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No.314 白木神社(妙見宮)と妙見神・菊理姫⑤

 
宮原誠一の神社見聞牒(314)
令和8年(2026年)05月16日
 

全国の白木神社を調査
福岡市西区(糸島半島北部)の北崎校区に、西浦(にしのうら)という漁港があります。この西浦地区で五十猛を祀った白木神社で「ヒョウカリィライ」という祭りが行われます。
この白木神社は、神社の北の妙見山の頂上にあったものを、昭和36年(1961年)に、現在地に移されました。表向きの祭神は五十猛ですが、天照女神(菊理姫命 くくりひめ)が隠されていて、実質この神社は妙見宮でした。

白木神社(西浦)  福岡市西区西浦1363−1
祭神 五十猛命

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白木は「新羅 しらぎ」に通ずるとあって、白木神社は新羅の神を祀るといわれますが、必ずしもそうではありません。「新羅」の現地読みは「シーラ」です。「シラギ」の読みは「新羅」を憎しみ込めた呼び方です。現地の読みでは「百済」は「ペクチェ」、「高句麗」は「コクリョ」です。
白木神は妙見神ですので、新羅の神でなく、むしろ、伽耶国の神といえます。歴史的に、「伽耶の神」とは言い難いので、馴染みやすい「新羅の神」と言っているだけです。祭神に素戔嗚尊(スサノオ)が表記されることがありますが、実質の神様は素戔嗚尊でなく大幡主であり、置き換えで、「白木の神」は妙見神です。

全国の白木神社を調べると、九州・山口のみ存在し、
福岡市西区糸島市(福岡県西部)に五社
福岡県秋月に二社
熊本県に二社
大分県、鹿児島県、山口県に各一社で、福岡県に集中しています。

 

1.白木神社(西浦)  福岡市西区西浦1363−1
 祭神 五十猛命
2.白木神社(草場)  福岡市西区草場126−1
 祭神 五十猛命 相殿 若宮神社
3.白木神社(王丸)  福岡県糸島市王丸410
 祭神 五十猛命
4.白木神社(野北)  福岡県糸島市野北字明見
 祭神 素盞嗚命、五十猛命、稲田姫命
5.白木神社(潤神社)  福岡県糸島市潤三丁目5−30
 祭神 五十猛命
6.白木神社(妙見社)  福岡県朝倉市上秋月2408
 祭神 彦火明命、五十猛命、素盞嗚命
7.白木神社(北辰社)  福岡県朝倉市甘水130
 祭神 素戔嗚命、埴安命
8.白木神社 熊本県葦北郡芦北町白木599
9.白木神社 熊本県球磨郡相良村
10.白木神社 大分県杵築市大田白木原477−1
11.白木神社 鹿児島県伊佐市大口白木813
12.白木神社 山口県大島郡周防大島町西方




八代妙見宮の創立
白木神社(妙見宮)の元宮は、熊本県八代市に鎮座の八代神社(妙見宮)です。(No.45 46)

八代神社(妙見宮)  熊本県八代市妙見町405
祭神 天之御中主神、国常立尊(大幡主)

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八代神社に関係する神社が周囲にあります。
八代市井上町の竹原神社
八代市妙見町の霊符神社
宇城市小川町の霊符神社(元宮)


竹原神社 熊本県八代市井上町2223
祭神 天之御中主神 No.216

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霊符神社 熊本県八代市妙見町2151-6
祭神 霊符尊星(妙見菩薩)

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霊符神社 熊本県宇城市小川町南海東(小園)

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まず、現在の八代神社(妙見宮)が創立されるまでの略歴です。

554年、百済国聖明王、新羅戦において戦死
660年、百済国の都扶餘陥落、百済国滅亡
663年、白村江の戦いによって実質百済国滅亡

669年 (天武天皇白鳳9年)、
中国明州(寧波)から妙見神が八代郡土北郷(白木山)竹原ノ津に上陸
宇城市小川町南海東(小園)に霊符神社を創立
※白鳳9年は九州年号で669年に該当、大和朝廷年号では680年

