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No.318 荒木武彦(崇神天皇)と荒木しず姫(五十鈴姫)

 
宮原誠一の神社見聞牒(318)
令和8年(2026年)08月05日
 

 

春日市春日一丁目鎮座の春日神社は古昔より一貫して現在の地にあったのではありません。その前は、四王寺山(王城山 おおきやま)に祀られていましたが、白村江の戦いに対処する山城再築のため、現在地(春日市)に中大兄皇子が武甕槌(たけみかづち)を祀る神社として遷したという。
さらに、相殿であった事代主命を祀る王城神社も現在の太宰府市通古賀五丁目1203(五丁目8-40)に遷されました。No.170

 

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都府楼から見る四王寺山

 


神護景雲2年(768年)、太宰大弐(だざいだいに)であった藤原田麿は、筑紫春日の地に藤原家の祖神である武甕槌が祀られていることを知り、大和の国(奈良県)の春日大社から、天児屋根命武、経津主命(ふつぬし)、姫大神を迎え、神社を再構築します。春日神社の当初は甕槌命の単神が祀られていました。(再築前の神社名は不明)




■王城神社(おうぎじんじゃ)
福岡県太宰府市通古賀五丁目8-40(字扇屋敷1203)
祭神 事代主命

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寛政2年(1790)に船賀法印が編纂した『王城神社縁起』(太宰府天満宮蔵)によれば、神武天皇が四王寺山(王城山、大野山)に築城の際、山上に武甕槌命と事代主命を祀ったことに由来し、天智天皇4年(665)筑前国衙庄(こくがしょう 現在の太宰府市通古賀 とおのこが)に遷され、「大城大明神」として祀られたとされる。

※武甕槌命・事代主を四王寺山に祀った人は、祭神名からすると、神武天皇でなく、崇神天皇と想定します


◎春日神社 福岡県春日市春日一丁目110番地
祭神 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、姫大神

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※太宰府市史 民族資料編 王城大明神縁起
神武天皇が四王寺山の山頂に城を構え、大野の県主・田中熊別に警固させていた。神武天皇の山城があるので、時の人は王城(おおぎ)山と云った。詔してこの山に武甕槌と事代主を祭り、東夷を平らげることを祈らせた。
この後、天皇は東夷征伐に出発し、熊別は天皇に従い東国に行った。熊別は一子熊則を残し置き、荒気武彦と蚊田王を警固させた。天皇は東征し大和国に内裏を建て橿原宮と名づけた。No.171

 

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王城神社縁起では、四王寺山の大野城を大野の県主・田中熊別に警固させた、後の神武東征の折、熊別は一子・熊則を残し置き、荒気武彦と蚊田王を警固させた、とあります。

さらに縁起では糟屋郡の田中の庄に荒木武彦がいて、「荒木しづ姫」は崇神天皇(神武天皇僭称)の妻となり、蚊田皇子が生まれたとしています。
荒木しづ姫は「五十鈴姫」であり、崇神天皇の皇后です。その間の皇子が蚊田皇子であるという。蚊田皇子は誉田別王(ほむだわけおう)で、後の応神天皇です。

それで、神武天皇(崇神天皇)は田中一族に崇神天皇と蚊田王を守らせたことになります。

これでは流れがおかしいので、「荒気武彦と蚊田王を警固させた」は「荒気しづ姫と蚊田王を警固させた」ではないでしょうか。蚊田皇子は荒木しづ姫の御子とななります。

※百嶋神代学では、「神武東征」でなく、「崇神東征」とします。


王城神社縁起からすると、太宰府市通古賀一帯が田中物部の本願地となります。「通古賀」は古代では、都府楼前の住宅密集地です。
通古賀には「字田中」があり、「田中橋」があり、田中橋の近くに「田中の森」があり、田中熊別の墓があったとされる。
王城神社の玉垣には氏子さんの名があり、陶山家(すやま 木瓜紋)、和田家(地紙紋)、松田家等です。




