前回のブログ『倭人また文身し以って水害(洪水)を厭わす也。魏略より』 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12627804952.html

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。
度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を心からお祈り申し上げます

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

 

最近の私

皆様方のブログをじっくりと拝見する事が中々出来ないでいます。

申し訳ございません😥

 

実は・・・

とてもありがたい事に キュウリが復活しました\(^o^)/

となると(p_-)・・・・収穫最盛期を迎えております。

早朝からハウスに入って、大忙しの毎日です。

仕事を始める時間帯は気温13度くらいで動いていても涼しいのですが・・・

次第に気温上昇・・・外気温は最低13℃前後からの~最高28℃ 温度差なんてあたりまえ😵

28℃の外気温だとハウスの中はもう大変・・・

作業開始2時間程で、ハウスの中はめちゃくちゃ暑くなり、汗だくで仕事をしています。

去年の今頃も、同じ事を書いていたなぁ~・・・

2019年10月23日投稿のブログ

番外編 暑い秋と最近の私

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12535571732.html

 

何と言うか・・・一度経験すると、暑い秋に慣れてしまっている自分がいる事に気が付きます

週間予報では6日は最低気温10℃ 最高気温28℃ となっているのですが・・・

ビックリしないのです・・・慣れてしまってる・・

異常が異常と感じられなくなるのは・・・あまりよろしくないのでは・・・

と 思う 最近の私です。

家に帰ると 頭がぼ~っとなって家事をこなすのが精一杯です。

 

食のありがたさを身を持って経験しています。

農家・・特に野菜農家、畜産農家の方々は日曜だ、連休だ、とか関係ありません。

今は稲刈りも最盛期。 暑いなんて言ってられない(ー_ー)!!

例えば・・

キュウリは収穫しても、翌朝には次のキュウリさんがビヨ~ンと大きくなっています🙂

幼なじみの奧さんは、収穫だけではなく、芽かぎとか他の仕事もこなして、家事もこなして・・

私には真似出来ません。本当に凄いです!

 

私は、今まで祖母から言われていた『いただきます』の意味を何度も書いてきましたが、

食事をする時には

命を頂いている 農家の方の御苦労を頂いていると心から感謝しての

いただきます!』を

農業を体験して、祖母の言葉の意味をようやく理解出来た事にも感謝しております😊

今日も収穫のお手伝いをさせて頂きました。

 

実は

どうしても書きたい事がありまして・・・

何と言うか・・・早く書かなきやいけない・・と言う衝動にかられているのであります😶(?_?)

それは・・・ブログ

 

の最後にご紹介した 恒星 アケルナル についてです。

 

明日以降も早朝から仕事ですので・・・家事を始める前に・・

書かせて頂きます<m(__)m>

 

 

①恒星アケルナル

皆様、御存じですか?

 

恒星アケルナル  ウィキペディアより 抜粋

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%AB

 

アケルナルまたはエリダヌス座α星は、エリダヌス座で最も明るい恒星で、

全天に21個ある1等星の1つである。エリダヌス座の南端にある。

アケルナルは、2つの恒星から成る連星で、主星はエリダヌス座α星A、伴星はエリダヌス座α星B(非公式だが、アケルナルBとも呼ばれる)と呼ばれている。ヒッパルコス衛星による年周視差の値からすると、アケルナルは地球から約139光年離れている。

主星はスペクトル分類においてはB型主系列星に分類される。主星は、自転速度が異常なほど高速なため、形状は回転楕円体になっているとされている。伴星はA型主系列星で、主星よりも小さく、主星からは12au離れている。

 

観測
アケルナルの赤緯は-57°14′(2000年)であり、北緯約33度より北では地平線より上に昇って来ない。

そのため、日本では鹿児島・宮崎・高知南部・熊本南部以南の地域でしか見る事ができず北半球の多くの国々では全く見ることができない。

また、沖縄などでもあまり高く昇らず、南の空に低く見ることしかできない。

 

このため、かなり明るい星にも関わらず、日本での知名度はそう高くない。

しかし、南半球では、青白い輝きが目立ち、オーストラリアのシドニーでは年中沈まない周極星になる。また、近くに小マゼラン雲も見える。

 

主星アケルナルAは質量が太陽の約7倍もある青く輝く恒星である

 