671年、天智天皇急死
672年、壬申の乱
672年 (白鳳11年)、霊符神社、益城郡小熊野村千代松峯(白木平)に遷宮
676年、新羅国が朝鮮半島を統一

756年、聖武天皇(太上天皇)崩御
757年、橘奈良麻呂の乱
757年、伊勢松阪の櫛田神社を博多の櫛田神社に里帰り・分祀

758年 (孝謙天皇天平宝字2年)、
八代市妙見町2151-6(赤土山)に現在の霊符神社が鎮座
八代妙見上宮が八代郡横嶽ノ峯に鎮座
※八代妙見上宮は霊符神社の分祀とみています

758年、孝謙天皇退位
770年 (宝亀元年)、称徳天皇(孝謙天皇)崩御
795年(桓武天皇延暦14年)、国司桧前中納言政丸が妙見宮三室山横嶽に社殿創建
1160年 (二条天皇の永暦元年)、肥後守平貞能が横嶽の麓に妙見中宮寺建立。

1186年 (後鳥羽天皇文治2年)、
検校散位大江高房が太田郷妙見上宮を宮地に遷宮、妙見宮(下宮)の創建
竹原妙見宮が創建




妙見神の来朝
八代神社(妙見宮)の亀蛇の石碑の由来記によれば、次のようにあります。

 

※妙見由来
 妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。
※妙見神の来朝
 天武天皇、白鳳9年(680)、妙見神は、神変をもって、目深・手長・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に来朝せり。

※竹原神社の由来記
この地は、妙見神が渡来した竹原の津跡と考えられています。
「肥後国誌」などによると、天武帝白鳳9年(680)の秋、中国明州(寧波)から妙見神が眼深検校・手長次郎・足早三郎の三人に姿を変え、亀蛇の背に乗って海を渡り、この八代郡土北郷八千把村竹原ノ津に上陸し、約3年間仮座したと伝えています。その後、同11年(682)益城郡小熊野村の千代松が峯に移って鎮座し、さらに天平宝字2年(758)に八代郡土北郷横嶽ノ峯に移り、その地に妙見上宮が創建されました。



八代の妙見神渡来伝承は「竹原の津」跡と考えられ、現在の竹原神社の地となります。
そのほかに妙見神渡来伝承をまとめた報告書が八代市教育委員会より報告されています。

「八代市文化財調査報告書 第43集 八代妙見祭」八代市教育委員会文化課編 2011年3月

 

妙見大菩薩縁起 貞享3年(1686)
明州の津より亀に乗って、肥後州八代庄土北の郷八千把村竹原の津にお着きになった。天武天皇 白鳳9年(680)のことである。3年鎮座されて、同(八代)郡小隅野村千代松峯にお移りになった。90年遷座された。
孝謙天皇の天平宝字2年(758)芦北の郷横嶽(今の上宮)にお移りになった。御宮の造り始めは延暦14年(795)である。生きておられた時は3人(目深検校・手長次郎・軍足三郎)である。

※白木山妙見大菩薩縁起 原文
天武天皇ノ御宇白鳳九年明州ノ津自リ亀ニ乗リ肥後州八代ノ庄土北郷八千把村竹原津ニ御着三箇年御鎮座、小隈野村千代松カ峯九十年鎮座、
是ヲ白木平ト号ス、孝謙天皇御宇天平宝字二年戸北郷横嶽ニ移在ス(今之上宮是也)、御宮造始延暦十四年也、中宮者二條院之綸命ニシテ永暦元年御建立、下宮者御鳥羽ノ院之勅宣ヲ降サレ文治二年ノ御草創也

