No.261 阿蘇の神々 健磐龍命と阿蘇津姫(改訂版)
宮原誠一の神社見聞牒(261)
令和6年(2024年)10月24日
阿蘇神社の神々、健磐龍命(阿蘇津彦)と阿蘇津姫について、
福岡県の阿蘇神社の祭神は健磐龍命と阿蘇津姫を祀ります。しかも、その地域は、橘族が多く住んでおられるにもかかわらず。普通に考えれば異常です。筑後の者から見れば、阿蘇神社は異質的な感覚があるのです。
また、祭神名の阿蘇津彦は健磐龍という具体名(諱)があるのに、阿蘇津姫は通称名であり、具体名(諱)がないのです。それだけ、阿蘇津姫の正体は隠したいのでしょうか?
一説では、天豊津姫ともいわれ、これも通称名ですが、「天」と「豊」の高貴な字がついています。日本書紀によれば、天豊津姫は懿徳天皇(いとく)の皇后ですが、その皇后が阿蘇津姫として健磐龍命の妃になられる、不思議です。
※懿徳天皇を豊玉彦とすると
寒川彦(豊玉彦)と寒川姫(阿蘇津姫)が繋がります。
寒川彦(豊玉彦)=大幡主
寒川姫(阿蘇津姫)=天照女神
以下の天皇は日本書紀より皇位を贈られた天皇となります。
2.綏靖天皇(神沼川耳天皇・神沼川耳命)
3.安寧天皇(磯城津彦玉手看天皇・天忍穂根命=大幡主)
4.懿徳天皇(大倭彦耜友天皇・豊玉彦)
5.孝昭天皇(観松彦香殖稲天皇・天忍穂耳命)
6.孝安天皇(倭足彦国押人天皇・波比岐神)
福岡片江の阿蘇神社
福岡県福岡市城南区片江二丁目22−2
祭神:武岩龍命
福岡市片江の天神社(福岡市城南区片江三丁目8-1)の案内板(澤野一誠氏謹製)に片江の阿蘇神社の由来が想定されています。それによれば、肥後にある阿蘇神社が、なぜ、片江にも在るのか。誰が、いつ、いかなる理由で建立したのか?わからいと言われる。しかし、片江は南北朝戦乱の折、菊池武時の戦場に関係し、その子武光が筑後川の合戦(1359)に勝利し、筑前を制圧しており、小郡市干潟の阿蘇神社の由緒のように、菊池一族が創立したのではないかと想定されています。
1333(元弘3)年、鎌倉幕府打倒を掲げた後醍醐天皇に応え、九州の幕府「鎮西探題」(福岡市博多区)を襲撃の折、少弐氏、大友氏に裏切られ、多勢に無勢の状況下で、菊池武時は自軍の敗退を覚悟し、息子の武重(と武光)に撤退を命じた後、突入し武時以下全員が討死。
福岡県神社誌 由緒
不詳、筑前国続風土記に「肥後の阿蘇の社記に、早良郡山門庄比伊郷阿蘇神領なる事見えたり。今、比伊郷片江村に阿蘇神社あり。これ昔神戸の地なりし故祭れるなるべし。又、早良郡司三宅春則等が深く斎きたり。三宅氏は阿蘇神の末孫なり。」と記せり。
社伝によれば、現今の大字片江字神松寺に鎮座せる老松天神社こそ本社勧請前に於ける古来よりの当地産土神にして天神田と称する祭田あり。
※福岡県神社誌では、片江の阿蘇神社は早良郡司の三宅春則が斎祀したとあります。三宅氏は阿蘇神の末孫であるという。また、阿蘇神社以前の産土神は神松寺の老松天神社であるという。いずれにしても、正八幡大幡主を祀ります。
小郡干潟の阿蘇神社 福岡県小郡市干潟594
祭神:健磐龍命
合祀:素盞嗚尊、菅原神、宗像三女神、天照御魂神
右手に境内社の生目八幡宮と祇園社があります
祭神素盞嗚尊は字町口の素盞嗚神社、菅原神は字下鶴の天滿神社を明治44年に合併。宗像三女神は字黒土の宮地嶽神社を、祭神天照御魂神は字サノコの左野子神社を大正11年合祀。
当干潟村は寛平(889-)の頃より、肥後国宮地町の阿蘇神社の社領であった。南北朝戦乱の後、菊池氏の嗣子が絶え、姻戚関係の阿蘇神社の大宮司惟職の子が肥後国隈府の太守となるや、その祖神の健磐龍命即ち阿蘇神社を肥後国隈府干潟郷に勧請祭祀。
宝暦8年(1758)、肥後阿蘇神社の社領たること、隈府干潟鎮座の阿蘇神社の地名が当村と同名なる故に神殿を改築し,阿蘇神社の祭神を勧請祭祀して今日に至る。
※境内社に生目八幡神社(平景清霊神)があります。社殿は本社並みに大きく、神紋は五瓜唐花紋で祇園社の紋であり、生目八幡神社は正八幡大幡主が本来の祭神です。さらに生目八幡神社の左横に正八幡大幡主を祀る祇園神社があります。神社の構成は熊本県南関町の大津山阿蘇神社と同じです。
朝倉杷木の阿蘇神社
福岡県朝倉市杷木穂坂396
祭神:建磐龍命、中山祇命、高龗命
江戸初期1692年頃、穂坂地区の産神として熊本県の阿蘇大明神を勧請
中山祇、高龗は正八幡大幡主です。田主丸の穂坂(保坂)さんは月読神社(天照女神と大幡主)を奉斎です。
