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No.323 阿蘇の神々 高森町牛神社・三郎神社

 
宮原誠一の神社見聞牒(323)
令和8年(2026年)10月15日
 

 
阿蘇南郷谷の白川吉見神社(阿蘇郡南阿蘇村白川)から草部吉見神社へ向かいます。

白川吉見神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川2040
祭神 国龍大明神(日子八井命)と罔象女命

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※国龍神(くにたつのかみ) =日子八井命(ひこやい)
国龍大明神とは江戸以前の神仏習合の神名で、草部吉見神社の「国龍神」のこと。国龍神は別名「草部吉見神」と呼ばれ、年祢神、大歳神とも呼ばれています。

 

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白川吉見神社は白水吉見神社であり、龍神姫が内緒で鎮座と言われています。春日市の春日神社奉斎一族の白水(しろうず)さんは福岡県の春日に南阿蘇からやって来られて、櫛田神社の神様大幡主を地禄神・埴安神として個人祭祀されています。これから分かるように、白川吉見神社の祭神は龍神姫(天照女神)と草部吉見神(大幡主)となります。(No.288)

 

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本殿の屋根には外削ぎの男千木に鰹木五本で、主祭神は男神で、男女神を祀ります。神輿の歩遥は花菱紋で、神輿の屋根には天子の象徴の鳳凰が載っています。さらに透塀(すきべい)が朱色なので、罔象女命は水神・天照女神となります。向拝は四本柱で阿蘇神社=高良神社の性格を持ちます。

 

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白川吉見神社の本殿

 

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白川吉見神社の神輿

 

 
白川吉見神社を後にして、県道177号から国道325号に入らず、九十九曲を通り国道325号へ。途中、阿蘇南郷谷を見下ろす展望台にて阿蘇山を眺めますが、あいにく山頂は雲にかかっていました。

 

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🔳草部吉見神社へ
草部吉見神社の創建は阿蘇神社に先立つこと六年と言われる。草部吉見神社の創建は阿蘇神社よりも六年古いのです。その草部吉見神社の分社が高畑年祢神社(上益城郡山都町)であり、年祢神社の本質は阿蘇神社であるという。

高畑年祢神社 熊本県上益城郡山都町高畑755
祭神 国龍神他

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本殿の屋根には平削ぎの女千木に鰹木五本で、主祭神は女神で、男女神を祀ります。
向拝は四本柱で阿蘇神社=高良神社の性格を持ちます。(No.292)
これからすると、高畑年祢神社の主祭神は国龍神(=日子八井命)でなく、女神です。


草部吉見神社の南には三郎神社があり、天彦命とその妃・天姫命を祀るという。三郎天神は大幡主です。すると、その妃・天姫命は天照女神となります。

阿蘇神社の初期祭神が三柱(健磐龍命、阿蘇都媛、國龍神=日子八井)の神を祀ることを考えると、草部吉見神社の初期の祭神は、日子八井命(國龍神)、天彦命(あまのひこ=大幡主)とその妃・天姫命(あまのひめ=天照女神)が考えられます。

 
 
阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神 健磐龍命(左)、阿蘇都媛(右)、速瓶玉命(奥) ※現在の表記

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(左一の殿) (奥三の殿) (右二の殿)
阿蘇神社の三本殿の向拝の柱は四本柱です

 

 

国道325号から草部吉見神社への入口 (Google Map)

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9年前に草部吉見神社を訪問し、再訪です。社頭横には駐車場が整備されていました。


草部吉見神社 熊本県阿蘇郡高森町草部2175
主祭神 日子八井命(國龍神)、比咩御子命

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本殿の向拝は4本柱で、高良神社の性格を持ちます。

 

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本殿の左右には龍の彫刻

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本殿の後ろには「かぶ・大根」「かぶとネズミ」の大国主に関係する彫刻があります。

 

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※大国主とネズミの縁
古事記では、根の国で、スサノオ尊が大国主命の能力を試そうとして、大国主命に広い野原に行かせて野原の草に火を放った。火はたちまち燃え広がり、大国主命は逃げ場を失ってとまどった。この時一匹の鼠が現われて、大国主命に「この下に穴がある」と教えた。これを聞いた大国主命は、穴の底に身を伏せて火がおさまるまで待って助かったという。

 
 
 
🔳牛神社 (阿蘇郡高森町芹口)
草部吉見神社から南東約500mに牛神社(うしがみしゃ) があります。
牛神社は、牛頭(五図)天王が祭神であるという。ということは、牛神社は祇園社では、と思ったのですが、境内に入ると、そこは天神社の趣でした。

 

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牛神社は中央の細い道を南に行きます (Google Map)

 
 
牛神社 阿蘇郡高森町大字芹口1976

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こんもりとした木立の中にあります
参道には夜間用照明(太陽光発電)があります