■糟屋郡の田中庄
糟屋郡に「田中の庄」があり、荒木武彦と言う豪族がいたとされます。

糟屋郡の「田中庄」の比定地ですが、糟屋郡篠栗町田中に田中八幡神社があり、古昔の田中神社は宗廟・田中神社とされ、この田中神社は大幡主を祀ります。さらに、多々良川の北岸には和田地区です。田中、和田の二村は協同で元宮の田中神社を共に奉祀した時期がありました。さらに、田中神社の南西の町中に大幡主を祀る老松神社があります。
これらからすると、糟屋郡の田中庄とは「糟屋郡篠栗町田中」のことではないでしょうか。 それで「田中の庄」を蚊田県と言うようになったそうです。

※この段階で、蚊田宮・宇美八幡宮の創立の素地ができています。
 神功皇后と誉田別王の話は、後付け、みたいな感がします。

※篠栗町田中が荒木武彦(崇神天皇)の「田中の庄」とすると、その北西隣は久山町山田です。ここに審神者神社、白山神社(この神社が本来の白山神社の元宮と言われています)があります。伽耶とつながりが強い地域です。No.222


◎篠栗の老松神社 福岡県糟屋郡篠栗町尾仲732
祭神 齋世親王、三位中將英明、菅原神

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現在、尾仲の老松神社は菅公(菅原道真公)とその親族が祭神表記されていますが、その前の古宮の創立は古く、祭神は不明とされています。
境内社に神武天皇を祀る神武神社(神武山王社) があります。
口伝では、境内にある神武社は戦火で焼失したものを粕屋町の老松宮のご神託によって生田森(現在地)に移されたものという。No.142

 

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神武天皇を祀る神武神社(神武山王社)


鳥居の扁額「老松大明神」は大幡主を表します。拝殿の神額は天照女神の形式で、大幡主と天照女神に関係します。
拝殿向拝は「流れ造り」で、四本柱は「高良大社造り」で、高良大社の祭神は天照女神と大幡主です。三階松紋は九州王朝の紋章で天照女神と大幡主を祀る宮地嶽神社が代表格です。
氏子の藤(とう)さんの姓は、大幡主の名称、「藤大臣 とうのおとど」に因みます。
これらを考慮しますと、篠栗町尾仲の老松神社の古宮は大幡主を祀る老松神社です。


◎田中八幡神社
福岡県糟屋郡篠栗町田中60

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田中八幡神社は福岡県神社誌に記載がなく、祭神も由緒もよく分っていないのが現状です。
現在の「田中八幡神社」ですが、古昔の神社は宗廟・田中神社です。No.143

 

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神額は「天照女神」の額縁です
注連掛標柱石の神紋は、大幡主の「右三つ巴」紋です

一般に、村名の田中村にある田中(八幡・天満)神社は田中大神を祭神とします。
田中大神は大幡主です。
田中村の宗廟田中神社は大幡主を祭神とする神社と想定しています。

 

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■佐賀県三瀬の野波神社
老松神社を巡っていて、そこには神功皇后を祀る宮地嶽神社と事代主(=大幡主)を祀る神社を見かけます。神功皇后と事代主がどのように関係するのか不思議でした。No.172

事代主・大幡主の神徳は酒と薬の神様で、仏教では薬師如来の垂迹とされます。また、製塩の神様、粟栽培の神様でもあります。淡島大明神として、淡島神社、粟島神社の祭神として祀られています。

淡島明神は和歌山市加太町の加太神社が著名で、その祭神は少名彦命・大己貴命(大国主命=大幡主)・息長足媛命(神功皇后)となっています。

また、佐賀県南背振の北山地域(野波の里)では、神功皇后(息長足媛)の生誕の伝承を持つ野波神社があり、境内社に淡島神社が淡島明神として祀られています。
同地域の下ノ宮では息長足媛の両親である父・息長宿祢命と母・葛城之高額媛命が祀られており、大幡主は葛城一族の祖神とも云われています。


