2021年(令和3年) 謹 賀 新 年
宮原誠一の神社見聞牒(163)
令和3年(2021年)1月1日
令和3年・明けましてお目出度ございます。
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
皆様にとって良き年でありますように。
皆様がご健勝でありますように。
コロナ禍が鎮まりますように。
■伊勢神宮仮想参拝
内宮の皇大神宮 三重県伊勢市宇治館町1
外宮の豊受大神宮 三重県伊勢市豊川町279
伊勢神宮神紋
■暑き夏 朝立夕立 雷鳴し 伊奈佐 弥香佐の神結び
伊奈佐(イナサ)・弥香佐(ミカサ)の神とは
イナサ(稲佐)=稲の霊(委奴の神 いなのかみ)=大幡主=国常立神
ミカサ(甕佐)=稲の霊を収める女神=ヒミコ=天照大神
イナサ・ミカサの神はイザナギ(伊佐奈岐)・イザナミ(伊佐奈弥)の神に相当します。
ヒミコ=天照大神の呼称は松野連倭王系図によれば、
ヒミカ王=ミカサ王 となります。
■松野連倭王系図の己婁伊加(きるいか)王は百済の己婁王か
「No.162 仮説・ミカサとイナサによる修正松野連倭王系図」にて、系図の下に備忘録として
※己婁伊加(きるいか) 布怒之(ふどの)
建武中元2年(57年)、倭奴国が朝貢。倭国の極南界にあり。光武帝以って印綬す。
安帝永初元年(107年) 倭面土國王帥升が朝貢。
景初2年(238年) 倭(ヤマト国)の女王が難升米等を遣わす。その南に狗奴国があり。
を書き留めしていました。
己婁伊加王と布怒之王が重要な王と感じていたからです。
調べても何の情報もありませんでした。
ところが、先月の12月27日、何気なく、瀬高の河野宮の七支刀と球磨の平河家の草薙剣について、ブログ「No.109 高野宮の七支刀とヒミコ宗女イヨ」「No.140 球磨郡あさぎり町の安徳天皇潜幸伝説(続)」の資料集を再点検していましたら、百済王の歴代系図が目に留まりました。そこに、第三代の己婁王(きるおう)が記載されているではありませんか。
倭王系図の己婁伊加王と同じ漢字です。
在位77~128年。これは金印の建武中元2年(57年)の宇閇王(うえおう)と貢漢の安帝永初元年(107年)の玖志加王(くしかおう)の間にはまるではありませんか。
松野連倭王系図で、宇閇王→己婁伊加王→玖志加王 に対応します。
偶然の一致か?
もしかしたら、仮設です。
百済王・己婁王は倭王の己婁伊加王ではないか。
倭王が百済王を兼ねていたのではないか。
と単純思考したのです。
倭王が百済王を兼ねていたら、後漢に朝貢するのに、百済、楽浪郡を通って行くのに通行が楽になります。
姫氏倭王と百済王はファミリーではないか。
百済姓宮原は姫氏倭王と百済王の両系統を引くのではないか。
思いは広がります。
まっ、仮説です。
修正・松野連<倭王>系図
百済歴代王
代 歴代王名前・読み 在位(年数) 日本の時代
1.温祚王(オンジョワン)おんそおう B.C.18-28(46)
2.多婁王(タルワン)たるおう 28-77(50) 宇閇王
3.己婁王(キルワン)きるおう 77-128(52) 己婁伊加王
4.蓋婁王(ケルワン)がいるおう 128-166(39)
5.肖古王(チョゴワン)しょうこおう 166-214(49)
6.仇首王(クスワン)きゅうしゅおう 214-234(21)
7.沙伴王(サバンワン)さはんおう 234-234
8.古爾王(コイワン)こにおう 234-286(53) ヒミコ宗女イヨ
9.責稽王(チェッキェワン)せきけいおう 286-298(13)
10.汾西王(プンソワン)ふんせいおう 298-304(6)
11.比流王(ピリュワン)ぴるおう 304-344(41)
12.契王(キェワン)けいおう 344-346(3)
13.近肖古王(クンチョゴワン)きんしょうこ346-375(30) 開花天皇と神功皇后
14.近仇首王(クングスワン)きんきゅうしゅ375-384(10) 開花天皇と神功皇后
15.枕流王(チムニュワン)ちんりゅうおう 384-385(2)
16.辰斯王(チンサワン)しんしおう 385-392(8)
17.阿華王(アシンワン)あしんおう 392-405(14)
18.腆支王(チョンジワン)てんしおう 405-420(16)
19.久爾辛王(クイシンワン)くにしんおう 420-427(8)
20.毘有王(ピユワン)ひゆうおう 427-455(29)
21.蓋鹵王(ケーロワン)がいろおう 455-475(21) 雄略天皇
22.文周王(ムンジュワン)ぶんしゅうおう 475-477(3)
23.三斤王(サムグンワン)さんきんおう 477-479(3)
24.東城王(トンソンワン)とうじょうおう 479-501(22)
25.武寧王(ムリョンワン)ぶねいおう 501-523(23) 継体天皇
26.聖王(ソンワン)せいおう 523-554(32) 継体天皇
安徳天皇絡みの草薙剣があったとされる熊本県球磨の平河家と百済王家について、フログ「百済 東城王の末孫 球磨の平河氏 2019-05-12」で、「宮原ひろっぷ」さんは次のように述べておられます。
球磨の平河氏は本姓を良岑氏(良峰氏)と称していました。
「良岑氏(良峰氏)の祖は良岑安世、桓武天皇と百済永継の間に生まれた良岑安世を始祖とする。百済永継の身分が低いために、親王宣下を受けられずに成長した。延暦21年12月(803年1月)になると、良岑朝臣姓を賜与されて臣籍降下する。」
百済永継の御先祖様は百済第24代の王『東城王』でいらっしゃいます。
「百済永継の父『飛鳥部奈止麻呂』は河内国安宿郡を本拠とするとみられる渡来系氏族で、『新撰姓氏録』では、百済の24代王である末多王(東城王 在位:479-501年)の末裔とする。」
東城王の奥様(皇后)は倭人です。第22代の文周王の弟の昆支さんの奥様も倭人で、筑紫の女だそうです。
良岑氏(良峰氏)の祖『良岑安世』の御先祖様でいらっしゃる百済第24代の王『東城王』の皇后は倭人です。
※桓武天皇の実母(高野新笠)は百済王の子孫です。
姫姓を継ぐ平河家は百済王と繋がりがあり、百済王の后も倭人で筑紫の女とされる。
百済王は球磨の倭王と繋がっていきます。その始めは己婁王にあるのではないか。
もしかしたら、行方不明となった草薙剣は、平河家のおじさんが半島の百済王家の子孫の所に持っていかれたのではないか、と想像するのです。
■霊鳥・三足ヤタガラス
那国の王様・大幡主は別名、三足ヤタガラスです。どうして、高句麗初代王・朱蒙(チュモン)の象徴の霊鳥・三足烏を引き継ぐのか。
それは百済王と倭王がつながっているから、親戚としか思えません。
朱蒙→ 百済王→ 百済王(己婁王)→ 倭王(己婁伊加王)→ 大幡主→ 三足ヤタガラス