※肥後国誌 明和9年(1772)
漢土の白木山神(目深検校・手長次郎・軍足三郎)が、明州の津より亀蛇に駕して、天武天皇 白鳳9年(680)に来朝されたのが、日本での妙見の始まりである。着かれた所が八代郡
土北郷(白木山) 八千把村竹原の津である。ここに3年間鎮座され、益城郡小熊(隅)野村千代松峯(白木平) に移られた。90年間鎮座された後、孝謙天皇の宝亀2年(771)、また八代郡横嶽に移られた。今の上宮である。



由来記では、妙見神は明州(寧波)の白木山の神と云っています。
天武天皇 白鳳9年、竹原の津にお着きになった、と。

※白木神社の社号は、妙見神の鎮座地「白木山」「白木平」に由来か。


これらの由来記と天武天皇白鳳9年の九州と朝半島の情勢を考えると、「妙見神」とは霊符神社(れいふじんじゃ)の「太上神仙鎮宅霊符」の霊符神と見ることができます。これを持ち込んだのが、白村江戦いによって百済国が滅亡(660年)した百済王族で、九州八代へ渡来した時であろうと推測するものです。

明州(寧波)から亀蛇に乗って渡来した漢人を妙見神に当てていますが、霊符神(妙見神)とは別物と考えています。
三人の漢人(韓人)を祀ったのが、八代郡氷川町宮原腹巻田の大王山神社(腹巻田神社)とみています。

天武帝白鳳9年、目深検校・手長次郎・軍足三郎が、百済王族の亡命者として姿を変え、鎮宅霊符と一緒に八代の竹原ノ津に上陸され、ここに3年間鎮座され、火の君の世話により益城郡小隅野村千代松峯白木平(宇城市小川町南海東)に移られ亡くなられ、八代郡氷川町宮原早尾の大王山古墳群に葬られたのではないか。
大王山には6人の神様を祀った大王山神社が鎮座です。6人のご神体は亡命王族の三夫婦(目深検校・手長次郎・軍足三郎)ではないかと思う。
天正16年(1588年)小西行長による焼き討ちが行われた時、神職の緒方某がご神体を背負って人吉に逃げ、青井神社に祀り、早尾大王社と呼ばれたという。(宮原町郷土誌による)
現在、大王山神社は参拝不便な山上にあるため、廃宮され、麓の腹巻田(はるまきだ)神社となっています。

腹巻田神社 熊本県八代郡氷川町宮原腹巻田

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妙見神とは
妙見神は、北極星と北斗七星を神格化した神である、と八代神社(妙見宮)の亀蛇の石碑の由来記は伝える。
日本版妙見神とは、北極星を菊理姫(白山姫)に、北斗七星を国常立尊の象徴とします。

八代神社(妙見宮)の祭神は
 天之御中主神
 国常立尊(大幡主)
です。

天之御中主神=菊理姫=白山姫=天照女神
となります。
北部九州になると、天之御中主神は大幡主となります。


※妙見信仰とは
北斗とは北斗七星、北辰とは北極星のことで、北斗の神は妙見神で、妙見菩薩とは七曜の星(北斗七星)のことです。北斗の神は大幡主(豊受大神)で、北辰の神は天照女神(天照皇大神)となります。
霊符神社の霊符は、上に太上神仙鎮宅霊符と題し、中央に本尊妙見が亀蛇に駕する像を配置し、その周囲に北斗七星、左右に七十二の秘法を書き、下に霊符釈が記してあります。

※神話での菊理姫
日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝(第十の一書)に一度だけ出てくるのみです。
菊理姫を白山の祭神としたのは、大江匡房(1041-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている。
江戸時代の書物において白山比咩神と菊理姫が同一神と明記されるようになった。
神仏習合のなかでは、白山比咩神は白山大権現、白山妙理権現、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音(垂迹 天照女神)とされた。