◎野波神社 佐賀県佐賀市三瀬村大字杠(中谷)1358

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◎下ノ宮 佐賀県佐賀市三瀬村宮ノ口
祭神 息長宿祢・葛城之高額媛

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神功皇后の父・息長宿祢命と母・葛城之高額媛命から、事代主(=大幡主)は息長氏、葛城氏に繋がっていきます。




■北野町大城の蚊田宮
福岡県北野町大城は誉田別尊の誕生ゆかりの地です。

蚊田宮跡石碑 福岡県久留米市北野町稲数の西

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※豊姫縁起(大城村郷土読本 野口治七郎著 昭和28年)
皇后、道中(みちなか)の蚊田の宮に還りて、蚊田の渟名井(かだのぬない)の霊水を酌みて、産所を祝祷(ことぶき)給う。産所を占いて、産殿を宇瀰邑に造り給う。よって、産殿に遷り給う時、産気起こりて、産殿に至らず、12月14日、誉田別尊、道中の蚊田の宮にて生まれ給う。蚊田の渟名井の霊水を酌みて、産湯に沐(ひき)奉る。
誉田別尊の誕生の遺構は長和年中(1012-)天満宮が鎮座して、賀田村の産神(うぶすな)となす。今の蚊田の宮はこれなり。賀田は蚊田と同訓なり。
皇后良き日を選び給い、宇美の産殿の処に遷りぬ。よって、皇子の誕生の祝寿(ことぶき)を行う。時の人、その産殿の処を名付けて「宇瀰」という。今の筑前の宇美八幡宮、これなり。



神功皇后は産所を占いて、産殿を宇瀰邑(うみむら)に造らせています。
しかし、産殿に遷られる途中、産気づき、宇美の産殿に至らず、12月14日、誉田別尊を道中の大城蚊田の宮にて出産されています。後に、宇美の産殿は出産祝いの御殿となっています。その出産地の北野町稲数に「蚊田の宮」記念碑が今も立っています。

その出産地記念石碑の近くに加田天満神社がありましたが、大正13年稲数天満神社に合祀されました。本殿内の左側に天満神、右側に蚊田神が祀られています。No.218


◎移転新築された稲数天満神社(蚊田天満宮)
福岡県久留米市北野町稲数107

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(旧)稲数天満神社(蚊田天満宮)  2020.05.08

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豊姫縁起と王城神社縁起から、事代主(=大幡主)は神功皇后と五十鈴姫に係わります。
また、蚊田皇子(誉田別王)は崇神天皇を父として、母親は神功皇后または五十鈴姫と係わります。どちらが本当の母親でしょうか。
王城神社縁起が正しいとした場合、誉田別王(応神天皇)の両親は崇神天皇と五十鈴姫(荒木しず姫)となります。No.173

 

※百嶋学からみる応神天皇と鴨玉依姫と十字剣
高良大社を支えられた方の紋は横幅が長いなと思われたら木瓜紋、四角いと思われたら剣花菱紋です。剣は必ず十字剣でないといけません。最初に九州王朝親衛隊長をされたのは金山彦で、熊本の山鹿地方が本拠地です、櫛稲田姫(いなだひめ)の生まれた所であり、お姉さまの吾平津姫(あいらつひめ)が誕生された所も同じ山鹿です。
吾平津姫は本当の初代・神武天皇の皇后です。そして、神武天皇僭称の崇神天皇の皇后は荒木の「しず姫」(荒木のしずちゃん)で、福岡県久留米市荒木で、大善寺玉垂神社の東隣です。
更にそれに割り込んでいる勇ましい方がいます。その代表が応神天皇です。誉田別王(ほんだわけおう)です。天皇の祖先であることには間違いありませんが、正当皇統ではありません。鴨玉依姫から金山彦の紋章・十字剣を誉田別王(贈応神天皇)にバトンタッチされたので、別王の座、兼、八幡宮の祭神の座を取得されました。
※荒木しず姫→荒木鈴姫→五十鈴姫