夕月神社
福岡県朝倉市杷木古賀1402(本殿1405)
祭神:月読命(月弓命)
※天照女神は月姫であり月夜見命、大幡主は月読命
※月読命は新月、月弓命は半月、月夜見命は満月を象徴
月弓は上弦の月であり、昼間午後出ており、夕方の日暮れに南に輝きだします
田主丸の阿蘇神社
福岡県久留米市田主丸町地徳2808
祭神:健磐龍命、阿蘇都比咩命
合祀:神功皇后・国魂神・木花咲耶姫神、勝頼大明神・神功皇后・勝村大明神、浅問之神、大地主神(摂社・四柱神社→八十国魂神社・宮地嶽神社・浅間神社・地主神社)
神紋は橘紋です
由緒:不詳。神功皇后、国魂神、木花咲耶姫神は字一ノ尾の八十国魂神社、勝頼大明神、神功皇后、勝村大明神は字新立の宮地嶽神社、浅間の神は字サヤノキの浅間神社、大地主神は字鳥巣の地主神社に鎮座を、大正5年合祀、同一祭神は合併と同時に合霊(祠は北側の上段に有り)。社説に曰く、創立年代不詳なるも、地方の古牡にして古老の口碑に筑後守道公卿(道君首名)の時代、和銅3年(710)多加能里(竹野)の栗木尾山(麓が現在地)に鎮座し給ふと。
摂社 四柱神社(八十国魂神、宮地嶽神、浅間之神、地主神)
末社 稲荷神社(倉稲魂神)
※八十国魂神社は天照女神、大幡主(大国魂神)を祀ります。
※宮地嶽神社は勝頼大神(大幡主)、勝村大神(天照女神=勝村姫=勝浦姫)を祀ります。
八女立花の阿蘇神社
福岡県八女市立花町谷川1464
祭神:健磐龍命(阿蘇津彦命)、阿蘇津姫命、少彦名神
地主神社 祭神:大国主命、天児屋根命、住吉三神
由緒:筑後国黒木の猫尾城主黒木左近大夫親実の弟黒木親元は谷川城主(すぐ北東の山)で、母が菊池肥後守の息女であったので、永正3年(1506) 肥後国阿蘇神仕の神爾(鏡と剣)を請け、この地に祀ったものである。天正年間、大友氏と龍造寺氏との争いで兵火にあい、地主神社と同じく焼失してこの地に移された。このように二神社を祀り、拝殿が合併されているものは全国的にも珍しいといわれる。
筑後乃国阿蘇神社
福岡県みやま市高田町海津1642
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命含む阿蘇十二神
由緒:当社創建の恵良惟澄(後の阿蘇大宮司・阿蘇惟澄)が阿蘇筑後守惟澄と名乗っていたことから、筑後乃国阿蘇神社と称す。古宮は早鷹宮という。
南北朝時代、延元元年(1336)、南朝方の阿蘇の大宮司・阿蘇惟直と義弟の恵良惟澄たちは、多々良が浜(現福岡市東区)にて大敗。惟直は義弟の恵良惟澄に大太刀を託して自刃。
宮園城の城主・大木貞久は、惟澄の傷が癒えるまで城内に留まらせ、貞久は「貴方の郷、阿蘇の大明神を分霊して、ここ海津古川の丘陵に祀られよ」と進言し、惟澄は海津古川の地に阿蘇神社(早鷹宮)を創立。惟澄は後に筑後守に任命され、晩年は肥後国阿蘇神社の大宮司に。
元和8年(1622)、立花藩家老小野和泉守の命により社殿並びに神殿が寄進、現在の場所に早鷹宮より阿蘇神社として分霊される。
早鷹宮 福岡県みやま市高田町海津(古川)209
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命含む阿蘇十二神
阿蘇神社の祭神は健磐龍命(阿蘇津彦命)と阿蘇津姫命の夫婦神を基本としています。
そして、この二柱は「火の神」「水の神」とされ、阿蘇山の火山と伏流水の湧水を象徴されているようです。阿蘇津彦と阿蘇津姫の名は、火神の天照大神(正八幡大幡主)と水神の瀬織津姫(天照女神)が隠されています。(No.257)
小郡市干潟の阿蘇神社、朝倉市杷木の阿蘇神社、田主丸町竹野の阿蘇神社の摂社、合祀社は天照女神と大幡主を祀ります。
福岡市片江の阿蘇神社、みやま市高田の阿蘇神社は、南朝方の菊池一族が創立に関わっているようです。菊池氏の紋章は「並び鷹羽」で、阿蘇氏の紋章「違い鷹羽」を引き継いでいますが、本来の菊池氏の紋章は「日足紋」で、天照女神と大幡主に因みます。
No.208 鷹は阿蘇の神々のシンボルにあらず 2022年11月
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12776770335.html