太上神仙鎮宅霊符
百済国が、天武天皇白鳳3年(663年)、白村江戦いによって滅亡し、白鳳9年(669)、百済王族とその一族が火の君の世話により九州八代へ亡命し、その時、太上神仙鎮宅霊符も一緒に伝えられたとされる。これをきっかけに霊符神社が創建された。
肥後国八代郡白木山神宮寺に鎮座したのが日本最初の霊符神とされ、霊符神と妙見神は同一神とされる。
霊符は上に太上神仙鎮宅霊符と題し、中央に本尊妙見が亀蛇の台に駕し、脇侍として二人の童子を配し、その周囲に北斗七星、左右に七十二の秘法を書き、下に霊符釈が記してある。これを信仰すれば除災興楽、富貴繁栄を得るといわれている。
霊符信仰が盛んになったのは、漢の孝文帝(文帝BC180-157)の頃とされる。

『鎮宅霊符縁起集記』には霊符金版を天平12年(740) 聖武天皇のころ肥後国八代郡白木山神宮寺で梓(版木)にちりばめたと記されている。この金版は今はなく、正平6年(1351)に征西大将軍懐良親王が八代に在住の折に版を作らせて、神宮寺の神庫に納めてから国中に流布した。永平11年(1514)宮原城主 宮原(橘)公忠(きみただ)が建物を改築し、現在の霊符版は八代城城代家老の加藤正方(まさかた)が工人に命じて彫刻させたとされる。霊符は八代妙見宮神宮寺から版行された。

 

 太上神仙鎮宅霊符

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※「太上神仙鎮宅霊符」霊符釈「漢の孝文帝と鎮宅七十二霊符」の説明文
太上神仙伝 弘農県 劉進平 七十二道秘法霊符の叙
漢の孝文帝(文帝BC180-157)は、家相・風水の術に通じていた。孝文帝が、弘農県を行幸した時、大凶の家相を持つ家を見た。この家は「三愚」と言われる大凶の相を全て備えていた。すなわち、宅前が高く後方の地が低い一愚、北側に流水がある二愚、東南方が高く西北方に平地がある三愚である。
これを見て皇帝は、この家は衰退していると思った。
ところが、その家は富み栄え、家族は全員仲良く健康そのもので、裕福に幸せに暮らしている。不思議に思った皇帝は、その家の主である劉進平を召し出して、理由を尋ねた。
彼が答えるに、確かに昔は災難が多く、一家は不幸でした。ところがある日、二人の書生が尋ねて来て、七十二枚の霊符とこの祭り方を伝授してくれたという。この修法を実践すれば、十年にして金持ちになり、二十年にして子孫繁栄し、三十年にして白衣を着た皇帝が家を訪ねて来るまでになるだろう、と。
後に、劉進平は金持ちになり子孫繁栄したが、「白衣の皇帝が尋ねてくる」という予言はまだ成就していない、と答えた。
これを聞いて驚いた孝文帝は「我こそが皇帝である」と名乗った。そして、これほど霊験あらたかな霊符は、ぜひ世に広めるべしと、天下に伝え施した。  肥州八代庄正法寺快尊

 

 

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朝倉市秋月の白木神社
朝倉市案内版によると、別名妙見社です。日本武尊の熊襲征伐に従ってきた弓削氏が、この上秋月小原で鏡を試作し、側にあった一位樫の木に懸けてみたところ、明るく清い姿が写るほどの出来だったので、ここを明見社と称して祀った、と云う。少々、白木神社(妙見社)の創立の由来としては無理があるようです。
さらに、社殿の横に大きい一位樫があり、水神を祀る御神木であるという。

 

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一位樫と案内版、社殿の後ろに生活道路があります

 

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祭神は天火明命(あめのほあかり)=五十猛命であり、大幡主の別名です。
ご神体は木造の女神であり、天照女神と見れます。
天照女神を祀るところに一位樫があり、また、天照女神は瀬織津姫であり、水神です。
由緒に納得するものがあります。