古事記、日本書記は、神功皇后の女傑武勇伝と誉田別王の出生を二章にわたって豪快に述べます。神功皇后の武勇伝も三韓征討も事実は疑わしく、全ては大幡主と天照女神の事蹟と想定しています。誉田別王の出生は父親が曖昧(仲哀天皇)で、神功皇后が母親である、と「記紀」は記します。
しかし、これも疑わしい。
誉田別王(応神天皇)の両親は、崇神天皇と五十鈴姫(荒木しず姫)が濃厚です。


天児屋根命と事代主(=大幡主)に共通することは、舵取り(船長)であり、武人です。神を祀って祈願するとなれば、航海安全、武運戦勝です。これは天児屋根命と事代主(=大幡主)に共通します。

古代の航海安全武運戦勝に関する出来事は、新羅征討、近畿東征があります。崇神天皇の近畿東征、神功皇后の新羅征討を考えますが、時代は崇神天皇の方が一世代古くなります。王城山の大幡主(=事代主)、武甕槌(天児屋根命)は崇神天皇へとつながっていきます。

また、伝教大師の最澄は遣唐使の折、船長兼博学の猿田彦神(大幡主)に航海安全と遣唐使任務達成、帰国無事を祈願されています。その事蹟が那珂川市の山王宮日吉神社、朝倉長渕の日吉神社(後八坂に移転し南淋寺)に残されています。No.92 No.167




■久留米市荒木町荒木の日吉神社
久留米市上津に本山天満宮があります。その西が荒木です。荒木しず姫(五十鈴姫)ゆかりの荒木です。ですが、ここ久留米市荒木町には荒木しず姫(五十鈴姫)を祀る神社はありません。地名の「荒木」が存在するのみです。
五十鈴姫は崇神天皇の皇后であり、日本書記の手前、近畿の人であり、九州の筑後に、その事蹟が残されていたのではまずいのでしょう。
荒木町荒木の古賀には、領主の荒城朝臣関係の日吉神社が一社あるのみです。荒城氏がここ荒木に日吉神社を建立することは、荒木しず姫ゆかりの荒木ということになります。

現代の荒木には歌手の松田聖子(本名蒲池法子)さんの出身校の荒木中学校があり、近くに荒城氏ゆかりの日吉神社です。聖子さんは旧柳川城の城主だった蒲池氏のご子孫となります。 No.176


日吉神社 福岡県久留米市荒木町荒木(古賀)1811番地

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神門の手前に門神社が対で向かい合っておられます

 

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左の社は粟島神社(少名彦神=事代主)

 

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拝殿の唐破風には「右三巴紋」「十六菊紋」です

 

日吉神社由緒
福岡県久留米市荒木町荒木(古賀)1811番地の1
祭神 大山咋命(主祭神)
相殿 素盞鳴命・應仁天皇・大己貴命(大国主)
由緒 天慶9年(946)、朱雀院の御宇承平中(931~937)領主荒城朝臣、大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭りしが、後花園院の御宇新に社地を相し、創建大宮区十二社と称す。後又慶長中(1596~1614)郡司辻重勝、代官中島一誠の拝殿再建あり。
由来、御種蒔御田植の神事あり、又、領主は神領地を寄進し尊崇厚かりきと。
明治3年(1870)社名を日吉神社と改む。
(境内由緒書案内板)



「承平中(931~937)に領主荒城朝臣が大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭る」とあります。大三輪明神は大幡主と天照女神ですが、大宮明神として祀っています。大宮明神は大幡主と豊玉姫(天照女神)となります。
後の後花園院の御宇(1465年頃)に社地名を「大宮区十二社じゅうにそう」と改めています。

十二社(じゅうにそう)の地名は、室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎(中野長者)が応永年間(1394-1428年)に熊野三山から十二所権現を祀り、その西新宿四丁目近辺の旧地名を十二社(じゅうにそう)と称したのが起源とされます。