隼鷹神社(小郡市力武)、隼鷹天神(草野町夫婦木)、鷂天神社(朝倉市上上浦)の祭神は高皇産霊命(たかみむすびのみこと 高木大神)と表記されますが、神社形式、氏子さん、その他からして、祭神は高皇産霊命ではなく、正八幡大幡主=神皇産霊神なのです。「松に止まる鷹」は大幡主のシンボルだったのです。
また、海神(わたつみ)に因む名称の高見、高山、高祖(鷹巣)、高尾(鷹尾) 等の「高」は「鷹」の隠し文字だったのです。隼鷹神社(早鷹宮)は大幡主と天照女神を祀ります。
筑後乃国阿蘇神社(高田町海津)の南の瀬高町太神(古島)には、三宅得許が創立した長島大神宮があります。社紋は八日足紋(やつひあしもん)です。日足紋は、草野氏、龍造寺氏、大幡主に関係します
長島大神宮
福岡県みやま市瀬高町太神(古島)2011
祭神 天照大神
筑紫三宅得許(つくしのみやけのむらじとくこ)は663年白村江戦いで捕虜となり、684年(天武13年)猪使連子首(いつかいのむらじこびと)と共に、遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)・白猪史宝然(しらいのふびとほね)らと共に、新羅経由で帰国しています。その三宅連得許は、福岡県みやま市瀬高町古島で、長島大神宮を奉祀しています。
また、三宅氏は壬申の乱(672年)では宗像氏とともに天武天皇方についています。(この時期の三宅得許は虜囚中です)
長島(おさじま)地区には物部田中神を祀る「田中の宮」があります。「田中の宮」は正光土木事務所の裏庭、田中氏個人宅の庭に鎮座です。「田中の宮」と長島大神宮の中間に釣殿宮があり、境内社「西の宮」に物部阿志賀野神が祀られています。
■火の神
火の神は、九州では「埴安彦」、櫛田神社の祭神「大幡主」であり、伊勢外宮の祭神です。現世では那国(奴国)の王様です。
大幡主は多くの神名、通称名、尊称を持っておられます。
国常立神(くにとこたちのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天之御中主(あめのみなかぬし)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
土御祖神(つちみおやのかみ)
埴安彦(神)(はにやすひこ)
正八幡神(しょうはちまんしん)
大若子(おおわくこ だいじゃこ) 博多櫛田神社の祭神名
塩土老翁(しおつちのおじ)
大海神(おおわたつみのかみ)
速玉男神(はやたまおのかみ 熊野大神)
倭大国魂神(わのおおくにたまのかみ)
白日別神(しらひわけのかみ 筑紫大神)
玉手見命(たまてみのみこと)
稲佐神(いなさのかみ 伊奈佐神)
奴(那)国王(なこくおう)
安寧天皇(あんねいてんのう)
磯城津彦(しきつひこ)
まだ、他にありますが、よく見受けする祭神名は
神皇産霊神、天之御中主神、埴安彦(神)、正八幡神、熊野権現の速玉男神でしょうか。
天之御中主神は、以前、「女神=白山姫」と教え込まれましたが、熊本県の八代神社(妙見宮)を訪問し、さらに神社巡りを重ねるごとに、天之御中主神は男神である、と結論に至りました。
白山姫は瀬織津姫であり、天照女神です。
そして、出雲大社(杵築大社)の祭神である「大国主」は尊称であり、名を明かさない神と言えます。本来の神名は大穴持命であり、「大幡主」と同一神であることがわかりました。
出雲大社は古代より杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称されました。
大国主の別称
大穴牟遅神(おおあなむぢ)
大穴持命(おおあなもち、『出雲国風土記』、『伊予国風土記』逸文での表記』)
大汝命(おおなむち、『播磨国風土記』での表記)
大名持神(おおなもち)誕生後の名。
国作大己貴命(くにつくりおおなむち-)祝詞『大国神甲子祝詞』
八千矛神(やちほこ)沼河比売との物語での名
大国魂神(おおくにたま)各地の神社で同一視される
杵築大神(きづきのおおかみ)
大己貴命(おおなむち)
No.254 宗像大社辺津宮と織幡神社③ 2024年7月
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12857996642.html
宗像神社の神様
宗像大社は、水神で織姫神の湍織津姫(せおりつひめ)である天照女神と高宮の大幡主(天忍穂根命・大根の神)を祀ります。
宗像三女神(田心姫・湍津姫・市杵島姫)は天照女神の三分神です。
綿積三神も志賀大神(志賀姫)の天照女神の三分神です。