そうすると、白木神社(妙見社)の祭神は天照女神(菊理姫)と国常立尊(大幡主)となり、八代市の妙見神と一致します。

白木神社(妙見社)  福岡県朝倉市上秋月(小原)2408
 祭神 彦火明命、五十猛命、素盞嗚命

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社頭は国道500号から入り、谷川の橋を渡って階段を登ります

 

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扁額「白木宮」

 

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祭神は天照女神(菊理姫)



白木神社(北辰社)  福岡県朝倉市甘水130
甘水(あもうず)天満神社の近くを通り、谷川に沿って北へ上ると、谷下に神社があります。

 

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扁額「北辰社」

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福岡県神社誌 白木神社
朝倉郡安川村大字甘水字深野
祭神 素戔嗚命、埴安命
※埴安命とは埴安彦(大幡主)と埴安姫(天照女神)
社格 無格社

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神額は「白木大神」
ご神体は石体の三柱で、祭神は素戔嗚命、埴安彦(大幡主)、埴安姫(天照女神)が当てはまります。
社殿の側を谷が流れて翠明です。

 

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ここ秋月は羽白熊鷲の地盤です。上秋月(小原)の白木神社(妙見社)の西近くには、神功皇后と羽白熊鷲の決戦場である愛宕神社前付近の「椿の森」があります。そこは曽増岐野(千原)と言われ、羽白熊鷲は敗れ、今の寺内ダム付近に後退し、熊鷲軍は矢野竹に陣取り、最後の決戦を迎えます。

糸島の雷神社(いかづち 曽増岐神社)の解析から、羽白熊鷲は大幡主・天照女神を奉斎しています。秋月の入口の楢原地区に、大幡主・天照女神を祀る奇志神社があります。(No.309)
また、秋月奥の野鳥には、菊理姫(天照女神)を祀る白山宮があります。

奇志神社 福岡県朝倉市楢原664
 祭神 大国主、少名彦、神功皇后 → 大幡主・天照女神

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朝倉市下秋月の白山宮
 福岡県朝倉市秋月野鳥415
 祭神 菊理姫、伊弉諾命、伊弉冉命 (福岡県神社誌による)

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拝殿前左の弁財天池と厳島神社


No.216 白山宮白山姫(天照女神)と御中主神の大幡主 2023年2月16日
にて、白山神社を詳しく述べています。

白山宮は上宮下宮があり、古処山上に上宮があります。
福岡県神社誌には伊弉諾命、伊弉冉命を祀るとありますが、大幡主と天照女神の置き換えです。大幡主ゆかりの厳島神社と弁財天池があり、六角灯籠もあります。拝殿奥、扉には安曇磯良の「州浜紋」があります。
大幡主と天照女神(伊弉冉命)は夫婦神で、熊野権現です。
すると、ここの白山宮の祭神は菊理姫と大幡主となります。

No.227 嘉穂の馬見神社と荒穂神社 2023年7月25日 では、 荒穂神社参道の階段を振り返ると、左に白馬大明神(大幡主)を祀る馬見山、右に天照女神を祀る白山宮上宮の古処山を眺めることができます、と述べています。

 

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荒穂神社参道から見る馬見山(左)、屏山(木の枝上)、古処山(右端)




福岡市金武の妙見宮(五十猛神社)
福岡市西区金武に扁額「五十猛神社」と「妙見神社」の鳥居を持つ神社があります。
江戸時代以前は「妙見神社」でしたが、昭和15年の福岡県神社誌編纂(福岡県神社協会)の折、社号を「五十猛神社」に変えたと云われる。


金武・五十猛神社 福岡市西区金武1183
(旧)早良郡金武村大字金武字妙見崎
祭神 五十猛大神、須佐之男大神

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右に許黄玉(天照女神)の石灯籠があります

 

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扁額「五十猛神社」

 

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扁額「妙見神社」

 

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拝 殿

 

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鶴(上)、亀蛇(下)の彫刻

 