観測の歴史
アケルナルは、現在1等星とされる21個の恒星のうち、
古代ギリシャ人に知られていなかった唯一の星であり、西洋の観測記録に最後に登場した1等星である。

地球の歳差運動により、紀元前3400年頃のアケルナルは赤緯-82.60度と天の南極の近くにあったとされる。したがって、
古代エジプト人は、その存在を知らなかった

西暦100年でも、赤緯は-67度で、アレクサンドリアにいたクラウディオス・プトレマイオスもその存在を知らなかった。

一方、エリダヌス座θ星は、クレタ島の北側で観測出来た。

よって、プトレマイオスはエリダヌス座の南端をθ星としていた。アケルナルが、アレクサンドリアで観測出来るようになったのは、1600年頃であった。

 

中国では、アケルナルはζ星とη星と共に、「水委」と呼ばれるアステリズムを成している。

その中で、アケルナルは1番目の恒星とされているため、「水委一」と呼ばれている。

 

以上 ウィキペディアより抜粋致しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

主星アケルナルAは質量が太陽の約7倍もある青く輝く恒星である

日本では鹿児島・宮崎・高知南部・熊本南部以南の地域でしか見る事ができず、北半球の多くの国々では全く見ることができない。

 

つまり・・・上記の地域以外では決して見る事が出来ない 

とても明るい星 アケルナル

なのであります(p_-)

 

私は・・・アケルナルを古代の方々は知っていらしたのだ! と思います。

記紀の編纂者の方々も 熊本南部以南の地域でしか見る事が出来ない この星の事は

見た事はなくても よ~く御存じであったのでは・・・(p_-)

 

画像 ウィキペディアより アケルナルの想像図

 

 

記紀の編纂者の方々・・・

見た事はなくても よ~く御存じであったのでは・・・(p_-)

でも・・・後世の方々は・・・見た事がないから・・・

別の星と 思い違いをされていらっしゃるのでは・・・

 

アケルナルと天津甕星の関係・・・

気が付いてしまいました・・・(p_-)

 

②天津甕星について

 

天津甕星 ウィキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%95%E6%98%9F

非常に気になる箇所のみ、抜粋して転記させて頂きます<m(__)m>

 

天津甕星(あまつみかぼし)は、

日本神話に登場する星の神である。

別名、天香香背男(あめのかがせお)。星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)。

 

『古事記』には登場しない。『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する

 

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段本文
【原文】

一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。 故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」

 

【現代語訳】
一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。 そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」

 

『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二)
【原文】
一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。 時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」

 

【現代語訳】
ある書によれば、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。 その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った。

 

 

第二の一書では天津神となっている。

経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

鹿島神宮や静神社の社伝によれば、武甕槌命は香島(723年に鹿島と改名)の見目浦(みるめのうら)に降り(現在の鹿島神宮の位置)、磐座に坐した(鹿島神郡の要石とも)。

天香香背男は常陸の大甕(現在の日立市大甕、鹿島神宮より北方70km)を根拠地にしており、派遣された建葉槌命は静の地(大甕から西方約20km)に陣を構えて対峙した。

建葉槌命の陣は、茨城県那珂郡瓜連(うりづら)町の静神社と伝えられる。

「カガ(香々)」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。

神威の大きな星を示すという。

平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。

星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。

 しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。

全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。

 

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、

また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

 

以上 ウィキペディアより 抜粋させて頂きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

かなり、以前に恒星 アケルナルを知ったのですが、

それ以降、天津甕星・・気になって仕方ないのであります。

 

第二の一書では天津神となっている。

経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

 

平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。

 

金星ならば、日本国内どこからでも見れるから、誅伐した とは

言えないのじゃないのかな・・?

と私は考えたのであります(p_-)

 

平田篤胤と言う方は・・・

日本では鹿児島・宮崎・高知南部・熊本南部以南の地域でしか見る事ができず、北半球の多くの国々では全く見ることができない、質量が太陽の約7倍もある青く輝く恒星

アケルナルを御存じ無かったのでは・・ないでしょうか・・・?

と言うか・・・

アケルナルが見えない地域の方々は・・もちろん恒星 アケルナルを御存じ無かった

はずです・・・

 

※高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星

※建御名方神と同一神とされることもあり・・・

 

※全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。

この記述を読んだ時にハッ!としました。

星宮神社様・・・・

かなり以前調べた事があったからです。

それは・・うちの親戚の星原家について調べた時の事でした・・・

 

③星原に御鎮座の星宮神社様

うちの親戚の星原家は本姓「大神氏」で、球磨の上球磨、湯前や湯前領切畑村(江戸時代までは切旗村)の切畑大明神様をはじめ神社とする神社様の宮司を務めていらっしゃった一族の方々です。

