなおらいすっとばい
訳 (会議の後は会食になります)
なおらい って 感じで書くと 直会 となるのですね。
私、一昨年に初めて テレビにて知りました。
球磨弁と思っていました トホホ・・
と言う事で
鯰 鮎 から 球磨弁に繋がっている!! と いう事に気が付いたお話でした😊
よ~し(p_-)
ここまで ご説明させて頂いておけば・・
次回以降の古代と中世のお話も 書かせて頂く事が可能になりました(p_-)
(妙な表現ですが)
次回以降にご紹介致しますが
(再投稿)尊い命 前を向く為に と 硬水とクマソの系図 でも登場しました
クマソ系図
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12653288521.html
ブログ 宮原誠一の神社見聞牒 の みやはら様は 私が呼ぶこのクマソ系図に中に
百済王のお名前を発見なさいました!!
.己婁王(キルワン)きるおう
さらに・・
yabutsubakime様は 同じく クマソ系図の中に記された
加志古
この方と 波多門部造の「加志古乃造」は時代が合いませんが、
共通する何かを示しているような気がしています。
と いう事にお気づきになられていらっしゃいます!
百済王家
百済はその出自が夫余(扶余)であり、高句麗と同族であるという神話を持っていた。
温祚王(おんそおう、生年未詳 - 後28年)は百済の初代の王(在位: 前18年 - 後28年)
温祚の父は鄒牟または朱蒙(チュモン)(高句麗の始祖)といい、北扶余から逃れて
卒本扶余(遼寧省本渓市桓仁満族自治県)に着いた。
扶余王には男児が無く娘が3人いたが、朱蒙の人となりを見て非凡の人であるとして二番目の娘を嫁がせた。
朱蒙の母である柳花夫人(ユファ、黄河の水神河伯の娘)は、太白山の南を流れる優渤水にいたところ、扶余の金蛙王(きんあおう)と出会ったが、柳花の「遊びに出た先で、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、ヘモス)に誘われ付いて行くと中々帰して貰えず、両親一族の怒りを買ってしまい仕方なく此処に住んでいます」という話を疑った金蛙によって部屋へ閉じ込められていたところ、日光が柳花を照らし身を引いて避けても日光は追ってきて柳花を身篭らせ、やがて柳花は大きな卵を産んだ。
金蛙王は卵を犬や豚の傍に捨てさせるが、共にこれを食べなかった。路上へ捨てると牛馬がこれを避け、野原へ捨てると鳥が卵を抱いて守った。自ら割ろうとしても割れず、遂に母へ返した。柳花が暖め続けると卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。
大きな卵
百済王家は 卵生伝説を持つ朱蒙に繋がっている・・・
やはり(p_-)
卵が先か鳥が先か・・・に繋がっていくのですね
「狗邪韓国」 首露王も・・
首露王は金の卵から生まれたという伝説により金姓を名乗る。
※東族古傳に従えば、新羅の赫居世・昔脱解・金閼智(之を三姓の祖と為す)は
熊襲族の三姓にて、我が筑紫(九州)より傳従した者としてある
※宇豆(うつ)は延喜式神名巻にある韓國宇豆峯神社(からくにうつみねじんじゃ)の所在地で、大隅国囎唹郡に属している。
※當時囎唹玖摩(※曾於・球磨)の二郡は熊襲の本拠なれば、宇豆の名は遠く海外に聞こえたものと察しられる。
※鳥獣率いて舞い天地振動は、軍士の躍進と地響である。
2021年2月 あらためて 感じました
もしかしたら・・・球磨は
卵を産む鳥の「三日月」の形をした故郷なのかもしれない・・・・
と
ただ・・・この地の古代を調べれば調べる程・・
半島の隠された古代にも繋がっているようで 本当に調べて大丈夫なのかな・・
と 少しだけ 躊躇しているのも事実です・・
だから・・・記紀の編纂者の方々もこの地の事を隠そうとなさったのでは ないのかな・・と
少しだけ 怖くなっています・・・
卵を産む鳥といえば
大久米命様・・
阿米都都あめつつ 知杼理麻斯登登ちどりましとと 那杼佐祁流斗米などさけるとめ
天地 千鳥真鵐 など黥ける利目
(大意)あなたはなぜ、いろいろな鳥のように目のまわりに入れ墨をして、鋭い目つきをしているのですか。
いろいろな鳥のように目のまわりに入れ墨をして、鋭い目つきをしているのですか。
いろいろな鳥のように・・・
やはり 鳥 ですね・・
詳しくは 次回以降で😐
球磨は
卵を産む鳥の「三日月」の形をした故郷・・・
私、球磨に戻る前に
この地を思いながら故郷を思いながら車の中で聞いていた曲があります。
今は、球磨の大自然の中で 菜の花を眺めながら聞いています😊
中島 美嘉さんの 朧月夜~祈り です。
特に 以下の歌詞に心惹かれます。
遙か 遙か 遠い未来に
強く 強く 輝き放て
全て 全て
母なる大地
生きて 生きて
この胸の中
中島 美嘉さんの 朧月夜~祈り
皆様方 最後までご覧頂き ありがとうございました。
マダマダ油断は出来ません。
お身体十分に気を付けてお過ごしになられて下さい。
球磨の地より ひろっぷ でした😊
次回
『球磨には本当に熊がいた!さらに麻斯登登は球磨弁 そして球磨川と対馬』に続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12659017467.html