造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)は大幡主の三分神です。
住吉三神も大幡主の三分神です
「玉」が付く神名は、許黄玉と玉垂命の天照女神に因みます。豊玉彦、豊玉姫、玉依姫・・・
高良玉垂命の高良神は大幡主、玉垂命は天照女神です。安心院の三女神社、宗像神社、その摂社・宮地嶽神社、宝満神社は水沼君の高良玉垂命神社に行き着くのです。
大国主神社
大国主神社の社号を持つ神社は、福岡県では岡垣町手野が唯一です。
戦前、大牟田市に一社ありましたが、不明です。大国主は正八幡大幡主です。
大国主神社
福岡県遠賀郡岡垣町手野(ての)1306
大国主神社は岡垣町の「手野(ての)」に鎮座です。同じ地名「手野」に鎮座される有名な神社が阿蘇にあります。
国造神社(北宮)
熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
雨宮媛の伝説には乾珠(干珠)・満珠の話が出てきます。
すると、干珠・満珠の説話は神功皇后の伝説でなく、天照女神の話となりますか?
※六角灯籠、本殿の向拝の柱は四本柱で高良神社造り、天照女神と大幡主が祭神
国造神社の一ノ宮・速瓶玉命は大山咋=大幡主
国造神社のニノ宮・雨宮媛は水神で天照女神
雨宮媛は郡浦神社主祭神の蒲智比咩(海神で女神)と同一神
高橋神は天照女神であり水神、火宮神は速日神の大幡主で火神です
速日神は先頭に「饒」が付けば「ニギハヤヒ」です
神社由緒では、高橋神と火宮神は速瓶玉命と雨宮媛の子で、親子とされますが、祭神は二組の夫婦神であり、異名同一の夫婦神です。
■水の神と天照女神
女神の「水の神」は罔象女神(みずはのめのかみ)として、筑後川筋ではよく見かけます。瀬織津姫も水神です。そして、瀬織津姫は天照女神(大日孁尊)です。
水の神=瀬織津姫(天照女神)=罔象女神=淀姫=豊姫=阿蘇津姫=雨宮姫=蒲地姫
水の神=水分の神=天照女神=速秋津日命(祓戸の神)=萬播豊秋津姫
瀬織津姫の異名同神として、
福岡、佐賀、長崎では「淀姫」「豊姫」として、
熊本では「阿蘇津姫」「雨宮姫」「蒲地姫」として祀られていることになります。
天照女神は月姫
天照女神は月姫であり、天照女神が輝夜姫(かぐやひめ)のモデルとなっています。
竹取物語(かぐや姫)の作者は紀貫之であるという説があります。紀氏は姫氏であり、紀氏の氏神は瀬織津姫=天照女神です。5人の貴公子が「かぐや姫」に求婚する場面で、貴公子のモデルとなった人物は、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)、大納言・大伴御行(おおとものみゆき)、中納言・石上麻呂(いそのかみのまろ)の3人が実在の人物とされ、他に、石作皇子、車持皇子がいます。
さらに、大幡主は月読命であり、神紋は五三桐紋、また、大幡主は天照男神であり(=彦火火出見命)、天照大神と称したようです。神武天皇の別名は「彦火火出見」です。
大幡主とヒミコ(天照女神)は天照夫婦神ということになります。名実共に、伊勢神宮の天照夫婦神ということになります。
太田亮『高良山史』の中で、高良大社の縁起として高良玉垂宮本地垂迹の記述があります。
高良大社の祭神、
左宮 一殿 八幡大菩薩 本地釈迦牟尼仏
中宮 三殿 玉垂宮大菩薩 御本地得大勢至菩薩、或説十一面云々
右宮 二殿 住吉大明神 本地阿弥陀如来、或虚空蔵菩薩
ここでは玉垂宮大菩薩(高良玉垂命)の本地は勢至菩薩で、後に十一面観音に入れ替わっています。勢至菩薩は月天子と同体とされ、玉垂命(=天照女神)はお月様(月姫)となります。
天照女神が月姫であることは、福岡県小郡市松崎の神社で理解できます。
※神使像めぐり 三本足の烏を持つ「日天」と兎を持つ「月天」
http://shinshizo.com/2019/08/三本足の烏を持つ「日天」と兎を持つ「月天」/
密教の守護神の十二天の中に、日天子(にってんし・日天)と月天子(がってんし・月天)がおられ、日天は太陽(日輪)を神格化した神で、観世音菩薩の化身ともされ、太陽(日)の神使である「三足烏」の日輪を持つ。月天は月やその光明を神格化した神で、勢至(せいし)菩薩の化身ともされ、月の神使の「兎」の月珠を持つ。
神道では、大幡主は日天子、月姫の天照女神は月天子に相当します。
観世音菩薩