湯前領切畑村は、旧宮原村宮麓内にあった湯前村(現湯前町)の飛び地でありました。

過去ブログ『橘氏・大神氏が関わる神社様と稲積・府の古代における意味

でも書いたのですが

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12563446858.html

 

うちの宮原家の親戚の星原家のご先祖様のお墓には・・・・

 

星原権大夫大神惟吉

という方のお名前があります。

 

数年前・・星原という地名を探していた時に、星宮神社様の記述に気が付きました。

星原地名」について詳しくお書きになられていらっしゃるサイト様を拝見しましたので

ご紹介致します。

 

丹後の地名プラス 様サイト内

星原(ほしはら)  京都府綾部市星原町

https://tangonotimei.com/ikrg/hosihara.html

 

勝手ながら 転記させて頂きます。

《星原の概要》
干原とも書く。幾見郷の西北端、小呂村の南から西北に開かれた谷間に立地。

幾見郷六箇の一。 八田川の支流小呂川沿いに位置し、村の入口に産土神の星宮神社があり、その森を星原と名付けたところから地名となったという。
星原村は、江戸期~明治22年の村。はじめ幾見村の枝郷、のち分村独立した。

はじめ山家藩領、寛永5年から旗本十倉谷氏知行地。

 

星ノ宮大明神   干原村 村入口ニ 産神
 祭ル神 高倉明神客神ト云 祭礼 九月九日
 森凡五十間四方 是ヲ名付テ星原ト云 高倉祭先立ノ神也
 出ルハ星原 帰ルハ多田村先立ナリ 是ヨリ谷向ノ段々 星原ノ壱本松ト云名高松アリ  (『丹波志』)

 

星宮神社  星原小字土井ノ内一番地
 祭神 五百箇磐石神
 由緒 不詳
境内社 二社
 熊野神社
 武太神社
  氏子数 四十七戸  (『吉見村誌』)

 

以上 丹後の地名プラス 様サイト内

星原(ほしはら)京都府綾部市星原町より転記致しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

八田川の支流小呂川沿いに位置し、村の入口に産土神の星宮神社があり、その森を星原と名付けたところから地名となったという。

 

※高倉祭先立ノ神也とは・・

神武天皇様に霊剣布都御魂をもたらされた高倉下(たかくらじ)様の事かな・・?

 

※御祭神  五百箇磐石神

五百箇磐石神・・・

経津主神 ウィキペディアより 抜粋致します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B4%A5%E4%B8%BB%E7%A5%9E

 

経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。

香取神宮(千葉県香取市)の祭神であることから、香取神、香取大明神、香取さま等とも呼ばれる。経津主神は、香取神宮を総本社とする日本各地の香取神社で祀られている。

 

『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段(神産みの段)の第六の一書では、伊弉諾尊(イザナギ)が火の神・軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十握剣の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖であるとしている。

第七の一書では、軻遇突智の血が五百箇磐石を染めたために磐裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている

以上 ウィキペディアより転記致しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

※経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

※全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。

星原の星宮神社様の御祭神は・・・何か・・何と言うか・・・変わってしまったのでは・・・?

 

そう言えば・・・気になる記述がありました。

ウィキペディアのタケミカヅチ様の記述に・・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%85%E3%83%81

 

また同箇所(日本書紀)に、二神が打ち負かすべく相手として天津甕星の名があげられ、

これを征した神が、香取に座すると書かれている。ただし、少し前のくだりによれば、

この星の神を服従させたのは建葉槌命(たけはづち)であった。

と記されていました。

 

建葉槌命(たけはづち)※天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ) ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%BE%BD%E6%A7%8C%E9%9B%84%E7%A5%9E

 

『古語拾遺』に登場する。天羽雷命(あめのはづちのみこと)や、倭文神(しとりのかみ)、倭文神(しずのかみ)とも呼ばれる。

天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。

文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では

栲幡千々姫命、天棚機姫命が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。

また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。

信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られている。

系譜
神産巣日神の5世孫の天日鷲命の子で、委文宿祢、県犬養氏、美努宿祢、鳥取部連、大椋置始連の祖神とされる。

『新撰姓氏録』には角凝魂命の三世孫が天湯河桁命で後裔が鳥取連、美努連とされ、『先代旧事本紀』には少彦根命が鳥取連の祖神とされる一方、『斎部宿祢本系帳』には
角凝魂命の四世孫・天日鷲命の子である天羽槌雄神が鳥取部連、美努宿祢の祖とされている。

 