 

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木の鳥居の扁額「牛神社」

 

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牛神社の本殿(拝殿はありません)

 

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牛神社の本殿内

 
ご神体を見ることができました。
祭神は男女夫婦の二柱です。
案内では牛頭天王を祀る祇園社では?
左にもう一柱の男神がおられます。これが牛頭天王でしょうか。
主祭神は、三郎天神社の祭神でした。
梁の上に「大国主」の彫刻があります。
すると、
天神社の祭神・埴安彦(大幡主)=大国主と埴安姫(天照女神) が祀られていることになります。

「本殿の彫刻は見事です」と案内がありましたが、夕方であったため、私のカメラではよい写真が撮れませんでした。協力ブログに、詳しい写真がありますので、そちらを参考に。

  櫻庵幸縁のブログ ミステリー「665」阿蘇・牛神社 2024-07-12
  https://ameblo.jp/333saienn333/entry-12859607172.html

馬、鶴、獅子、虎と竹、大根、飛竜、菖蒲、等の彫刻は、祭神が天神社の祭神・埴安彦(大幡主)、埴安姫(天照女神)を想定させます。

 

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高森観光推進機構 牛神社(うしがみしゃ) の飛竜彫刻
https://asotakamori-kanko.com/sightseeing/牛神社/

 

 

※八坂神社と素盞嗚尊
元祭神の牛頭天王が祇園精舎の守護神であり、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院(ぎおんかんしんいん)」と呼ばれていたが、明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改名され、祭神の牛頭天王は素盞嗚尊に変更された。
神仏分離により感神院は廃寺となり、本殿の西隣にあった観慶寺薬師堂も取り壊された。薬師堂に祀られていた祇園社本地仏の薬師如来立像(大幡主の本地)と十一面観音立像(天照女神の本地) は大蓮寺に、梵鐘は大雲院に移されている。(No.321)

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 京都市八坂神社の神紋

 

 
京都本宮の八坂神社の社殿内の神紋は正八幡神・大幡主の三巴紋です。
しかし、

 

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京都八坂神社 京都府京都市東山区祇園町北側625
https://www.yasaka-jinja.or.jp

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神紋「三巴紋」は正八幡神・大幡主の神紋と思っていましたが、「三巴紋」の本来の持ち主は天照女神ではと思うのです。(No.157)
京都市八坂神社の神紋の「三巴紋」は天照女神の神紋、「五瓜唐花紋」は牛頭天王(大幡主)の神紋と当てはめると、納得がいくのです。

 

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飯盛神社中宮社 福岡県福岡市西区大字飯盛
幔幕の、左に祇園社(大幡主)の五瓜唐花紋、右に高良社(天照女神)の木瓜紋(No.293)

 
 
※異説・天満宮と牛
菅原道真公は神号「天満大自在天神」が贈られ、「天満神」として祀られています。厳密には「天神」ではありません。本来の天神とは埴安彦(大幡主)と埴安姫(天照女神)を祀る天神社の神です。天満神社とは、この天神社に天満神を重ねたものとみています。基底は天神社です。
純粋に道真公を祀る神社は菅原神社です。道真公を祀る天満神社に牛像(臥牛ふくぎゅう)が置いてあります。道真公と牛が関係することから来ているという。
牛が天神に関係する説話が「日本書紀」垂仁天皇紀にあります。この二柱天神を都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と姫許曾神(ひめこそしん)に置き換えると、「牛」を絡めて二柱天神の出会いが語られています。
「日本書紀」巻第六垂仁天皇紀二年に都怒我阿羅斯等と牛と姫古許曾神(ひめこそ=あかるひめ)の逸話があります。

 

※阿加流比売神(あかるひめ)
「日本書紀」巻第六垂仁天皇紀二年(一)の記述(簡訳)
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は自分の黄牛に農具(田器)を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。跡を追って村の中に入ると、老父いわく、汝の求める牛はこの村にあり。その村の郡役人(郡公)が、「この牛の荷からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしている、この主を見たら物で償う」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい乙女になった。都怒我阿羅斯等が喜んでその娘と性交しようとしたが、ちょっと居ぬ間に娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻は、娘は東の方へ行ったという。娘は日本の難波に至って比売語曾社(ひめこそ)の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られたという。
四季歩のつれづれ 阿加流比売神/日本の神々の話 2014-07-11
http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1498.html
※都怒我阿羅斯等を大幡主、阿加流姫を天照女神とみています。(No.242)