観世音菩薩の起源や性別には定説がない。
『般若心経』の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。
観世音寺 (福岡県太宰府市)
聖観音、十一面観音、馬頭観音、不空羂索観音
天台宗の寺院、山号は清水山、本尊は聖観音(しょうかんのん)、開基は天智天皇。
■月姫を祀る倉稲魂神社がある福岡県小郡市の松崎城跡
月姫を祀る倉稲魂神社(うかのみたま)は、現在でも小郡市松崎城跡北にあります。
倉稲魂神社の創立は、寛文8年(1668)に松崎藩主有馬豊範が城の鎮護として京都の伏見稲荷神社(豊受姫)から分霊を勧請しています。貞享元年(1684)豊範公は失脚し、松崎藩は幕府の天領となり代官所が置かれます。元禄2年(1689)、小郡市下岩田念島にあった氏神社の天満神社を、当時の代官服部六左衛門が松崎宿の鎮守として、松崎宿の北側筒ヶ池(現在の大添池の東側)字古原に遷しています。
大正4年(1915)、古原の天満神社、城山の愛宕神社(軻遇突智神)は、倉稲魂神社の境内に合併され、社号を天満神社として、三井高校のすぐ北側に三社が配置されています。現在、天満神社本殿の北に素戔嗚神社(祇園神社)がありますが、ここに、当初の倉稲魂神社があったようです。
倉稲魂神社 福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたま)
倉稲魂神社(稲荷神社)に宮地嶽神社の三笠松紋が打ってあります。祭神の倉稲魂命は天照女神となります。稲荷神社の主祭神は天照女神であり、朱が使われるはずです。朱は天照女神であり、白または黒は大幡主であり、社殿に朱の柱に白(黒)の壁は天照女神と大幡主を祀ることになります。
境内には、倉稲魂神社、天満神社(天満稲荷神社)、愛宕神社、素戔嗚神社が配置されています。小郡市史によると、倉稲魂神社は別名:月姫稲荷神社となっており、かつてはここに月姫大明神を祀っていたことになります。
天満神社が現在の境内では中心的存在ですが、大正の合祀前までは、倉稲魂神社が中心的存在です。
天満神社(天満稲荷神社)
福岡県小郡市松崎704
祭神:豊受姫命、菅原神、軻遇突智神
菅原神は字古原に村社天満神社として、軻遇突智神は字城山に無格社愛宕神社として祭祀ありしを、大正4年(1915)、字城山無格社倉稲魂神社に合併の上、村社天満神社と変更。
豊受姫命(天照女神)は倉稲魂神社の祭神、軻遇突智神(大幡主)は愛宕神社の祭神。天満神社、素戔嗚神社(祇園神社)の祭神は大幡主です。天満神社の本殿屋根棟には「梅鉢紋」と「三笠松紋」が打ってあります。素戔嗚神社の右横の空き地にはもう一社の祠があったと想定されます。恐らく、天照女神のものでしょう。鳥居の前に七夕夫婦神の天橋立(太鼓橋)があり、鳥居の左横には「ありま藤」の藤棚があります。
※月姫大明神
天満稲荷神社の南隣が県立三井高校です。その高校の東隣の民家に稲荷神社(倉稲魂神社)の月姫大明神社があります。「石■家」であり、名前からしても納得です。居宅が神殿になっていて、高校の通りから朱色の家屋の後ろ姿が見れ、家屋が神殿を兼ねておられます。
郷土史家・柳勇著「筑後松崎史」1976.9
松崎の人は、盛夏七月頃の厄除け(夏越の祓)には、「お汐井取り」と「獅子舞」の行事があり、氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮(味清水御井神社)の朝妻に下り、「朝妻の井」より小石を拾ふて持ち帰り、これを小桶の水につけ、その水を聖水となし、杉の小枝で松崎の各家に振り歩く、という。
松崎の人は、7月頃の夏越の祓には、「お汐井取り」と「獅子舞」の行事があり、氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮(味清水御井神社)の朝妻に下り、「朝妻の井」より小石を拾ふて持ち帰り、これを小桶の水につけ、その水を聖水となし、杉の小枝で松崎の各家に振り歩く、という。
高良玉垂命は月姫大明神と同じく月神であり、朝妻の井には水神・水波能売命=天照女神=水神を祀ります。
味水御井神社
福岡県久留米市御井朝妻1丁目5
祭神:水波能売命