建葉槌命について
別名と同一視されるのは建葉槌命(武葉槌命・たけはづちのみこと)で、こちらの方が有名かもしれない。建葉槌命は『日本書紀』に登場した倭文神で、経津主神・武甕槌命では服従しなかった星神香香背男(ほしのかがせお)を征服した神とされる。

 

以上 ウィキペディアより転記致しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

星原の地名を調べたら・・・星宮神社様に繋がり・・・

建葉槌命(たけはづち)様 ※天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)様に繋がり・・・

尚且つ

※高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星

建御名方神と同一神とされることもあり・・・

 

金星は・・・日本各地の至る所で目にする事は出来るけれど・・・

アケルナルは日本では鹿児島・宮崎・高知南部・熊本南部以南の地域でしか見る事ができず、北半球の多くの国々では全く見ることができない。

 

考えてみると・・・

見えない地域にいけば・・そこに、人の移動と共に何らかの伝承が伝わったならば・・・

アケルナルは見えないのだから・・・

誅伐した

と言う事は可能なのかもしれません・・・・・・

 

そう言えば・・・

中国では、アケルナルはζ星とη星と共に、「水委」と呼ばれるアステリズムを成している。

その中で、アケルナルは1番目の恒星とされているため、「水委一」と呼ばれている。

水委 ・・・・ですか・・・

そうか・・・

 

マタマタそう言えば・・・

九州それも南部に限定されるのですが星原の地名は数か所存在するのです・・・

例えば・・・

宮崎県都城市高城町有水上星原 とか・・・

鹿児島県垂水市本城の小字の星原とか・・・

鹿児島県いちき串木野市荒川の小字の星原田とか・・・

鹿児島県薩摩川内市港町星原とか・・・

全てアケルナル(水委)の見える地域です・・・

 

星原地名の由来は

星信仰が語源といわれる。

そうです・・・

 

さらに、私が住む、球磨郡旧岡原村(現あさぎり町岡原)の「岡本」 旧岡本村にも

字 星原 があります。

 

下部の幸野溝の上付近を見て頂くと解ります。

岡原字

 

九州内のアケルナル(水委)の見える地域には

星原地名がある・・

と言う事がよ~く解りました。

 

独り言

建御名方神様(日本書紀』以外の国史では南方刀美神(みなかたとみのかみ))はもともと・・・九州南部アケルナル(水委)の見える地域に

いらっしゃったのでは ないのかな~・・・

そして・・移動なさった・・・

 

何故ならば・・・宮崎県えびの市には南方神社様(御祭神 建御名方神様)も御鎮座で

さらに尚且つ

宮崎県えびの市には南方神社(飛諏訪神社)様も御鎮座です。

飛諏訪神社様 ・・・・ 諏訪に飛ぶ????!!!

 

宮崎県えびの市は、私の主人の勤務地です(^'^)

主人と一緒に、えびの市や霧島連山をドライブしている時に、南方神社様は気が付いていました。

ちなみに・・・

主人の仕事場はえびの市と小林市との境にあり、生駒高原 のすぐ近く。

夷守岳 が目の前に聳える場所で、主人は仕事しています。

もちろん、球磨の旧宮原村の家から毎日、山を越えて通勤いたしております(^'^)

 

実は主人は1978年生まれでして・・・(そう・・かなり年下で・・)

車内で音楽を色々聞くのですが

最近、TM NETWORKのベストを買ってきて「懐かしい」と言いながら良く聞いています😊

私は、TM NETWORKと言えば・・・一番好きな曲は

BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて) です。

実は、家からアケルナル(水委)が見えるのかな?と思いながら星空を見上げる時は

BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)をよく聞いています😊

 

 

 

今回は、ぜひ、皆様方に 熊本県南部以南でしか見る事が出来ない星

恒星 アケルナル

をご紹介させて頂こう(^^)/ と思いまして、ブログを書かせて頂きました。

 

 

次回は、龍蛇文身 と 繋がっているような気がとてもしている

過去ブログ・・・

 

 

との共通性についても書かせて頂きたいと思っています

球磨に水稲稲作を伝えてくださった『お龍っつあん』 ご一行のお話です・・(p_-) 😊

洪水・水害を避ける祈りとは

治山治水の原点なのかもしれません・・・

 

 

最後までご覧頂きまして、ありがとうございました。

皆様、寒暖差に負けないように、お身体十分にお気を付けください。

 

私は、明日も・・・・・

キュウリの収穫 がんばります\(^o^)/

愛する 球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『2020秋 最近の私と一主婦の考え』 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12632223891.html