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神額「妙見宮」二神祭祀

 

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本殿 男千木に鰹木三本


神社に行く途中見かけた「ススキ」のような植物。
「常盤ススキ」かと?、Google で検索したら、外来種でした。

 

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※コルタデリア・セロアナ
ツツコ科に属する被子植物の一種です。一般名はパンパスグラスと呼ばれ、南アメリカ南部、特にその名の由来となったパンパス地域が原産です。栽培された観賞および外来種として世界中に広く分布しています。
コルタデリアは、アルゼンチン語のスペイン語名「cortadera(切り者)」に由来し、その鋭い葉縁に由来しています。
セロアナは、ポツダム出身で、ブラジルで植物採集者として働いていたドイツの植物学者であり博物学者であったフリードリヒ・ゼロウ(1789–1831年)にちなんで名付けられました。(Wikipedia)


糸島地域・福岡西区の白木神社の祭神表記は、五十猛命(いそたける)でした。しかし、天照女神は隠されているようで、白木神社は実質、二神祭祀でした。

白木神社の社号「白木」は「新羅 しらぎ」に通ずるものでなく、妙見神が八代に鎮座したときの地名が「白木山」「白木平」であって、地名に由来しているようです。
白木神は妙見神ですので、新羅の神でなく、むしろ、伽耶の神といえます。祭神に素戔嗚尊(スサノオ)が並記されることがありますが、実質の神様は素戔嗚尊でなく大幡主であり、置き換えで、「白木の神」は妙見神です。
近くに、五十猛と天照女神を祀る飯盛神社の中宮があります。




飯盛神社中宮の五十猛神
飯盛神社(下宮)  福岡県福岡市西区大字飯盛609
飯盛神社中宮社を旧飯盛三所権現中宮社といっています。一般に「三所権現」は熊野権現三神を指します。祭神は五十猛尊(いそたける)で、有功神(いさおしのかみ)と称しています。創建は貞観元年(859)で、下宮社殿の建立と同じ時期です。(No.293)

 

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木瓜紋に天照女神の額縁形式です、扁額「飯盛宮」

 

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幕には、左に祇園社(大幡主)の五瓜唐花紋、右に高良社(天照女神)の木瓜紋


※天照女神の神紋

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※大幡主の神紋

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※柳瀬・玉垂宮の神紋

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飯盛神社中宮の由緒によれば、
天孫降臨の折、五十猛尊は加羅国に渡り、木種を持ち、この種を播き植えて、更に還りて、筑紫より全国に植え広めたという。(檜、杉、樟、槇等) これ故に、五十猛尊を有功の神(いさおし 功績のあった神)ともいう。

「日本書紀」神代の別伝として、スサノオが五十猛命を連れて新羅に天降り、のち出雲に移ったとあり、この時、五十猛命は多くの木種を持っていたが、韓国では植えず、筑紫から始めて国中に播いたと伝える。Wikiから

飯盛山の東側の平野部の高木・吉武地区には、弥生時代の甕棺墓群と倉庫建築の柱跡が発見された「吉武高木遺跡」があります。「三種の神器」がセットとして副葬されていた最も古い時代の墓が発見された場所である、という。
飯盛山を神奈備として「天孫降臨ならぬ天族降臨の地」と吉武高木をみることができます。


辛島氏は五十猛を奉斎し、加羅を経由し、筑前国筑紫神社に五十猛を祀り、次に香春岳で加羅の神を祀り、さらに宇佐郡に入り、小椋山に北辰社を祀っています。
五十猛とはニギハヤヒで、加羅の神。いずれの神も辛島氏が奉際する大幡主。(No.244)

「石清水八幡宮記録三十八諸縁起」では、高良神(大幡主)を「山有権現」、豊比咩神(天照女神)を「雨宮権現」と考察しています。(No.271)