味(清)水御井神社(うまし みず みいじんじゃ)の古宮は水沼君の高良玉垂命神社で、水沼君が福岡県北野町赤司の止誉比咩神社の祭神と益影井(蚊田の渟名井)の霊水を御井の湧水に移し、高良玉垂命神社を創立されました。この高良玉垂命神社が後の高良大社です。玉垂命が天照女神であり、高良大神・八幡大神が大幡主です。
赤司の八幡神社
福岡県久留米市北野町赤司1765
赤司の八幡神社は、延長2年(924)石清水八幡宮より高良宮を勧請し、戦国時代末に社号を豊比咩神社から八幡神社に変更されます
私の八重亀天満宮の夏越の祓の茅の輪くぐりでは、聖水の塩水を杉の小枝で、茅の輪をくぐる参拝人に振りそそぎます。
味(清)水御井神社の湧水は清水であり、霊水なのです。
福岡県北野町八重亀 天満神社 夏越祓・茅の輪くぐり
1999年(平成11年)7月4日(No.06)
No.69 朝妻七社と味水御井神社を混同されていませんか 2018年7月
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12393118894.html
味(清)水御井神社は久留米市御井朝妻にあります。JR九大線久留米大学前駅北側崖の下(耳納断層)に清水が湧く池があります。この「朝妻の井」の清水がご神体です。味(清)水御井神社は鳥居や社殿がなく、朝妻清水が御神体です。池の東奥に鳥居と石の祠があり、これは朝妻七社(七社権現)てあり、よく味(清)水御井神社と混同されます。味(清)水御井神社は鳥居や社殿がなく、清水が御神体という珍しい神社です。
毎年6月1日、高良大社の川渡祭が行われ、別名「へこかきまつり」といわれ、清水池の横に、この清水を引いた四角の池があり、「へこかき衆」の禊(みそぎ)に使われ、禊が済めば、へこかき衆は高良大社へと向かいます。高良大社社殿の前には大きな「茅の輪(ちのわ)」が設けられ、茅の輪くぐりを行い、お祓いを受けます。
久留米大学前駅前南側に高良大社屯宮跡(頓宮=摂社)の古い石碑「高良神社頓宮」があります。ここに高良玉垂命神社の古宮の社殿はあったようです。石碑には「屯宮の地が御井郡の名の起こり」とされ、「高良大社の三基の神輿がこの屯宮の地まで幸行した」とされ、この屯宮の地が高良大社や地域にとって大事な土地であった、と記しています。
月読神社 福岡県久留米市田主丸町
田主丸町には二社の月読神社があり、それぞれの祭神名が異なりますが、二田の月読神社が元宮とされます。天照女神は月姫であり月夜見命で二田の月読神社の祭神、大幡主は月読命で東町の月読神社の祭神です。
月読命は新月、月弓命は半月、月夜見命は満月を象徴。
これらからして、玉垂命=天照女神=月姫=水神 が成り立つのです。
■阿蘇神社の健磐龍命(阿蘇都彦)と阿蘇都比咩命
現在の阿蘇神社の祭神は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神、比咩御子神、彦御子神、若比咩神、新彦神、新比咩神、若彦神、彌比咩神、速瓶玉神、金凝神と十二神を祀っていますが、10世紀当時は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神の三神だったようです。(『阿蘇神社』阿蘇惟之)、(No.30 2022/02/06 阿蘇神社と十一面観音)
平安時代の永長元年(1096)、阿蘇神社の境内に神護寺(神宮寺)の青龍寺が建てられて、現在は近くの民家に移転しています。その本尊の十一面観音は天照女神であり、大幡主の薬師如来は不明です。本地仏からすると、阿蘇神社の主祭神の健磐龍命は大幡主であり、阿蘇都比咩命は瀬織津姫であり、天照女神となるのです。
阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命(阿蘇都彦)、阿蘇都比咩命、国龍神(吉見神・彦八井神)、比咩御子神 他
国龍神(吉見神・彦八井神)=大幡主
比咩御子神=天照女神=瀬織津姫
天台宗 金剛山 青龍寺
熊本県阿蘇市一の宮町宮地165
本尊:十一面観音菩薩
天台宗 阿蘇山・西巌殿寺
熊本県阿蘇市黒川1114
本尊:十一面観音菩薩
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西巌殿寺(さいがんでんじ)のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。