明治3年(1870)に社名を日吉神社と改めています。

 

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※三輪明神大神神社(おおみわじんじゃ)
奈良県桜井市三輪1422
主祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ、倭大物主櫛甕玉命)
配祀神 大己貴神(おおなむちのかみ 大国主)
    少彦名神(すくなひこなのかみ 事代主)

※倭大物主櫛甕玉命とは、大幡主と天照女神の合名
※大己貴は大幡主であり、大巳貴は天照女神です
※配祀神 大巳貴神は天照女神であり、少彦名神は大幡主(=事代主)です

※十二社(じゅうにそう)
東京都新宿区西新宿四丁目近辺の旧地名
東京都新宿区西新宿二丁目にある熊野神社は新宿総鎮守
室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎(中野長者)によって応永年間(1394-1428年)に創建されと伝えられている。鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。(Wikiから要約)
江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれた。

※十二所権現
熊野三社に祀る12の権現。
三所権現(本宮、新宮、那智の熊野三社)
五所王子(小守の宮・児の宮・聖の宮・禅師の宮・若王子)
四所明神(一万の宮または十万の宮・勧請十五所・飛行夜叉・米持金剛童子)



境内社は、本殿の左に粟島神社(少名彦神=事代主)、本殿の右に天満神社(菅公)が配置されています。粟島神社と天満神社は摂社の配置です。
境内右手に社日神社(しゃにちしゃ 祭神・大幡主)、薬師神社(大国主)と大幡主ファミリーが祀られています。
境内社では天満神社が格上となります。天満神社の祭神は天穂日命(豊玉彦)だったり、埴安彦(大幡主)だったりします。かならずしも菅公とはかぎりません。

 

 

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左の社は粟島神社(少名彦神=事代主)

 

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本殿右の天満神社

 

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境内右手に社日神社(祭神・大幡主) 後ろは天満神社



荒木家の家紋は五三桐紋で、大幡主に関係します。
鬼瓦の社紋は「右三巴紋」で、由緒に記載の應仁天皇の紋ではありません。正八幡・大幡主の紋章です。または、荒木家の表家紋でしょうか?
その下には「半菊に波紋」です。紋章の所有者がわかりません。 参考までに「半菊に一字紋」は一言主の紋章です。
拝殿の唐破風には「右三巴紋」「十六菊紋」です。十六菊紋は天照女神の紋章の可能性があります。

領主荒城朝臣が承平年中(931~937)に大宮明神を祀り創建しています。筑後の神社の創建時期としては比較的新しい神社になります。
荒木は古代から開けたところです。西に大善寺玉垂宮、御塚・権現塚古墳があります。南は広川が流れ、広川丘陵は八女古墳群です。

 

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門神社の山王宮(左側)と日吉宮(右側)


日吉神社にしては珍しく門神社が配置されています。神門手前の両側に門神社が対面して配置されていました。山王宮と日吉宮の門神社(もんがみしゃ)です。長田の山王宮日吉神社(福岡県朝倉市長田)の「山王宮日吉神社」の名称は、この門神社から来ていました。
荒木の日吉神社も同様の由来でしょうか。本殿の主祭神を大山咋神とすると祭神がタプッテ祀られていることになります。主祭神を大宮売神の天照女神(豊玉姫)とすると自然です。

 

門神社は坂本神社の一部です。
坂本本社 坂本命
東坂本社 櫛岩窓命(くしいわまど) → 日吉神(左)
西坂本社 豊岩窓命(とよいわまど) → 山王神(右)

 


百嶋神代系譜2 崇神帝・五十鈴姫 神代系図

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■思いっ切り仮説
日吉神社由緒の祭神「大宮明神」を

大宮売神の豊玉姫とすると、
本殿の主祭神は大三輪明神(大幡主)と妃の豊玉姫となります。
しかし、この祭神では、日吉神社につながりません。大三輪明神関係の社は境内社にあります。