 
高森町の牛神社は、本来は三郎天神社の祭神・埴安彦(天彦・大幡主)と埴安姫(天媛・天照女神)を祀るものであったが、「牛神」に因み、祇園社の牛頭天王が追祀された、とみるのです。
牛頭天王は、天竺では祇園精舎の守護神で、日本では、最初は播磨国明石浦(兵庫県明石市)に垂迹、次に広峰神社(兵庫県姫路市)に移り、その後、京都東山の北白川東光寺へ、元慶年間(877-885年)東山の感神院に移ったとされるのが祇園社で、明治の神仏分離令により、社号は「八坂神社」、祭神は素盞嗚尊に改称されました。

 
 
 
🔳三郎神社
平野部では日没前後でも明るいのですが、曇りの山間部では薄暗くなり、杉林の中にある社殿の写真はうまく撮れませんでした。参道に並ぶ杉の大木群とその静けさは、さらなる神気を醸します。

三郎神社 熊本県阿蘇郡高森町大字芹口575

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背後の木立は巨木の杉並木です

 

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高森観光推進機構によると、
「神祭は、草部吉見神・日子八井命(ひこやい)と比咩御子命(ひめみこ)の第一皇子、天彦命(あまびこ)、またの名を草三郎命または草彦命(かやひこ)とも言われています」
とあります。
三郎神社の祭神は、天彦命(あまびこ)、またの名を草彦命(かやひこ)、としています。

 

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扁額「三郎神社」

 

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三郎神社の参道

 
草部吉見神社の由緒案内版からすると

 

※草部吉見神社 説明書掲示(部分)
祭神
一の宮 日子八井命(国龍神)
二の宮 比咩御子命
三の宮 天彦命 (日子八井命の一皇子・三郎神社祭神)
四の宮 天比咩命 (三郎神社祭神)
五の宮 阿蘇都彦命(日子八井命の甥・健磐龍命)
六の宮 阿蘇都比咩命(日子八井命の女)
(以下省略)
由緒(部分)
社地は侵食が進んだ南外輪山の舌状台地の中央に位置し、社殿が鳥居より下にあるいわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置で、鵜戸神社(宮崎県日南市)、貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮の一つに数えられている。
摂社として、草部吉見神社から1.5Kmばかり西の菅迫(スゲノサコ)に日子八井命の御子天彦命と天彦命の妃 天比咩命をまつる三郎神社がある。
平成10年(1998)10月

 
三郎神社は草部吉見神社の摂社であり、「天彦命とその妃・天媛命をまつる」とあり、
三郎神社の祭神は、天彦命と天媛命でしょう。

三郎天神は大幡主です。その妃は天照女神となります。
福岡県の三郎神社・三郎天神社の祭神は埴安彦・埴安姫の夫婦神で、大幡主と天照女神を祀ります。(No.320)

 

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三郎神社の本殿

 
高森観光推進機構
https://asotakamori-kanko.com/sightseeing/三郎神社/
三郎神社(さぶろうじんじゃ)本殿

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三郎神社の本殿の向拝は四本柱です。高良神社の性格を持ちます。祭神は男女の夫婦神で、「高良神(大幡主)と玉垂神(天照女神)」です。久留米の高良には五姓仕人の一人「草部(日下部)」氏がおられ、「吉見」の地名もあります。南阿蘇からの移動でしょうか。

草賀部氏が本来の日下部氏であり、その下の八人神官(稲員、田尻、小祝、外湯、諸司代、印塚、福成)は名は違えども日下部氏であり、筆頭が稲員氏(いなかず)です。
高良大社の分社である佐賀川上の淀姫神社、さらに、その分社である福岡那珂川の伏見神社の氏子さんが日下部氏です。私の家内の従兄妹の故郷です。


◎参考メモ資料
次の小国町北里2288の三郎神社が確認できません。
廃社されたか、遷宮合併かと思われます。
よって、参考程度にメモとして残しておきます。

 

※阿蘇郡小国町の三郎神社
三郎神社 熊本県阿蘇郡小国町北里2288
祭神 草部吉見神、日子八井命、比咩御子命
由緒 三郎神社の創建は、平安時代初期と伝えられています。社伝によると、神亀元年(724年)、行基菩薩が阿蘇山に登拝した際に、この地に三郎神社を創建したとされています。三郎神社は、阿蘇五社の一社であり、阿蘇神社の末社。

 
 
草部吉見神社の祭神・国龍神は別名「草部吉見神」と呼ばれ、年祢神、大年(歳)神ともされます。結果的に、小国町の三郎神社の祭神は日子八井命と比咩御子命の二柱となり、三郎神社の祭神は草部吉見神社の祭神と同一になるのです。

草部吉見神社=三郎神社=白川吉見神社
日子八井命=天彦命=国龍神 =月弓命=高良神=日天子=豊受大神=薬師如来本地
比咩御子命=天媛命=罔象女神=月姫 =玉垂神=月天子=天照大神=十一面観音本地