当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まり(神霊池)でした。(中略)そのような意味で、火を噴く山・阿蘇も当時の朝廷から関心を寄せられておりました。
そこで、神の住む阿蘇の湯溜まりのもとで修行せんと、天竺から来朝していた最栄読師という僧侶が阿蘇山にやって来ます。読師は噴火口めざして山を登り、修行に励みました。火口から中を覗き込んでみると、そこには目を覆うような地獄の世界が広がっているではありませんか。(中略)そのとき目の前に九つの頭を持つ大きな龍が天空をついて現れ、「火口の中を見てみなさい」と読師に告げました。その龍は阿蘇神社の祭神、阿蘇津姫の変化した姿でした。(中略)それは慈愛に満ちた十一面観世音菩薩の姿でもあったのです。あまりに尊いその姿に心打たれた読師は、登山途中見つけた霊木に心を込めて十一面観世音菩薩お姿を一心不乱に彫りました。そして火口の西の洞窟(巌殿)に安置してご本尊として祀り、毎日法華経を読んで修行に励んだのです。人々は、そこを西の巌殿の寺と呼び、崇めました。これが、西巌殿寺の寺号の由来です。(公式ホームページ)
http://www.saigandenji.com/history.html
※阿蘇山上神社
Google Map から
阿蘇山頂の火口湯溜まりは、古より「神霊池」とよばれ、阿蘇神のご神体とされてきました。山上神社は火口を遥拝する拝殿のみです。歴史的に麓の阿蘇神社「下宮」対して「上宮」とよばれてきました。
阿蘇都比咩神は中岳の神霊池の神で、神霊池の涸渇や沸騰は、国家的な災いをもたらすものとして畏怖され、朝廷は火口に変化がある毎に平穏祈願の令を出したという。火口の変異は太宰府を通じて都の朝廷に報告され、阿蘇神の評価を大きく高めました。
九州の一火山にすぎない阿蘇の火口の変化が国家的な災いをもたらすという。中岳の神霊池の神は阿蘇都比咩神すなわち天照女神であったからです。火口の異変は天照女神の怒りの象徴だったのです。そして、阿蘇都比咩神の本地仏が十一面観音だったのです。
阿蘇神の基本は、火の神の健磐龍(大幡主)と水の神の阿蘇津姫(天照女神)です。
※蒲池媛(かまちひめ)=雨宮媛
筑後国屈指の名族である蒲池氏、その姫君を蒲池媛(かまちひめ)という。
阿蘇神社関係の古文書によると、阿蘇氏の祖とされる多氏は神八井耳命(かむやいみみ)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみたま)の妃が郡浦神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)であるという。
郡浦神社 熊本県宇城市三角町郡浦2666
祭神:蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇
甲佐神社 熊本県上益城郡甲佐町上揚876
祭神:八井耳玉命、健磐龍命、蒲池媛命神、
日本磐余彦尊(神武天皇)、媛蹈鞴五十鈴媛命、猿田彦命
国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
阿蘇郡誌にはこう書かれています。
国造神社 社格 県社
一の宮 国造速瓶玉命
二の宮 雨宮媛命 「速瓶玉命の妃 本宮は宇土郡郡浦神社なり」
郡浦神社の祭神は蒲智比咩命(蒲池姫)、雨宮媛命は蒲池姫と同神となります。
この記事の結論です。
火の神=健磐龍=大歳神=年祢神=国龍神=草部吉見神=天照男神=大幡主
水の神=阿蘇津姫=瀬織津姫=罔象女神=淀姫=豊姫=雨宮姫=蒲地姫=天照女神
「貴 むち」は宗廟神社の意味で、神名の後につけるものではないのですが、使用することとします。「貴 むち」の称号を持つ神名は、道主貴(みちぬしむち)、大巳貴(おおなむち)、大日孁貴(おおひるめむち)があります。これらの尊称は天照女神の尊称です。「道主」は西海道主すなわち倭の主であり、「大巳」は大蛇であり、蛇神です。大日孁は大日女(おおひるめ)とも書きます。
大日子(おおひるこ)=蛭子=えびす=大幡主となります。さらに「おおなむち」の表記に「大己貴」がありますが、これは土神で、大幡主です。
福岡県筑前町の大己神社は「大巳神社」の表記も併用されます。大幡主と天照女神を祀るからです。(メッセージ26)
大巳神社=天照・蛇神、水神、龍神(くらおかみ)
大己神社=大幡・土神、火神、龍神(たかおかみ)
己は土(つちのと)ですから土の神になります。