大宮明神を大宮五十鈴姫とすると、
本殿の主祭神は崇神天皇と五十鈴姫であり、五十鈴姫は荒木しづ姫であり、その荒木しづ姫の夫君が荒木武彦であり、荒木武彦は崇神天皇となります。

結果、日吉神社の本殿の主祭神は荒木武彦(崇神天皇)と荒木しづ姫(大宮五十鈴姫)の夫婦神を祀ることになります。

荒木氏が崇神天皇の子孫であることを考えると、荒城朝臣が久留米市荒木町荒木に、その先祖である崇神天皇と大宮五十鈴姫を祀ることは自然です。

日吉神社由緒の「荒城朝臣、大三輪明神を安置し、大宮明神と斎き祭り」の「大宮明神」は大宮五十鈴姫だったのです。十六菊紋は皇后の五十鈴姫紋章となります。崇神天皇の皇后は五十鈴姫であり、別名、荒木静姫です。

※大宮明神(崇神天皇と五十鈴姫)と大三輪明神(大幡主と天照女神)
荒木武彦=崇神天皇 → 大幡主=大国主
荒木静姫=五十鈴姫 → 天照女神=豊玉姫

事代主=大国主=大幡主としないと由緒の説明がつきません
荒木武彦(崇神天皇)と荒木しず姫(五十鈴姫)の御子が蚊田皇子(誉田別王)の応神天皇となります。

 

すると、蚊田皇子(応神天皇)の出生地は
「糟屋郡篠栗町田中」の「田中の庄」の蚊田県に近い糟屋郡の宇美八幡宮になりそうです。

神功皇后の誉田別王の出生が事実であったとしても、それは応神天皇に関係のない誉田別王の出生話かもしれません。

「記紀」の神功皇后紀の御子出生話では、
「崇神天皇と五十鈴姫の御子・蚊田皇子」と「神功皇后と父(?)の御子・誉田別王」の話がダブって語られていることになれます。

宇佐公康氏による宇佐口伝では、
「仲哀天皇と神功皇后の間に産まれた誉田別皇子は応神天皇であるといわれているが、この皇子は四歳で亡くなっている。しかもこの皇子は仲哀天皇の子供ではなく、武内宿禰と神功皇后の間に産まれた不義の子供であったというのが真相である。」
「神功皇后は誉田別王と共に、香春岳の麓、勾金(今の香春町勾金)に幽閉されて、その地で亡くなり、誉田別王もまた四歳にして早世した」
とあります。No.67

豊姫縁起では、
欽明天皇31年2月10日、誉田天皇の神霊、筑後国の三股池に現れて、池辺の童子に託(かか)り、告げて曰く、我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり。云々。
また、同日に肥後国菱形池に現れて、告げ給う。神言は先のごとし。この日に並びて、豊前国三角池に現れて、大神比義に託(かか)り、また、宇佐の君、池守に託りて、神言は先のごとし。

宇佐八幡宮の社伝では、
三歳の童子が霊現し『われは誉田の天皇広幡八幡麿なり。わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩で、神道として垂迹せし者なり』と大神比義に告げている。

宇佐口伝、豊姫縁起、宇佐八幡宮の社伝からすると、
「誉田別王もまた四歳にして早世した」とある誉田別王と蚊田皇子とは別ものであり、誉田天皇と応神天皇も別ものであり、誉田別王の早世話も説得があります。




■参考資料
先々、参考にすることがあり、メモとして残しておきます

◎久麻加夫都阿良加志比古神社 (くまかぶとあらかしひこ)
石川県七尾市中島町宮前ホ部68-1-1
祭神 阿良加志比古神(あらかしひこ)
配祀 都奴加阿良斯止神(つぬがあらしと)
境内社 薬師社(本地仏 熊甲薬師如来=大幡主)、加茂社

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(写真は「御朱印集めには神社がいいね」https://jinja-bukkaku.net/)