妙見神とは
天之御中主神=菊理姫(くくりひめ)=白山姫=天照女神
国常立尊=五十猛=饒速日命(にぎはやひ)=大幡主

五十猛(いそたける)=いとたける=伊都猛(いとのたける)=伊(倭 い)の猛

八代神社(妙見宮)の妙見祭の9基の笠鉾

 

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八代市経済文化交流部HP
https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kiji0031210/index.html

 

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(1)一番笠鉾の宮之町「笠鉾菊慈童」は、
菊理姫を菊慈童で「すり変え」をされています。
 
右絵は一番笠鉾の笠鉾菊慈童の初期の姿
笠に付けてあるものは、瓢箪(瓢箪 ひさご)、巾着、小槌、七宝花菱等、これらは菊理姫(天照女神)に関するもの。


(2)本町の笠鉾 本蝶蕪(ほんちょうかぶ)
(3)二之町の笠鉾 蘇鉄
(4)新町の笠鉾 西王母(聖母)
(5)紺屋町の笠鉾 猩々(しょうじょう)
(6)中島町の笠鉾 蜜柑
(7)徳淵町の笠鉾 恵比須
(8)平河原町の笠鉾 松
(9)塩屋町の笠鉾 迦陵頻伽(かりょうびんが) ※鳳凰のようなもの

蕪(カブ)、蘇鉄(ソテツ)、蜜柑(ミカン)、恵比須、松、これらは大幡主に関するもの。
蝶、西王母(桃)は天照女神に関するもの。




覚え書きメモ資料
その他の糸島地域の白木神社

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2.白木神社(草場) 福岡市西区草場126−1
 祭神 五十猛命 相殿 若宮神社
福岡県神社誌
糸島郡北崎村大字草場字アカン
祭神 五十猛命
境内神社 稲荷神社
糸島郡誌 糸島郡北崎村
由緒 大字草場字アカンにあり。祭神五十猛命。相殿に若宮神社を祀る。
古老の伝説に依れば、区の東草場城に正親町天皇永禄年間臼杵氏居城せし時 其の山中立野に在りしが、落城の後 今の地、字前に移せるなりと。十月五日を祭日とす。此の外当区に稲荷神社あり。同河下に楢崎神社あり。草場城主 臼杵鎮氏及楢崎将監光方を祀る。


3.白木神社(王丸)  福岡県糸島市王丸410
 祭神 五十猛命
福岡県神社誌
糸島郡怡土村大字王丸字小林
祭神 五十猛命
境内神社 天満神社(菅原神)、山神神社(大山祇命)


4.白木神社(野北)  福岡県糸島市野北字明見
 祭神 素盞嗚命、五十猛命、稲田姫命
福岡県神社誌
糸島郡野北村大字野北字明見
祭神 素盞嗚命、五十猛命、稲田姫命
糸島郡誌
野北村浦にあり。祭神、素盞嗚尊、五十猛命、櫛稲田姫命。白木神社は浦の西 字妙見にあり浦中の産神なり。もとは社 北半町 斗山上に祠ありしを 天文の頃 此に遷すといふ。神木松二株あり 各二囲余なりしも今はなし。然れども此地波浪のために年々崩壊するを以て明治二十年波止内に遷せり。

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「福岡神社参拝帳」から



5.白木神社(潤神社)  福岡県糸島市潤三丁目5−30
 祭神 五十猛命
 合祀 伊弉冊尊、宗像三柱大神、住吉三柱大神
福岡県神社誌 潤神社(うるう)
糸島郡前原町大字潤字池田
祭神 五十猛命
由緒 不詳、明治5年11月3日村社に被定。祭神伊弉冊尊、宗像三柱大神、住吉三柱大神の三祭神は字中町(鐘撞)に七社神社として祭祀ありしを 合併願出に依り明治40年11月13日許可。
境内神社 若宮神社、厳島神社、天神社、龍王神社、庚申社
元は白木神社と称したが,七社神社を合併し,明治41年11月に潤神社に改称