※十干十二支(じっかんじゅうにし)メッセージ21
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類
甲 こう きのえ 木の兄 草木の芽生え
乙 おつ きのと 木の弟 陽気でまだ伸びなく、かがまっている状態
丙 へい ひのえ 火の兄 陽気の発揚
丁 てい ひのと 火の弟 陽気の充溢
戊 ぼ つちのえ 土の兄 陽気による分化繁栄
己 き つちのと 土の弟 分散を防ぐ統制作用
庚 こう かのえ 金の兄 結実・形成・陰化の段階
辛 しん かのと 金の弟 結実・形成・陰化の段階
壬 じん みずのえ 水の兄 陰による統制の強化
癸 き みずのと 水の弟 陽気を下に姙む意
※打ち出の小槌
大巳神社には、許黄玉のシンボル「打ち出の小槌」の彫刻を見かけることがあります。
「打ち出の小槌」は大国様の専用シンボルではありません。許黄玉から来る天照女神のシンボルです。すると、大国様、大黒様、えびす様は、本来は女神だったのでしょうか?いつからか、男女神が入れ替わったことになります。(No.250)
福岡県北野町赤司の八幡神社(止誉比咩神社)の参道手水舎横には、えびす様(天照女神)と猿田彦神(大幡主)が並んで祀られています。
■参考資料
アメブロ「瀬織津姫と消された男系太陽神」
サブタイトル「ヤマトに消された一対の男神・女神を調べています」
URL:https://seorituhime1.blog.fc2.com/
■No.28 2022/01/30 御手洗水神と日子神
阿蘇神社の西側約3キロ離れた役犬原地区の湧水群の側に霜神社がある。阿蘇の「火焚き神事」が行われる重要な神社である。
霜神社 熊本県阿蘇市役犬原9
祭神 鬼八
現地の神楽殿掲示版には祭神名が書かれ、
霜宮 大御中主命と高皇産霊命 の文字が大きく、
他の祭神は小さな文字で書いてある。
国狭槌命 山の神 =正八幡大幡主
岡象女命 水の神 =天照女神
軻遇突智命 火の神 =正八幡大幡主
旬旬逎馳命 木の神
金山彦命 金山の神
速秋津日命 水分の神 =天照女神=萬播豊秋津姫
垣山姫命 山の神 =天照女神
神殿に二躰の神像ありと付け加えてある。
主祭神と思われる大御中主命(=天御中主)は愛知の石座神社でもまつられている。
愛知の石座神社 愛知県新城市牛倉菅沼30
祭神:天之御中主尊
別の石座神社では「天火明命」をまつる。
石座神社 愛知県岡崎市石原町宮ノ入3
祭神:天火明命
天火明命の正式名称は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」
岡象女命という水神名の元神は「瀬織津姫」
霜神社には「御手洗水神」をまつる末社「御手洗社」があり、それは宮崎県高千穂でもまつられ、近くには「瀬織津姫神社」があります。
御手洗水神社 宮崎県西臼杵郡日之影町七折
阿蘇山からの水は五ヶ瀬川とともに大野川へも流れていき東の別府湾、瀬戸内海へと注がれます。その大野川の下流の両側にも御手洗神社と阿蘇神社があります。
御手洗神社 大分県大分市松岡6033
阿蘇神社 大分県大分市宮河内298
霜神社の由緒を読んでみます。
(前略)按に此の社は北斗七星祭られしと傳ふれども、我が国の上古は星を祭れることなし。星を祭れるは漢上の風の移れるなり。
後世齊内親王降り座せし時京畿伊勢近江等の(中略)
豊後国直入郡建男霜凝日子神社を昔より阿蘇末社と云えば、この社につきて、由緒あるにはあらざるかとは三位惟馨大宮司の説なりと。
因に、建男霜凝日子神社は今の九住神社のことにして祖母山上にも之を祀れり
是も阿蘇大神、風水の神を祭られしと、同様農耕を重んぜしむる上より、早霜の害を除かんとの神事に起因せるものならんか(後略)
建男霜凝日子神社には関係社が複数あります。
健男霜凝日子神社(上宮)
大分県竹田市神原
祖母山頂上 祭神:嫗嶽大明神
健男霜凝日子神社神幸所(里宮)
大分県竹田市神原2447
健男霜凝日子神社(下宮)
大分県竹田市神原1822
穴森神社
大分県竹田市大字神原1432
祭神:嫗嶽大明神
近くには神福寺薬師堂もあります。
薬師堂にまつる薬師如来の裏には消された男神が隠れています。
同じ『日子神社』が英彦山神社から勧請された福岡県小郡市の日子神社、小郡市唯一の山、花立山の中腹に鎮座されている。
(※健男霜凝日子=霜宮=天御中主=正八幡大幡主)