※天照女神の両部鳥居、神紋は蛇の目=大幡主、加藤清正公の神紋
本殿、薬師社の向拝は四本柱で高良神社の形式です

猿田彦が先導するお熊甲祭「イヤサカサー」の掛け声は「弥栄、いやさか、やさか」、祇園社の八坂神社(いやさか)は「やさか神社」として広まった、八坂神社(祇園社)は本来、大幡主を祀ります。
熊甲安羅加志彦(クマカブトアラカシヒコ)=崇神天皇
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)=大幡主
※祭神は天照女神と大幡主です。


◎香春の現人神社(あらひと)
福岡県田川郡香春町採銅所1797
祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしと)
追祀 原田五郎義種尊

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由緒(神社案内)
第一産の大神は意富加羅国 (おおから大伽耶) の王子で、垂仁天皇の時代に新羅の姫神 (比咩語曾神) の後を慕って、この地に御鎮座しました。


※大伽耶王子は大幡主です。姫神(比咩語曾神)を「新羅の姫神」と言っておられますが、姫許曾神は天照女神であり、大伽耶姫です。

※現人神社の祭神は通称「ツヌガアラシト」で、「都怒我阿羅斯等」と書き、「敦賀の安羅の人」という意味になります。
「くまかぶとあらかしひこ」(熊甲安羅加志彦)の、「熊甲」は熊本県甲佐、「安羅」は朝鮮半島の日本の任那の出先で、安羅は地名となります。「加志」は「梶取」のことで、熊本の甲佐出身の安羅にいる舵取(船長)という意味です。


※蒲池媛(かまちひめ)=雨宮媛
筑後国屈指の名族である蒲池氏、その姫君を蒲池媛(かまちひめ)という。
阿蘇神社関係の古文書によると、阿蘇氏の祖とされる多氏は神八井耳命(かむやいみみ)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみかたま)の妃が郡浦神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)であるという。さらに、国造神社の雨宮媛と同体同神であるという。

〇郡浦神社 熊本県宇城市三角町郡浦2666
祭神:蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇
速瓶玉命は大山咋神とされるが、大幡主とみます

〇甲佐神社 熊本県上益城郡甲佐町上揚876
祭神:八井耳玉命
配祀:健磐龍命、蒲池媛命神
  :神倭磐余彦命(神武天皇)、媛蹈鞴五十鈴媛命

○阿蘇郡誌
国造神社 社格 県社
一の宮:国造速瓶玉命
二の宮:雨宮媛命 「速瓶玉命の妃 本宮は宇土郡郡浦神社なり」

〇国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭 神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神・火宮神
境内社:鯰宮

〇日本書紀による神武天皇
妃:吾平津媛 皇子:手研耳命
皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命
皇子:神八井耳尊、神渟名川耳尊

〇媛蹈鞴五十鈴媛
日本書紀では神武天皇の皇后で、父は事代主
事代主の父は大己貴神(大国主)
百嶋神代学では崇神天皇の皇后で、父は事代主
事代主の父は不明


阿蘇でいう神武天皇とは、崇神天皇で、神武天皇僭称です
両天皇は「ハツクニシラス」天皇で、混同しがちです。

 賀茂別雷神社 [かもわけいかづちじんじゃ](通称「上賀茂神社」)
 京都市北区上賀茂本山339
  祭神:賀茂別雷命
 賀茂御祖神社 [かもみおやじんじゃ](通称「下鴨神社」)
 京都市左京区下鴨泉川町59
  西殿祭神:賀茂建角身命(かもたけつぬみ)→玉依姫命の祖父
  東殿祭神:玉依媛命(たまよりひめ)→賀茂別雷命の母

下鴨神社の東殿の祭神が玉依媛とあり、賀茂別雷命は神武天皇と思われがちです。上賀茂神社の祭神は賀茂別雷命で、別雷神で、別名は崇神天皇です。

崇神天皇は百嶋学によると、父は大山咋神、母は(鴨)玉依姫となっています。
日吉神社の祭神は、大山咋神、(鴨)玉依姫とされますが、この存在関係は疑問があります。